文章を書くのが好きだ。それでも、書けなくなるときというのはあって、今月はそういう月だった。さほど忙しくもなかったのだが、僕の場合、そういう時ほど書けなくなる。
だから、写真ばかりのエントリが多くなってしまった。それでも、7月の終わりに行った津軽旅行は今月中にケリをつけておきたかった。
太宰治は僕にとって、好きとか嫌いとか言う問題以前の作家である。
高校生のころ、太宰の作品を読んで、初めて純文学の面白さを知った。たぶん、太宰の作品を読んでいなかったら文学部なんかには入らなかっただろうし、今頃はこんな冥府魔道に落ちず、ごく普通のサラリーマンでもやっていたかもしれない。
大学に入って、1・2年生で近代文学の論文や評論を読んで「これは僕の求めているものとは違うな」と思った。大学の3年で古典に鞍替えした。太宰、いや近代文学はそこで卒業したつもりだった。
ところが、卒業も近くなったころ、なぜだか突然、師匠が古典と近代文学をテーマに論文を書き始めた。当然、大学院に進学した僕は資料集めを手伝うことになる。
師匠の題材にしたのは主に芥川龍之介だったが、その流れで、初めて大学の紀要に書いた論文が「太宰治「瘤取り」と『宇治拾遺物語』」だった。題名の通り、太宰治の『御伽草紙』所収の「瘤取り」と『宇治拾遺物語』第3話「鬼に瘤取らるる事」を比較したのである。
とても拙い論文だったが、それでも自分の書いたものが活字になる喜びを知った。が、同時に自分の専門は古典なのに、古典絡みとはいえ近代文学がデビュー論文になってしまったという葛藤もあった。自分のしようと思ったこと違うことをしてしまう癖はこのころからずっと続いている。
7月の津軽旅行は、ヨメの企画したものだが、自分の原点を見るような思いがした。来月には45歳の誕生日が来る。これからは、もう一度、いろいろとやり直してみたいと思っている。
だから、写真ばかりのエントリが多くなってしまった。それでも、7月の終わりに行った津軽旅行は今月中にケリをつけておきたかった。
太宰治は僕にとって、好きとか嫌いとか言う問題以前の作家である。
高校生のころ、太宰の作品を読んで、初めて純文学の面白さを知った。たぶん、太宰の作品を読んでいなかったら文学部なんかには入らなかっただろうし、今頃はこんな冥府魔道に落ちず、ごく普通のサラリーマンでもやっていたかもしれない。
大学に入って、1・2年生で近代文学の論文や評論を読んで「これは僕の求めているものとは違うな」と思った。大学の3年で古典に鞍替えした。太宰、いや近代文学はそこで卒業したつもりだった。
ところが、卒業も近くなったころ、なぜだか突然、師匠が古典と近代文学をテーマに論文を書き始めた。当然、大学院に進学した僕は資料集めを手伝うことになる。
師匠の題材にしたのは主に芥川龍之介だったが、その流れで、初めて大学の紀要に書いた論文が「太宰治「瘤取り」と『宇治拾遺物語』」だった。題名の通り、太宰治の『御伽草紙』所収の「瘤取り」と『宇治拾遺物語』第3話「鬼に瘤取らるる事」を比較したのである。
とても拙い論文だったが、それでも自分の書いたものが活字になる喜びを知った。が、同時に自分の専門は古典なのに、古典絡みとはいえ近代文学がデビュー論文になってしまったという葛藤もあった。自分のしようと思ったこと違うことをしてしまう癖はこのころからずっと続いている。
7月の津軽旅行は、ヨメの企画したものだが、自分の原点を見るような思いがした。来月には45歳の誕生日が来る。これからは、もう一度、いろいろとやり直してみたいと思っている。