2015年05月

今月は8日でブログの更新が止まっている。これは9日にある事件が起きたからである。

僕の家と祖母の家は近く、歩いて10分程度である。そこで、2日に1回程度、夜10時頃訪問していた。祖母は96歳。身の回りのことは何でもできたのだが、今年になってからいろいろ不安を訴えていたので、行かない日には電話をしていた。

しかし、8日の金曜日はなぜか電話をしなかった。ちょっと寝てしまって、気がついたら11時回っていたのである。そして9日土曜日の夜、祖母の家へ向かった。

いつものように、合鍵を使って中に入ると、ちょっと部屋の様子がおかしい。まず、祖母が部屋にいない。それだけなら、たまたま風呂に入っているとか、トイレにいるだけかもしれないが、テーブルの上に食べ物などが乗っている。いつも僕が行く時間帯は机の上はきれいに片付けられているのである。とっさにこれはおかしいと思った。

ご丁寧に隣の部屋とを仕切る引き戸は閉まっている。引き戸の向こうの電気は点いていないばかりか、人のいる気配がない。間違いであってほしいと思う反面、祖母が血まみれで倒れているかもしれないという不安にかられながら、ゆっくり引き戸を開けようとすると、妙な手応えがしてスムーズにあかない。注意深く開けると、足元に祖母が倒れていた。

軽く頬を叩くと、祖母は目を覚ました。「おばあちゃん!どうした!大丈夫?」と声をかけると、祖母はなにやらしゃべろうとするが、ろれつが回らずよく聞き取れない。目もうつろだ。とりあえず、意識があることに安堵したが、とっさに脳梗塞を疑った。

「どこか痛いとこはない?」と聞くと、首を横に振る。「救急車呼ぶよ、いいね!」と言って、床に寝かせたまま、祖母の頭上にある電話から119番通報した。これはあとで分かったことだが、どうやら自分で通報しようとして、力尽きてしまったらしい。

通報後、長い長い数分間(よく覚えていない)が過ぎ、やっと救急車が来て、近くの病院に向かった。到着後、すぐにMRIを撮った結果、予想通り脳梗塞だった。手続きを済ませ、病院から帰った時、すでに午前1時を回っていた。

テーブルの上の様子から、食事の直後倒れたらしい。これが夕食だとすると4時間、朝食なら13時間あまり倒れていたことになる。当日の朝刊がテーブルの上にあったので、8日ではない。いずれにしても長い時間である。冬じゃなかったのがせめてもの救いだが、もっと早く行けばよかった。

入院して最初の一週間はどうなるかと思ったが、病状は安定してきた。半身不随でしゃべることもできないが、こちらの言っていることはよく理解できているようだ。リハビリも毎日がんばっているらしい。なにしろ高齢にも程があるので、完治するとは考えにくいが、できる限りのことはしてあげたいと思っている。
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いままで、MEYERのテフロン加工(フッ素樹脂加工)のフライパンを使っていたのだが、まだ3年ほどしか経っていないにも関わらず、料理が張り付くようになってしまった。いろいろ調べてみると、テフロン加工というのはそういうものらしい。

こうなると、どうにもならない。テフロン加工は油の馴染みが悪いので、油を多めにしてもダメ。洗っても、こすってもどうにもならない。再加工もできるが、新しいフライパンがもう一つ買える金額だ。

大事に使えばもう少し寿命は伸びるそうだが、使った後鍋の手入れを大事にするのは納得がいくが、料理を作る時に丁寧に扱うのは納得いかない。それより前に買った山田工業所の中華鍋(中華鍋の作法:2012年03月10日参照)は、どんなに手荒に扱っても、悪くなっていない。それどころか、ますますこびりつきにくくなっている。テフロン加工の焦げない・張り付かないのは魅力だが、やはり手に馴染んだ調理器具は長く使いたいものだ。

というわけで、別のものを買いにホームセンターを歩いていたら、真っ白なフライパンが目に入った。京セラ謹製、セラブリッドというらしい。金属ヘラも使えると書いてある。

テフロン加工は黒いが、これはセラミック加工で、それを誇示するかのように真っ白。写真だと、琺瑯みたいにみえるが、ちょっとラメが入っていて安っぽくはない。
内側

外側はこんな感じ。アルミとセラミックのハイブリッドとのことだが、IHでも使えるようになっている。
外側


さて、焼き餃子と目玉焼きを作ってみた。

材質の感じがテフロン加工と違い、つるっとしているので、本当に張り付かないのか、やや不安があったが、たしかに張り付かない。しかし、テフロン加工のように油ナシというわけにはいかず、油を薄く引かなくてはならない(説明書にも書いてある)。ダイエットのために油抜き料理をつくるには向かないが、油を弾いてしまうテフロン加工と違い、きれいに油が引けるので、ちゃんと油を使った料理をつくるにはこっちの方がいいだろう。

熱伝導率が高いので、強火で使わないようにと説明書にあるが、前に使っていたMEYERのものよりは早く暖まるが、山田工業所の鉄鍋ほどではない。逆に予熱は鉄鍋よりは長く持つようで、最初は強火で温め、すぐに中火以下にするのがいいらしい。

総じて、使い勝手は鉄鍋とテフロン加工の中間にあるように感じた。なお、詳しい使い方はメーカーサイトをどうぞ。

セラブリッドフライパンの特長:京セラ
フライパンの取り扱いについて:京セラ

さて、問題は色だが、白いフライパンは慣れていないので、なんとも珍妙な感じがする。「油ってこんな色してたっけ」ってな感じである。やはり汚れは目立つ。目玉焼きを作った直後はこんな感じになる。
調理後

この汚れは簡単に落ちる。なんだか汚く見えるが、逆に、どこが汚れているかすぐに分かるから、洗いやすいともいえる。なお、仮に焦がしてしまっても、強いのでメラミンタワシ(激落ちくんとか)でゴリゴリこすっても大丈夫だそうだ。

というか、テフロン加工のも激落ちくんでゴリゴリこすってたよ・・・。

問題はセラミック加工がいつまで持つかだが、こればっかりは使い続けなければ分からない。というわけで、次のレポートは三年後になります。

<2016/05/10追記>
一年後のレポート。タイトルでも分かる通り、あまりかんばしくないので、オススメしません。
セラブリッドフライパンはダメかもしれない:2016年05月10日
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この時期、僕の担当する書道の授業では、筆の持ち方から始めるのだが、年々詳しく説明するようになっている。小学校・中学校で毛筆のあ使い方をやらないからである。もっとも、筆の持ち方なんて、書道塾でも「考えるな感じろ」式が多いから、正しい持ち方になるのには結構時間がかかるものだ。

書道に限らないが、技術を伝えるのに「考えるな感じろ(Don't think. Feel!)」とか、「俺の技術を盗め」になってしまうのは、技術に熟練した人のやり方を参考にするからである。熟練した人は、すでにいろいろな技術を持っている。その中には、初心者は学ばなくていい部分がたくさんある。

ところが、初心者はどこを学ばなければいけないかさえ分からない。だから、どうでもいいところや、初心者には難しい所ばかり学んでしまい、一番大事なところがどこか分からない。

逆に、熟練した人にとっては、基本的なところはあまりに当たり前になっているので、教えようとしない。基本的でないところは、言葉に表すのが難しいから、つい「考えるな、感じろ」になってしまうのである。

書道の場合、筆使いの基本中の基本は「筆を(垂直に)立てる」という、ただ一点である。

筆を立てて書くのには、理由がある。筆を傾けると、太い線と細い線の二種類の線しか書けない。立てると、筆の押し付け方によって、線の太さを自在に変化させることができる。線の太さの変化が、無限の表現につながる。これが書道をいう芸術である。

筆を立てて書くには、(大筆の場合)肘を机についてはいけない。肘を机に付けると、筆の動く範囲が小さくなり、どうしても筆が傾いてしまう。同様に、手首を使ってはいけない。手首を使うと、筆を傾けることになる。

しかし、実際に上手い人が書いているのを見ると、常に筆が垂直ではなく、いずれかの方向に微妙に振れている。手首も微妙に使っている。筆を立てて書くという基本を知らない人は、これを真似してしまうので、技術が向上しない。

上手い人は、どちらに傾ければいいか感覚的に分かっているから、筆の動きに従って、自在に筆を動かしているのである。しかし、どこでどう傾ければいいかを言葉で説明するのは難しい。だから、「考えるな感じろ」になり、それを真似する初心者の上達が遅くなる。

初心者は筆の傾け方など学ぶ必要がない。ただ一点、筆を立てることだけを頭に入れておく。やってみると意外にこれが難しいということが分かるはずだ。しかし、そこを乗り越えれば、自然に傾ける方向も分かるようになる。上手い人の書き方を参考にできるのは、そこからである。

どんな技術であれ、技術を伝える人は、デモンストレーションをすれば、同じことをやってくれると思ってはいけない。初心者は、真似しなくていいところを真似し、真似すべきところを真似しないものなのだ。
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去年からポチポチと入力していた『今昔物語集』が、本朝世俗部まで完了しました。

攷証今昔物語集(本文):やたナビTEXT

『今昔物語集』はインド説話を集めた天竺部(巻1〜5)、中国説話を集めた震旦部(巻6〜10)と、日本の説話を集めた本朝部(巻11〜31)の三部に分けられ、本朝部をさらに巻11〜20の本朝仏法部、巻21以降(ただし、巻21は欠巻)の本朝世俗部に分けられます。全体の細かい分類は今昔物語集:りぞうむ文学辞典をごらんください。

本朝世俗部は、『今昔物語集』の一番面白い部分だと思います。『今昔物語集』を元ネタにした芥川龍之介も、ほとんどの素材をここから取っています。

実は、今回電子テキストを作るまで、『今昔物語集』は説話の数はすごいけど、文学性はあまり高くないと思い込んでいました。

しかし、初めて読んだ時にはつまらないと思った説話でも、深く読んでみると意外な面白さがあり、とっつきにくい独特の文体(実はこれが一番嫌いだったのですが)も、高い表現力を生んでいることが分かり、今までまるで読めていなかったことを反省させられました。

『今昔物語集』の文章は、とにかく異体字が多く、これをどう処理するかはかなり難しい問題です。異体字というのは、漢字の字形の違いに過ぎず、基本的にすべて等価です。例えば「聡」「聰」「聦」は字形は違いますがすべて同じ字です。仮に原本に違う字が用いられていても統一することができます。

しかし、使い分けられているものもあります。例えば、「並」「并」は異体字として扱われますが、「並」は「ならぶ」とか「ならべる」など、ずらっと並んでいる意味で使われるのに対し、「并」は「○○ならびに××」のように、二つ以上の事柄を列挙するときに使われています。これを置きかえるわけにはいきません。

このような明解な例以外にも、使い分けを疑われる異体字が散見されるので、うかつに統一できません。とはいえ、すべてありのままにすると、「殺」はすべて「煞」に、「臭」は「臰」になってしまい、ただでさえ読みにくいのが一層読みにくく、検索にも支障をきたします。

現状では、確実に使い分けされていないものは、なるべく通行の字体になるようにして、ちょっとでも疑わしいものは、底本どおりの異体字を使っています。Unicodeのおかげで、コンピュータ上で表現できない字はあまりありませんが、それでも存在しない字は別の字(または平仮名)を入れた後、注を付けています。

かなり考えてやっているつもりですが、まだ恣意的に見えるところもあると思います。漢字の問題は、すべて入力してから、少しずつ直すつもりです。

また、『今昔物語集』全体をとりあえず電子化するのを目標にしているので、校正していません。入力間違いなどもあるかもしれません。印刷された本とは違い、間違いはすぐに直せるのが電子テキストの利点ですので、疑問があれば遠慮なくご指摘ください。

続けて本朝仏法部を入力していきますので、今後とも宜しくおねがいします。
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