今月半ばから春休みに入ったので、もうちょっと書けると思ったのだが、やたがらすナビリニューアル作業のせいであまり書けなかった。
出来事としては、書きたいことはたくさんあった。なかでも小保方晴子さんのSTAP細胞と博士論文にまつわる問題は何度も書いては消し書いては消しして、結局書かなかった。
なにしろ専門が違いすぎるので、小保方さんの論文が正しいのかどうか、僕に検証するすべはない。しかし、引用された写真や文章から論文の信用性に問題があったということだけは間違いない。ニュースなどから伝え聞く問題点はあまりにも稚拙である。博士号までとって日本を代表する研究所の研究員になった人が、なぜこんなことをしてしまったのか。
漠然と「たぶんこうだろうな」と思っていたことがある。うまく言葉に出来なかったのだが、いろいろ見た中では佐々真一氏がブログで書いていることが、一番僕の考えていたことと近いので引用させてもらう。
日々の研究:2014-03-11
佐々真一氏のいう「研究環境」という言葉はちょっとわかりにくいかもしれない。これは世間一般で言う研究環境ではもちろんない。
ものすごく簡単に言えば、「ここはおかしいだろ」「ここを直せ」という人の存在である。その筆頭は指導教授であり、先輩であり、後輩でもある。学問というものは、本来そういう殺伐としたものなのだ。
問題はそれだけではない。これも佐々氏のエントリをなぞることになるが、ここに至るまでに、小保方さんはたくさんの関門を通ってきた。そのいずれもスルーしてしまい、不幸なことに最後まで「研究環境がなかった」のである。
なぜそんなことが起きるか。これは、すべての関門が前の関門の〈信用〉に基づくものだったからである。指導教授の〈信用〉によって、他の審査員もOKを出し学位がでる。早稲田大学の博士号の〈信用〉で、理研の研究員になる。理研の研究員(それだけではないが)の信用でNatureに載る。Natureの信用でニュースになる。
本来はすべての過程で小保方さん自体の〈信用〉が問われるべきなのに、信用を前の信用に丸投げした結果、ここに挙げた誰もが信用を失うハメになってしまったのである。
つきつめていうと、各機関が信用を失わないための努力を怠ったためにこの事件は起こったのである。言い方を換えれば、それぞれの機関はすでに得ている信用に胡座をかいていたということになる。
しかし、これは象牙の塔の世界だけのことではない。
今月の事件でいえば、48年ぶりに釈放された袴田元死刑囚も、数々の疑問がありながら、「検察が証拠を捏造するはずがない」という信用から、これだけ長期の勾留になった。原発も同じだ。すでに、誰の目にもその信用が崩れたにも関わらず、まだ原発を推進しようとする人がいる。
信用は常に検証されなければならない。特にそれに詳しいはずの専門家がそれを怠ると、大変な信用失墜につながりかねないのである。
出来事としては、書きたいことはたくさんあった。なかでも小保方晴子さんのSTAP細胞と博士論文にまつわる問題は何度も書いては消し書いては消しして、結局書かなかった。
なにしろ専門が違いすぎるので、小保方さんの論文が正しいのかどうか、僕に検証するすべはない。しかし、引用された写真や文章から論文の信用性に問題があったということだけは間違いない。ニュースなどから伝え聞く問題点はあまりにも稚拙である。博士号までとって日本を代表する研究所の研究員になった人が、なぜこんなことをしてしまったのか。
漠然と「たぶんこうだろうな」と思っていたことがある。うまく言葉に出来なかったのだが、いろいろ見た中では佐々真一氏がブログで書いていることが、一番僕の考えていたことと近いので引用させてもらう。
日々の研究:2014-03-11
某細胞の件。日曜日には、意図的な捏造の可能性が高くなって呆然とした。しかし、そうする理由が全く理解できなかった。今日の学位論文のイントロには驚いたが、落ち着いてくると何となく分かってきた。要するに、O氏の周りには研究環境がなかったのだ。結果を出さないといけないプレッシャー云々とか、そういうのに駆動された捏造ならもっとうまくやるだろう。おそらく、そうでなくて、O氏にとっての「研究」とは、最初の最初から、切り貼りするようなものだったと想像する。
佐々真一氏のいう「研究環境」という言葉はちょっとわかりにくいかもしれない。これは世間一般で言う研究環境ではもちろんない。
ものすごく簡単に言えば、「ここはおかしいだろ」「ここを直せ」という人の存在である。その筆頭は指導教授であり、先輩であり、後輩でもある。学問というものは、本来そういう殺伐としたものなのだ。
問題はそれだけではない。これも佐々氏のエントリをなぞることになるが、ここに至るまでに、小保方さんはたくさんの関門を通ってきた。そのいずれもスルーしてしまい、不幸なことに最後まで「研究環境がなかった」のである。
なぜそんなことが起きるか。これは、すべての関門が前の関門の〈信用〉に基づくものだったからである。指導教授の〈信用〉によって、他の審査員もOKを出し学位がでる。早稲田大学の博士号の〈信用〉で、理研の研究員になる。理研の研究員(それだけではないが)の信用でNatureに載る。Natureの信用でニュースになる。
本来はすべての過程で小保方さん自体の〈信用〉が問われるべきなのに、信用を前の信用に丸投げした結果、ここに挙げた誰もが信用を失うハメになってしまったのである。
つきつめていうと、各機関が信用を失わないための努力を怠ったためにこの事件は起こったのである。言い方を換えれば、それぞれの機関はすでに得ている信用に胡座をかいていたということになる。
しかし、これは象牙の塔の世界だけのことではない。
今月の事件でいえば、48年ぶりに釈放された袴田元死刑囚も、数々の疑問がありながら、「検察が証拠を捏造するはずがない」という信用から、これだけ長期の勾留になった。原発も同じだ。すでに、誰の目にもその信用が崩れたにも関わらず、まだ原発を推進しようとする人がいる。
信用は常に検証されなければならない。特にそれに詳しいはずの専門家がそれを怠ると、大変な信用失墜につながりかねないのである。