今年は3月にベトナム、8月にトルコに行った。年に二回海外旅行に行ったことは何度かあるが、どちらかが(もしくは両方)中国なので、二回とも行ったことがない国というのは初めてである。
この旅行は、もっとブログの記事にしたかったのだが、うまく書けなかった。初めて行った国のことを書くのは難しい。とんでもない思い違いや、観念で書いてしまうのを恐れるからである。
ベトナムはあまりに中国に似ているから、どうしても比較してしまう。しかし、それではベトナムを紹介したことにはならない。トルコはイスラム教の文化と、商売の上手さには驚いたが、それをもってトルコはこうだといっていい自信がない。ヘタすると、親日国がどうの反日国がどうのというのと同じになってしまう。
どちらの国も、大都市(ホーチミン・イスタンブール)にあまり長く泊まらなかったのが、書きにくい原因である。観光地や田舎はのんびりしていていいが、そのぶん、どうしても余所行きの顔しか見られない。
大都会の人たちはそんな余裕がない。ないから、その国の人々の本当の姿を見ることができる。ホーチミンもイスタンブールも、もう一度時間をかけてゆっくり行ってみたいと思っている。
もう一つ書いておきたいのが、3月にやたがらすナビをリニューアルした(やたがらすナビを大改修した:2014年03月25日参照)ことである。これにより、新たにやたナビTEXTを始めることができた。
電子テキストの提供は、10年前、やたがらすナビを始めたころから考えていたのだが、著作権や文字コード、検索システム、HTMLによる表現の限界など、様々な問題があって、なかなか手を付けることができなかった。それらの問題のほとんどが、DokuWikiを導入することによりクリアできるようになった。
これで、翻刻の面白さが分かったのも今年の収穫である。今、やたナビTEXTにある作品は、どれも一度は活字で読んだものばかりだが、翻刻してみると、今まで自分がよく読めていなかったところがはっきりと分かる。翻刻とは、文字を読むことではなく、文章を読むことなのだと痛切に感じた。
電子テキストといえば、個人的な用途では全くWindowsを使わなくなってしまったのにも驚いた。今使っているのはデスクトップPCがUbuntu、ノートPCがChromeOS、タブレットがAndroidである。家には一台だけWindowsが動いているPCがあるが、Windowsでしか動かない周辺機器を動かす時にしか使わない。
マイクロソフトもWindowsも嫌いではないし、意図して使うのを止めようと思ったわけでもない。それなのに、自然と使わなくなってしまったのである。
Windowsを使い続けて20年、こんなに簡単にWindowsから離れてしまうとは思わなかった。もうOSなんて、何でもいい時代になりつつあるのだ。
この旅行は、もっとブログの記事にしたかったのだが、うまく書けなかった。初めて行った国のことを書くのは難しい。とんでもない思い違いや、観念で書いてしまうのを恐れるからである。
ベトナムはあまりに中国に似ているから、どうしても比較してしまう。しかし、それではベトナムを紹介したことにはならない。トルコはイスラム教の文化と、商売の上手さには驚いたが、それをもってトルコはこうだといっていい自信がない。ヘタすると、親日国がどうの反日国がどうのというのと同じになってしまう。
どちらの国も、大都市(ホーチミン・イスタンブール)にあまり長く泊まらなかったのが、書きにくい原因である。観光地や田舎はのんびりしていていいが、そのぶん、どうしても余所行きの顔しか見られない。
大都会の人たちはそんな余裕がない。ないから、その国の人々の本当の姿を見ることができる。ホーチミンもイスタンブールも、もう一度時間をかけてゆっくり行ってみたいと思っている。
もう一つ書いておきたいのが、3月にやたがらすナビをリニューアルした(やたがらすナビを大改修した:2014年03月25日参照)ことである。これにより、新たにやたナビTEXTを始めることができた。
電子テキストの提供は、10年前、やたがらすナビを始めたころから考えていたのだが、著作権や文字コード、検索システム、HTMLによる表現の限界など、様々な問題があって、なかなか手を付けることができなかった。それらの問題のほとんどが、DokuWikiを導入することによりクリアできるようになった。
これで、翻刻の面白さが分かったのも今年の収穫である。今、やたナビTEXTにある作品は、どれも一度は活字で読んだものばかりだが、翻刻してみると、今まで自分がよく読めていなかったところがはっきりと分かる。翻刻とは、文字を読むことではなく、文章を読むことなのだと痛切に感じた。
電子テキストといえば、個人的な用途では全くWindowsを使わなくなってしまったのにも驚いた。今使っているのはデスクトップPCがUbuntu、ノートPCがChromeOS、タブレットがAndroidである。家には一台だけWindowsが動いているPCがあるが、Windowsでしか動かない周辺機器を動かす時にしか使わない。
マイクロソフトもWindowsも嫌いではないし、意図して使うのを止めようと思ったわけでもない。それなのに、自然と使わなくなってしまったのである。
Windowsを使い続けて20年、こんなに簡単にWindowsから離れてしまうとは思わなかった。もうOSなんて、何でもいい時代になりつつあるのだ。