昨日のエントリで書いたように、22日からアメリカに行ってきたわけだが、成田空港に着いて東日本大震災の時のことを思い出した。
震災の二週間後の3月26日、僕たちは台湾に旅行に行った。地震が来る前に計画していたもので、本来は杉花粉から逃げるために行ったのだが、結果的に地震から逃げる形になった。震源の東北地方は言うに及ばず、東京も節電で暗くスーパーの棚から商品が消えているような異常事態だった。
羽田空港に着いてから、飛行機に乗るまでに何度も余震があった。まだ欠航している便があった。台湾の松山空港では日本から来た人だけ放射線のチェックを受けた。台湾についてからも、揺れていないのに、なんだか足元がふらふらするような気がした。店に商品が並んでいるというあたりまえのことに感動した。
これが二年前である。では、今はどうだろうか。
どう考えても東北地方は復興とは程遠い状況である。一体いままで何をやってきたのか。今頃になって増税したりしているが、これは恥ずべきことだと思う。
空港で思い出したあの感覚は過去のものではない。まちがいなく、あのときと連続している。いつになったら過去のものになるのだろうか。
震災の二週間後の3月26日、僕たちは台湾に旅行に行った。地震が来る前に計画していたもので、本来は杉花粉から逃げるために行ったのだが、結果的に地震から逃げる形になった。震源の東北地方は言うに及ばず、東京も節電で暗くスーパーの棚から商品が消えているような異常事態だった。
羽田空港に着いてから、飛行機に乗るまでに何度も余震があった。まだ欠航している便があった。台湾の松山空港では日本から来た人だけ放射線のチェックを受けた。台湾についてからも、揺れていないのに、なんだか足元がふらふらするような気がした。店に商品が並んでいるというあたりまえのことに感動した。
これが二年前である。では、今はどうだろうか。
どう考えても東北地方は復興とは程遠い状況である。一体いままで何をやってきたのか。今頃になって増税したりしているが、これは恥ずべきことだと思う。
空港で思い出したあの感覚は過去のものではない。まちがいなく、あのときと連続している。いつになったら過去のものになるのだろうか。