正直、「今月の総括」に政治の話を書くのは飽きたのだが、今月の二つの問題発言には触れないわけにはいかない。一つは、三原じゅん子議員の「八紘一宇」発言と、安倍首相の「我が軍」発言である。
「八紘一宇」は太平洋戦争中に、他国侵略のスローガンとして用いられた。よもやこの言葉を現職の政治家が言うとは思わなかったが、三原議員は「日本が建国以来、大切にしてきた価値観」だと思っているらしい。
たしかに「八紘一宇」は『日本書紀』に由来しているが、あくまで由来に過ぎず、『日本書紀』に「八紘一宇」という言葉は出てこない。この言葉は『日本書紀』の「兼六合以開都、掩八紘而爲宇」に基づいて、大正時代に田中智學という人が作った造語である。この言葉に価値観を吹き込んだのは田中智學で、たかだか百年程度の歴史しかなく、「日本が建国以来、大切にしてきた価値観」ではない。
そもそも「兼六合以開都、掩八紘而爲宇」は対句になっている。対句は対であることに意味があり、対句の片方を抜き出して言葉を造っていること自体、「八紘一宇」という言葉が、恣意的に作られた、あまり素性のいいものではないことが分かる。
問題は自民党の政治家が、こんな問題のある言葉を、「日本が建国以来、大切にしてきた価値観」だと思い込んでいることだ。当選して5年、一体何を勉強してきたのだろう。
一方、安倍首相は、自衛隊を「我が軍」と表現したが、これは大変な失言である。
日本国憲法九条第二項で「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」とあり、「我が軍」というと自衛隊が「陸海空軍」であることを認めてしまうからである。
実質的に軍であっても、あくまで〈自衛隊は、軍隊ではない〉ということによって、憲法違反ではないとしてきたのである。これを首相が「軍」と言ってしまうと、憲法違反であることを認めたことになる。ならば、自衛隊を廃止しなければならない理屈になる。
自衛隊を違憲と考えてきた人たちは、「軍と名が付いていなくても、『その他の戦力』じゃないか」という論拠を持っていたわけだが、首相自身が軍と認めたのだから、自衛隊の存在は誰もが認める違憲になってしまったのである。
言葉のことを言うと、「言葉狩りではないか」という反論がでる。しかし、政治は言葉が全てだ。八紘一宇発言からは、三原議員が八紘一宇という言葉の本当の歴史を知らないことが伺えるし、我が軍発言からは、安倍首相の憲法を軽んじる姿勢が伺える。
さらに、これらの問題発言に対する批判の少なさは、国民の政治への興味の無さを伺うことができるとも言えるだろう。政治に興味を失った国の政治家としては、あるいはふさわしいのかもしれない。
「八紘一宇」は太平洋戦争中に、他国侵略のスローガンとして用いられた。よもやこの言葉を現職の政治家が言うとは思わなかったが、三原議員は「日本が建国以来、大切にしてきた価値観」だと思っているらしい。
たしかに「八紘一宇」は『日本書紀』に由来しているが、あくまで由来に過ぎず、『日本書紀』に「八紘一宇」という言葉は出てこない。この言葉は『日本書紀』の「兼六合以開都、掩八紘而爲宇」に基づいて、大正時代に田中智學という人が作った造語である。この言葉に価値観を吹き込んだのは田中智學で、たかだか百年程度の歴史しかなく、「日本が建国以来、大切にしてきた価値観」ではない。
そもそも「兼六合以開都、掩八紘而爲宇」は対句になっている。対句は対であることに意味があり、対句の片方を抜き出して言葉を造っていること自体、「八紘一宇」という言葉が、恣意的に作られた、あまり素性のいいものではないことが分かる。
問題は自民党の政治家が、こんな問題のある言葉を、「日本が建国以来、大切にしてきた価値観」だと思い込んでいることだ。当選して5年、一体何を勉強してきたのだろう。
一方、安倍首相は、自衛隊を「我が軍」と表現したが、これは大変な失言である。
日本国憲法九条第二項で「前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。」とあり、「我が軍」というと自衛隊が「陸海空軍」であることを認めてしまうからである。
実質的に軍であっても、あくまで〈自衛隊は、軍隊ではない〉ということによって、憲法違反ではないとしてきたのである。これを首相が「軍」と言ってしまうと、憲法違反であることを認めたことになる。ならば、自衛隊を廃止しなければならない理屈になる。
自衛隊を違憲と考えてきた人たちは、「軍と名が付いていなくても、『その他の戦力』じゃないか」という論拠を持っていたわけだが、首相自身が軍と認めたのだから、自衛隊の存在は誰もが認める違憲になってしまったのである。
言葉のことを言うと、「言葉狩りではないか」という反論がでる。しかし、政治は言葉が全てだ。八紘一宇発言からは、三原議員が八紘一宇という言葉の本当の歴史を知らないことが伺えるし、我が軍発言からは、安倍首相の憲法を軽んじる姿勢が伺える。
さらに、これらの問題発言に対する批判の少なさは、国民の政治への興味の無さを伺うことができるとも言えるだろう。政治に興味を失った国の政治家としては、あるいはふさわしいのかもしれない。