2014年10月

アニメ『妖怪ウォッチ』に出てくる妖怪の多くは、子供に取り憑く妖怪ではなく、大人に取り憑く妖怪である。作中では主に子供が取り憑かれていて、子供に分かりやすいような行動をするが、この奇態な行動は、実は子供から見た大人のヘンな行動である。だから、大人が見ていても面白い。

例えば、「妖怪ムダヅカイ」という貝のごとき姿をした妖怪がいる。
ムダヅカイ

ケータ(主人公)、クマ、カンチの三人が、当日発売の雑誌を買いに、ショッピングセンターに行く。ところが、クマはなぜだかマグロ一匹を買ってしまい、雑誌が買えなくなる(雑誌代でマグロが買えるかというツッコミは無しの方向で)。続けて、カンチが数人同時に飲めるストロー(一抱えほど)とバカでかいトーテムポールを、ケータが3角に折る機械付きトイレットペーパー(しかも機械は買ってすぐに壊れる)を買い、三人ともお金が無くなってしまって、誰もお目当てのゴロゴロコミックが買えなくなる。

「これは妖怪の仕業に違いない」と、ケータ君が妖怪ウォッチで探したら出てきたのが、「妖怪ムダツカイ」である。バブル時代の人々の欲望が凝り固まってできた妖怪だそうだ。

僕はムダヅカイに取り憑かれた三人と全く同じ行動をする人を知っている。このブログでは僕とヨメに次いで登場回数の多い、葛的先生である。彼は、「何で今それを買うの?」というようなものを突然買う。

買った時、本人、満面の笑みなのだが、すぐに持て余すのがお約束で、ひどい時は買ってすぐに人にあげようとする。これが、物価の安い中国に行ったりすると、妖怪ムダヅカイの活動が活発になる。

2010年の自転車旅行で最初に買ったのがこれ。田舎の雑貨屋で買った竹製ヘルメット。モデルは僕だが、買ったのは葛的先生である。
ヘルメット

これはまあいい。自転車旅行だから、安全のためにも実用的でもある。しかし、次に買ったのが、よく分からない。ナゾの中国楽器。

田舎町を走っていて、いきなり自転車を止めたと思ったら、矢庭に開いているのかいないのかさえ怪しい、お祭り用楽器屋に入っていった。たぶん、あの瞬間に取り憑かれたのだろう。
お祭り用楽器屋

楽器を買ってご満悦の葛的先生。なお、葛的先生の許可を得ていないので、目伏せさせていただく。
ナゾの楽器1

2つ目はどう演奏したらいいかもよく分からない。
ナゾの楽器2

形でだいたい想像がつくと思うが、大変ショボイ音しかでない。「前からこれが欲しかったんだよー」とか言っていたが、本当だろうか?でも、まあでかい太鼓とかじゃなくってよかった。

この旅の最後に買ったのがこれ。
数珠を買ってポーズ

阿弥陀佛・・・

長いにも程がある数珠。数珠として使えないこともないが、一体いつ使うつもりだろうか。

買い方もひどい。店員さんが新品を出そうとすると、見本にぶら下がっている物の方が煤けていていいとか、糸が太いとか言って、見本を買おうとする。店員さんがしぶしぶ見本に架かっている数珠を外して渡すと、今度は、こちらは古いから安くしろと値切る。やっていることが無茶苦茶である。

数珠を買って、店員さんと撮った記念写真がこれ。
数珠を買ってご満悦


妖怪に取り憑かれてご満悦のオッサンと、ヘンな日本人に困惑する店員さんの表情が、目伏せをしていてもなんとなく分かる。

何でこんなものを買うのか理解できなかったが、妖怪のせいなのね、そうなのね。
このエントリーをはてなブックマークに追加

鴨長明の歌論、『無名抄』の電子テキストを公開しました。

翻刻部分はパブリックドメイン(著作権ナシ)、校訂本文部分はクリエイティブ・コモンズライセンス 表示 - 継承で公開します。『無名抄』の電子テキスト化は、おそらく初めてのものだと思います。

梅沢本『無名抄』(鴨長明):やたナビTEXT

底本はe国宝で見られる、梅沢彦太郎旧蔵東京国立博物館所蔵本です。書誌等については、e国宝の解説をご覧ください。

無名抄:e国宝

今回も、『古本説話集』同様、e国宝との対照ができるとように工夫しました。詳しくは無名抄トップページの凡例、及び、次のエントリをご覧ください。

『古本説話集』の電子テキストを公開します:2014年06月29日

この写本は、『古本説話集』ほどは、読みにくくありませんので、写本読解の勉強には最適だと思います。

今回も影印から翻刻し、校訂本文制作時に見直しをしたので、大きな間違いはないと思いますが、間違いやご意見があれば、メールフォームからご連絡ください。

なお、『無名抄』は、久保田淳氏によるものが角川ソフィア文庫から出ており、Kindleでも読めます。

このエントリーをはてなブックマークに追加

今日、電車に乗っていたら、中吊り広告の文字に目がいって、思わず「げ!キモっ」とつぶやいてしまった。文字を見て「キモっ」と感じるのは、書道教員の悲しい性だが、共感できる人も多いであろうことを信じて、ちょっと見ていただきたい。

文字がつなぐ

国立歴史民俗博物館(以下、歴博)の企画展示、「文字がつなぐ−古代の日本列島と朝鮮半島−」の広告である。この「つなぐ」がなんともキモいのだ。

もともと、平仮名は数文字を続けて書くものだった。これを連綿といい、仮名の美を形成する最も重要な要素となっている。美しい連綿を書くのは難しいが、つなげ方そのものはちっとも難しくない。仮名の筆順どおりにつなげればよい。

しかし、この広告の「つなぐ」連綿の仕方は、筆順どおりではない。「な」の一画目は横画なので、そこに接続しなければおかしいのである。ついでに「な」そのものの字形にも問題がある。この字は本来、「奈」がもとになっており、上の「大」の右払いが右側の点(三画目)に対応するので、一画目の横画よりも上にあるのは、字形的におかしい。

言葉で説明するのは分かりにくいので、実際に書いてみた。文字のつながり方と「な」の字形に注目してほしい。例によってヘタクソなのはご容赦を。
正しい連綿


それにしても、この「つなぐ」は妙に見覚えがある。生徒たちの書く字によく似ているのである。

「な」を中吊り広告のように書くのは、活字の影響だろう。本来、平仮名は字によって縦長だったり横長だったり、文字によって様々な外形をしているのだが、活字は正方形に収めるためにかなり変形させている。「な」の右側の点が上の方にあるのはそのためである。

連綿は、かつては黙っていても正しいつなげ方をしていた。しかし、最近は中吊り広告のような、筆順無視のつなげ方をする生徒が多くなった。連綿で書かれた手書きの文字を見る機会が少なくなったのと、連綿の実用的な意味が分からなくなったからだろうと考えている。

単体で書く「な」や「ま」を縦画から書く人は見たことがない。縦から書こうとすれば書きにくい。普通に繋げれば、筆順通りにつなげるはずである。しかし、連綿はおろか、英語の筆記体すら習わない彼らにとっては、文字をつなげることは、ちょいと洒落たデザインに過ぎない。だから、縦につなごうとするのである。

デザインといえば、「これはデザイン文字であって、仮名の連綿とは違う」という反論もあるだろう。ならば、なぜここだけ筆で書かれたような文字になっているのか。ここがゴシック体のような文字だったら、何も気にならなかっただろう。一見筆で書いたように見えるから、なんとも気持ち悪いのである。おそらくデザイナーがやったことだろうが、センスと教養を疑わざるをえない。

それよりも気になるのが、これが歴博の広告であるということである。歴博ならば仮名文書も扱うはずで、仮名の連綿は見慣れているのではないか。これを見てOKを出したのは、不可解としかいいようがない。
このエントリーをはてなブックマークに追加

この世のものとは思えないパムッカレ(その2):2014年10月21日のつづき。

昨日の記事だけでも、パムッカレの魅力は伝わったことと思うが、魅力はこれだけではない。真っ白な坂道を登って行くと・・・。
石灰棚

だんだん観光客が増えてくる。近づいてみると・・・
水着だらけ1

水着だらけ2

すごいことになってます!

実は昨日の写真は、人がいないところを選りすぐったのである。だから、一番美しい石灰棚の写真がない。人が多すぎて撮れないのだ。

仔細にご覧になると分かると思うが、大変スタイルのいい人と、かつてはそうであったであろう方が多い。トルコ人も美人が多いので有名だが、ロシアからの観光客も多いらしい。これがまた露出がすごい。どんだけすごいかというと、ISO100でf10まで絞って1/1000でシャッター切れるほどすごい。

昨日の記事で、登りきったところにローマ時代の遺跡があると書いたが、そこにはパムッカレ・テルマルなる、遺跡を利用した温泉プールがある。プールに入るのはお金がかかるが、中に入るだけなら無料なので、さっきの人たちはここで着替えて来たらしい。
パムッカレ・テルマル

パムッカレ・テルマル2

で、お金を払って入ってみた。風呂というにはぬるいが、暑いのでちょうどいい感じだ。
いい湯だな

底に沈んでいるのはローマ時代の遺跡で、大理石の柱やらナニヤラ、いろいろあって歩きにくいことおびただしい。
大理石の柱1

ローマ時代のガレキ

いささか煩悩が溜まってきたので、水中クンバカしてみた。
水中クンバカ
このエントリーをはてなブックマークに追加

10月に入り、かなり涼しくなってきた。いいかげんに8月の終わりに行ったトルコネタを終らせておかないと、季節外れの暑苦しい写真をお見せすることになる。本当はカッパドキアの記事をもっと書きたいのだが、ちょっと後回しにして、パムッカレの記事を先に書くことにする。

パムッカレがどういうところかは、すでに先月の壁紙に二つほど写真を載せた。とにかく、この世のものとは思えない場所である。

僕達が泊まったホテルから、少々離れているので、パムッカレまではバスで行った。バスといっても、ミニバンに毛の生えたようなもの(メルセデス・ベンツスプリンターが多い)。しかもバス停がなく、どこでも拾えるので、どれが路線バスやら何やらよく分からない。せめて色だけでもハデにしてほしいものだが、全部白。

路線バスだと思って止めようとしたら、前の日カッパドキアからここまで乗せてもらった、ツアー会社のバスだった。運転手さん、僕のことを覚えていてくれて(休憩のとき一緒にタバコを吸っていたため)手を降ってくれたが、ごめん、用があるのは君じゃないんだ。

というわけで、道端でしばらく待っていたら、行き先が書いてある(意外はツアー会社のバスと全く同じ)バスが来た。泊めてみて、「パムッカレ、OK」と言ったら、乗れという。これでいいらしい。

降ろされた所はごく普通の集落で、(しょぼい)レストランなんかが立ち並んではいるが、あまり観光地っぽい感じがしないし、この先に写真で見たような景色があるとはとても思えない。
パムッカレの集落

運転手のオッサンが「ここをまっすぐ行け」的なことをいうので、半信半疑で15分ぐらい歩いて行くと、前方に白い山が見えた。オッサン、疑ってごめん。
白すぎるパムッカレ

じゃり道を登って行くと、突如道が白くなる。ここからは、土足厳禁。まるで雪山に見えるが、これは石灰である。
突然白くなる

這うように水が流れる


足元はこんな感じ。温泉の生暖かい水が流れていて、歩いていて気持がいい。
地面

綱引きしているみたいだが、見えない何かと戦ってみた。本当は高い所に上りたかったのだが、上ると監視員に叱られるのだ。
見えない何かと・・・

たぶん本邦初公開、掃除のオバサン。けっこう大変そうな仕事だが、ダイエット効果はないらしい。
掃除のおばちゃん

流れる水は、ところどころプールを形成している。これがまた、この世のものとは思えないほど美しい。
プールから溢れる水

さて、このパムッカレ、世界遺産に登録されているのだが、自然遺産ではなく、複合遺産になっている。ここは、ローマ時代、ヒエラポリスという都市だった。この石灰の山を登り切ったところに、ローマ時代の大規模な遺跡がある。
ローマ時代の遺跡

目玉は円形劇場。『タイタンの戦い』に出てきたのとそっくり。
パムッカレの円形劇場1024x768

舞台は立入禁止。本当はここで見えない何かと戦ってみたかったのだが、残念。
円形劇場の舞台

当然のように見えない何かと戦ってみた。
劇場で見えない何かと戦ってみた

足元はしっかりしているし、狭くもないので、それほど危険ではないのだが、転げ落ちるとどこまでも落ちそうで、かなり怖かった。
このエントリーをはてなブックマークに追加

ローカルすぎてほとんどの人にはどうでもいいことだが、戸越銀座の銭湯「金泉湯」と隣接する惣菜屋「天河」が9月いっぱいで店じまいした。閉店のお知らせが出たのが突然だったので、最後の買い物&一風呂はしていない。

金泉湯と天河

僕の家には風呂があるので、本来銭湯に行く必要はないのだが、冬は熱い風呂に入りたくて、月に二三回、金泉湯に行っていた。

東京の銭湯は、昔から比べるとかなり減ったが、品川区・大田区はいまだにたくさんある。とはいえ、生き残っている銭湯のほとんどは、所謂スーパー銭湯という温泉になっていて(この地域は温泉が出やすいらしい)、あまり銭湯らくしくないところも多い。

金泉湯はごらんのように外見こそ銭湯らしくないビルだが、中身はトラディショナルにも程がある、いかにもな東京の銭湯だった。もちろん、温泉ではない。なお、トラディショナルな東京の銭湯とは、ドラマ『時間ですよ』に出てくるような銭湯を指す。

左右に入り口が分かれているので、一見、男風呂と女風呂で入り口が違うように見えるが、中はつながっていて、どちらから入っても、どちらの湯にも入れる。番台は『時間ですよ』同様、男湯と女湯の間の高い位置にあり、風呂の方を向いている。これが嫌だという人もいるが、東京の銭湯はこうでなきゃダメだ。

金銭湯の隣にある「天河」は、デリカショップとか洒落臭いカタカナ言葉が書いてあるが、どうみてもお惣菜屋さんと言った方がふさわしい。小さな店舗だが、揚げ物、焼き鳥、煮物、天ぷら、等々、おかずになるものはなんでも売っていた。安くてうまいので、ヨメが不在のときによく買った。以前、浦木さんの家に行く時、お土産に唐揚げとコロッケを大量に仕入れたのもこの店である。

鰻の寝床のような狭い厨房で、お年寄り数人で作っていたので、夏の暑い日なんかは中の人がちょっと心配だった。隣がスーパー(オオゼキ)で前がコンビニという、惣菜屋にとっては最悪の立地条件なのに、いままで続いていたのは、それだけ売れていたからだろう。

商店街の昔からある店が無くなるのは寂しいが、仕方がない。商店街というものは、こうして新陳代謝して続いていくのである。ここから、新しい老舗が生まれれば、それでいいのだ。
このエントリーをはてなブックマークに追加

昨日、トルコネタを書いていたら、たまたまこんな記事を目にした。

元教授、北大生にビザ不要の「経由国」教える:YOMIURI ONLINE
イスラム過激派組織「イスラム国」に外国人戦闘員として加わろうとしたとして、北海道大の男子学生(26)が警視庁公安部の捜索を受けた事件で、イスラム研究家の中田考・元大学教授(54)が簡易投稿サイト「ツイッター」を通じ、北大生にシリアへの渡航方法を教えていたことが同庁幹部への取材でわかった。

北大生とは、いうまでもなく、シリアに行ってイスラム国の戦闘員になろうとした人である。「シリアへの渡航方法」ならトルコ経由が思い浮かぶのだが、もっと画期的な方法があるのだろうか。

北大生はその後、中田元教授の助言を受け、トルコ経由でシリア入りすることになり、航空券はフリージャーナリストの常岡浩介氏(45)が準備した。

トルコ経由やないかーい!

さらに、「航空券はフリージャーナリストの常岡浩介氏(45)が準備した」そうだが、そんなのうちのヨメでも買える。というか、旅行代理店へ行って、イスタンブール行きなりアンカラ行きなりのチケットを注文すればそれで終わりである。

国境をどう越えるかとか誰にコンタクトを取れとか、詳細なレクチャーがあったのかもしれない。が、そこは記事に書いていない。おそらく無かったのだろう。あれば鬼の首を取ったように書いているはずだ。

この記事は、第二段落が効いていて、さも中田氏らが強く関与していたと思わせるようになっている。
北大生は海外経験が全くなく、公安部は、中田元教授らの助言で計画が具体化していったとみている。

第一段落からここまで読むと、さも中田元教授らが何も教えなかったら、北大生はシリアに行くことができなかったかのように見える。だが、最後まで読むと、中田氏らの与えた情報は、ちょっと調べれば分かる程度の情報である。これはたいしたことないことをたいしたものに見せる記事である。

そもそも彼は本気だったのだろうか。本気にしては人頼みが過ぎる。もし、本人としては本気だったとしても、その本気が軽すぎる。中田氏にしても常岡氏にしても、実際にイスラム国とコネクションがあるらしいが、それならばなおさらこんな奴は紹介したくないのではないか。

ところで、先にイスラム国に捕まった湯川遥菜さんはどうなった?こちらは人命が関わっている。こんなやる気のない奴よりも、はるかに問題である。
このエントリーをはてなブックマークに追加

今月の池上線は、「のようなもの」ですみません。

イスタンブール旧市街を走るトラム。
イスタンブールのトラム

スルタナメット駅。
スルタナメット駅

写真には写っていないが、改札の近くに運賃を払う機械がある。料金は4トルコリラの統一料金。自動販売機みたようなものに4リラ入れると、コインゲームのメダルみたいなのがコロンと出てきて、それを改札に投入すると中に入れる仕組み。これは、ボスポラス海峡を渡る船も同じ方式だった。

別の駅から一回乗ってみたのだが、券売機が数台あるにもかかわらず、みんな一台しか使っていない。隣の券売機には10歳ぐらいの男の子がいて、僕が買おうとして券売機の前に行くと、この男の子がどいた。たいして気にもせずメダルを買って、さあ電車に乗ろうとしたら、なぜか僕の袖を引っ張る奴がいる。

誰かと思ったら、あのガキだ。なんか右手で袖を引っ張りつつ、左手を出している。なんだかワケがわからんので、そのまま前に行こうとすると、今度は僕の前に出てきて手を出す。なんだこいつ。ウザいんですけどー。

それでやっと分かった。どうやら、こいつはチップを要求しているらしい。券売機の場所を取っておいてやったということらしい。頼んだ覚えはないし隣の券売機(ヨメが使っていた)では普通に買えたのだが。

なんだか憎たらしい顔をしているし、腹が立つので、そのまま逃げようかとも思ったが、子供相手にダッシュするのもいかがなものかと思い、ポケットにあった1リラ(約50円)を渡したら、なにやら礼を言ってどっかに言ってしまった。ひどい商売もあったものだ。

このトラム、歩道のぎりぎりを通るので、イスタンブールに行く人は気をつけよう。どのぐらいぎりぎりかというと、こんな感じ。
すれすれを走るイスタンブールトラム


さて、イスタンブールといえば、かつてのオリエント急行の終着、シルケジ駅。
シルケジ駅

残念ながら正面は工事中で見られなかったが、中には入れる。こちらはホームから見たところ。現在でも駅として使われているが、意外に小さい。
シルケジ駅ホーム

かつて賑わったであろう広大な待合室がある。今は数人の人とネコがいるだけ。
古い待合室

意匠を凝らした天井が美しい。
天井の意匠

待合室の一つはオリエント急行博物館になっていて、当時、オリエント急行で使われていた機材、什器、衣装などが展示されている。入場料は無料。
オリエント急行博物館

運転台があったので運転士になってみた。
運転士になってみた

あ、ポアロだ。
運転台

このエントリーをはてなブックマークに追加

親戚のショータ君を鉄道マニアにしようという悪辣な計画が進んでいるが、仮面ライダーに続いて、またも強敵があらわれた。ちびっ子事情に詳しい人ならもうお分かりだろう。『妖怪ウォッチ』である。なにやらメダルを集めてじゃらじゃらさせている。入手難と言われるウォッチ本体も、どこからか手を回して入手したらしい。まだ見てないけど。

敵を倒すためには、敵の研究をするのが一番大事なことだ。というわけで、例のChromecastでアニメ『妖怪ウォッチ』を見てみた。

そもそも、僕はこの手のゲームと連動したアニメが好きではない。特にポケモンは大嫌いだ。

だいたい、モンスターに戦わせて、偉そうにカッコつけているのが気に食わない。カッコつけたきゃ自分で戦え。誰かに戦わせているということは、ポジション的には丹下段平である。丹下段平はブサイクだからいいのであって、カッコつけた丹下段平なんて見たくない。

人間も人間ならモンスターもモンスターだ。モンスターのくせに、人間の言うことを聞くんじゃない。サトシなんか頭からバリバリ食っちまえ。ついでにいうと、主人公の名前が僕と同じというのもイヤだ。

『妖怪ウォッチ』も、妖怪と友好関係を結び、別の妖怪を倒すために友好関係を結んだ妖怪を使うという流れ。どうせポケモンみたようなもんだろと思いながら、妖怪ウォッチを見た。まず、無料で見られるエピソード 1と2を見てみる・・・アレ?面白いじゃない。気がついたら、1本108円のを10本ほど見てた(もちろん一度に10回見たわけではない)。今では毎週金曜日6時半から欠かさず見ている。妖怪取りが妖怪になってしまった。

僕がポケモンを嫌う理由は『妖怪ウォッチ』ではことごとく避けられている。ポケモンのピカチューに当たるのはジバニャンだが、こいつはピカチューの尻尾ほどにも役に立たない。弱いのではない。ケータ君に呼び出されても「面倒くさいニャー」とか言って働かないのである。妖怪とケータ君の関係はあくまで友達だから、戦いたくない時もあるのだ。ジバニャンはそれが多すぎる気もするが、ネコだからしょうがない。猫の手を借りるのは最後の手段である。

そうこうしているうちに、ジバニャンは相手の妖怪に取り憑かれて、戦力外の役立たずになってしまうのがお約束で、別の妖怪が呼び出されて問題解決。ジバニャン、何のために出てきた。

妖怪たちとケータ君の関係もいい。『妖怪ウォッチ』の世界観では、世の中に起る事象はすべて妖怪のせいである。僕が、明日の一時間目から授業があるのに夜更ししているのも、仕事があるのにブログの記事を書いているのも、すべて妖怪のせいなのだ。

その妖怪を追い出すのは、説得か力ずくである。説得という選択肢があるのがいいし、力ずくといっても大した暴力はないので(基本的に暴力は出てこない)、非常に平和的だ。説得に成功し妖怪と友好関係を結ぶと、妖怪メダルがもらえ、妖怪をいつでも呼び出せるようになる。

『妖怪ウォッチ』には、オッサン・オバサンの心を刺激する、オッサンホイホイがたくさん仕掛けられている。昔のアニメや漫画、ドラマのパロディがそこかしこに出てくるのである。

例えば、ジバニャンはトラックに轢かれて死んだネコの地縛霊なのだが、それ故にリベンジするためにトラックに立ち向かう。その時、「僕は死にましぇーん」と叫び(寸止め事故業界の合言葉だそうだ)、必殺技「ひゃくれつ肉球」を繰り出すものの、必ずトラックに弾き飛ばされる。それぞれの出典はオッサンには言うまでもないだろう。

最初、このオッサンホイホイは、子供の親を釣るマーケティングのなせる技だと思っていたが、そうでもないようだ。先週放映された『給食のグルメ』では、ケータ君が井之頭五郎の顔になって、延々『孤独のグルメ』をやっていた。なんかオチがあるのかと思ったら、最後は『明日のジョー』よろしくケータ君が白く燃え尽きて終了。なんと『妖怪ウォッチ』なのに妖怪は一匹も出ない。こんなのちびっ子が喜ぶはずがないし、大人でも分からない人には分からないだろう。

『妖怪ウォッチ』は、景気のいい時代に見られた軽妙洒脱さがある。少し時代が変わってきたのかもしれない。
このエントリーをはてなブックマークに追加

最近あまり自転車に乗っていないので、自転車ネタを書かなかったのだが、これはあまりにもひどすぎる。

自転車乗らないで 小中学生に呼びかけ 加茂市
加茂市は1日、交通事故防止のため、自転車に乗らないよう呼びかける文書を市内の全小中学生約2000人に配った。8月に市内で自転車に乗っていた男子中学生が乗用車にはねられ、死亡した事故を受けたもの。自治体が自転車を使わないよう周知するのは異例だが、同日、記者会見した小池清彦市長は「あんな悲しい出来事があってはならない。命を守るためにこの程度は言わせてほしい」と訴えた。

この事故、どちらに過失があるかは今は問わないし、問う必要もない。自転車と自動車がぶつかれば、ほとんどの場合自転車が被害を受ける。取り締まるべきは自動車の方だろう。

さらにいうと、道路は自転車が優先である。もちろん、自転車にも自動車にも車道を走る権利はあるので、「乗るな」ということ自体がナンセンスなのだが、どうしても「乗るな」というのなら、自動車に乗らないように呼びかけることが先だろう。

さらにバカげているのが、こちら。
小池市長は「車にヒヤヒヤしながら走らねばならず、非常に危険だ。今や自転車に乗ることは楽しいことではない」と趣旨を説明。代わりに市営バスの利用を勧めた。

「車にヒヤヒヤしながら走らねばなら」ないのは、どう考えても行政に問題がある。それなのに「市営バスの利用を勧め」るとは何事か。この市長は、問題のある道路を作っておきながら、さらに中学生から金をむしりとろうとしているのだ。

中学生を脅して小銭を取る。こりゃ、ヤンキーのカツアゲと何ら変わりがない。カツアゲ市長と命名させてもらう。
このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ