2014年05月

今月は記事が少ない。4月の初めに行ったベトナムの話などいろいろ書きたいことはあったのだが、残念ながら来月まわしになった。それには理由がある。

1.雑務が多くて時間がなかった

面倒くさい仕事や用事が多くて、時間がなかった。

学校は連休や中間考査があったので、休みが多かったのだが、そこへ余計な仕事(お金にならず、ためにならない)がたくさん入ってしまった。

2.風邪をひいた

季節の変わり目であることと、疲労から風邪をひいてしまった。思えば、昨年も溶連菌でダウンしたのだった。ここ数年五月に風邪をひくのがお約束になってしまった。

3.『古本説話集』の翻刻が楽しすぎた

実は、暇なときよりも、少し忙しいぐらいの方がブログが書ける。それなのに今月あまり書かなかったのは、時間の合間に『古本説話集』の電子テキスト化をしていたからである。

梅沢本『古本説話集』:やたナビTEXT

『古本説話集』の電子テキスト化は、5月5日から始めた。最初は、『今昔物語集』と交互にやって、『古本説話集』の方は半年ぐらいかけてやればいいと思っていたのだが、だんだん楽しくなってきて、時間ができたらとりあえず『古本説話集』の方をやるという感じになってしまった。おかげで、もう第53話まで終わった。

正直いうと、これまでは、翻刻なんか面倒くさいだけで、退屈な作業だと思っていた。ところが、久しぶりにやってみると実に面白い。

まず、自分が理解できている所と、そうでない所がはっきりと分かる。理解できているところはすらすらと翻刻できるのに、そうでないところは必ず躓くのである。活字になった本で読んでいるだけだと、そのへんはごまかして読んでいるのである。

さらに、筆写した人の気持が分かるようになった。誤字だとか脱文の補入だとか、「このへんで飽きてきたな」とか、「この説話にはあまり興味がないんだな」とか、そんなことが分かるのである。いや、もちろん、分かったような気がするだけなのだが、自分が躓いたところで、筆写者が躓いていると、はるか昔の人に、なんだか親近感が湧いてくる。

こんなふうに楽しめるのはe-国宝のおかげである。『古本説話集』の影印本は勉誠社から出ていて、印刷は決して悪くはないものの、所詮はモノクロなので、写本としての魅力を充分に伝えきれていない。e-国宝なら、カラーだし、拡大、縮小も自由自在。紙の染みから、墨の濃淡まではっきりと分かる。

古本説話集:e-国宝

翻刻という作業自体も、下の写真のように、ブラウザとエディタを重ねて入力しているので、視線の動きが小さくてすみ、疲れにくく、間違えにくい。それでついつい先にすすんでしまうのだ。インターネットバンザイ!

翻刻の方法


さて、このe-国宝、iPhoneやandroidのアプリもあって、これまた非常によく出来ている。スマホだとちょっと画面が狭いかもしれないが、タブレットだととても美しく見られる。無料だけどストロングバイ。

e国宝:iTunes
e国宝:GooglePlay
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前にも書いたが、親戚の子供、ショータ君を鉄道オタクにするという、悪辣な作戦が進行中だ。最近、戦隊物(ゴレンジャーみたいなの)でトッキュウジャーというのが始まったらしい。こちらに風が吹いているのを感じる。勝利は近い。

この作戦の武器は京急(京浜急行電鉄)である。なにしろ、僕は鉄道オタクではないので知識に乏しい。だが、相手が幼児とはいえ、立派な鉄道オタクに教育するためには、理論武装が必要である。そこで、教材として普段通勤に使う京急を使っている。

フェラーリ、シャア専用ザク、京浜急行は男の子の好きな三大赤である。もちろん、ショータ君も京急が好きだ。通勤電車が京急で良かった。

で、先日、京急についてしゃべっていたら、ショータ君がこんなことを言う。

「白いけーきゅーと、青いけーきゅーと、黄色いけーきゅー見たよ」

白い京急とは、相互乗り入れしている都営地下鉄のことだ。正確には京急ではないが、これは分かる。

青い京急は、BLUE SKY TRAINというやつで、ときどき見る。京急は真っ赤な塗装が特徴だから、逆に真っ青に塗っちゃうってのが、あざとくっていい。

では黄色い京急はというと、ほぼ毎日乗っているのに見たことがない。京急は、都営浅草線、京成線・成田スカイアクセス線、北総鉄道、芝山鉄道と乗り入れているので、やたらいろんな電車が走っているが、その中にも黄色なんかない。

「えー、京急に黄色なんかないよ〜」

というと、ショータ君、絶対に見たと言って一歩も引かない。頑固なところは鉄道オタクとして立派だが、ウソはいかんよ、ウソは。

だいたい、赤と青があって黄色なんて、信号じゃあるまいし、出来すぎである。いくら京急とはいえ、そこまではすまい。他の何か(ショータ君の家は京急沿線ではない)と記憶違いをしているのだろうと思った。

思った・・・のだが、今日、泉岳寺駅で電車を待っていたら、・・・

なんか黄色いのキターーーーーー!!!。

黄色い京急1

すごい違和感。ドクターイエローみたいな特殊な列車なのかと思いきや、ごく普通の人たちが乗っている。

「青い京急」には「BLUE SKY TRAIN」というロゴが入っているが、このバナナみたいに黄色いボディには、なにも書いていない。そもそもこれは京急なのかと思って、前に回ってみると・・・

黄色い京急2

まぎれもなく、黄色いけーきゅーだ・・・。

平和島には止まらない、快特三崎口行き。色以外は何の変哲もない、普段よく乗る京急新1000形である。その色以外はというところが大きいのだが。黄色になっただけで、ずいぶん印象が違う。なんだか丸っこく見える。

それにしても・・・ショータ君、疑ってすまん。おっちゃんが間違ってた。

さて、この黄色い京急だが、「幸福の黄色い電車(京急イエローハッピートレイン)」といって、今月から1編成だけ走らせているレアものだそうだ。

そりゃ、今まで見たことないはずだ。幸福になれるかな。

幸福の黄色い電車、京急に登場 1編成のみ運行:朝日新聞デジタル
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もうひと月以上前の話になってしまったが、4月の初めにベトナムのホイアンとホーチミンに行ってきた。

4月の初めといえば、東京ではちょうど桜が満開になったときだが、ベトナムは35度を超える気候。景色が夏だから季節外れにならなくっていいやと思っていたら、すっかり遅くなってしまった。

最初に行ったのは、ホイアン。漢字で書くと「会安」。中国語で読んでもホイアン。細長いベトナムのちょうど中間、「ホイアンの古い町並み」として世界遺産に登録され、完全に観光地化されている。行った時期のせいもあるが、欧米人とそれをターゲットにした店ばかりが目立つ。

個人的にはこういう観光地はちょっとつまらないが、それでも新興の観光地らしくところどころダメなところがあるのがいい。

まずは、ホイアンの象徴、二万ドン札にも描かれているホイアンの象徴、来遠橋(日本橋)から紹介しよう。この橋は1593年に日本人が建設したとされている。「16世紀末以降、ポルトガル人、オランダ人、中国人、日本人が来航し国際貿易港として繁栄した(Wikipedia)」らしいが、21世紀の今も歩いているのは欧米人ばかりなり。
来遠橋

中はこんな感じ。このお姉さんの解説を聞くと金がかかる。橋の入り口にオッサンがいて、誰彼となくチケット(観光案内所で買える)をよこせと言うが、本来通るだけなら無料らしい。
来遠橋(中)

夜になるとライトアップされて、七色に光る。
夜の来遠橋

中はこんな感じで提灯に火が灯る。なかなか幻想的でいい風景だ。
夜の来遠橋(中)

提灯もショボい日本語で歓迎。
ホイアン提灯

それにしても暑い。そして・・・臭い。写真には写らないが、実はこの川、みごとなドブ川で、臭いことおびただしい。そして、暑さですっかりダレきった私。
暑さで参った私

生活道路でもあるので、地元のオッサンも渡る。
地元のオッサン

橋の両端をオサルとワンコが守る。申年に着工し、戌年に完成したからということらしい。
日本橋のお猿日本橋のお犬

実は一番上の写真にも写っているのだが、なんだかでかいオサルもいる。このへんのツメの甘さがベトナムなんだな。きっと。
ゴリラ君

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東日本大震災で死亡事故を起こして以来休館し、廃墟と化していた九段会館だが、ついに取り壊しとなりそうだ。

九段会館取り壊しへ 歴史見つめた80年に幕:東京新聞
東日本大震災による天井崩落事故で多数の死傷者を出し、閉館した東京都千代田区の九段会館が取り壊されることになった。一九三四年に軍人会館として建設され、三六年の二・二六事件では戒厳司令部が置かれた歴史を持つ会館だった。老朽化もあって震災後の営業再開はできず、「帝冠様式」と呼ばれる特徴ある建物が姿を消す。取り壊し後は、民間資本による新たなビル建築が予定されている。

僕の出身大学では、入学式も卒業式も九段会館だった。大学自体も九段会館から近いので、いろいろ思い出がある。

初めて九段会館に入ったのは、学部の入学式である。僕は入学式の二週間ほど前に手術をして、病み上がりの状態だった。たいした手術ではなかったが、なにしろ二週間も寝てばかりで体力が衰えている上に、傷口がまだ塞がっていない(抜糸していなかった)ので、母に一緒に来てもらった。現在、大学の入学式に母親同伴は珍しいことではないらしいが、当時男子学生で母親同伴は珍しく、なんとも恥ずかしい入学式の思い出になった。

学部の卒業式のときは、中国文学専攻でもないのに、アメ横で買った中国服(長衫)を着て、サングラスをかけ、ロールスロイス(レンタル料1日10万円也)をレンタルして出席した。コンセプトは香港マフィアである。九段会館入り口に車が入ったとき、モーゼの海割のように、―いや国文出身なら、新田義貞の稲村ヶ崎のようにというべきか―たむろしていた在校生が割れていくのが面白かった。

大学院前期課程の修了式(学部の卒業式と兼ねている)では、当初、何もしないつもりだったが、後期課程の入試に落ちた腹いせに、アラブ人の格好(東急ハンズで購入)をして、付け髭を付け、おもちゃの剣とコーラン(岩波文庫)をもって出席した。もはや何がしたいのだかさっぱり分からない。

この一年後に、大学院後期課程に入学し、さらに三年後、卒業もしないのに(いわゆる満期退学である)卒業式に出席した。「今度はどんな格好するの?」と聞かれたが、さすがにいい年なので、マヌケなパフォーマンスはしなかった。これでやっと学生でなくなるという感慨はあったものの、もう慣れっこになってしまっていて、誰がどんな話をしたのか、ほとんど記憶にない。これが、取り壊しの元凶となったホールに入った最後である。

満期退学した三年後、博士論文を提出して、晴れて大学院博士後期課程の修了式に出席した。この時は、大学院の定員が大幅に拡大されていて、修了生の数が多かったから、例のホールではなく、九段会館の別の部屋で、大学院だけの修了式をやった。

当時、僕は祖父母の家に居候していて、一緒に暮らしていた祖父の死期が近いことが分かっていた。とにかく式なんかさっさと切り上げて学位記を見せたい―と言っても、見える状態ではなかったが―一心だったので、この時の記念写真などは一枚もない。祖父はそれから3日後に亡くなった。

大学が近かったので、入学式・卒業式だけではなく、レストランや地下の飲み屋、屋上のビアガーデンにも何度も行った。

元軍人会館というお固いイメージに反して、九段会館のビアガーデンには、なぜかバニーガールがいた。もちろんビアガーデンだから、ビールを運ぶ以上のことはしない。近所の女子大のいいバイト先になっていたらしい。そういえば、ジャンケンバイ貝といって、バニーガールとジャンケンして買ったらバイ貝が倍になるという、わけのわからんサービスをしていた記憶がある。

あるとき、バニーガールのくせに、なぜか耳と尻尾がないので理由を聞いてみたら、風が強い日は飛んでしまうから外しているという。これが僕の人生で(いまのところ)最後に見たバニーガールとなった。

耳付いてなかったけどね。
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はっきり言ってどうでもいいニュースなのだが、ちょっと深読みしてみる。

すきやばし次郎で「すし焼いて」 中国人客、後日謝罪
発端は今年4月。日本滞在歴5年の留学生の女性(23)が、中国の友人数人と店を訪れたが、予約時間に遅れたうえ、友人らが「生の魚は食べられない」「焼くか煮てほしい」と言い始めた。
 小野隆士店長が「すしが生と知らずに友人を連れてきたのか」と聞いたところ、女性は反発。オバマ米大統領が銀座本店を訪れたことを念頭に、ブログに「大統領相手でもこの態度を取るのか」などと書き込んだ。

まず、この客の中で、日本語がまともに喋れるのは留学生だけだろう。彼女は五年も日本にいるのだから、寿司が生なのも当然知っているはずだ。

「生の魚は食べられない」「焼くか煮てほしい」と言ったのは「友人」である。つまり留学生が友人の言葉を通訳したということになる。

中国の習慣として、割り勘は存在しない。留学生か、友人数人のうちの誰かが、全員の分を支払うことになっていたはずだ。すきやばし次郎であれば、一人前でも相当な額になるはずで、おそらくそれは留学生ではなく、「友人」の誰かだろう。

通訳としては、スポンサーの言うことを伝えないわけにはいかない(通訳しなくても様子でだいたい分かるだろうが)ので、彼女はダメもとで聞いてみた。それに対し、小野店長は「すしが生と知らずに友人を連れてきたのか」と言った。もちろん、五年も日本にいる彼女が知らないわけはない。

おそらく、「大統領相手でもこの態度を取るのか」とブログに書いたのは、「注文通り寿司だねに火を通せ」という意味ではなく、客に対して無知を指摘したことにある。これは相手が誰であろうと、客商売として、大変失礼なことではないか。

簡単にいえば、小野店長は「寿司は焼くことも、煮ることもできません」と答えれば何の問題もなかったのだ。その上で玉子だの、蒸しエビだの、穴子だの、火の通ったものもある(あるんだよな)のだから、それを勧めるという手もある。

小野店長は「わざわざ謝りに来てくれたことを評価したい。悪いのは海外ですし店と称して天ぷらや鍋も出す店が多いことだ」と話したそうだが、たぶん君が失礼なだけだと思うよ。
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テレビを見ていたら、最近、高齢者による踏切事故が増えていると言っていた。そこで、踏切事故を減らす方法を考えてみた。

なお、「たった一つの冴えたやり方」というタイトルは、以前に使ったらおおいにウケたので(波平さんの毛を守るたった一つの冴えたやり方:2012年12月10日)、味をしめて使っただけである。本当にたった一つとは思っていない。

さて、本題に入る。踏切事故は踏切があるから起こるのは間違いない。解決策は簡単で、立体交差にすればよい。だが、そこにはコストの問題が立ちはだかる。コスト的に引き合わないから、鉄道会社は立体交差にしないのである。

踏切事故が起きれば、鉄道会社にもある程度損失が出る。それが立体交差の改修費用を上回らないかぎり、彼らは積極的に工事はしない。損失は事故を起こした人の賠償金などで減らすことができるため、鉄道事故で予想される損失が改修費用を上回ることはないのだろう。

ということは、踏切にもっと金がかかるようにすればよいわけだ。

例えば踏切税を取るというのはどうだろう。踏切の幅や過去の事故に応じて、鉄道会社から税金を取るのである。事故を起こせば起こすほど税金が高くなるようにすれば、鉄道会社も本腰を入れるだろう。

しかし、この方法だけでは不十分である。これは立体交差化を進めることにはなっても、当面の事故を防ぐことはできない。

僕の見た番組では、対策としてボランティアで地域の人が踏切の監視をするというのがあった。ボランティアである以上24時間毎日というわけにはいかないらしい。

そもそも、ボランティアが踏切の監視をするということは、鉄道会社の利益を無料で守っていることになる。このままでは、鉄道会社はかえって何の対策もしないだろう。踏切の監視は本来、鉄道会社がやるべきものである。

そこで、一定の幅を持つ踏切と、過去に事故の多い踏切には、鉄道会社に監視員を常駐させることを義務付ければよい。それも、危険度に応じて人数を増やさせるのである。監視員の人件費が立体交差の回収費用を上回れば立体交差化されるだろうし、そうでなくても事故を減らすことができる。

あとは、法律や条例を改正すればいい。鉄道会社にとっては何の利益もない改正なので、抵抗が予想されるが、踏切事故による遅れで損失を被る人はたくさんいるので、それほど難しくはないのではないだろうか。
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僕の大学院生時代の先輩(博士前期1年)であり、同級生(博士前期2年)であり、やっぱり先輩(博士後期課程)でもある玉川満さんが、名状しがたい出版社のようなものを作ったそうだ。

玉川企画

アマゾンで検索すると出てくるというから、電子書籍かと思ったら、立派な紙の本だった。



というわけで、今後の玉川企画のためにも、是非お買い求めください。

内容は・・・すみません、まだ買っていません。
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先日、陽明文庫本『宇治拾遺物語』の電子テキストを公開した。しかし、前に公開した『方丈記』と、これだけでは寂しい。そこで同じ説話集の『古本説話集』と『今昔物語集』を電子テキスト化することにした。

攷証今昔物語集(本文):やたナビTEXT

梅沢本古本説話集:やたナビTEXT

『今昔物語集』の方は、芳賀矢一の手による『攷証今昔物語集』の本文部分を入力している。こちらはいろいろ制約はあるものの、活字なのでまあ問題ない。なにしろ膨大な作品だから、だいぶ時間がかかるが、修行僧のように入力することにしよう。

『古本説話集』の方は影印本から翻刻し、校本を作ろうと思っている。幸い影印本(勉誠社文庫)を持っているし、e国宝(古本説話集:e国宝)で、自由に拡大できるカラーの画像も見られる。早速、翻刻を始めてみたのだが、これが読みにくいことこの上ない。上手すぎるのである。

古本説話集1

上手すぎるというのは、簡単に言うと、作品意識が強すぎるということである。上の写真をご覧いただければわかると思うが、線の太さの変化が大きく、潤筆と渇筆のグラデーションが美しい。おそらくこれは意図的にやっているのだろう。

しかし、読むという点でいえば、潤筆では字が潰れて読みにくく、渇筆ではかすれて読みにくい。ちょうどいいところがほとんどない。

使用している文字も、変体仮名は「伊(い)」だの「勢(せ)」だの、あえて画数の多いものを選んでいるように見える。字形では左側の3行目「人」から「ゝ」への連綿や、5行目の「也」の右にすっ飛んでいくところなんかは、気取りすぎてちょっとイヤミに見える。

つまり、達筆すぎて読みにくい。和歌ならともかく、散文でここまで作品意識の強い写本はちょっとないんじゃないだろうか。

これが、しばらく続くのだが、途中から書いている人が変わって、急に読みやすくなるのが面白い。

古本説話集2

こちらは、さっきの達筆野郎(失礼!)とは正反対で、流麗な平安仮名になっていて、前の人と比べると、別の方向で美しい。変体仮名や崩し方もそれほど妙なものはないようだ。初めて写本を読む人にも勧められる字である。たぶん、この人は一人目とは仲が悪いに相違ない。

『古本説話集』の筆写者は、もう一人いる。

古本説話集3

線が細いので、二人目ほどではないが、最初の人にくらべればはるかに読みやすい。もちろん、この人も上手いのだが、一人目と二人目を折衷したような書き方だ。

線の細さからみて、繊細な人物に違いない。たぶん、この人は細やかな心遣いで、仲の悪い二人の調整役をしているのだ。なお、仲が悪い云々は、僕の勝手な想像なので、あまり本気にしないでほしい。

ちなみに、二番目の写真の、右上の付箋には「是より為相卿」と書いてある。「ここから冷泉為相が書いた」という意味で、江戸時代の古筆家によるものだろう。ちなみに彼によると最初の人は二条為氏だそうだ。

つまり、この古筆家によると、『古本説話集』は為氏と為相によって書かれたことになる。為氏と為相は為家の子でありながら、異母兄弟で、相続をめぐって二条家と冷泉家(と為教の京極家)に分裂したぐらいだから、当然仲が悪い。

古筆家の鑑定なんてあてにならないが、この字を見て僕と同じような想像をめぐらしたのかもしれない。
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