2015年01月

灰原薬『応天の門』(新潮社)を読んだ。

灰原薬『応天の門』:Web@バンチ

『応天の門』は平安時代の都を舞台にしたサスペンス漫画である。平安時代のサスペンスなんて、思いもよらなかったが、よくよく考えてみると、キャラクターは最初から出来上がっているし、政治的な背景やら、説話やら、材料はたくさんある。上手く組み合わせれば面白くなるだろうことは想像に難くない。

主人公は在原業平と菅原道真。業平は左近衛権少将、業平より20歳程度若い道真は文章生、こう書くと、なんとなく二人の役割が分かる。少々ゆるいベテランの警察官と頭脳明晰な若い素人、ミステリーにはお約束のふたり組である。あんまりミステリーを読まないので、いい例が思い浮かばないけど。

この二人が、平安京で起きた事件を解決していくのだが、そこは平安時代、しかも初期、事件には藤原氏の権力闘争や、当時の風俗・習慣などが複雑に絡み合っていく。そこを二人の人間性で乗り越えていくのが面白い。

事件そのものは史実ではないが、東京大学史料編纂所の本郷和人氏が監修していて、平安時代の制度、習慣が(たぶん)正しく描かれているので、この手の歴史物にありがちな違和感がない。

紙の本は2巻まで出ているが、僕はKindle版で読んだので、まだ1巻しか読んでいないのだが、なんだか面白くなりそうなのでご紹介する。

Kindle版はこちら。


紙版はこちら。

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訃報:斉藤仁さん54歳=柔道でロス、ソウル五輪連覇:毎日新聞
柔道95キロ超級で1984年ロサンゼルス五輪と88年ソウル五輪を2連覇した全日本柔道連盟(全柔連)強化委員長の斉藤仁(さいとう・ひとし)さんが20日、肝内胆管がんのため東大阪市内の病院で死去した。54歳。葬儀の日取りは未定。

たいした思い出ではないが、斉藤仁さんには少々思い出がある。

僕の出身高校では、文化祭の時に有名人の講演があって、二年生のときの講師が斎藤仁選手(当時)だった。もう30年も前のことなのにはっきり覚えているのは、当時、僕が生徒会の役員で、講演会の司会をしたからである。

講演会は校長の挨拶から始まった。この校長が挨拶の中で「今日は柔道の山下選手に来てもらいました」と言ってしまった。その瞬間、会場の雰囲気が一気に凍りついた。空気を読めない校長は、間違いに気づかず、最後まで訂正しなかった。

なにしろ、山下泰裕選手は最大のライバルである。しかし、ただのライバルではない。一番勝ちたかった、そして、一度も勝てなかったライバルなのである。そんなに心の狭い人だとは思わないが、怒って帰っても不思議ではない。

僕も今だったら、なんかネタを言ってごまかすのだが、十代の僕にはそんな余裕はなく、カンペに書かれた段取りどおり斎藤選手を紹介した。斎藤選手は、笑いながら壇上に上がり、「ただいまご紹介にあずかりました、さ・い・と・うです」と言った。会場は笑いに包まれた。

講演が終わって、最後に御礼の花束を渡した。そのとき、握手をした。あれだけ道着を掴むのだから、固くてゴワゴワしているのだろうと思っていたら、意外と柔らかいのに驚いた。

それにしても早すぎる。ご冥福をお祈りします。
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ミステリーで殺された被害者が、今際の際にメッセージを残し、それが推理のヒントになったり、妨げになったりするというお約束のパターンがある。いわゆるダイイング・メッセージである。近代に入ってから誰かが発明したものだろうと思っていたら、何と『今昔物語集』の中にあった。

早朝の政務に遅刻してきた史(さかん)の某が、慌てて庁舎に入ろうとしたが、そこには彼の上司、弁の某がいるはずなのに暗く、人気がない。人を呼んで火を灯して入ってみると、そこには猟奇的な殺人現場が展開されていた。

巻27第9話 参官朝庁弁為鬼被噉語 第九:やたナビTEXT
史、極て怪く思て、弁の雑色共の居たる屏の許に寄て、「弁の殿は何こに御ますぞ」と問へば、雑色共、「東の庁に早く着せ給ひにき」と答ふれば、史、主殿寮の下部を召して、火を燃(とも)させて、庁の内に入て見れば、弁の座に赤く血肉(ちみどろ)なる頭の、髪所々付たる有り。史、「此は何に」と驚き怖れて傍を見れば、笏・沓も血付て有り。亦、扇有り。弁の手を以て、其の扇に事の次第共書付られたり。畳に血多く泛(こぼれ)たり。他の物は露見えず。奇異(あさまし)き事限無し。

問題は太字にした、「亦、扇有り。弁の手を以て、其の扇に事の次第共書付られたり。」である。

この部分について、新日本古典文学大系(以下、新大系)では、「自分が命を落とすにいたった経緯を。」という注が付けられている。つまり、扇に書きつけられていたのはダイイング・メッセージだったという。

僕も最初はそう思ったのだが、よく考えてみると少々おかしい。

どんなミステリーでも、ダイイング・メッセージというものは、簡潔に書かれるものだ。死に直面した人間に事細かなことを書く余裕がないという前提があるからである。この場合、鬼に襲われたのなら「鬼」ぐらいなら書けるかもしれないが、それでは「事の次第共」ではない。逆にいうと、襲われている最中に「自分が命を落とすにいたった経緯を」書くのは不可能である。

また、『今昔物語集』は描写がやたらと細かいのが特徴なのだが、前後が血まみれの凄惨な場面なのに、この部分だけは意外にあっさり書かれているのもひっかかる。殺された経緯が書かれているなら、内容があってもおかしくないはずだが、それも書かれていない。

「弁の手」とは「弁の筆跡で」という意味だ。扇に書かれていたのは一目見て弁の筆跡でわかる、普段通りの筆跡だったらしい。また、とくに書かれていないところを見ると、ミステリーでお約束の、血で書かれたわけでもなく、普通に墨で書かれているのだろう。ここから、襲われている最中に書かれたものという読みはできない。

では、扇には何が書かれていたのか。実は、僕の見た範囲では、ダイイング・メッセージと解釈しているのは新大系だけで、他の注釈は当日の政務の予定が書かれていたと解釈している。これなら辻褄があう。

朝日古典全書(朝日新聞社・昭和28年4月)・・・弁の筆跡で、その扇に執務の次第などが書かれている。
角川文庫(角川書店・昭和29年9月)・・・既に当日の政務の予定が書かれていた
新潮日本古典集成(新潮社・昭和56年4月)・・・その日の政務の予定次第が書き込まれていた。

(日本古典文学大系は、扇の用途が書かれているだけで、何が書いてあったかは触れていない)

血まみれの殺人現場には、弁の生首と、血のついた笏と靴、そして当日の予定が書かれた扇が転がっていた。そう解釈すると、この殺人事件は弁が部屋に入った瞬間に起きたのではなく、普段通り仕事を始めようとした矢先に、突然何者かによって殺されたということになる。

『今昔物語集』の記述には、この扇には血が付いていたとは書かれていない。日常そのものの扇である。それが凄惨な血だまりの殺人現場に落ちていることによって、平和な日常が一瞬にして得体の知れないモノに打ち砕かれる恐怖が表現される。ただ現場を血まみれにするのではなく、まっさらの日常の扇と血だまりのコントラストを描くことによって、名状しがたい恐怖を増幅しているのである。

巻27は「本朝 付霊鬼」となっていて、現代風に言えばホラーのような説話がまとめられている。『今昔物語集』は、全体的に「こうだからこうなった」とか「実はこうだった」みたいな話が多いのだが、巻27にはあまりそれがない。最初からホラーを指向しているので、事件の真相はわからない方がより怖さが引き立つのだろう。

残念ながら、本邦(あるいは世界)初のダイイング・メッセージではなかったが、あらためて『今昔物語集』の表現力に驚嘆した。
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『今物語』の電子テキストを公開しました。

底本は宮内庁書陵部本です。例によって、翻刻部分はパブリックドメインで、校訂本文部分はクリエイティブ・コモンズライセンス 表示 - 継承で公開します。

宮内庁書陵部本『唐物語』:藤原信実:やたナビTEXT

『今物語』は、鎌倉時代の説話集で、短めの53話からなります。作者は似絵の名手としても知られた、藤原信実と考えられています。

男女の機微や、機知に富んだ和歌のやり取りなど、優美な貴族社会を描いた説話が多いのが特徴ですが、信実先生、だんだんおかしくなってきて、最後の方になると、屁だのう◯こだの裸のオッサンだの、小学生が喜びそうな説話が出てきます。このあたりがいかにも中世という感じがします。

特に第52話は、有名なコピペ

肛門「何者だ!」
ウンコ「オナラです」
肛門「よし通れ!」

の元ネタです。

嘘です。ごめんなさい。


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あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いします。
中川 聡

年賀状


※ 今年の年賀状は、印も含めて全部ヨメが作りました。
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