2015年02月

『今昔物語集』巻28-36が、すごく面白かったのでご紹介。

比叡山の無動寺の僧、義清阿闍梨は比叡山でも指折りの徳の高い僧だった。しかし、彼には嗚呼絵の名手というもうひとつの顔があり、世間にはそっちのほうが知られていた。

嗚呼絵が何かは、今ひとつ分かっていない。「嗚呼」とは「可笑しい」ということだから、まず漫画のようなものだと思えばよい。おそらく、『鳥獣人物戯画』みたようなものだろう。

義清阿闍梨はちょっとした変人で、依頼主が何枚も継いだ長い紙を持ってくると、物を小さく一つだけ描く。人を描いてくれと頼むと、端の方に弓を射る人の姿を描いて、反対の端に的を描く。人と的の間には、矢の飛んだ跡の細い筋だけ長々と描いてある。なにしろ、紙が貴重な時代だから、依頼した人は「あのヤロー、紙を無駄にしやがって」と怒る怒る。でも、義清はそんなことは気にしない。

あるとき事件が起きた。修正会が終わった時、義清阿闍梨が供物の餅を寺の僧侶に分けることになった。その僧侶の中に、慶範という、時の座主に寵愛されて、調子ぶっこいている僧がいた。この慶範が自分の餅が少ないと怒りだしたのである。調子に乗ったガキほどたちの悪いものはない。

「なぜあの阿闍梨は、ボクに餅を少なくよこしたんだ。妙なことをする阿闍梨だな。年だけ取って、墓場をしらない狐とはこのことを言うのだな。バカな坊主だ。この坊主に詫び状を書かせよう。こういう老いぼれは、こうして懲らしめてやらなきゃ。他の人にも見せしめにしよう」

これを伝え聞いた義清阿闍梨、これはまずいと、言われる前に詫び状を書いた。紙を四枚も取り出して、なにやらさらさらと書き、仰々しく包んで、慶範のもとへ詫び状を送ったのだが・・・。

なにしろ、義清阿闍梨は嗚呼絵の名手である。その上、相当なひねくれもの。ただの詫び状なはずがない。これは期待が持てますな。

オチはあえてここには書かないので、原文を読んでほしい。なに、そんなに難しくはない。『今昔物語集』の文章はちょっと読みにくいが、このオチは小学生でも読めると思う。短いし。

それではどうぞ。

『今昔物語集』巻28-36 比叡山無動寺義清阿闍梨嗚呼絵語 第卅六:やたナビTEXT
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産経新聞に掲載された曽野綾子センセーの差別的エッセーが話題になっている。その後、荻上チキ氏がインタビューしたときに、曽野センセーは「差別ではなく区別だ」と言ったそうだ。

荻上チキによる曽野綾子氏へのインタビュー書き起こし:さかなの目
そういう形のね、これは差別じゃない、区別なんですよ、能力のね。だから差別と区別を一緒にしないで頂きたい。私は区別をし続ける。芸術家とか、芸術、文化、学問て言うのは区別のものですからね、区別が無かったらどうにもならないんですね

この言葉には驚いた。曽野センセーの差別に対する意識の低さではない。そんなのは、もう十分分かっていることである。それよりも、曽野センセーともあろうものが、「差別ではなく区別」という言い回しを、真面目に使ったことについてである。

僕は、この言い回しを初めて聞いた時のことを鮮明に覚えている。

たぶん20年ぐらい前のことだったと思う。体育の先生が、補習で生徒に校庭を10周走ることを命じたのだが、なぜか、「お前だけ20周な」と言われた生徒がいた。その生徒は、「先生〜それは、差別ですよ〜」と抗議したが、「これは差別じゃない、区別だ」と言ったのである。それを聞いた僕は爆笑した。

これはいじめではない。この生徒は、体育の先生が顧問をしている部活の部員だったのである。二人の信頼関係が前提の冗談である。

しかし、真面目に考えると、自分の指導している部員とはいえ、これは授業だから、他の生徒と対応が違うのは立派な差別である。現代では「差別」はネガティブな意味しかもたないから、意図的「区別」と言い換えて、差別をごまかしているのである。言い方を変えても、実は同じことだと分かっているから、僕は爆笑したのである。もちろん、言った本人も分かって言っている。

本来、この言い回しは、ジョークとして使われるものだった。これは全くの想像だが、性別・力量・キャリアなどで、差別的な対応になりやすい、スポーツの世界から発生した言い回しではないだろうか。曽野綾子センセーのように、本気で「差別」と「区別」が違うものだと思っているなら、それは野暮というものである。

さて、先ほど「現代では「差別」はネガティブな意味しかもたない」と書いたが、古典では「差別」はよく見るが、「区別」は見たことがない。たぶんそんな言葉はなかったのだろう。「差別」は「しゃべつ」と読み、意味は現代の「区別」とほぼ同じである。

鴨長明『無名抄』に「あさりいさりの差別」という一節がある。「あさり」と「いさり」という言葉の違いを述べた部分だが、「差別」を「区別」に置き換えると、現代語としてしっくりくる。

あさりいさりの差別:無名抄:やたナビTEXT

「差別」は『日葡辞書』にも立項されていが、「区別」はない。
Xabetシャベッ (差別) Vacachi,tcu (別ち,つ) 相違・区別(岩波書店『邦訳日葡辞書』)


おそらく、「区別」という言葉は、「差別」がもっぱらネガティブな意味を持ちはじめた時に、本来の「差別」の意味で作られた言葉だろう。では、なぜ「差別」はネガティブな意味になってしまったのだろうか。

「差別」はもともと仏教語で、「平等」と対になっている。意味は違うが、「差別」と「平等」が対義語になっているのは現代語でも同じだ。たぶん、この二つの対をなす言葉を、西洋の言葉の訳語として用いたのが始まりだろう。

仏教的な意味の「差別」「平等」を上手く説明することは僕には難しいが、簡単に言えば、世の中のあらゆる物は異なる姿を持っている(差別)のに対し、それが包まれている自然法則は皆同じ(平等)ということらしい。そこから「差別即平等、平等即差別」などという。

要するに、人種だの、習慣だの、貧富だの、区別と差別の違いだのは、生きること、死ぬことというような、自然法則の前ではくだらねぇことだと言っているのだと、僕は勝手に解釈している。
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キーの動きが悪くなってきたように感じられたので、キーボードを買い替えた。

キーボードとマウスはロジクール(Logicool,Logitech)製品を信頼しているので、今回もロジクールのものにした。

無線だと不具合が起きる可能性が高くなるだけだし、そもそもキーボードに無線である必要性を感じないので、有線のものでいい。また、余計な機能も必要ない。ということで、結果的に一番安いのになった。決してケチなわけではない。

Logicool K120
k120



ご覧の通り、ごく普通のキーボードである。前に使っていたものと比べると、キーの高さが低く、ストロークも浅めで、ちょっと昔のノートパソコンのキーボードに似ている。若干安っぽい音がするが、一人部屋で使うものだからどうでもいい。

買い替えてみたら、以前のものに比べてかなり快適に入力できるようになった。これはこのキーボードが特別快適なのではなく(比較したわけではないので、そのへんは何とも言えない。)、前のがダメになったのである。

特に入力できなくなったキーがあるわけではないが、一部のキーが中心をちょっとそれると引っかかってしまい、ミスタイプが増えるようになった。自分のコンディションがいい時は、わりとスムーズに入力できるのだが、ちょっと具合が悪かったりすると、途端に入力精度が落ちる。そんな健康のバロメーターはいらん。

これも7年前に購入したロジクールのスタンダードキーボードである。スタンダードというだけあってこれも一番安いモデルである。この時は店頭でいろいろなのを試したが、結局よく分からんので、打ちやすくコストパフォーマンスもいいこれにした。

ロジクールスタンダードキーボード


ご覧の通り、白い。この頃までは、デスクトップPCのキーボードは白が主流だった。当たり前だが白は汚れが目立つ。特にキーボードは手垢やら、ナゾの何かやら、ホコリやらで汚れる。今となっては、何で白だったんだろうと思う。

このキーボードには、標準でパームレストが付いていた。これを付けるとかなり大きくなってしまうのだが、絶妙の位置と高さで、スペースさえあれば非常に具合がいい。装着するとツートーンカラーになっていて、見た感じも一番安いキーボードには見えなくなる。今回買ったキーボードにはこれがないのが残念だ。
ロジクールスタンダードキーボード(パームレスト付)


Logicoolは本当の社名をLogitechという。日本にはロジテック(こちらはLogitec)というパソコン周辺機器のメーカーが先行してあったので、ロジクールというブランド名にしているのだが、このキーボードはなぜかLogitechになっている。
ロゴ

ラベル


というわけで、この白いキーボードは引退と相成ったが、壊れているわけではないので、非常用として取っておくことにする。キーボードとマウスは非常用が一つずつあると心強い。
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やたナビTEXTの『今昔物語集』はホラー系の巻27の入力が完了し、笑い話系の巻28に入った。この第1話が面白かったのでご紹介。

『今昔物語集』巻28第1話 近衛舎人共稲荷詣重方語 第一:やたナビTEXT

近衛官の舎人が連れ立って稲荷詣に行ったとき、向こうからなんともいえずいい女が歩いてきた。舎人たちはちょっかいを出したが、誰も相手にされず顔すら見せてくれない。舎人軍団随一のプレイボーイ、茨田重方が執拗に迫ると、女はやっと口を利いてくれた。

女は一瞬心を開いたかのように見えたが、「あなた、奥様いらっしゃるんでしょ。火遊びはダメよ(意訳)」とにべもない。ここで、重方先生、とんでもないことを言ってしまう。

我君、々々、賤(あやし)の者持て侍れども、しや顔は猿の様にて、心は販婦(ひさめ)にて有れば、「去なむ」と思へども、忽に綻縫ふべき人も無からむが悪ければ、「心付に見えむ人に見合はば、其れに引移なむ」と、深く思ふ事にて、此く聞ゆる也

「お嬢さん、お嬢さん、たしかに下賎の妻はおりますが、顔は猿みたいで(ブサイク)、心は行商のおばさん(みたいに卑しい)だから、『別れよう』と思ってるけど、それじゃ服の綻びを縫ってくれる人すらいなくなるのも都合が悪いので、『いい人に出会えれば、そちらへ移ろう』と深く思ってたので、こうして話しかけているのです」

この妻の貶しっぷりがすごいが、当然これは伏線。ちなみに、「しや顔」の「しや」は罵り言葉で、ちょうどいい訳が思いつかないが、この後何度も出てくるので覚えておいてほしい。

重方君、「ウソは申しません、神様に誓います」と、女の胸に付かんばかりに頭を下げて、必死に媚びへつらっていると、女はいきなり烏帽子越しに髻(もとどり。チョンマゲみたいなもの)をつかんで、おもいっきり横っ面をひっぱたく。原文には「山も響く許(ばかり)」というから大変なものだ。これは痛いですよ、奥さん。頭固定されてるからね。

いきなり殴られて、茫然自失の重方君、ふと見上げると、そこには鬼のような形相(とは書いていないが)の妻が・・・。まあ、予想どおりといえば予想どおり。

己は何で此く後目(うしろめ)た無き心は仕ふぞ。此の主達の、『後目た無き奴ぞ』と、来つつ告れば、『我を云ひ腹立てむと云ふなめり』と思てこそ、信(うけ)ざりつるを、実を告るにこそ有けれ。己、云つる様に、今日より我が許に来らば、此の御社の御箭目負なむ物ぞ。何かで此は云ぞ。しや頬打欠て、行来の人に見せて、咲はせむと思ふぞ。己よ

「あんたは何でこんな恥ずかしいことするの!あんたの友達が、『あいつは油断のならないやつだ』と、告げ口するのを、『私を怒らせようとして言ってるんだわ』と思ってたから、真に受けなかったのに、本当のことを言ってたのね!あんたが、さっき言ったように、今日から私の所に来たら、神罰が下るわよ!何でそんなことを言うのよ!横っ面叩き割って、往来の人に見せて、笑わせたいものだわ!あんた!」

マジで怖い。そして、そういう時に男は、とりあえずその場を取り繕おうとするものである。

「物にな狂ひそ。尤も理也」と、咲つつ掍(をこづり)云へども、露許さず。

「アホなことをするな。まったくお前の言うとおりだ」と、笑いながらなだめるが、(女は)全く許さない。

なぜこういう時に、笑ってしまうんだろう。どう考えても逆効果なのに。遠くでお友達の舎人軍団が見て「よくやった!」とか言っている。こういう時に、ざまあみろとか思っちゃうのも、男の本音である。お前らも同罪なのだが。

さて、なんやかんやあって、その場の別れ際に女の言い捨てた言葉がまた面白い。

己は其の仮借(けさう)しつる女の許に行け。我が許に来てば、必ずしや足打折てむ物ぞ

「お前はその思いを寄せる女の所へ行け!私のところに来たら、必ず足を折ってやるぞ」

「思いを寄せる女」は妻の化けた女だから、もちろん実在しない。要するに「帰ってくんな、顔も見たくない」というのである。

そうは言うものの、重方君、妻のいる家に帰った。時間が経って、妻の憤りもだいぶ収まったようだ。さすがに本当に足は折らないだろう。やることはただ一つ、ご機嫌取りである。ところがここでまた失敗するのも男の性。

己は、尚、重方が妻なれば、此く厳(いつくし)き態はしたる也

「お前は、それでも、重方の妻だから、あのように厳しい態度をとったのだな」

なぜだか上から目線である。これでご機嫌を取っているつもりなのだから、情けない。さらに妻の怒りを買ってしまう。

「穴鎌(か)ま、此の白物(しれもの)。目盲(めしひ)の様に、人の気色をも否(え)見知らず、音をも聞知らで、嗚呼を凉(ふるまひ)て、人に咲はるるは、極き白事には非ずや」

「うるさい、このボケナス。盲人みたいに、アタシの気配も分からない、声も聞き分けないで、バカ丸出しにして、人に笑われるのは、すごくバカげなことじゃないの!」

その後、このことは世に知れて、重方君は笑いものになった。この説話には、もう一つ落ちがあるが、たいしておもしろくないので書かない。知りたい人は、原文を読んでほしい。

こんなプロットは現代ではありがちだが、怒った妻とマヌケな重方のやりとりが、実に生々しい。自然と脳内で「3年目の浮気」が再生されてしまう。どうやら人間は900年ぐらいでは変わらないものらしい。
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イスラム教徒とイスラム国(ISIS・ISIL)は別だと分かっていても、イマイチ不安感は拭えない。そういう人は多いだろう。

そこには、日本人にとってイスラム教が馴染みがないこと、イスラム過激派が目立つこと、中東のイスラム教がらみの宗教戦争の記憶などがあるが、それ以上に、ムスリムの信仰があるように思われる。

イスラム教は酒を飲んではいけないとか、ブタ肉を食べてはいけないとか、日に五回お祈りを捧げなければならないとか、きわめて戒律が厳しいことで知られる。仏教徒やキリスト教徒にはそこまで厳しい戒律はない。だから、誰もがここまで戒律を守ると、そういう宗教なのだと分かっていても、どうしても狂信者みたいなイメージを持ってしまう。

しかし、よく考えてみると、仏教にもキリスト教にも厳しい戒律を守る人はいる。神父とか牧師、僧侶、すなわち聖職者と言われる人たちである。仏教やキリスト教は、戒律を守れない我々俗人の代わりに、聖職者が戒律を守り、俗人はその聖職者を敬うという形になっている。

ではイスラム教の場合はどうなのだろう。在家の人でさえ、あれだけ厳しい戒律があるのだから、聖職者はもっと大変なことは想像に難くない。というわけで、日本ムスリム協会のサイトを調べてみた。すると・・・

イスラームQ&A:日本ムスリム協会
イスラームにはキリスト教の神父や仏教の僧侶のような聖職者はいますか?

回答:「イスラームには聖職者はいません。」

 イスラームに聖職者がいない、と言うのには二つの意味があります。

 第一にイスラームでは神と人を仲介する特別な階級が存在しないということを意味します。イスラームにおいて人を天国に入れることが出来るのも、罪を許すことが出来るのもアッラーただひとりであり、いかなる人間にもアッラーと人間とを仲介する権限は与えられていません。
 第二にイスラームには平信徒を律する戒律とは別に聖職者のみを律する戒律が存在するという形での戒律の二重構造がないことを意味します。イスラーム法は全てのイスラーム教徒に平等に適用されます。礼拝、斎戒、巡礼といった「行」も聖職者のみに課される特別な戒律ではなく、全ての信徒の義務に過ぎません。

なんと、イスラム教には聖職者がいないのである。逆にいえば、全員が聖職者とも言える。ムスリムは全員等しく坊さんだったのである。

ムスリムが全員坊さんであることは、その入信の仕方でも分かる。

入信サポート:宗教法人 日本ムスリム協会
イスラームにおける入信とは
 イスラームに入信しようとする人は、二人以上のイスラーム教徒(ムスリム)の前で、イスラームの信仰を受け入れることを表明すれば、その時からイスラーム教徒となります。

キリスト教は神父や牧師から洗礼をうける。仏教は信仰するだけでとりあえず仏教徒だが、坊さんになるには僧侶である師匠に入門して得度しなければならない。いずれにしても、聖職者や僧侶のような、特別な神・仏に仕える人が必要になる。

ムスリムの場合、二人のムスリムの前で、信仰告白なるものをすればいい。信仰告白とは、「アッラー以外に神はないことを私は証言する。ムハンマドはアッラーの使徒であることを我は証言する。」という意味のアラビア語、「アシュハド アン ラーイラーハ、イッラッラーフ、ワフダフ、ラー シャリーカ ラフ、ワ アシュハド アンナ ムハンマダン アブドゥフ ワ ラスールフ」だそうだ。アラビア語なので、ちょっと聞き慣れないが、覚えるのはそんなに難しくない。

聖職者がないので、信仰告白はムスリムなら誰でもいいのだろう。二名というのがなんとも生々しい。まるで推薦者二名が必要な中世文学会(あれ?いつの間にか一人でよくなってた)みたいだと思ったら、イスラム教は学会(学界)みたいなものだとちゃんと書かれていた。

イスラームQ&A:宗教法人 日本ムスリム協会
学識の高い者が尊敬され、その見解が尊重されるのは当然ですが、イスラーム学者には位階制度はありません。イスラームには教皇もいなければ公会議もなく、最終的に教義を決定する制度は存在しません。
イスラームの教義は制度の権威によってではなく、イスラーム学の業績の説得力にのみ支えられています。この意味においてイスラーム共同体は教会というよりも学界に似ています。

立派なヒゲを生やして、民衆の前で説教をしているオッサンたちは、聖職者ではなく、全てのムスリムの中で、特別にデキて尊敬されている人ということらしい。学会で業績を上げている人の発言力が強いのと同じことだろう。

去年の8月にトルコに行ったとき、カッパドキアを案内してくれたガイドさんが、「日本人の宗教は、宗教ではなく習慣のように思えます」と言っていたのを思い出した。その時は、単に日本人の信仰心の薄さを言っているのだろうと思っていたが、たしかに彼らからすると、僧侶以外は習慣にしか見えないのかもしれない。
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先月末、恒例の「今月の総括」を書いていて、なんだかまとまらなくなって、まあ明日でもいいやと思って寝てしまったら、とんでもないことになっていた。もう言うまでもないが、イスラム国に拘束されていた後藤さんが殺害されたことである。

その後、思う所をいろいろ書いていたのだが、どうにもまとまらない。たぶん、自分の中で十分理解していないのだろう。そこで、事件そのものではなく、事件による日本人の反応について思うことを書いてみたい。

まず一つ気になったのは、またぞろでてきた自己責任論である。自己責任論とは、「自己責任で危険なシリアに行ったのだから、助けなくてもいい」ということである。

これは以前にも書いたが(自己責任の悪用:2009年07月30日)、「自己責任で行ったのだから」と「助けなくてもいい」は全く繋がらない。

まず、湯川さんにしても、後藤さんにしても、自己責任で危険なシリアに行ったのは間違いない。だが、邦人が外国で遭難した時、日本政府が全力で救助するのは日本政府の義務であり責任である。これは遭難者の意思とは関係なく、仮にこの二人が自分たちを助けなくてもいいと言ったとしても、助けなければならないのである。

僕は二人とも合法的に行ったと思っているが、非合法、つまり密入国の場合はどうだろう。それでも、政府は助けなければならない。助けた上で、法の裁きを受けさせる必要があるからだ。

そもそも、これを自己責任論ということ自体が間違っている。所謂自己責任論は、政府は邦人を助ける責任が無いと論じているのだから、無責任政府論とでも呼ぶべきである。僕はそんな政府は願い下げだ。

もう一つ気になるのが、政府批判を抑える(抑えさせる)風潮である。これが自己責任論以上に理解できない。

政府に対する批判は、政府がその責任と義務を全うしたかを検証することである。この場合は、湯川さんと後藤さんを救出するために全力を尽くしてたかを批判することになる。

批判と誹謗中傷の区別が付かない人が多いのには閉口するが、批判とは、

1.物事に検討を加えて、判定・評価すること。
2. 人の言動・仕事などの誤りや欠点を指摘し、正すべきであるとして論じること。
デジタル大辞泉:コトバンク

という意味で、これから先のことを考えて行われるものである。政府は批判を受けて、問題点を正すなり、反論するなりすべきで、それも責任ある政府の仕事の一つである。

今回の場合、結果的に二人を助けることができなかったのだから、一つも問題がないはずがない。批判が出てくるのは当然で、日本政府はそれに答えなくてはならない。

政府の姿勢は常に検証されるべきで、批判は多ければ多いほどいい。これを、国民自らが抑えこもうとするのは、政府そのものが抑えこもうとするよりも、ずっと気持ち悪い。
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