2014年12月

今年は3月にベトナム、8月にトルコに行った。年に二回海外旅行に行ったことは何度かあるが、どちらかが(もしくは両方)中国なので、二回とも行ったことがない国というのは初めてである。

この旅行は、もっとブログの記事にしたかったのだが、うまく書けなかった。初めて行った国のことを書くのは難しい。とんでもない思い違いや、観念で書いてしまうのを恐れるからである。

ベトナムはあまりに中国に似ているから、どうしても比較してしまう。しかし、それではベトナムを紹介したことにはならない。トルコはイスラム教の文化と、商売の上手さには驚いたが、それをもってトルコはこうだといっていい自信がない。ヘタすると、親日国がどうの反日国がどうのというのと同じになってしまう。

どちらの国も、大都市(ホーチミン・イスタンブール)にあまり長く泊まらなかったのが、書きにくい原因である。観光地や田舎はのんびりしていていいが、そのぶん、どうしても余所行きの顔しか見られない。

大都会の人たちはそんな余裕がない。ないから、その国の人々の本当の姿を見ることができる。ホーチミンもイスタンブールも、もう一度時間をかけてゆっくり行ってみたいと思っている。

もう一つ書いておきたいのが、3月にやたがらすナビをリニューアルした(やたがらすナビを大改修した:2014年03月25日参照)ことである。これにより、新たにやたナビTEXTを始めることができた。

電子テキストの提供は、10年前、やたがらすナビを始めたころから考えていたのだが、著作権や文字コード、検索システム、HTMLによる表現の限界など、様々な問題があって、なかなか手を付けることができなかった。それらの問題のほとんどが、DokuWikiを導入することによりクリアできるようになった。

これで、翻刻の面白さが分かったのも今年の収穫である。今、やたナビTEXTにある作品は、どれも一度は活字で読んだものばかりだが、翻刻してみると、今まで自分がよく読めていなかったところがはっきりと分かる。翻刻とは、文字を読むことではなく、文章を読むことなのだと痛切に感じた。

電子テキストといえば、個人的な用途では全くWindowsを使わなくなってしまったのにも驚いた。今使っているのはデスクトップPCがUbuntu、ノートPCがChromeOS、タブレットがAndroidである。家には一台だけWindowsが動いているPCがあるが、Windowsでしか動かない周辺機器を動かす時にしか使わない。

マイクロソフトもWindowsも嫌いではないし、意図して使うのを止めようと思ったわけでもない。それなのに、自然と使わなくなってしまったのである。

Windowsを使い続けて20年、こんなに簡単にWindowsから離れてしまうとは思わなかった。もうOSなんて、何でもいい時代になりつつあるのだ。

いよいよ今年も終わりに近づいている。

今月はあまりブログを更新できなかった。そんなに忙しかったわけではないのだが、例によって時間があると更新できなくなる悪癖のせいである。その代わり、やたナビTEXTの方はおおいに進んだ。

さて、今月の出来事といえば、なんといっても12月14日の衆議院議員選挙である。

予想通り、投票率が低く(52%)戦後最低、これまた予想通り自民党・公明党の大勝という、どうにも関心の持てない結果だったが、ちょっとサプライズだったのは、共産党が8議席から21議席と大幅に議席を増やしたことだろう。

しかし、共産党の議席の推移を見てみれば、10議席を割ったのは小泉政権に入った2003年からで、それ以前は昭和44年以降、議席がひと桁だったことはない。別にサプライズでも何でもないのである。

日本共産党#被公選機関における党勢:Wikipedia

2003年当時の小泉首相の人気と、その後の民主党の勢いを考えれば、ここまで10議席を下回っていたのが異常だったのである。共産党が10議席以下だった、昭和44年以前は、自民党と社会党の二大政党だったことを考えると、今回の結果は国民が二大政党制を諦めたということを意味しているのだろう。

話は変わるが、毎年1月にやっていた教員展は、今年はない。「そんなに忙しかったわけではない」のはそのためである。

やたがらすナビには左カラムに検索窓があるが、この検索窓はDokuWiki内にある文書をすべて検索してしまうため、やたナビTEXTや特定のテキストだけを検索したい場合、名前空間で絞りこまなければならなかった。

これでは少々使いにくいので、検索フォームが書けるプラグイン(searchform plugin)を導入し、やたナビTEXTのトップページと各テキストのトップページに、検索窓を取り付けた。

やたナビTEXT
やたナビTEXT

全文検索で、全てのテキストからの通し検索ができる。各テキストの右にある検索窓からは、それぞれのテキスト内検索が出来る。

また、各テキストのTOPにはテキスト内検索のための窓を付けた。

松平文庫本『唐物語』:藤原成範:やたナビTEXT
唐物語での検索

挙動は左カラムにあるものと全く同じである。絞り込み検索や、or検索などの検索式も使える。検索式については、やたナビTEXTについて(その2・検索):2014年11月22日を参照されたい。
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今年から始まった、目黒川の木に今話題の青色LEDを付けてきれいに光らせましょうという、「Nakameguro青の洞窟」なるイベントに行ってきた。

Nakameguro青の洞窟

あまりに人が来すぎて危険なため、土日祝日の点灯は中止したという。25日は最終日だった。

青の洞窟を見る人

この写真でも、かなり人が多いのが分かるが、これはまだ早い時間だったので少ないほうである。

目黒川は桜の木が川に張り出しており、春はこれが見ものになっているが、ここに青色LEDを付けて、「青の洞窟」を模してみましたというわけ。
中目黒青の洞窟1

中目黒青の洞窟2


宇宙人も見に来てた。
宇宙人
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研究(に限らないが)をするときは、最初に何らかの〈見通し〉があって、それに向かって証拠を積み上げていくのが普通である。この〈見通し〉には筋の良し悪しがある。

長年研究をやっていれば、テーマを聞いただけで、筋の良し悪しはなんとなく分かる。だが、若いとそれが分からない。分からないから、「そりゃいくら続けても絶対ダメだよ」ということを、画期的な研究だと思ってやってしまう。

もちろん、誰がどう考えても筋の悪い見通しの中から、やってみたら実はそうではなかったということもある。たぶん、画期的な研究とは、そういうところから生まれるのだろう。そして、常識にとらわれず、それができるのが、若い研究者の強みだったりするのだが、実のところそういうことは滅多にない。大概は本当に筋が悪いのである。

筋が良ければ、証拠は比較的簡単に出てくるし、悪ければなかなか出てこないものだ。この「なかなか出てこない」というところがクセモノだ。

全く証拠が出てこなければ、研究にならないからそれで終わりである。しかし、必死に探せばナニヤラ証拠らしきものが出てきてしまうことがある。こうなると、自分の〈見通し〉に自信が付き、端から見ていると全然証拠になっていないものでさえ、証拠に見えてくる。ひどいときは、無意識のうちに証拠を仕立て上げてしまうこともある。

証拠さえ積み上げて、論文の形になれば、どんなコジツケだろうと、それなりに立派なものに見えてくる。かくて、最初から方向性を誤った論文が完成するのである。読む方は面倒臭いからいちいち検証しない。仮に「それは違うだろ」と言えても、証拠は積み上がっちゃっているので、どうしようもない。

こういう研究は、仮に権威のある雑誌に載っても、誰にも相手にされないのが普通である。だが、STAP細胞の場合は、あまりに注目されてしまった。証拠の問題点が明るみに出て、証拠を再検証する必要が生じ、あらためて筋の悪さが露呈して終了・・・というのがSTAP細胞騒動の本質だと考えている。
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平安時代末期の翻訳説話集、『唐物語(からものがたり)』の電子テキストを公開しました。

底本は『松平文庫影印叢書第7巻中世説話集編』(松平黎明会編・平成5年8月・新典社)による松平文庫本です。例によって、翻刻部分はパブリックドメインで、校訂本文部分はクリエイティブ・コモンズライセンス 表示 - 継承で公開します。

松平文庫本『唐物語』:藤原成範:やたナビTEXT

『唐物語』はその名の通り、『白氏文集』や『蒙求』などの漢籍を翻訳し、歌物語形式にしたものです。当時、漢籍はそのまま読めて当たり前のものだったので、こういう作品はそれほど多く残っていません。有名なところでは『蒙求和歌』・『唐鏡』などがありますが、その中でも『唐物語』は完成度が高く、和文として非常にこなれています。

作者は藤原成範(桜町中納言)であるという説が有力です。

成範は平治の乱で殺された信西の子で、連座して下野国に配流になりました。また、高倉天皇の寵愛を受けた小督の父でもあります。

成範や小督の数奇な運命を考えると、漢籍から選択された説話はそれにふさわしいもののように思えます。作者が成範であると断定はできませんが、少なくとも、単なる漢籍からの翻訳ではなく、作者の性格がよく出ている作品だと思います。

よく知られている説話では、『長恨歌』(実際の出典は唐代伝奇の『長恨歌伝』)を元にした、第18話があります。翻訳説話集のため、ほとんどの説話に出典がありますが、『遊仙窟』が張鷟によって書かれたいきさつを語る第9話と人と犬の異類婚姻譚第27話(最終話)は出典不明です。

非常に面白い作品なのですが、読みやすいテキストとして入手できるものが少なく、比較的入手しやすかった講談社学術文庫も絶版のようです。是非ご一読ください。



【追記】
書き終わってから、『校本唐物語』(池田利夫編・笠間書院)のkindle版が出てるのを知った。


出版業界がお寒い中、これはいいニュース。

「新潮日本古典集成」新装版でお安く:朝日新聞デジタル
1976年の刊行以来、原文で古典が読めると支持されてきた『新潮日本古典集成』が、新装版として価格を下げて刊行を始めた。全57作品(94冊)で、累計385万部のロングセラーを誇り、学校教材などで活用されている。旧版は3千円台が中心だが、箱入りをやめ、各巻とも千円ほど安くなるという。

新潮日本古典集成は、創立80年を記念して企画されたシリーズで、それだけに気合が入っている。平成元年には毎日出版文化賞も受賞した。新潮社と古典という、イマイチ食いあわせの悪そうな組み合わせながら、古典文学全集の中では独特の位置づけだった。

古典を読む場合、本文だけでは理解に不足がでてくるため、注釈や通釈(現代語訳)があった方がいい。しかし、それらを増やせば増やすほど、レイアウトが複雑になり読みにくくなる。それを読みやすくすると、今度は判型が大きくなり、やたらと大きく重い本になってしまう。

文学全集は本棚の肥やしでもあるので、大きいのはいいことだが、これではちょっと通勤時間に電車で読むとか、寝転んで読むとかは難しくなる。難しいが出来ないことはない。古典文学研究者の腕が例外なく太いのはそのためである。

新潮日本古典集成は、とにかく読みやすさを前提に作られている印象を受ける。判型は日本古典文学大系などがA5であるのに対し、やや小さい四六版で、かばんに入れて持ち歩きしやすい。小学館の日本古典文学全集のような通釈はないが、読みにくい場所だけ赤字で本文わきに補っている。これが本文を読むときの邪魔にならず、画期的な工夫だった。読むという用途では、数ある古典文学叢書の中でもピカイチだと思う。

値段も安く・・・と思ってamazonを確認してみたら、ずいぶん値段が上がっていた。例えば、手元にある平成元年に購入した『古事記』は2270円だが、現在は3672円。これでは一般の人はおいそれと買えない。

これが新装版だと、2592円。平成元年とほぼ同じ値段である。箱がなくなるそうだが、もとより邪魔なだけだし、今どき本棚の肥やしのために買う人なんかいないだろうから、あんなものはいらない。


新潮日本古典集成は売れたので、古書も多く出回っている。これなら数百円で買えることもあるが、古典の注釈書は、重版時に人知れず改訂されていることがあるので、なるべく新しいものを買ったほうがよい。
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