2013年09月

パソコンの不調にまぎれて書かなかったが、今月起きた出来事で最も印象に残ったのは、2020年の東京オリンピック決定だろう。

2012年10月25日、勤務先のレターボックスに、オリンピック招致バッジがひっそりと仕込まれていた。作った人には申し訳ないが「いらねぇよ」と言う他ない。
東京オリンピック招致バッジ

その日、仕事から帰ってくると、なんと石原都慎太郎知事が辞任を表明していた。これはリンクして考えないわけにはいかない。オリンピック招致の夢破れた都知事の、招致グッズ在庫一掃セール(売ってないけど)だろうと思った。

次の日には祖母が老人会でクリアじゃないオリンピック招致クリアファイルをもらってきた。ますます在庫一掃だと思った。
東京オリンピック招致クリアファイル

ところが、しばらくして給料袋にまで招致メッセージが印刷されるようになった。もしかしたら、これは在庫一掃セールではないのではないかと思うようになった。その後、町でもポスターや幟を見かけるようになった。これはマジだ。
給料袋

ここまで、すべて石原氏の後任を決める都知事選挙(12月16日)前の話である。後に都知事となって石原氏の政策を継ぐ猪瀬直樹氏はまだ出馬表明すらしていなかった。それなのに、都はオリンピック招致に本腰を入れ始めたのである。

ここで盛り上げて、都民の支持を取り付けようという算段だったのだろう。東京都には鈴木俊一都知事のとき、世界都市博に失敗した前例もある。あの時は、鈴木都知事の後、世界都市博の中止を公約に掲げた青島幸男が当選して、かなり進行していたにもかかわらず中止になったのである。

もちろん、その程度では盛り上がるはずはない。このころ、ほとんどの都民は、オリンピック招致について反対か無関心で、仮に興味があっても「もうムリだろ」と思う人が多かったように思う。

ところが、オリンピック招致に前向きな猪瀬氏が都知事となり、だんだん風向きが変わってきた。マスコミの扱いも、前回のオリンピック招致のときとはかなり違っている。最後は「東京が最有力」とまでいうようになった。

最終的な結果はご存知の通り。しかし、状況はそれほど変わっていないのに、短い間に「もうムリだろ」から「東京が最有力」に変わったのは、僕にはなんだか解せないのである。
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荏原中延駅のときに、「池上線でフォトジェニックでない唯一の駅」などと書いてしまったが、長原駅も同じく地下駅であまりフォトジェニックでない。こちらは昭和47年に地下駅になっていて、平成元年に地下駅になった荏原中延の先輩である。

ホーム。まあ、地下駅なので、荏原中延と大差ない。違うのは壁の色とタイルの貼り方ぐらいなものだろうか。どことなく地下駅として先輩の風格があるような気がするが・・・気のせいだろう。
長原駅ホーム

長原駅ベンチ

ホームにあった謎の機械。
謎の機械

ホームからすぐに外が見えるのも、荏原中延と同じ。
ホームから見える外界

駅舎の上には東急ストアとダイソーがある。入り口は近代的な荏原中延よりは煤けているが、駅前の「ぱすてる長原」という商店街はなかなか賑わっている。
長原駅入り口

商店街を抜けると、中原街道に出る。
ぱすてる長原入り口

ジーンズショップというわりにジーンズの品ぞろえが少ない・・・というかほとんど見られない。
ジーンズショップ


さて来月は洗足池に参ります。
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「役不足」、正しく使用は4割〜文化庁調査:日テレNEWS24
24日、文化庁から「国語に関する世論調査」の結果が発表された。普段使っている言葉の中でも、「役不足」や「潮時」など、本来の意味とは取り違えているケースが多いことが改めて浮き彫りになった。
 文化庁が発表した調査結果では、「役不足」という言葉を本来の意味の「役目が軽すぎること」と答えた人は41.6%だったのに対して、「役目が重すぎること」と答えた人は51%と、半分以上の人が違う意味として使っていた。

この手の言葉の誤用は周期的に話題になる。「役不足」に関しては、実は僕も長らく間違えていて、大学院生時代にホシナさんに指摘されて初めて正しい意味を知った。

もう、言わずもがなだが「役不足」とは、役者が役に満足しないこと、転じて、自分の能力に対して、やることが軽すぎることをいう。ホシナさんは中村勘九郎(当時)に馬の足をやらせることを例にとって教えてくれたが、ジャン・レノにドラえもんの役をやらせるのも役不足だと思う。

最近、太宰治の『新ハムレット』を読んでいたら、こんな「役不足」が出てきた。これはどう解釈すればいいのだろう。
王。「そんなところだろうと思っていました。さあ、ガーツルード、それでは、わしも一緒に失礼しましょう。いや、なかなか面白かった。ホレーショー、ウイッタンバーグ仕込みの名調子は、どもりどもり言うところに特色があるようですね。」
ホレ。「いやしい声を、お耳にいれました。どうも、此の朗読劇に於いては、僕は少し役不足でありました。

『新ハムレット』はキャラクターとプロットの一部をシェイクスピアの『ハムレット』から借りて、太宰が換骨奪胎した作品である。この場面は原作『ハムレット』にもある劇中劇が終わった場面である。

『新ハムレット』の劇中劇は原作とは全く違って、ハムレット(先王の子)、ホレーショー(ハムレットの親友)、そしてなぜかポローニヤス(王の侍従)自身が劇を演じる。ホレーショーが花婿、ポローニヤスが花嫁、ハムレットが花嫁の前夫の幽霊となる。

登場人物が三人しかいないので、どれも重要な役で役不足も何もない。この場面だけ読むと、「どもりどもり言うところに特色があるようですね。」という王のセリフを受けて、ホレーショーは自分の演技が下手だったと謙遜しているように見える。つまり役が重すぎるという誤用である。

これは誤用の古い用例ではないか。実は最初そう思ったのだが、よく考えると正しい用法として読むこともできることに気づいた。

シェイクスピアの原作では、王の不徳を暴くための劇をハムレットが思いつき、旅役者にその劇を演じさせる。ポローニヤスは王の側の人間で劇には参画していない。

ところが、『新ハムレット』では、ポローニヤスが劇を画策し、ハムレットたちに劇を演じさせる。ハムレットは原作とは逆に王の不徳を信じていない。ポローニヤスは老人男性にもかかわらずやる気満々で、女装して花嫁役などをやっているが、実はハムレットもホレーショーもポローニヤスに付き合って嫌々やっているのである。

つまり「僕は少し役不足でした」は、ホレーショが劇に出演すること自体に不満があったと正しい用法で解釈できる。だとすれば、ホレーショは暗に「この役はポローニアスにむりやりやらされたのだ」と王に言っているのである。

ざっと青空文庫のテキストを検索してみたが、あきらかに「役不足」を間違った用法で使っていると見られるものは見当たらなかった。

「旅へ出てならともかくも、江戸の芝居で、わたしに判官と弥五郎を使わせてくれる。役不足どころか、有難い位のものさ。だが、どうも気が乗らない。今もいう通り、今度の芝居はいっそ休もうかとも思っているんだ」( 岡本綺堂『半七捕物帳 人形使い』
「どうです、青山君、君も役不足かもしれないが、一つ飛騨の山の中へ出かけて行くことにしては。」 どうして役不足どころではない。それこそ半蔵にとっては、願ったりかなったりの話のように聞こえた。(島崎藤村『夜明け前』
それで加茂五郎兵衛の伝記をあの男にやらせてみよう、そういうことになって、先生のお宅へ招ぜられて、貴君は目下不遇なる三文文士だけれども筆力非凡将来の大器であるから作中の人物としては加茂五郎兵衛が不足かも知れぬがマアこの際役不足を我慢して御尽力願う、などと最大級に激励していただいた。(坂口安吾『露の答』

これらは一読して正しい意味で使っていることが分かるものばかりである。

おそらく、「役不足」の間違った用法が広まったのは比較的新しく、演劇用語として使っていることからしても、太宰は「役に不満がある」という意味で使ったのだろう。太宰が誤用していないと確定するにはまだ材料が少ないが、正しい用法の方がホレーショのセリフと、それが表す心理に深みがあるのは間違いない。

【9/30追記】
コメントにもあるように、ホシナさんの用例は、勘九郎ではなく團十郎だった。
「役不足」:HOSHINA HOUSEで僕も向こうのコメントに書いているのにすっかり忘れてた。

なお、「役不足」に関してはこちらも参照されたい。
「役不足」(2):HOSHINA HOUSE

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パソコンの進化は年をおうごとに、より速く、より(容量が)大きくなっている。進むことはあっても減ることはない。ところが、そのパソコンでも、進化したり退化したりした分野がある。発熱量である。

1996年、最初に買ったデスクトップパソコンは電源部にのみファンが付いていた。CPUは133Mhz(クロック周波数という)のintel pentiumプロセッサ。

これが今も使っているPCのケースである。ATX規格が出てすぐのもので、この電源ファンは外気を吸い込むタイプ(現在は吐き出すタイプになっている)だった。その風がCPUについている剣山みたいなヒートシンクに当たってCPUを冷やすという寸法である。

電源を経由した外気ということは、すでにそこで暖められているということになる。温かい空気をぶつけて大丈夫かと思ったが、真夏でも熱暴走したことはないので、これでも問題なかったのだろう。それでも、Pentiumはそれ以前の486とくらべて熱くなるので有名だった。

6年後(2003年)の改造で、AMDのAthlonというCPUに変えた。クロックは1.4GHzで前の10倍である。クロックが大きくなるとそれだけ処理速度が早くなる。処理速度は飛躍的に速くなったが、これが出す熱がすごかった。

熱を出すのはCPUだけではない。それに応じてファンの数が増え、電源に一つ、CPUに一つ、ここまでは想定の範囲内だが、さらにマザーボードのチップに一つ、グラフィックボードに一つ、いきなりファンが4つになった。筐体内の温度があまりに高くなったので、ケースにも一つファンを追加し、全部で5つのファンが一つのPCに入ることになった。

電源を入れると、これらのファンと、ハードディスクが盛大にブオーンと唸りだす。アメ車みたいでなかなか頼もしいが、夏などは足元が熱くて耐えられない。これでPCが壊れるとえらいことになるので、扇風機を自分ではなくPCに向けて回した。これでファンが6つになった。

このころのマザーボードには、すでにCPUの温度を計るセンサーが付いていた。OSを起動しただけの状態でCPU温度は60度ぐらいになった。ちなみに現在は真夏でも40度ぐらいである。

このマザーボードはコンデンサーが破裂し、煙を出して故障した。ちなみにこのPCにはmonjuという名前を付けていたので、名は体を表すのだなと妙に感心した(ホスト名の話:2008年07月08日参照)。

そのころ、台湾製の粗悪コンデンサーが原因でマザーボードが故障する事例が相次いで報告されていた(電解コンデンサの大量死テンプレサイト参照)。僕のもこれが原因だと思うが、電解コンデンサーは熱で寿命が縮まるものなので、粗悪コンデンサーでなくてもじきに壊れていただろう。

このマザーボードが故障した2006年に、同じAMDのSempron 3000+というCPUに改造した。クロックは1.6Ghz。クロックの数字があまり上がっていないのは、前のものから三年しか経っていないこともあるが、クロックを早くする競争が終わり、別の方法でCPUの処理速度を上げる方向に向かったからである。「3000+」というのは「3Ghz以上の性能がありますよ」という意味だ。

このマザーボードはグラフィック機能もついていて、ヒートシンクは付いていたがファンは付いていなかった。ファンの数は電源とCPUの2つ(ケースファンは取り外した)だけになり、電源を入れるとハードディスクの音が目立つだけで、ほとんどファンの音はしなくなった。

驚いたのは電気代である。なんと、月あたり1000円以上も安くなった。早めに壊れてくれてよかったと思う。

そしてさらに6年後、今回の改造でCPUクロックは2.5Ghzになった。このCPU(intel Celeron G540)は中身が2つあるので相当熱くなりそうなものだが、CPUの温度はやはり40度程度である。

ファンの数は前回と同じだが、起動ディスクをハードディスクからSSDに変えたので、音がほとんどしなくなった。SSDはハードディスクよりも消費電力が少ないので、より経済的なPCになったはずだ。

こうしてみると、PCの進化は自動車の進化に似ていることに気づく。自動車でいえば、単にスピードを追い求めていた時代から、燃費や乗り心地を追求する時代へと移ったのである。それだけ成熟したということだろう。
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池田信夫氏が「解雇できない特区」を考えたそうだ。これがオソマツすぎて笑える。

「解雇できない特区」をつくってみた:BLOGOS
そこで逆に彼らの理想らしい解雇できない特区を考えてみた。これは隗より始めよで、朝日新聞東京本社のある築地にしよう。まず解雇は全面禁止だから、コピー取りも守衛も掃除のおばさんも全員、正社員(無期雇用)になる。朝日新聞の好きな平等主義で、彼らにも記者と同じ年収1300万円を払うことにしよう。もちろん終身雇用だから、コピー機がなくなってもコピー取りの「坊や」を65歳まで雇い続けなければならない。

「解雇しやすい特区」は、雇用のことを言っているのに、「朝日新聞の好きな平等主義」を勝手に想像し「彼らにも記者と同じ年収1300万円を払うことにしよう。」などと言っている。なぜ「解雇できない特区」で、給料を平等にしなければならないのか分からない。

この時点で池田氏の考え方は十分オソマツなのだが、さらによく考えると掃除のおばさんの年収を記者と同じになるまで上げることができるならば、逆に記者の年収を掃除のおばさんと同じになるまで下げることもできることに気づく。これなら全員を正社員にした特区の朝日新聞社も倒産しないだろう。

そんな会社に入る奴がいるはずがないと思われるかもしれない。だが、それが必ずしもそうとはいえない。

前提になっている「解雇しやすい特区」は、現在の日本の制度が簡単に解雇できないから特区として成立する。簡単に解雇できない社会なのに、さらに「解雇できない特区」を作るなんてナンセンスである。つまり、もともとの「解雇できない特区を考える」こと自体に意味がない。

「解雇できない特区」が成立するのは、特区以外が解雇しやすい制度であるのが前提となる。そうなれば、すぐにクビになる年収1300万円の記者と、絶対にクビにならない年収400万円ぐらいの記者では、どちらを選ぶかはかなり微妙になってくる。特に非正規社員の多いマスコミでは、生活が安定するなら年収400万円でも喜んで記者になる人がいるだろう。

池田氏の文章には、賛同できるところもあるのに、こういう子供だましを平気で書くから信用できない。わざとやっているなら質が悪いし、本気なら残念な思考としか思えない。
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PC大改造終了(ハードウェア編)の続き。

PCを組み上げて、とりあえず、モニター、キーボード、マウス、電源を繋いで、電源を入れてみる。最初にBIOSという画面が出てくればとりあえず成功だ。

BIOSとはコンピュータの初期設定のようなものである。メーカー製のパソコンでも、電源を入れると最初にメーカーのロゴが出くるがそのときBIOSが動いている。

以前はBIOSというものは地味なものと相場が決っていたが、今度のはなんだかやたらとハデだ。設定画面をよく見ると日本語表示もできるし、マウスも使えるらしい。BIOSの設定は基本的にそのままでいけるはずだが、一応、接続してあるパーツが認識されているか、ブート(起動)の順番がDVDからになっているか確認する。問題なさそうだ。

無事動いたので、後はOSをインストールすればとりあえず、完成ということになる。

OSは当初Window8のみを購入し、インストールしようと思っていたのだが、Linuxの一種、Ubuntuを別のPCで使ってみたらこれがなかなかいい。考えてみると、Webサービスを使うようになった今、Windowsでなければダメな場面は本当に少ないのである。

しかし、さすがにそれだけでは心許無いので、今まで使っていたWindowsXPとUbuntuのデュアルブートにすることにした。とりあえずUbuntuをメインに使って、サポートが切れるまでXpを補助的に使おうという算段である。Windowsときれいサッパリ縁を切るか、Windows8にするかはその時考えればいい。

この場合、まずWindowsXpをインストールした後で、Ubuntuをインストールするのが鉄則である。

まず、WinsdowsXpのディスクを探さなきゃけないのだが、これがなかなか見つからない。なにしろ最後に使ったのは6年前である。小一時間探してやっと見付かった。これをDVDドライブに入れて起動する。

途中、「シリアルナンバーを入力せよ」と促される。「ハテ、そんなのどこにあったかな」と思ったら本体の前面にシールが貼ってあった。ああよかった。
BlogPaint

しかし、一難去ってまた一難。今度はシールを下の方に貼ったおかげで、文字が擦り切れていて読みにくい。Bだか6だか8だか区別がつかないのだ。なにしろ貼ったのは10年前である。たぶん、知らないうちに擦ったり蹴っとばしたりしたのだろう。十年前の自分に会えるなら、シールはもっと上に貼れといいたい。

読みにくいところを勘で入力し、何度も「シリアルナンバーが違います」などと怒られ、10回目ぐらいでやっと先に進めた。これで済んでよかったと思うべきだろうか。

さて、これで無事起動と思いきや、今度はアクチベーションをしなければならない。アクチベーションとは、インターネットに繋いでMicrosoft社に認証してもらうことである。ところが、この時点ではインターネットに繋っていない。

これはマザーボードに付属してきたドライバをインストールしていないのが原因だった。インストールしたら無事アクチベーションできた。10年前の製品で、マザーボード、CPUが三回入れ替わっても大丈夫らしい。

これで無事WindowsXPは動くようになった。ところが、これで終わりではない。今インストールしたのは10年前のWindowsである。これを現代のXPにするためには、Windowsアップデートをしなければならない。すでにインターネットにつながっているので、セキュリティのためにも一刻も早くアップデートする必要がある。

早速、マイクロソフトのサイトに接続しても、ブラウザが10年前のものなので現代のサイトに対応していない。このWindowsXPはセキュリティホールが空きまくりの古いOSで、そのうえセキュリティソフトも入っていない。それがすでにインターネットにつながっているのは何とも不安だ。

焦るあまり何度か失敗して面倒くさくなり、アップデートを中断して、とりあえずUbuntuをインストールすることにした。

インストールの方法は、すでに作っておいたDVDから起動して、質問に答えるだけ。もちろん日本語である。フリーなのでシリアルナンバーの入力もアクチベーションもいらない。今回はデュアルブートなので、起動ディスクのパーティションを切らなければならないが、それもGUIで簡単にできる。

そして、こちらは何もしなくても、インターネットに繋がった。Ubuntuのインストールは、拍子抜けするほどあっさりと終わってしまった。最新のOSであることを割り引いても、XPの苦労は何だったのかと思う。

ここで、僕は画期的なことを思いついた。UbuntuからWindowsのディスクを利用することができる(逆はできない)。それなら、Ubuntuのブラウザ(デフォルトはFireFox)から、マイクロソフトのサイトに繋いで、アップデートファイルをダウンロードし、Windowsのデスクトップにコピーすればいいんじゃないだろうか。

Ubuntuのブラウザは最新なので、この方法はあっさりと成功した。Windowsのアップデートをするのに、他のOSの力を借りるという、なんともマヌケなことになった。まあ、借りなくてもできるんだろうけど。

これでとりあえずパソコンとして使えるようになったのだが、あとはアプリケーションをなんとかしなければならない。特にUbuntuは分からないことだらけ。そんなわけで、今月は更新が滞りがちだけど、勘弁してください。
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前回のエントリで、PCが壊れたことを書いた(メインで使っているPCが壊れた:2013年09月08日)が、やっと大改造が終了した。

これが改造前の僕のPC。
P5-133

特徴は、DVDドライブの下に引き出し(アイネックス 5インチベイ小物入れ BB-02WH)がついていることと、FDD(フロッピーディスクドライブ)が間違って上下逆さまについていること、できない子供の机みたいにいっぱいシールが貼ってあること、である。

Gateway(当時はGateway2000)のP5-133という機種で、1996年の12月に購入した。CPUはintelのpentium133Mhz、メモリは35MB、OSはWindows95。モニター、キーボード、マウス、スピーカーのセットで13万円ぐらいだったと思う。それでも当時はずいぶん安くなった感じがした。もちろん、当時のものはケースとスピーカーだけで、中身は全て入れ替わっている。

壊れたパーツを交換したり、メモリを増設したりはしていたが、中身を大幅に入れ替えるのはこれで三度目になる。

一回目は2003年4月で、秋葉原でマザーボード(Epox 8KHA+)とCPU(AMD Athron1.4GHz)を中古で買って安く済ませた。メモリは256MB。電源もこのとき交換した。OSはWindowsXPで、これは現在まで使っている

Athronはやたらと発熱するので有名なCPUで、冬でも足元(本体を足元に置いている)がポカポカするというとんでもないPCに仕上がった。このころのマザーボードはコンデンサに問題があり、2006年の真夏に液漏れ事故を起こし、煙を出してブッこわれた。その時の写真がこれ。
液漏れコンデンサ

そこで2006年8月の終わりに二回目の大改造。中古は懲りたので、全部新品にした。 CPUはAMD Sempron 3000+、マザーボードはGIGABITE GA-M55plus-S3G。改造当初は512MBのメモリを積んでいたが、最終的には3GBまで増やした。つい先週まで動いていたのはこれである。これで、電気料金が一ヶ月あたり1000円安くなったのにはびっくりした。

そして三回目の大改造。いまや4万円もだせば立派なパソコンが買える時代になった。それより安く改造するのは容易なことではない。

安く上げるコツは、パーツのグレードを落とすことと、流用できるものを流用することだが、前者はともかく、後者はインターフェースが変わっていて2009年に故障のため入れ替えた電源以外流用できるものがない。今回は、秋葉原に行くのが面倒くさいので、全部amazonで注文した。

マザーボードは、前回と同じGIGABITEのGA-H61M-DS2。Micro-ATX で前回のものより小さい。例のコンデンサは液漏れ事故を起こさないように、固体コンデンサになっている。
新しいマザーボード

CPUは初代以来10年ぶりのintelのCeleron G540。以前はCPUに剣山のような足がついていたが、今はソケットの方が剣山みたいになっている。CPUの取り付けそのものは昔も今もさほど難しくはない。
CPU

これに、付属のCPUクーラーをつける。二代目(Athron)はCPUクーラーの付け方を失敗すると、コア欠けといってCPU自体が物理的にブッ壊れるという恐ろしい代物だったが、これはマザーボードの穴に刺すだけ。こんなに簡単で大丈夫だろうかと逆に心配になる。
CPUクーラー

こちらは裏から見たところ。四隅にある白いプラスチックの部分をマザーボードの穴に刺して固定する。クーラーそのものも、以前はアルミの塊みたいだったが、ずいぶん軽くなった。それだけ発熱しないということだろう。
CPUクーラー裏

メモリは8GB。SanmaxDDR3-1333で、チップはHynix。以前はこれの相性がどうのこうので動かないこともあった(らしい。経験はない)が、今はそれほど厳しくないらしい。ソケットが2つしかないので、増やしたくなったら抜かなければならないが8GBあれば当分十分だろう。
メモリ

ケースに入れるとこうなる。以前はケースに入れる前にクーラーを取り付けていたが、今はケースに入れてから取り付けるらしい。
マザーボードを組み込む

ハードディスクは6年も前のものなので、新しくすることにした。もうハードディスクの時代でもないだろうということで、新製品として話題になっているSAMSUNG 840EVOなるSSDを買った。120GBで若干容量が少ないが、データはほとんどNASに保存しているので、OSを入れるディスクとしてはこれで十分だろう。
SSD

DVDドライブは古いものを転用しようと思ったが、インターフェースがEIDEからSATAに変わってしまったので、そのままでは使えない。変換アダプタを使う手もあったが、東芝サムスンの製品があまりに安く(¥1979)変換アダプタの差額はたいしたことないので新しいものに交換した・・・のだが・・・間違えて黒を注文してしまった。
DVDドライブ

あとは古いHDDを活用するためにIDEからSATAの変換アダプタ(SANWA SUPPLY TK-AD40SATAD2を買った。

これらを配線するとこんな感じ。だいぶごちゃごちゃしているように見えるかもしれないが、幅が5cmもあったIDEケーブルや、フロッピーケーブルがなくなったので、ケーブルの取り回しも楽になり、これでもだいぶシンプルになった。なお、実際に使用するときは右が下になる。
配線

PCの自作というと知らない人には難しいことのように思われるが、このように規格品を組み合わせるだけなので、半田ゴテを持ってラジオを制作するのから比べると「自作」というのがおこがましいぐらい簡単である。問題はその規格で、6年も経つとだいぶ変わっていて、これを調べるのにずいぶん時間がかかってしまった。

完成品はこちら。と言っても外見はDVDドライブが黒くなったのと、インテルとサムスンのシールが増えたこと以外は変わっていない。さすがに、今時のマザーボードにはフロッピーインターフェースは付いていないので、3.5インチベイについているFDDは飾りになった。
完成図


さて、決算である。値段は購入当時。

CPU    intel Celeron G540 4,158円
マザーボード   GIGABITE GA-H61M-DS2 REV3.X 4,618円
メモリ   SanMax DDR3-1333 8GB 4,883円
HDD (SSD)   Samsung SSD840EVO120GB 10,702円
DVD ドライブ   東芝SAMSUNG SH-224DB+S 1,979円
その他   サンワサプライIDE-SATA変換アダプタ 1,479円・AINEX SSD/HDD変換マウンタ 500円

合計 28,319円

さて、問題はOSだが、それは次回の講釈で。最後に今回買ったもののアフィリを置いておく。これを組み合わせれば間違いなく動くPCができるハズ。

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メインで使っているPCが壊れた。このパソコンは1996年に買ったもので、壊れたり古くなったりした部品を交換して今まで使っている。パソコン本体ともいえるマザーボードとCPUは三代目で、1996年当時のものはガワ(ケース)とスピーカーだけである。

以前からちょっとBIOSが不安定で、ときどき起動しないことがあったのだが、ついにメインで使っているPCが故障した。

このPCのOSはWindowsXpである。近々(2014年4月9日)サポートが終わるので、夏休み中に大改造を計画していた。

当初の予定では、マザーボード・CPUなど主要な部分のみを交換して、WIndows8をインストールしようと思っていたのだが、「Ubuntu(Linux)なんかどうよ」と思って、EeePCにインストールしてみたら、これがなかなか具合がいい。

Linuxは15年ぐらい前にSlackwareというのを使っていた。UNIXの勉強をするためにインストールしたのである。UNIXの考え方は非常に面白くて勉強になったものの、日本語変換がプアで、Office代わりになるソフトもなかったので、僕にとっては実用的ではなかった。

当時は何か設定するたびにプログラムみたいな設定ファイルを書かなければならなかったが、UbuntuはWindowsのようにほとんどGUIで設定できる。このGUIがはっきり言ってWindows8よりも使いやすい。文書作成や画像、音声などを扱うフリーウェアも最初から入っている。ブラウザも最初から入っているFireFoxだけでなく、インストールすればGoogleChromeもOperaもある。日本語変換もWindowsのものと引けを取らない。

もうこれだけで十分な気もするが、Windowsをすっぱり切るには勇気がいる。たとえば、Officeで作成した文書は、最初から入っているLibreOfficeで開き、編集することができるが完全ではない。実用的に使うには、こういう細かいところに不安がのこる。

ならば、中身には手を加えず、UbuntuとWindowsXPのデュアルブートにして、どうしても使わなければならない時だけインターネットから切り離してXpを使えば、当分使えるんじゃないかと考えて、Ubuntuをインストールしようとしたのだが、EeePCでは簡単にできたのに、なぜか全くうまく行かない。結局何も変わらないまま夏休みが終わった。

Ubuntuのインストールは極めて簡単で、ファイルを取ってきてDVDに焼き起動ディスクを作り(USBメモリを使う方法もある)、そこから起動すればよい。その際、BIOSでDVDドライブを起動ディスクに指定する必要があるが、そうしているのに何故かDVDドライブから起動せず、ハードディスクのWindowsXpが起動してしまう。

このPCには、ハードディスクが二台、光学ドライブが一台入っている。最初はすべて認識した上でUbuntuが起動しない。そのうち、Windowsが入っているディスクのみ認識するようになって、最後はそれすら認識しなくなり、WindowsXpが起動しなくなった。

BIOSがおかしいのはほぼ間違いないので、設定をすべてデフォルトに戻したがだめ。しょうがないので、一旦PCのカバーを開けてCMOSクリアを試みると、ついにBIOSすら起動しなくなった。一応、CPUのファンなどは回っているし、ハードディスクも動いているので、電源には問題ない。

モニターとキーボード以外すべてはずして、メモリまで一枚ずつ外してみたが、全然ダメ。もうお手上げ。たぶん、EeePCに入れたUbuntuとか、先日買ったNEXUS7で遊んでいたので、ストライキを起こしたのだろう。やむなく、amazonでマザーボード以下、必要なパーツを注文した。

結局、当初の計画通りという事になったのだが、イマイチ釈然としない。ただ、おそろしく汚かった机の下が綺麗になったのだけは間違いない。
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山崎豊子『沈まぬ太陽』(新潮文庫)を読んで、なんだか憂鬱になった。

映画にもなったのでご存じの方も多いだろうが、『沈まぬ太陽』は御巣鷹山墜落事故前後の日本航空(この小説では「国民航空」になっている)をモデルにして書かれた長編小説である。綿密な取材によって書かれているので、一見ノンフィクションのように見えるが、筆者があとがきで「事実を取材して小説的に再構築した人間ドラマ」というように、あくまで事実を元にしたフィクションである。

だから、主人公恩地(小倉寛太郎氏がモデル)と民間出身の会長国見が美化されすぎだとか、いろいろ意見はある。しかし、そんな事実がどうこう以前に、読み進めるうちにどんどん憂鬱な気分になった。

この小説には、恐ろしく無責任な政治家・官僚・会社役員などの権力者が出てくる。権力を持つものは、それに見合った責任がある。もし、何らかの問題が起きれば、率先して責任を取らなければならない。

ところが、彼らはなんとか責任を逃れようとし、人に押し付け、既得権益を守ろうとする。ものすごく簡単に言えば往生際が悪い。逆に、なんの権力も持たない、彼らの下で働く人々の方が責任を感じている。

これが「国民航空」という会社独特のものであれば、「ひでえ会社だな」と嘆息一つで済むのだが、どうにもそう思えないのである。かつての軍部、山一證券、そして東京電力、自民党、民主党の政治家たち。こういう例は枚挙に暇がない。これが日本の体質だとおもうとうんざりする。

もう一つの鬱ポイントは、この小説の一つの核となっている、労働組合の対立である。対立するのは、主人公恩地がかつて委員長を務めた従来からの組合で、もう一方はそれに対抗して作られた会社の御用組合である。

こう並べるだけで、展開がなんとなく想像がつくのだが、僕が憂鬱になったのは、会社の工作により多数派になった御用組合とそこに属する人たちの考え方が、現代の社会にあまりにも似ていると感じたからである。

御用組合の幹部は会社側とつるんで組合費を流用し、不当な利益を得ている。その一方で、御用組合に属する下部の組合員は、敵対する組合を「働かず会社に文句ばかり言っている連中」と考え、自らの組合幹部たちが組合費を流用していることに気づかない。

つまり、自分と近い立場にある人を敵と見て(見させられて)、本当の敵の姿が見えていないのである。昨今の生活保護批判と全く同じ構図だ。

『沈まぬ太陽』に書かれている事件は、1971年〜1985年、小説が書かれたのが1995年から1999年。しかしこれは一企業の問題ではなく、先の大戦から現代まで延々と続く、日本人の病理を象徴する小説である。

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カタカナの起源は朝鮮半島にあったか:NHKニュース
奈良時代に朝鮮半島から伝わったとされる仏教の経典に、漢字を省略した多くの文字が特殊な方法で記されているのが見つかりました。調査した専門家は、「漢字を省略して作る日本語のカタカナの起源が当時の朝鮮半島にあった可能性が考えられる」としています。
この経典は、奈良市の東大寺が所蔵し、国の重要文化財に指定されている「大方廣佛華厳経」で、西暦740年ごろ朝鮮半島の新羅で書かれたあと奈良時代に伝わったとされています。
広島大学の小林芳規名誉教授と韓国の研究グループが、この中の1つの巻物を調査したところ、墨で書かれた漢字の横に、棒の先をとがらせた「角筆」という筆記具で紙をくぼませて文字が書かれているのが確認されました。
文字は1100行余りの全編にわたって360か所に書き添えられ、中には、「伊勢」の「伊」のつくりの部分など漢字を省略した文字も多くあったということです。
小林名誉教授によりますと、これらの文字は漢文を読み下すために使われたとみられ、漢字の横に添えられた読みがなとみられる文字は、新羅の言語だということです。このため小林名誉教授は、「漢字を省略して作るカタカナの起源が当時の朝鮮半島にあった可能性が考えられる」と話しています。


片仮名は漢字(楷書)の一部分(または全部)をとってできている。例えば、イは「伊」の人偏、ロは「呂」の口(上だか下だかわからんが)、ハは「八」という具合である。

もともと南都の寺院で、経典などの漢文を読むための補助的な文字として発達したもので、現在でも補助的な用途で使われているのはその名残だろう。通常は日本の文字だから、最初から日本で作られたものと考えられている。

上のニュースは、片仮名ができるきっかけが朝鮮半島にあった可能性があるというものである。では、なぜそうなるのだろうか。

角筆は記事でも言われているように、箸のようなもので紙を押し付けて書くものだが、紙をへこませるだけなので読みにくい。だから、普通は文字の周りにヲコト点という簡単な記号を書きこむことが多い。「点吐」といい、古代朝鮮でも同じだったらしい。

口訣:Wikipedia
日本における漢文の読み下し文のように、漢文を朝鮮語の語順にあわせて返り読みする釈読口訣と、漢文の句の間に活用語尾や助詞にあたる要素を挿入して読む順読口訣(音読口訣とも)とに分けられる。釈読口訣は高麗時代〜朝鮮時代初期にかけての資料が残っているのみであるが、順読口訣はさらに後代まで用いられた。
釈読口訣においては、漢字の略字体あるいは画の一部分を省略した符号、すなわち字吐を用いる場合と、角筆によって紙に点あるいは符号を刻み付ける、すなわち点吐を用いる場合とがある。後者の点吐口訣資料は近年になって資料が見つかり、現在研究が活発に行なわれている。日本のヲコト点との関連が論じられることもある。
順読口訣ではもっぱら字吐が用いられるが、一部の資料においては、漢字の字体を省略しない、本字がそのまま用いられている。

上のWikipediaの引用した部分は2007年に書かれているため、仏典に角筆で口訣を記した資料が、初めて発見されたというわけではない。

おそらく、このニュースのポイントは、日本の東大寺にある『大方広仏華厳経』に、角筆で「点吐」ではなく「字吐」が書き込まれていたということだろう。その「字吐」は「漢字の略字体あるいは画の一部分を省略した符号」というように片仮名と成り立ちが似ている。

片仮名が現れたのは9世紀初頭と考えられている。だから、740年ごろ朝鮮半島で書かれた『大方広仏華厳経』に同じような用法、成り立ちの文字が見られれば、それを参考にして片仮名が生まれた可能性が考えられるということだろう。
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