2015年07月

今日で今年のブログ強化月間も終わり。ご苦労様でした、オレ。

今年は比較的書きやすかった。先月まで、あまり書けなくてネタがあったのと、安保法案反対デモがネタを供給してくれたからである。

正直、デモがあんなに盛り上がるとは思っていなかった。そのデモを若い人たちが主導していることはもっと予想外だった。

以前から指摘しているが、今の若い人たち(主に20代以下)の価値観は、僕達には想像できないほど多様化している。価値観が多様化しているから、何かが爆発的に流行るということがない。それ以上に重要なことは、彼らが違う価値観の人とも共存できるということでもある。

逆に言うと、ある程度価値観の統一が必要な政治的運動は、若者発ではもう起こらないのだと思っていた。ところが、そうじゃなかった。価値観が多様化していると気づいていた僕も、その行く末を見誤っていたのである。まったく自分の不明を恥じるばかりである。

おそらく、彼らは安倍政権特有の、価値観の押し付けに不快さを感じていたのだろう。それが、たまたま法案反対に出たのである。「価値観を押し付けるな」というのもイデオロギーの一つとも言えるかもしれないが、少なくとも、保守とか革新とか、右翼とか左翼という従来のイデオロギーとは全然違うものである。

それがオッサン・オバハンには理解できない。オッサンやオバハンにとって、価値観とは、他人と合わせるものか、合わなければ隠すものだったからだ。多様な価値観があって、それが共存できるということ自体が理解できないのである。理解できないから不安になる。

だから、あれはサヨクだ、民青だ、中核派だと、加齢臭まみれのトンチンカンなケチをつける。それも、民青だの中核派だのが全盛期だった時代を知らない人たちが言うものだから、〈中国から金をもらって、民青と中核派が共闘する〉というような噴飯もののケチの付け方しかできない。

「デモなんかに参加する学生は企業が取らない」というのも、実に加齢臭にまみれた不細工なおためごかしだ。こういうことは、せいぜい自分の息子・娘レベルに小声で言うことで、公言したら恥ずかしいことなのだが、これを堂々と言わざるを得ないほど、オッサンたちは困惑しているのである。

しかし、若者の多様な価値観を理解していないのは、何も安倍政権支持派だけではないように思う。いかなる形であれ、この問題が収束したときには、逆に反安倍政権のオッサンたちは困惑することになるだろう。

いずれにしても、多様な価値観があって、それが共存する社会は健全な社会である。僕はその点で、今の若い人たちに期待をしている。

ただ一つだけ、僕が彼らに望むことは・・・続きを読む

去年の夏に行ったトルコは、自然も文化も驚異的だったが、もっと驚いたのは、トルコ商人の商売の上手さである。遊牧民の末裔だからか、はたまた、アジアとヨーロッパの交差点だからか知らないが、商売とは何かということが分かったような気がする。商売人じゃないけど。

商売というものは、売り手と買い手が交渉して値段を決めることである。そこには、多分に心理が影響する。簡単に言ってしまえば、買い手が不快感を催せば財布の紐は締まるし、そうでなければ緩む。

トルコ商人はここが恐ろしくうまい。物を売るということは、買い手から金を取ることだから、どうしても買い手の心理は不快の方向、つまり財布を締める方向へ向いがちだ。ところが、トルコ商人は、絶対に不快感を味あわせない。よほど勉強しているのだろう。

だいたい、どこの店にいってもお茶(チャイという)が出てくる。お茶を飲んでいる最中は世間話しかしない。決して急かさないし、お茶を飲んでいる最中に、しつこく売り込んでくることもない。特に買うものがなくって、何も買わないで出てきても、決してイヤな顔をしない。ニコニコ笑いならが「またきてくださいねー」とか言っている。買わないで店を出た後のイヤな感じが全くない。

絨毯屋商品に、ダメそうなものがないのもすごい。「浅草に来ました」と書いてあるTシャツとか、金色のプラスチックでできた東京タワーとか、そういうアホグッズがない。あるのは手作りの工芸品ばかりである。中には、「実は中国製」というお約束もあるらしいが、一見して安っぽい、いかにもおみやげ用に作られたものがない。

個人的にはアホグッズが好きなので、それが買えないのは非常に残念なのだが、あれがあると店が安っぽく見える。本当に高いものまで安く見え、引いてはその店だけでなく、その土地で売っている物全体が安っぽく見えてしまう。

もちろん、しゃべりも上手い。最新の日本語のギャグやジョークなどもよく勉強している。どうも、店によって担当国が決まっているらしく、英語が得意な人は英語圏の人を、ロシア語が得意な人はロシア人を、日本語が得意な人は日本人を相手にするらしい。こちらからみれば、日本語ができる人ばかり相手になるので、ついトルコ人は日本語がうまいと思ってしまうが、そういうわけではない。

本当に売り方がうまいなと思ったのは、値切った時である。

「お客さん、日本人でしょ。」
「ああ、そうですよ。」
「日本人は値切らない。お客さんが中国人だったら、値切るから、最初から高い値段をいいました。私、日本人だと思ったから、一番安い値段を言ってます。これ以上まけられない。」

これには関心した。日本人のプライドをくすぐる上手いやり方だ。僕はそんなものないので、さらに値切ってやろうかと思ったが、店員さんに敬意を表してここでやめた。

別の店では、僕が値切ろうとすると、「ダンナさん、こっち来て」と僕だけを店の片隅に呼び、こっそりこれを手渡してきた。ちょうど握れる大きさのビンである。
怪しい薬

何の薬かは、ラベルを見れば一目瞭然。薄めて飲むらしいが、一年たった今も、試していない。
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安保法制反対派に対し「反対なら対案を出せ」という人がいる。反対派は「現行の法規でいい」と言っているのだから、そもそも対案なんか出す必要ないのだが、画期的な対案を思いついたので披露する。

今、安保法制に賛成している人の多くは、外国の武力攻撃を恐れている。それが近づいていると思っているから、「憲法解釈なんかどうでもいいから、とにかく抑止力が欲しい」というのだろう。

僕は、現状では日本に戦争を仕掛けてくる国はまず無いと考えている。それは日本が腐っても経済大国だからである。世界中の経済が密接に繋がっている今、世界経済で重要な位置を占める日本を攻撃することは、自国の首を締めることにしかならない。そんなアホなことをする国はない。

しかし、これは「現状では」である。今後ジリ貧になればどうなるかわからない。それなら、軍事をどうこうよりも、日本の世界における経済的地位をより大きくし続けるすることが最大の抑止力になる。どうすればいいか。

ここからが「対案」だ。

まず、とりあえず安保法制はあっさり廃案にする。

ここまで株価が上がったのは、アベノミクスの効果である。もし安倍政権が倒れることがあれば、アベノミクスの続行は不可能になり、株価も景気も下がってしまう。安倍政権の支持率が下がっている理由は安保法制なのだから、これを廃案にすれば政権の支持率は上がる。アベノミクスの長期続行が見込まれ、投資家の安心感につながる。その上、余計なことを気にしなくてよくなるから、安倍首相は経済対策に本腰を入れられる。株価はさらに上がるだろう。いいことづくめである。

同時に、安倍首相は「日本は絶対に他国の戦争に関与しない」と宣言する。

市場は平和を好む。戦争が始まると、株価が下がり金価格が上がるのは、平和でなくなると、リスクのある金融資産を嫌い、実物資産を持とうとするからだ。日本が絶対に他国の戦争に関与しないことを保証すれば、日本の経済的地位は高まり、世界中から金(かね)が集まる。世界中から集まる金は人質みたいなものである。これほどの抑止力はない。

また、市場は差別を嫌う。これはお金の本質が、差別を嫌うものだからである。100円持っていれば、誰でも同じものが買えるのがお金の最大の特徴だ。もし、同じ100円でも、何人にはアレが買えるが、何人には売らないとなれば、そのぶん市場の信用は下がるのである。

そこでレイシストを一掃する。何も殺せなどと物騒なことを言うつもりはない。ヘイトスピーチを法律で禁止し、程度の甚だしい者には監獄に入っていただけばいい。要は差別に対して日本は寛容でないということを世界に示せばいいのである。

こうして日本が今以上に世界経済に重要な位置を占めれば、日本が攻撃される憂いなどなくなる。金持ち喧嘩せずというやつだ。もっとも、この方法はテロには役に立たないが、それは安保法制も同じことである。

普段、高校生の字を見ていると、活字の影響が強いことに気づく。活字体と筆写体(活字体と筆写体:2012年02月16日参照)という単純な字形の違いだけではない。

例えば、彼らには行書が美しく見えない。活字の明朝体やゴシック体には筆脈(筆脈を読む・書く:2011年10月24日参照)の概念がないからである。だから、なぐり書きと行書、草書の区別が付かない。

漢字の方はカッチリと楷書で書けばごまかせるが、ひらがなは元が草書だけに、ごまかしが効かない。ひどい生徒だと、まるで外国人が見様見真似で書いたような字を書く。

さて、僕はここで、高校生の字の批評をしたいのではない。読むという点でいえば、現代人はみな活字の影響を強く受けているといいたいのである。

たしかに、今の高校生は、僕達の世代よりも手書きの字をあまり見なくなっている。しかし、手書きの文字よりも活字の文字の方が見慣れているというのは、決して今に始まったことではない。活字が普及しだした明治以降、ずっとそうだったのではないだろうか。ワープロが普及するまでは、まだ手書きの字は健在だったから、書く方は手書きの字が書ける。だが読むのはやはり活字の方が中心だったはずだ。

仮名で書かれた文学テキストは、近代以前は、連綿(数文字つなげて書くこと)で書かれていた。嵯峨本のような木活字で印刷されたものでさえ、わざわざ数文字まとめて作られている。近代以前の人たちにとって、平仮名を読むということは、つながっている連続した文字を読むものだったのである。

鉛活字が普及して以降、平仮名はバラバラに切り離され、文字単位で読むものになった。現代人はこの感覚だから、一文字一文字の正確性にこだわるが、近代以前の文書を相手にするかぎり、それはあまり意味のあることではない。

活字登場以前の文書を読めるようになりたい人は、一文字づつ、「これは〈い〉で、これは〈ろ〉で・・・」と学ぶべきではない。イメージとしては、つながっていて一つの字と考え、活字本と照らしあわせて、なるべく沢山の文章を読むことが肝要である。できれば、筆を持って実際に書くとより早く読めるようになる。

僕はいくら書いてもさっぱり仮名が上手くならなかったが、おかげで読むことはできるようになった。

またぞろ喉が痛くなってきて、咳が出だした。どう考えても、今月の初めにかかった溶連菌(また溶連菌にやられました:2015年07月02日参照)と無関係には思えない。

というわけで、病院に行ってきた。

前回は、ちゃんと決められた期間抗生物質を飲んだので、溶連菌の可能性は少ないという。今回は、症状が似ているが、咳が出るので、あるいは百日咳かもしれないそうだ。

百日咳:Wikipedia

これは溶連菌のような検査キットはなく、血液検査をしなければならないということで、とりあえず血を抜いて、結果が出るのは5日後だという。

もちろん、溶連菌と無関係ではなく、同時にかかっていて、溶連菌を倒すために飲んだ抗生物質が効いて、一時的になりを潜めていたのが、百日咳菌だけ復活したのではないかという。言われてみると、溶連菌が治る直前に、呼吸が苦しくなるほどの咳が何度か出ていた。溶連菌感染真っ最中のときは、ほとんで咳がでなかったから変だなとは思ったが、アレが百日咳だったのかもしれない。

それにしても、夏に咳が出るのは初めてのことである。これは冬以上につらい。ただでさえ暑くて不快なのに、そこに喉の不快さと咳による体力消耗が加わる。ただでさえヤル気が出ないのに、ますます出なくなる。

というわけで、また、薬を食うほどもらってきた。
今週のお薬

上の3つがフスコデ。今まで何回も飲んだことがある咳止めだが、一度に3つ飲むのは初めてだ。
ジェニナックが抗生物質。これは前回と同じ。
ジェニナックの右にあるピンク色のが、ご存知ロキソニンのジェネリック。もはや「とりあえずロキソニン」の感があるな。
左の上が、ロキソとセット運用される胃薬。レパミド。
その下の楕円形のが、痰を切るカルボシステイン。イスラエルのテバ製薬製サンダルメーカーとはたぶん無関係。
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24日のデモに行ってきた(その1)の続き。

官邸前に行くのはあきらめ、先週(17日の国会議事堂前デモに行ってきた)と同じ、国会議事堂前に向かった。

最初に言っておくと、これはもうちょっとまずい域に来ている。デモ参加者の数に対し、場所が狭すぎるのである。早く国会議事堂前の車道を開放しないと、大変なことになるかもしれない。

位置関係を知るために、もう一度前回の地図をご覧頂きたい。
地図

議事堂前のデモは、議事堂正面に沿った道路と、議事堂から皇居方面に伸びる道路の歩道で行われている。今回の様子はこんな感じである。
国会前デモ

国会前デモ2

これが議事堂前の道の両端の歩道を埋め尽くしている。前回よりずっと人が多いので、かなり暑苦しい。戻る道も、前回は歩道の1/3を使っていたが、今回は歩道と警察車両の間を人一人がやっと通れるぐらいしかない。
帰り道

ところが、中央分離帯に立って車道を見ると、まるで何事もないかのようだ。左右に路駐してあるように見えるのは警察車両で、その向こうにデモの参加者がいるのである。
国会議事堂

この議事堂から皇居へ伸びる道路は、交通的に大きな意味はないのは、地図をご覧いただければ分かるだろう。実際、上の写真でもほとんど車が走っていない。

ならば、ここの前後を封鎖して、この道路をデモ会場にすればいいのである。そうすれば、左右をガードする警察車両も人も必要なくなり、ずっと人員を削減できるし、参加者にとっても安全である。歩道に閉じ込められたまま参加者が増えれば、熱中症などで倒れる人も出てくるかもしれないし、いずれは決壊して車道に出て交通事故にあう危険性もある。さっさと道路を開放しなければ、危険である。

実は上の国会議事堂の写真は、警察の制止を無視して(というか気づかなかった)撮った写真である。こんなつまらない写真を取るのにさえ制止されるのは、警察が横断歩道の途中で止まらないようにしているからだ。

次の写真は、何らかの理由で、信号が青になったにも関わらず、なぜか通していないの図。理由は不明。
青になったのに通さない警察

逆に、赤になっても渡りきっていない場合は、中央分離帯で待つのが普通だが、途中で立ち止まるのを許さず無理やり渡らせる。
赤になったのに通す警察

道路の向こうには佃煮にできるぐらいの警察官。
警察軍団

帰り際、大変嫌な光景を見た。

警察官の一人が、動画を撮っている人に手を出していた。これは許されない行為である。僕は持っているカメラで撮影をした。さすがにヤバイと思ったのか、その警察官は手を出すのを止めた。
警察官と動画撮影者

この時は、彼がなぜ動画を撮影しているのか分らなかったが、よく見たら警察官たちがデモに参加するのを妨害している。その証拠を撮ろうとしていたらしい。

具体的にいうと、道路を渡り終わった後、警察官たちが左側(上の地図でいうSEALDs側と書いてある所)に行かせないようにしていたのである。これはデモに参加させないための妨害としか言いようがない。

警察官の一人に抗議すると、「そっちはいっぱいだから止めています」などという。僕は「そっち」から来たので、十分入れる余地があるのは知っている。だから、「オレはそっちから来た。十分入れるだろ。」と言うと、警察官は僕の質問には答えず逃げて行った。

もう一度言うが、こんなに警察官を動員しなくても、国会議事堂前の道路を開放すればいいのである。おそらく、デモの参加者数を少なく見せたいという政府側のオーダーがあるのだろうが、警視庁には首都の治安を守るという、もっと大事な仕事があるはずだ。こんな意味のないことに警察のリソースを使うべきではない。

今のデモはどう見ても暴動になるようなものではない。こんなくだらない警備はやめて、首都東京の本当の治安を守る仕事をしてほしいと、都民の一人として切に願っている。

先週(17日の国会議事堂前デモに行ってきた:2015年07月18日)に引き続き、今週も、デモに行ってきた。

この日は、18:30から日比谷野外音楽堂で大集会があったのだが、満員で入れず。
日比谷公園

日比谷公園にいてもしょうがないから、霞ヶ関方面へ向かった。
日比谷公園から霞ヶ関へ

今回は官邸前へ行こうと思ったら、「頑張れ日本」が頑張ってた。
頑張れ日本のデモ

同じ場所でデモを企画していた人たち(いつも金曜日にやっている脱元発運動の人たちらしい)が、警察に止められてクレームをつけている。
警察と脱原発運動の人

官邸前に行く人たちは、「頑張れ・・・」が終わるのを待って長い行列ができていた。
官邸前へ行く人たち

僕もこのまま官邸前に行くつもりだったが、時間がかかりそうなので、前回と同じ国会前へ行ってみた。

ここまでもすごかったが、国会前は警官の人数が尋常ではない。僕は、この近くの大学に10年も通っていたので、外国の要人が来るとか、右翼の街宣とか、天皇崩御とか、警官がたくさんいるのは見慣れた光景だが、一ヶ所にこれだけ動員されたのは覚えがない。

今のデモは穏便に行われているので、はっきり言ってリソースの無駄遣いである。なぜ、こんなに警察が必要なのか。次のエントリでは、そこに注目しつつ、僕の見た国会デモについて書いてみたい。

【追記】
書きました。
24日のデモに行ってきた(その2):2015年07月26日

コーランの最古写本が発見されたそうだ。

コーラン 世界最古の写本か 英で発見:NHKニュース
イスラム教の聖典コーランの世界で最も古い写本の1つが見つかったと、イギリスの大学が発表し、コーランが文書にまとめられた当時の経緯などを知るうえで貴重な史料になるなどとして注目を集めています。
見つかったのはイスラム教の聖典コーランの一部の章が古いアラビア文字で書き込まれた写本です。
イギリス中部のバーミンガム大学が保管していたもので、大学はコーランが書き込まれた動物の皮を科学的な年代測定法を使って詳しく調べました。その結果、西暦568年から645年のものだと分かり、大学は現存する最も古い写本の1つだとしています。

ムハンマドの没年が632年とされているので、ムハンマドがまだ生きている間か、没後すぐの写本ということになる。一部とはいえ、大変な発見である。

イスラム教やキリスト教にとって、聖典は「神の言葉が書かれたもの」である。だから、〈正しい本文〉が重要になってくる。

新約聖書の原典は古代ギリシア語で書かれている。これは、かつて東アジアで漢文がそうであったように、当時の地中海世界ではギリシア語が共通語だったからである。ところが、キリストはギリシア語を喋っていない。キリストの喋った〈正しい本文〉はどこにもないので、それを探るための文献学や書誌学が発達した。

コーランはムハンマドの使っていたアラビア語で書かれているが、原則的に翻訳は禁止されている。〈正しい本文〉を巡って、解釈が対立することがないようにしたのだろう。最初から翻訳だった新約聖書とは対照的である。

聖書やコーランは神の言葉である。神は迷いもしないし間違えることもないから、唯一の正しい本文の存在を想定することができる。しかし、文学が対象にするテキストはどうだろうか。

文学作品の作者は人間である。人間である以上、作者自身に迷いがあるし、間違えることもある。してみると、文学の〈正しい本文〉を探ることは、聖書やコーランでいう〈正しい本文〉とは全く意味が違ってくる。

もちろん、校訂者が恣意的に本文を作ってしまっていいというわけではない。だが、〈正しい本文〉に必要以上にとらわれること、もあまり意味がないのではないだろうか。

【2015/07/29追記】
コーランの記事はこちらの方が詳しい。
世界最古のコーランを発見、英大学が発表:ナショナルジオグラフィック日本版
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以前、僕がGoogleMapの撮影車に出会ったけど、まだ反映されていなくて、悔しいので別のところを見たら、祖母が家の前で掃除しているところを写されていたという話を書いた。

Googleストリートビューデビュー:2015年03月28日

祖母は5月の初めに脳梗塞で倒れ、一時はどうなることかと思ったが、現在は病院を移って療養中である。かなり良くなったが、ほぼ寝たきりになってしまったので、今となってはこの写真は大変貴重なものとなった。

さて、ブログのネタを考えている最中、もう一度見てみた。あ、いた!この猫背と、昔の不良みたいなかばんの持ち方は、紛れもなく僕だ。
https://goo.gl/maps/Z3aPa
後ろ姿

ついに人と生まれたからには誰もが一度は写りたいと思う、Googleストリートビューデビューを果たすことができた。バンザイ!

この後ろ姿は、Googleの車に抜かれる直前なので、僕はまだ気づいていない。ご覧の通り、あまり車の走らない道で、エンジン音のしないプリウスだから、すぐ隣に来るまで車が来ていることにすら気づかなかったのだ。

狭い道路をゆっくり走っているので、追いぬかれた瞬間ボディのGogleMapロゴに気がついた。マスクをしているのは、これを撮られたのが3月で、花粉症だからである。
追いぬかれて早足になる

乗るしかない。このビッグウェーブに!僕は、少しでも長く写るために早足になった。
追いかける

もう追いつけない。まあ、このぐらいで勘弁してやるか。
もう追いつけない

というわけで、祖母には遅れたが、ついに僕もビッグウェーブに乗ることができたのだった。

夏休みである。夏休みといえば、なんといっても彫刻鑑賞である。異論は認めない。

彫刻といえば箱根の彫刻の森美術館だが、箱根は「噴火だが噴火の表現適切でない」(朝日新聞デジタル)という禅問答みたいな状態だから、できれば避けたい。それでも、夏休みだから彫刻を鑑賞したい。そんなあなたに、東京は目黒区にある長泉院附属現代彫刻美術館をオススメする。

現代彫刻美術館(長泉院附属現代彫刻美術館):Facebook


場所は目黒区のど真ん中、住宅地の中にある。しかし、侮ってはいけない。屋外展示場が4つもあり、ちょっとした美術館もある。
現代彫刻美術館略図

ちなみに、長泉院とは宝暦11年(1761)草創の浄土宗のお寺である。現在はモダンな建物になっているが、ここはかつて『ひかりごけ』で知られる小説家の武田泰淳が養子に入った家で、住職を務めたこともあるという。

野外展示はこんな感じ。すぐ近くに民家が迫っているのがグッとくる。
野外会場1

お寺に一番近い展示場には裸婦像が多いのだが、バックが生活感丸出しで、なんともはや生々しい。この感じは絶対に箱根では味わえまい。
裸婦像

ド迫力の堀進二作『人海』。昭和35年度日本芸術院賞受賞作品だそうだ。
人海

こんな可愛いのもある。田中毅作『波に乗れ』『雲に乗れ』。どっちがどっちかは見れば分かるだろう。
波に乗れ雲に乗れ


ヘンな墓石だなとおもったら、本館の定礎だった。
定礎

個人的にグッときたのが、これ。青野セクウォイア作『Brief Moment』。
BriefMoment

Brief Momentというのは「一瞬」という意味らしいが、僕は五行山に閉じ込められた孫悟空かと思った。あ、500年もあっという間って意味か。多分違うな。

手すりに寄っかかってたら、なんか背中に当たるのでよく見たらこれも彫刻。様々な人々を表現したものらしい。
手すりかと思ったら彫刻

背景の悪さをちょっと貶してしまったが、高台にあるので、眺めはけっこういい。と、思ったけど、後から写真見たら電線がすごいな〜。
目黒の街並
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