2015年09月

『今昔物語集』巻14 弘法大師挑修円僧都語 第四十が怖すぎる。

登場人物は、弘法大師空海と、山階寺の修円僧都である。二人はともに嵯峨天皇の護持僧だった。

法力で生栗を煮るという、凄いのか凄くないのかよく分からん技(しかも普通に煮るより美味い)で、修円が天皇の心をつかむと、弘法大師、これに嫉妬したのか、陰に隠れて法力で妨害した。

修円がいくら祈っても、栗はさっぱり煮えず生のまま。「どうもおかしい」と思ったら、空海登場。

「コイツの仕業か!」

ここから、二人の関係は悪化した。悪化したなんて生易しいものではない。その部分は直接『今昔物語集』の原文を読んでいただいた方が伝わるだろう。

其の後、二人の僧都、極て中悪く成て、互に死々(しねしね)と呪詛しけり。此の祈は、互に止めてむとてなむ、延べつつ行ひける。

「互に死々と呪詛しけり」である。仏教には不殺生戒(生き物を殺してはいけない)という戒律があるはずだが、そんなのはお構いなし。なにしろ、法力で生栗を煮ることができる僧と、法力でそれを妨害できる僧の対決である。なかなか決着がつかない。

一計を案じた空海、弟子を市に行かせ、葬送の道具を買わせる。そのとき、弟子に「空海僧都はお亡くなりになりましたので、葬送の道具を買います」と言わせた。不妄語戒(嘘をついてはいけない)ってのもあるんですけど・・・。

市でそれを聞いた修円の弟子は、空海の死を報告した。報告を聞いて喜んだ修円、呪詛が効いたと思い込み、祈祷を止めてしまう。

一方、弘法大師は、修円のもとにスパイを送り、祈祷を終えたかどうか確認させる。この周到さが実にイヤらしく、弟子の報告だけで空海の死を信じた修円とは対照的である。

祈祷が終わったことを確認すると、空海はいつも以上に気合を入れて祈祷し、修円はあっさり死んでしまった。もう法力も何もあったもんじゃない。知恵比べと周到な確認で、弘法大師が勝った、いや、ブチ殺したのである。

この後、実は修円は軍荼利明王だったとか、言い訳臭い話が続くのだが、問題はなぜこれほどの高僧が殺しあわなければならなかったかである。『今昔物語集』には次のように書かれている。
然るを思ふに、「菩薩の此る事を行ひ給ふは、行く前の人の悪行を止どめむが為也」となむ語り伝へたるとや。

わけわかんね。
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最初に問題。

国会議事堂前から皇居に向かって伸びる車道は片側何車線でしょう?

この道は、免許取りたてのころ運転の練習に使ったし、自転車でも何度も走ったし、なんといっても、今回のデモで5回も行っている。それなのに、間違えた。予想外に広かった。

この道は、永田町から内堀通りを結ぶ道の一つではあるが、それほど重要な道ではない。なにしろ、国会議事堂にぶち当たってしまうので、たいていは他の道を通る。このへんはその他の道路も結構ひろいので、ここが渋滞することはない。

正解は、こちらをどうぞ。
国会前

片側5車線づつの10車線である。ただの10車線ではなく、植え込みになっている中央分離帯が3つもあり、さらに両脇に歩道が付く。この道がいかに広いかが分かるだろう。

当初、上の「歩道」と書かれているエリアだけで、デモが行われていた。あまり意味がない道路とはいえ、車道は車道である。それほど人数がいなければ、歩道しか許可がおりないのはいたしかたがない。

とはいえ、僕が最初に行った日(7月17日)でも、こんな感じだった。
7月17日

歩道はすでに満員。上の略図でいう車道Aの歩道よりのところに警察車両が停められている。

7月18日のエントリでは、「おそらく、デモを歩道に押し込めることによって、規模を小さく見せるつもりなのだろう」と書いた。この時点では「だろう」だが、この考えは次第に確信に変わっていった。

2回目に行ったのは、7月24日である。このときは、日比谷公園で集会のあと、国会議事堂前でデモというスケジュールになっていて、18日より多くの人が来ることが予想された。ところがまだ歩道しか許可されていなかった。
7月24日国会前デモ

それどころか、あきらかに警察官の数が増員されていた。
警察軍団

7月26日のエントリでは、最初に、「最初に言っておくと、これはもうちょっとまずい域に来ている。デモ参加者の数に対し、場所が狭すぎるのである。早く国会議事堂前の車道を開放しないと、大変なことになるかもしれない」と書いた。それほど人が多かったのである。

「大変なこと」というのは、負傷者が出ることである。なにしろ暑いさなかで、歩道にすし詰めになっていたから、病人が出ることも懸念されたし、将棋倒しなどのトラブルも予想できた。

常識的に考えれば、警察はこの時点で車道Aまでを開放すべきだったのだ。警察車両を車道Bの端に寄せても、まだ片側2車線ある。この道は交通量が少ないから、片側2車線でも何の支障もない。

それなのに開放しなかったのは、デモを隠したかったからとしか考えようがない。実際、中央分離帯から撮影すると、まるで何もないかのような写真になった。
国会議事堂

この歩道は、イチョウの木が植えられており、夏場は葉が生い茂って、上からも見えなくなる。歩道を塞いでしまえば、横からも上からも見えなくなるのである。

3回目に行ったのは、8月30日(8月30日の国会議事堂前デモに行ってきた(その1)参照)である。僕が行ったときには、すでに車道に人があふれていた。
議事堂前の民衆

これは警察の配慮かと思ったが、そうではなく自然に決壊したという。警察車両の位置を見ると、配慮どころか、まだ歩道に押し込めておくつもりだったことが分かる。
8月30日の警察車両


4回めは9月14日である。8月30日で懲りたのか、警察車両そのものは車道Bに置かれている。だが、鉄柵は相変わらず歩道にある。押し出されても車道Aで止まるだろうという作戦だろう。だったら、最初から車道Aを開けてしまえばいいのだ。往生際の悪いことこの上ない。
鉄柵を抑える警官

月曜日だったため、8月30日ほどではなかったが、デモは次第に膨れ上がり、鉄柵は車道A一杯に押し出されてしまう。そこから車道Bの占拠まではあっという間だった。


9月14日決壊直後


さて、最後に行ったのは、安保法案が可決される前日、9月18日である。このときは、最初から車道Aは開放されていた。そして、車道Aと車道Bの間には、バカバカしいほどの警察官と警察車両が立ち並んでいた。
警察官と警察車両

立ち並ぶ警察官2

立ち並ぶ警察官

警察車両の間はほとんど隙間がない。匠の技だな。
警察車両の隙間

動画でもどうぞ。


僕は見ていて、だんだん悲しくなってきた。彼らは一体何から何を守っているのだろうか。もちろん、ここで立っている彼らに罪はない。悪いのはこれを指揮している人間である。

二度も車道を占拠されたのは屈辱的だったのだろうが、ここまでガードを固めたら、どこからどう見てもデモを弾圧しているようにしか見えない。車道を占拠される以上の損失だと思うのだが、そんなことすら気づかないほど指揮している人は幼稚なのである。

この別の意味でおいしい絵は、世界中に配信された。日本は民主主義国家ではないことを、自ら喧伝してしまったのだ。
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議事堂前の民衆今回の安保法制反対デモについて思ったことを書こうと思ったのだが、何から書こうか迷っている。

そこで、まず僕がデモそのものに対して、どのように考えているかをはっきりさせておきたい。

言うまでもなく、デモは憲法(21条、集会結社の自由)に保証された権利である。だから、僕は、あらゆるデモを否定しない。たとえ、過激派が主催しているものだろうと、ヤクザが主催しているものだろうと、デモとして正当なものであれば、それを支持するか否かは別として、デモそのものは否定しない。

たとえば、かつてフジテレビデモというのがあった。韓流ドラマばかり流すなというアレである。僕はくだらないデモだと思っていたが、それでも権利を行使しているのだから、デモそのものに反対するつもりはなかった。

在特会のアレはデモではない。もし、彼らがいうように在日特権なるものがあるのなら、政府に対してその廃止を促すデモをすればよい。そもそも、デモとしての筋が違っているので、あれは正当なデモとはいえない。単なるレイシストの嫌がらせである。

それでは、何故デモという方法を取るのか。デモは、発言力を持たない人々が、社会に向かって意見を表明する唯一の場だからである。

これは、デモに参加している人でさえ誤解している節があるが、重要なのは「発言力を持たない人」と「社会に向かって」という部分である。

「発言力を持たない人」というのは、大概の人が当てはまる。政治家は発言力を持っている。マスコミは発言を発信する場所だ。著名人の発言力はいうまでもない。そのような力を持たない人が、デモをするのである。

「社会に向かって」というのは、デモは直接対象に働きかけるものではないということである。例えば、「安倍は辞めろ」と国会議事堂に向かって言うと、安倍首相に直接辞任せよと言っているように聞こえるが、そんなことを言って辞めるタマだとは誰も思っていない。

それよりも、問題に無関心な人に目を向けさせることが、デモの本来の目的なのである。そういう人の中から、意見に賛同する人が出てくることを期待して、デモは行われるのだ。

したがって、安保法制に賛成であろうと、反対であろうと、デモそのものを批判するのは、邪悪なことなのである。そして、それは自分の首を締めることに他ならない。安保法制賛成の人は、デモを無視していればいいだけだ。

2010年の尖閣諸島抗議デモの時、これをマスコミが報道しなかったことについて、僕はこう書いた。なお、この時の参加者はわずか2600人である。
そもそも、デモはマスコミの力に頼って広げるような筋合いのものではない。少しでも人数を増やし、少しでも多くやって民衆を動かすのがデモというものである。(デモもオルグもあるか!:2010年10月04日

これでいうと、今回のデモは、回数を重ねるにつれて、参加者数が増え、ついにはマスコミも報道せざるを得ない状況になった。これまで、これほど健全で、うまくいったデモはちょっと記憶にない。

安保法制は成立したが、これで終わりではない。難しいことだが、地道に続けていくことが肝要である。
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あまりに久しぶりすぎて、「今月」じゃねぇだろうという気もしなくはないが、今月の壁紙。

まず、彼岸花。実は2年前に洗足池で撮ったもの。
彼岸花(1280x1024)

彼岸花(1280x1024)
彼岸花(1366x768)
彼岸花(1920×1080)

昨日、目黒の自然教育園に行ってきた。季節的に微妙すぎて、イマイチ殺風景だったが、それでも探せばいろいろある。例えば、コレ。女郎蜘蛛の巣。キラキラ光っていて美しい。主がいる奴も撮ったが、蜘蛛は壁紙向きでないように思うので、こちらにした。
蜘蛛の巣(1280×1024)

蜘蛛の巣(1280×1024)
蜘蛛の巣(1366x768)
蜘蛛の巣(1920×1080)

主がいる方はコレ。よく見ると真ん中に大きいのがいて、右上に小さいのがいるのが分かる。これは夫婦である。もちろん、巣のはしっこで小さくなっている方がダンナ。
女郎蜘蛛夫婦

どうも、蜘蛛の夫婦というと、イタした後、オスがメスに食われるというイメージがあるが、必ず食うわけではないらしい。メスの食事中にこっそりするそうだ。

アザミにレンズを向けていたら、撮ってくれと言わんばかりに蛾(蝶かも)が飛んで来て蜜を吸い始めた。蜜を吸うのに必死で、カメラを近づけても逃げていかない。決して美しい虫ではないが、こうしてみると、なかなか健気で可愛らしい。
あざみ(1280×1024)

あざみ(1280×1024)
あざみ(1366x768)
あざみ(1920×1080)

先日、安保法案が可決・成立した。すでに数回、国会前デモについてレポートを書いているので、今の時点で書いておきたいことがある。

政治的な内容のエントリは、どうしても殺伐としたものになるから、せめて今日ぐらいは平和な画像を載せたいと思った次第。
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9月14日の国会議事堂前デモに行ってきた。

実をいうと、僕は積極的にデモに行くほど安保法制に反対なわけではない。安倍首相は嫌いだし、安保法制はアメリカを利するだけで、日本に何の利益もない、くだらない法律だとは思うが、僕は自衛隊員じゃないし、それ自体はどうでもいい。ただ、日本で起こった大規模デモの行方を知りたいのである。

そんなわけで、9月14日のデモに行ってきた。8月30日(日)のデモと違い、14日は月曜日である。平日なので、そんなに参加者は多くないだろう。「たぶんフォトジェニックな写真は撮れないだろうな」と思っていたら、さにあらず。いきなり横断妨害だ。いい感じだ、警察!イケイケ!
横断妨害

横断妨害といっても、鉄柵の両脇が開いているので、簡単に渡れるのだが、何のために鉄柵があるのだろう。単なる嫌がらせとしか思えない。

信号待ちをしていると、右側(半蔵門方面)から、けたたましいサイレンの音を立てて警察車両多数が集結して来た。麹町警察からだろうか。歩行者は関係ないが、内堀通りを通行する自動車には、かなり迷惑なんじゃないだろうか。
集結する警察車両

いつものデモの場所に行ってみると、例によって歩道でやっている。
歩道の人々

鉄柵を抑える警察官。
鉄柵を抑える警官

過剰警備を見まわる弁護士さん。
過剰警備の見回り

次第に参加者が増えてきて、鉄柵が車道側に押されてしまう。左側にCNNのカメラマンがいる。こいつ、絶対に狙ってるな。
決壊直前

そしていよいよ鉄柵が決壊する。決壊までの一連の流れは動画でどうぞ。


鉄柵が決壊した後、警察車両の間を抜けて、車道へ出る。この写真を見ると、いかに警察車両が隙間なく停めてあったかが分かるだろう。警察車両がエンジンを停めないことに抗議をしている人もいた。
警察車両の間

人々が車道に出たときの様子。
決壊直後

ドクロ人形

幟旗

ボランティアの給水所。
給水所

帰りに先ほどの鉄柵を見たら、なぎ倒されてくちゃくちゃになってた。
なぎ倒された鉄柵

それでも、警察官たちは議事堂前の通りを守っていた。

議事堂前の通りは、すでに占拠されてしまっているのに、何の意味があるのかさっぱりわからない。まあ、これが職務というものなのだろう。僕らも何の意味があるのか分からない仕事をすることがあるが、痛み入ります。
無意味な交通整理

前にも書いたが、議事堂前の道路なんて、いくらでも回り道はあり、交通的にはたいした意味のない道である。最初から、車道でのデモを許可してしまえばいいこ。安保法案に自信があるなら、勝手にやらせておけばいいのである。

と、思ったら・・・・。



すげえなコレ。9月14日ほどは人は来ないはずなのに・・・。よほど悔しかったとみえる。行けばよかった。
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現在、『今昔物語集』の巻14の電子テキストを作成しているのだが、巻14-12から25は、『法華験記』由来のワンパターンな説話ばかりでさっぱり面白くない。だいたい、『法華経』の信仰者(持経者という)に妙な癖やら特徴やらがあって、それは前世が○○だったからだという夢のお告げを聞くというような話ばかりが続く。

例えば、巻14-15「越中国僧海蓮持法花経知前世報語」はこんな話である。

海蓮という持経者(『法華経』を信仰する僧)は、『法華経』の序品から観音品(普門品)までの二十五品(『法華経』は章立てを「品(ほん)」という)までは暗唱できたが、残りの三品だけは、何故か覚えることができない。ある夜、海蓮の夢に菩薩の姿をした人が現れて、なぜ覚えられないか教えてくれた。

いはく、「海蓮の前世は僧坊の壁にとまっていたコオロギである。そこにいた坊さんが法華経を二十五品まで読んだ後、風呂に行った。風呂から戻って、一休みしようと壁に寄りかかったら、壁にいたコオロギを坊主頭でプチっと潰してしまった。コオロギは『法華経』を二十五品まで聞いた功徳で、人間に転生できたが、残りの三品を聞かなかったので、現世でも覚えられないのだ」

仏教の考え方では、コオロギも生き物である以上、生まれ変わる。来世、何に生まれ変わるかはコオロギの現世での行いによって決まる。だが、動物は本能で生き、人語を解さないので、人間に生まれ変わることはまずない。

ところが、この説話では、偶然『法華経』を聞いたので、人間に転生できたという。要するにコオロギでさえ人間(しかも僧侶)に転生できるほど、『法華経』のパワーはすごいと言いたいのだが、それにしても坊主頭で潰されたコオロギは気の毒だ。

その他、何が人間に転生したか、まとめてみると、次のようになる。

14-12・・・人間
14-13・・・紙魚(しみ)
14-14・・・黒い馬
14-15・・・コオロギ
14-16・・・犬
14-17・・・毒蛇
14-18・・・牛
14-19・・・毒蛇
14-20・・・黒い牛
14-21・・・犬
14-22・・・狐
14-23・・・鼻の欠けた牛
14-24・・・白い馬
14-25・・・みみず

哺乳類はまあいい。蛇もなんとなく賢そうな気がする。コオロギはすでに述べたとおり。紙魚は法華経の経巻に巻き込まれていた功徳という。お経の中にいたんじゃ、有難いという他ない。

しかし、14-25のミミズがどう考えてもヘンだ。このミミズは、お寺の庭の土中に住んでいて、坊さんの唱える法華経を聞いていたというのだが・・・ミミズって音聞けるのかな。
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アメリカで人気のハンバーガーチェーン、シェイクシャック(Shake Shack)が日本に進出するそうだ。

ニューヨークで愛されるハンバーガーレストラン 「Shake ShackR」日本1号店
東京都港区北青山 外苑いちょう並木に決定 今冬オープン予定:サザビーリーグ

株式会社サザビーリーグ(本社:東京都渋谷区千駄ヶ谷 / 代表取締役社長 森正督)は、ニューヨーク発のハンバーガーレストラン「Shake ShackR」(以下、シェイク シャック)の日本1号店を東京都港区北青山の明治神宮外苑内(住所:東京都港区北青山2丁目1-15)にオープンいたします。

シェイクシャックには、ちょっとした思い出がある。といっても、食べた思い出ではなく、食べなかった思い出である。

一昨年、ニューヨークに行ったときのことである。「アメリカといえばハンバーガー」ということで、ニューヨークではシェイクシャックと言う店が美味いという情報を聞いた僕と妻は、そこでハンバーガーを買おうとした。

店はすぐに見つかったが、ものすごい人である。席は満席だし、レジの前に行列はできている。メトロポリタン美術館の帰りでかなり疲れていたので、とても並ぶ根性がなかった。そこで、仕方なしに何も買わずとりあえず宿へ帰ることにした。

宿はそれほど遠くなかったが、着いてからぐずぐずしているうちに10時を回ってしまった。昼からホットドッグぐらいしか食べていなかったので、だんだん腹が減ってきた。

「何か食べに行かない?」と妻に聞くと、「疲れて眠いからいい」という。

一度食べに行こうと思うと、なおさら腹が減るものだ。近くにコンビニはなく、他の店もほとんど閉まっている。オマケに少々雨がショボショボと降っていて外に出るのが面倒くさい。

このとき、宿から20分ほど歩いたあたりにマクドナルドがあったのを思い出した。ちょうどハーレムの入り口あたりである。夜のニューヨーク、それもハーレムなんて、正直怖いなんてもんじゃない。だが、背に腹は替えられない。僕は一人でマクドナルドへ行くことにした。

夜のニューヨークが怖いという感覚は、もしかしたら若い人には理解できないかもしれない。僕達、オッサン・オバサンにとって、ニューヨークといえば犯罪都市である。夜一人で出歩こうものなら、宿から三歩出ただけで、女なら即強姦、男なら有無を言わさず身ぐるみ剥がされ射殺。あとは刑事コジャック(通称デカ長)にお任せ、そういう世界なのである。断っておくが、これは想像上の昔のニューヨークで、今はそこまで物騒ではない。

夜のニューヨークを歩く恐怖と、空腹と戦っているるうちにどんどん時間は流れ、それに比例して腹が減ってくる。さすがに12時回ったらシャレにならないので、僕は意を決して「オレ、マック行ってくるよ」と言って、宿を出た。

僕は大通りをハーレムの方へ歩いて行った。店がほとんど閉まっているから、歩いている人もほとんどいない。昼見たら、やたらと散髪屋の多い通りだったが、夜開いている散髪屋なんてあるはずがないので、ほとんどの店は閉まっている。

宿から5分ぐらいのところに、一軒だけ開いているハンバーガーショップを見つけた。もう面倒くさいからそこに入ろうかと思ったが、見るからにヤバそうなので、素通りして、予定通りマクドナルドを目指した。

ところが、なかなか見慣れたMマークが出てこない。思っていたより遠かったのである。ショボショボと雨が降っているので、だんだん濡れてきて寒くなってきた。仕方がないので、戻って先ほどのハンバーガーショップに入ることにした。

あとで分かったことだが、この店はクラウンフライドチキンという店だった。下の写真はGoogleMapによるもの。夜だったので、変な電飾と店の明かりがここだけ輝いていた。
CROWN

意を決して店に入ると、左側にカウンターがあり、どう見ても裕福でなさそうな、否、帰る家すらなさそうな太った黒人のオッサンが、うつむいてフライドチキンを一心不乱に食べている。

よく分からんので、とりあえず店内のポスターにあったハンバーガーとチキンバーガーと飲み物(シュエップスの何か)を注文した。店員は恰幅のいい白人のオッサンである。僕のショボい英語が通じているのか通じていないのか、注文してお金を払った直後、ハンバーガー単品で注文したつもりなのに、なぜか厨房で揚げ物をしている音がする。どうも通じていないようだが、まあいいだろう。

できるまでに時間がかかりそうなので、チキンをむさぼっているオッサンの隣に座った。オッサンは僕なんか意に介さず、うつむいてチキンをムシャムシャと食っている。

しばらくして、突然店のドアが開いた。と、同時に、どう見ても素行の良くなさそうな、ベースボールキャップを斜めにかぶった小柄な黒人青年が、ものすごい勢いで入って来た。『海雪』を歌っていたころのジェロをもっと凶悪にした感じを想像すれば、だいたい合ってる。やばい、強盗か!

ここでナメられたらいけない。こういうときは、ブルースリー先生の威光を借りる他ない。

僕は、相変わらずチキンを食っているオッサンの隣で、「俺はブルースリーの末裔だ。俺はブルースリーの末裔だ。」と意味不明の呪文を心に唱え、素行の悪そうなジェロにガッツリメンチを切った。ところがジェロは、まったくこっちを見ず、これまたものすごい勢いでフライドチキンを買って店を出て行った。勝った!

しばらくして、紙袋に入ったブツが来た。なんだか予想以上に重い。ハンバーガー単品で注文したつもりだったが、予想通りポテトが付いていた。ハンバーガーもポテトもでかいなんてもんじゃない。ハンバーガーはビッグマックの倍ぐらい、ポテトはLサイズの3倍ぐらいあった。それが二セットである。

さて、僕は戦利品を宿に持ち帰った。帰ってみると、「疲れて眠い」とか言っていた妻は、しっかり起きていた。そればかりか、戦利品のハンバーガーとポテトをムシャムシャと食べている。まるでさっきのオッサンのようだ。ポテトはあまりに大量で、二人で食べてもまだかなり余った。

「クラウンチキン」なのに、なぜか普通のハンバーガーの方がはるかにうまい。やはりチキンは大中華圏に限るようだ。ポテトはカリっと揚がっていて、見た目はマックのものと変わらないが、日本で食べたどこのフライドポテトよりもはるかにうまかった。

残念なことに戦利品の写真はない。そんな余裕がないほど腹が減っていたのである。
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8月30日の国会議事堂前デモに行ってきた(その1)のつづき。

前回の最後に少し書いたが、30日のデモ参加者数は、マスコミ発表が12万人、SEALDs発表が35万人、警察発表が3万人だったらしい。3万と35万ではだいぶ開きがあるが(僕の見た感じでは少なく見積っても10万はいただろうと思っている)、そんな数字はどうでもいい。

大事なことは、下のような写真が撮れる状態になったということである。
議事堂前の民衆

戦前の日本を取り戻す

安倍やめろ

このような写真は、国会議事堂前の道路をデモ参加者が占拠しなければ撮影できない。3万人だろうが35万人だろうが、議事堂の前の道路を沢山の人が埋め尽くしたのだけは事実なのである。

60年安保以来、こんな写真を撮ることは不可能だった。このインパクトはとても大きい。

デモはなによりもインパクトが大事なのである。天安門事件を思い出して欲しい。天安門事件といって思い出すのは、戦車の行く手を阻むたった一人の男である。あの時、天安門前広場には民主化を求める沢山の若者が集結し、かなり印象的な光景だったが、それ以上に戦車の前に立った一人の男がデモの最大のインパクトになったのである。

Tank Man (now with more raw footage):Youtube

「誰もいない国会議事堂前で騒いでも意味がない」という人がいる。この意見は、デモの意味を完全に履き違えている。「安倍は辞めろ!」と叫んでいても、それで辞めるタマでないことぐらい、みんな分かっている。そもそもデモは、直接要求を聞かせるものではない。

大事なことは、このデモを通して、安保関連法案に反対する人が存在するということを示すことである。それにより、潜在的な同調者を掘り起こすことができ、また、全く関心のない人に、こういう問題があるということを知らしめることができるのである。その点で、今回のデモは大成功だったと言えるだろう。

最後に、安倍政権を支持する人にお願いがある。安倍首相を支持する人にとって、このようなデモは不快に違いない。だが、感情のおもむくままに、デモそのものを「意味がない」などと批判しないでほしい。

デモは一般市民が意思表示できる数少ない場である。デモ自体を否定してしまうと、逆の立場になったときに、何も意思表示できないことになる。あなたが為政者であるならそれも仕方がないが、そうでないなら、デモを否定することは自分の首を締めていることに他ならない。

もし、デモができなくなったら、少数派はどうするか。中東に目を向ければ、すぐに分かるだろう。
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