『今昔物語集』巻14 弘法大師挑修円僧都語 第四十が怖すぎる。
登場人物は、弘法大師空海と、山階寺の修円僧都である。二人はともに嵯峨天皇の護持僧だった。
法力で生栗を煮るという、凄いのか凄くないのかよく分からん技(しかも普通に煮るより美味い)で、修円が天皇の心をつかむと、弘法大師、これに嫉妬したのか、陰に隠れて法力で妨害した。
修円がいくら祈っても、栗はさっぱり煮えず生のまま。「どうもおかしい」と思ったら、空海登場。
「コイツの仕業か!」
ここから、二人の関係は悪化した。悪化したなんて生易しいものではない。その部分は直接『今昔物語集』の原文を読んでいただいた方が伝わるだろう。
「互に死々と呪詛しけり」である。仏教には不殺生戒(生き物を殺してはいけない)という戒律があるはずだが、そんなのはお構いなし。なにしろ、法力で生栗を煮ることができる僧と、法力でそれを妨害できる僧の対決である。なかなか決着がつかない。
一計を案じた空海、弟子を市に行かせ、葬送の道具を買わせる。そのとき、弟子に「空海僧都はお亡くなりになりましたので、葬送の道具を買います」と言わせた。不妄語戒(嘘をついてはいけない)ってのもあるんですけど・・・。
市でそれを聞いた修円の弟子は、空海の死を報告した。報告を聞いて喜んだ修円、呪詛が効いたと思い込み、祈祷を止めてしまう。
一方、弘法大師は、修円のもとにスパイを送り、祈祷を終えたかどうか確認させる。この周到さが実にイヤらしく、弟子の報告だけで空海の死を信じた修円とは対照的である。
祈祷が終わったことを確認すると、空海はいつも以上に気合を入れて祈祷し、修円はあっさり死んでしまった。もう法力も何もあったもんじゃない。知恵比べと周到な確認で、弘法大師が勝った、いや、ブチ殺したのである。
この後、実は修円は軍荼利明王だったとか、言い訳臭い話が続くのだが、問題はなぜこれほどの高僧が殺しあわなければならなかったかである。『今昔物語集』には次のように書かれている。
わけわかんね。
登場人物は、弘法大師空海と、山階寺の修円僧都である。二人はともに嵯峨天皇の護持僧だった。
法力で生栗を煮るという、凄いのか凄くないのかよく分からん技(しかも普通に煮るより美味い)で、修円が天皇の心をつかむと、弘法大師、これに嫉妬したのか、陰に隠れて法力で妨害した。
修円がいくら祈っても、栗はさっぱり煮えず生のまま。「どうもおかしい」と思ったら、空海登場。
「コイツの仕業か!」
ここから、二人の関係は悪化した。悪化したなんて生易しいものではない。その部分は直接『今昔物語集』の原文を読んでいただいた方が伝わるだろう。
其の後、二人の僧都、極て中悪く成て、互に死々(しねしね)と呪詛しけり。此の祈は、互に止めてむとてなむ、延べつつ行ひける。
「互に死々と呪詛しけり」である。仏教には不殺生戒(生き物を殺してはいけない)という戒律があるはずだが、そんなのはお構いなし。なにしろ、法力で生栗を煮ることができる僧と、法力でそれを妨害できる僧の対決である。なかなか決着がつかない。
一計を案じた空海、弟子を市に行かせ、葬送の道具を買わせる。そのとき、弟子に「空海僧都はお亡くなりになりましたので、葬送の道具を買います」と言わせた。不妄語戒(嘘をついてはいけない)ってのもあるんですけど・・・。
市でそれを聞いた修円の弟子は、空海の死を報告した。報告を聞いて喜んだ修円、呪詛が効いたと思い込み、祈祷を止めてしまう。
一方、弘法大師は、修円のもとにスパイを送り、祈祷を終えたかどうか確認させる。この周到さが実にイヤらしく、弟子の報告だけで空海の死を信じた修円とは対照的である。
祈祷が終わったことを確認すると、空海はいつも以上に気合を入れて祈祷し、修円はあっさり死んでしまった。もう法力も何もあったもんじゃない。知恵比べと周到な確認で、弘法大師が勝った、いや、ブチ殺したのである。
この後、実は修円は軍荼利明王だったとか、言い訳臭い話が続くのだが、問題はなぜこれほどの高僧が殺しあわなければならなかったかである。『今昔物語集』には次のように書かれている。
然るを思ふに、「菩薩の此る事を行ひ給ふは、行く前の人の悪行を止どめむが為也」となむ語り伝へたるとや。
わけわかんね。