2015年10月

書は自由で、個性的でないといけないという。その一方で、お手本をひたすら真似るような学習法は、個性を潰すものだという人もいる。

実は僕もかつてはその意見に組していた。実際、公募展などを見ると、どう見ても個性もヘチマもない、師匠の作品のコピーみたようなものばかりが並んでいる。自由でもなければ個性的でもない。

僕の教える生徒たちの中には、誰かが言った「書は個性だ」というようなことを真似して、手本を書かせる教え方に文句をいう奴がたまにいる。大半は、手本がうまく書けないから、言い訳にそう言っているだけだ。自分自身、そういう奴だったからよく分かる。

「じゃあ、その個性的な書を書いてみろ」というと、彼は嬉々として〈個性的な書〉を書き始める。書き終わると、本人、個性的な書が書けたとひどくご満悦だ。

だが、個性的だと思っているのは本人だけで、見てる僕にはさっぱり個性的に見えない。今まで同じような奴を何度も見てきたのである。

面白いことに、彼らが書く〈個性的な書〉はみな同じなのだ。書いている本人は自分の書いたものしか見ていないから、それが自分の個性だと思っているが、たぶん、数年前別の人が書いた〈個性的な書〉と混ぜても、どちらが自分の書いたものか区別つかないだろう。

面白いことに、これが3・4歳の子供だと事情が違ってくる。大いに個性的で、誰にも真似できないものを平気で書く。子供の字であるという共通点はあるにせよ、字形も筆使いも一人一人全然違うものが出来上がって面白い。

なぜそうなるのか。

中学生以上だと、鉛筆やシャープペン、ボールペンを日常的に使っている。だから、筆もそれらの筆記具を持つのと同じように持つ。具体的には、傾けて使うのである。そのまま字を書くと、誰でも一様に、縦は細く横は太くなる。個性的なはずが、誰でも全く同じ線質になってしまうのである。

彼らも、普段使い慣れた筆記具で書くと、それなりに個性的な字形になるが、筆だとそうはいかない。筆管を傾けて書くと、筆の動きは限定されうまく書けない。無意識に普段見ている活字に近づけようとする。かくして、線質も字形もみな同じような〈個性的な書〉が出来上がるのである。

ところが、3・4歳の子供は筆記用具自体を使い慣れないから、さまざまなとんでもない持ち方をする。まさに囚われない、自由である。字形の認識もまだ甘いから、活字の字形などにはとらわれない。字形も線質も本当の意味での個性的な書になる。ごくまれに、大人になってもそういう字を書く人がいるが、それこそまさに天才に違いない。

結局のところ、ある程度年を取ると、人間はどうしても自分の経験にとらわれたことしかできないのである。子供が個性的なのは、経験があまりに少ないから、経験にとらわれようがないだけだ。

そうなってくると答えは簡単で、大人になっても子供の字が書ける天才は別として、なるべくたくさんの経験をして、その中から自分の個性を醸成していくより他はない。

公募展の作品が個性的でないのは、師匠の書を学ぶからではなく、師匠の書しか学ばないからである。他の人の書や古典を学べば、それなりに個性が出てくるだろう。公募展には入賞しなくなるかもしれないけどね。
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久しぶりに本屋へ行った。やはり、電子書籍や通販と違い、本屋で実際に並んでいる本を見るのはいいものだ。平積みにされている本で、どんな本が売れているのか分かるし、最近出版された本で意外なものがあったりする。

で、買ってきたのが、なぜかコレ。

妖怪ウォッチペーパークラフト(表紙)

もはや、これを本と言っていいのかわからないが、妖怪ウォッチのペーパークラフト。ペーパークラフトといえば、京急700形(京急700形ペーパークラフトを作った:2012年05月12日)を作って以来だ。

この本?では、ウィスパー・ジバニャン・コマさん・USAピョンの4体が作れる。難易度もこの順番になっている。
妖怪ウォッチペーパークラフト(裏表紙)

で、早速工作レベル初級のウィスパーを作ってみた。ピンセットを使えと書いてあるが手元にない。まあ、ウィスパーなら単純だからなんとかなるだろう。

作る前はこんな感じ。
妖怪ウォッチペーパークラフト(ウィスパー)

実はこれ、シールのようになっていて、台紙から剥がして作る。貼り合わせる部分に糊が付いている。だから、ハサミもカッターも糊も必要ない。糊がはみ出る心配もないし、貼り損ねても丁寧にやれば剥がすこともできる。なかなかのスグレものだ。でも、細いところは破れやすいので、注意深くひっぺがす。
剥がれる

作り方はウラ面に書いてあるが、あまり詳しくない。といっても、台紙から剥がして、折る必要のある所を折って、糊代に書かれた番号順に貼っていくだけである。

詳しい説明は表紙の裏にジバニャンだけ載っている。他は察しなさいということらしい。不器用さに定評のある人は、ジバニャンの作り方を熟読してから、ウィスパーを作るのがいいだろう。

台紙から切り取った後、折り曲げて、のりしろを貼りあわせていく。
ウィスパー組立中

だんだん立体的になるにつれて、貼り合わせるのが難しくなる。やはり複雑なものだとピンセットが必要になるだろう。単純な造形のウィスパーでも細い棒状のものがなければ作れない。

ウィスパー完成!うぃっす!だいたい40分ぐらいかかった。
ウィスパー完成

玄関に飾ってみた。顔のシールを張り替えることで、表情を変えることもできる。
花とウィスパー

ウィスパーは宙に浮いている設定なので、吊り下げるようにできているが、紙が薄いので、そのままではうまくシャキっと立たない。これはウィスパー懸けに補強を入れてある。

中にLED電球を入れて光らせたら面白いかもと思ったが、のりしろの数字がでてきちゃうな。残念。

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先月、目黒の自然教育園に行って、ジョロウグモの写真を撮った(今月の壁紙:2015年09月21日)。

その後、自然教育園のビジターセンターで、ジョロウグモはつがいでいることが多く、大きいほうがメスで小さい方がオスだと書いてあったのを見つけて、写真を確認したら、たまたま夫婦で写っていた。あくまでたまたまなので、たしかにいるというのが分かる程度だったので、今度見つけたらしっかり撮ろうと思っていた。

で、先日、祖父の墓参りに行ったら、ジョロウグモが巨大な網を張っていた。かなり近づける場所だったので、接近して撮影。やっぱり夫婦である。続きを読む
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10月20日のエントリの続きのようなもの。

最近、河出書房新社から日本文学全集が出ている。

日本古典文学全集 全30巻:河出書房新社

日本文学全集というと、近代文学と古典文学で分かれているのが普通だが、この全集は半分近くを古典が占めている。ただし、古典は現代語訳で、訳者の多くは古典文学の専門家ではなく、小説家が〈訳して〉いる。

現在、サンプルとして、町田康氏の「奇怪な鬼に瘤を除去される」(『宇治拾遺物語』より)が全文読めるようになっている。なお、この原典は、『宇治拾遺物語』の第三話「鬼に瘤取らるる事」である。

町田康訳「奇怪な鬼に瘤を除去される」(『宇治拾遺物語』より):河出書房新社

さて、これを古典の現代語訳と言っていいのか、はなはだ疑問ではあるが、翻案としてはアリだと思う。これを読んで、忠実な現代語訳だと思う人はいないだろうから、原文を尊重せよなどと野暮なことを言うつもりはない。だが・・・残念ながら、ちっとも面白くない。

やたらとこねくり回しているが、原典の面白さを超えていないのである。あまりこねまわすものだから、まるで中学生が昼休みに書いたオモシロ小説みたいになっていて、これなら元のものをそのまま現代語訳した方がよほど面白い。

例えば、鬼の描写を見てみよう。

その姿形たるやはっきり言ってムチャクチャであった。まず、皮膚の色がカラフルで、真っ赤な奴がいるかと思ったら、真っ青な奴もおり、どすピンクの奴も全身ゴールドというど派手な奴もいた。赤い奴はブルーを着て、黒い奴はゴールドの褌を締めるなどしていた。顔の造作も普通ではなく、角は大体の奴にあったが、口がない奴や、目がひとつしかない奴がいた。かと思うと目が二十四もあって、おまえは二十四の瞳か、みたいな奴もおり、また、目も口もないのに鼻ばかり三十もついている奴もいて、その異様さ加減は人間の想像を遥かに超えていた。

原典ではこうなっている。
おほかた、やうやう、さまざまなる物ども、赤き色には青き物を着、黒き色には赤き物をたうさぎにかき、おほかた、目一つある物あり、口なき物など、おほかた、いかにもいふべきにもあらぬ物ども、百人斗おしめきあつまりて、火をてんのめのごとくにともして、我が居たるうつほ木の前に居まはりぬ。おほかた、いとど物おぼえず。

一見して、町田氏の方が具体的に描写されているのが分かる。鬼がやたらとカラフルになってるし、「二十四の瞳」だの「目も口もないのに鼻ばかり三十もついている奴」だのは原典には出てこない。描写を盛ることによって、鬼の異様さを描いているのだろう。

原典のはずっとシンプルだが、「おほかた」という単語が四回も出てくるのが目に付く。この「おほかた」は「大体」みたいな意味だが、こんなに連発されるような言葉ではない。わざわざ対句風に作られ、リズミカルなはずなのに、「おほかた」を挟むことによって、なんとも不自然な、たどたどしい文章になっている。しかし、これによって、名状しがたい鬼の奇怪さと、翁の恐怖が伝わってくるのである。

このあと、鬼の宴会が人間のそれと何ら変わりがなかった・・・という描写に続いていくのだが、原典では先に鬼の恐ろしさをしっかりと描いているから、鬼の宴会の楽しさが生きてくる。町田氏の翻案のように、鬼の描写で笑いを取ってしまえば、宴会の面白さとのコントラストが甘くなる。

このように、町田氏訳はあまり印象のいいものではないのだが、ひとつだけ関心した部分がある。瘤を取られた翁が、妻にこの顛末を喋った場面である。
お爺さんの顔を見て驚愕した妻は、いったいなにがあったのです? と問い糾した。お爺さんは自分が体験した不思議な出来事の一部始終を話した。妻はこれを聞いて、「驚くべきことですね」とだけ言った。私はあなたの瘤をこそ愛していました。と言いたい気持ちを押しとどめて。

原文ではこうなっている。
妻のうば、「こは、いかなりつる事ぞ」と問えば、「しかじか」と語る。「あさましき事かな」と言ふ。

町田氏訳の、妻は瘤のある翁を愛していたというのは付け足しである。だが、原文での妻の反応は、驚くほどそっけなくて、妻になんらかの理由があることを伺わせる。ここに気づいたのは、さすが芥川賞作家というべきだろう。

「瘤取り」といえば、太宰治『御伽草子』である。こちらは、完全な翻案だが、やはり妻の反応の薄さに注目しているようだ。
家に帰るとお婆さんは、
「お帰りなさいまし。」と落ちついて言ひ、昨夜はどうしましたとか何とかいふ事はいつさい問はず、「おみおつけが冷たくなりまして、」と低くつぶやいて、お爺さんの朝食の支度をする。
「いや、冷たくてもいいさ。あたためるには及びませんよ。」とお爺さんは、やたらに遠慮して小さくかしこまり、朝食のお膳につく。お婆さんにお給仕されてごはんを食べながら、お爺さんは、昨夜の不思議な出来事を知らせてやりたくて仕様が無い。しかし、お婆さんの儼然たる態度に圧倒されて、言葉が喉のあたりにひつからまつて何も言へない。うつむいて、わびしくごはんを食べてゐる。
「瘤が、しなびたやうですね。」お婆さんは、ぽつんと言つた。
「うむ。」もう何も言ひたくなかつた。
「破れて、水が出たのでせう。」とお婆さんは事も無げに言つて、澄ましてゐる。
「うむ。」
「また、水がたまつて腫れるんでせうね。」
「さうだらう。」
 結局、このお爺さんの一家に於いて、瘤の事などは何の問題にもならなかつたわけである。

こちらは妻(お婆さん)の無関心としている。ずいぶん引き伸ばしたものだが、最初から翁を社会からも家族から疎外されている人として設定しているので、「あさましき事かな」というただ一言を作品全体のテーマにしているとも考えられる。これにより、太宰の「瘤取り」は原典の面白さとは違う面白さを書くことに成功している。

古典を改変して壮大に失敗するのを何度も見てきたが、結局原典をどれだけ尊重しているかがポイントなのだと思う。慢☆画太郎の『罪と罰』ぐらい豪快に改変している人のほうが、案外原典を尊重しているのである。

古典というものは、何百年、何千年という長い時間を生き抜いた作品である。小手先の改変で面白くなるようなものではない。
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以前から一度渋滞の先頭を見てみたいと思っていた。もちろん事故渋滞ではなく、自然渋滞の先頭である。そして、昨日、初めて渋滞のほぼ先頭(前から三台目)になった。

首都高速道路を走っていると、どこからともなく右車線にパトカーが現れ、次第にスピードを落とした。よく見るとパトカーの左の窓から、誘導灯(所謂ニンジン)が突き出ている。これでは左車線を走っている車も先に行くことができない。

「ハハア、先頭の誰かがやらかしたな」

しかし、やらかした(違反をした)なら、その車を停車させるはずだが、一向に停車させる気配がない。そのままF1のペースカーみたように、時速30キロ程度でのろのろと走っている。後ろはどんどん詰まってくる。渋滞になっているようだ。

渋滞の先頭

ずいぶん長く感じたが、そのまま10分ぐらいは走っただろうか。スピードはどんどん落ちて、ついに10キロぐらいになった。

その時、パトカーのスピーカーから何か言っているのが聞こえた。しかし、僕の車はパトカーから三台後ろで、さらに騒々しい高速道路上なので、窓を開けても何を言っているかよく聞き取れない。やがて、パトカーは左車線に入って完全に停止してしまった。

しばらくして、前の車が右車線に合流しながら、ゆっくりパトカーを追い抜いていくのが見えた。ここでやっとパトカーのアナウンスが聞こえた。左車線を規制するから、右車線に合流せよと言っているようだ。と、同時にパトカーから警察官が出てきて、左車線に発煙筒を並べ始めた。

車線規制で発煙筒が並べられているのを見て、どうやってあれを置いているのかナゾだったが、これですっきりした。わけも分らずゆっくり走らされたのには少々イライラしたが、渋滞の先頭も見られたし、なかなかいい経験をした。
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古典を現代語に直すことを、現代語訳とか口語訳とかいう。全編通して解釈するので、通釈という言い方もある。いずれにしても、ごまかしが効かないので、注釈とはまた違った難しさがある。

方法としては、なるべく原文に沿った形で訳す方法(逐語訳)と、語彙等を補って現代人にとって読みやすい文章にする方法がある。同じ国、言語で書かれたものとはいえ、古典の文章は現代の文章とは価値観が違うので、言葉だけを現代語にしても、読みにくい文章になってしまう。たとえ逐語訳であっても、ある程度の補足や語順に入れ替えは必要になってくる。

現代語訳だけを独立して出版するのなら、何もとらわれず後者の方法の方でよい。しかし、原文と同時に提示するなら、なるべく逐語訳に近い現代語訳にしなければならない。この場合、解釈が原文と一致している必要があるし、こういう本の現代語訳は初学者が原文を読むための手がかりとして使われる可能性が高いからである

さて、今『十訓抄』の電子テキスト化をしているのだが、『十訓抄』は活字になったテキスト自体が少なく、宮内庁書陵部本を底本にしているのは、小学館の新編日本古典文学全集本(浅見和彦校注訳・小学館・1997年12月)しかない。そこで、これを主に参照しているのだが、どうにも現代語訳に納得のいかない部分が多い。

いくつか例を上げよう。新編日本古典文学全集『十訓抄』1-1(p25)である。

【原文】
仁徳天皇は三年の間、御調物をとどめて、民の烟のにぎはえるを悦ばせ給ひ、一条院は冬の夜、御衣を脱いで・・・

【現代語訳】
仁徳天皇は三年の間、租税や課役をとどめて、民の家々から炊煙がたくさん立ち上がっているのを見てお悦びになった。一乗院は冬の寒い夜、御衣を脱いで・・・

問題は太字にした部分である。「烟のにぎはえるを」を「炊煙がたくさん立ち上がっているのを」とするのはいいとして、現代語訳の「見て」に当たる語は原文にはない。家から立ち上る煙は見なきゃ分からないのだから、仁徳天皇が見たのには違いないが、わざわざ補う必要がある語とは思えない。

続けて原文では、「悦ばせ給ひ、一条院は冬の夜、・・・」と文が続いているにも関わらず、なぜか現代語訳では「お悦びになった。一乗院は冬の寒い夜、」と文を切っている。本来は、「お悦びになり、一条院は冬の夜・・・」となるはずである。

もし、「これを現代語訳しなさい」という宿題を出して、これが返ってきたら、「オメーどっかで探してきたのをコピペしただろ。ネットに頼んな!」と先生に小言を言われるレベルである。

同じく1-1の最後(p26)は、こうなっている。

【原文】
かたがた、みだりがはしく、あなづりかろむべからず

【現代語訳】
あれにつけこれにつけ、むやみと人民を侮ったり、軽んじたりすることは絶対に許されないことである

「みだりがはしく、」で読点を区切るなら、現代語訳の「むやみと」に句点を入れるべきである。しかし、実際には「人民を侮ったり、」で読点が付けられている。ならば、「あなづりかろむべからず」の「あなづり」の後に読点が入っていなければならないが、今度はなぜかそこには入っていない。

さらに、「べからず」は、感覚的には「絶対に許されないことである」でもいいかもしれないが、わざわざもとの単語を壊してまで意訳する必要があるだろうか。原文に忠実に「侮ったり軽んじたりしてはいけない」で十分理解できるだろう。

1−2(p26〜27)では、なんと段落が対応していない。

十訓抄
赤で矢印を付けた所が対応しているのだが、段落が変わっているので、一見して対応している場所が分からなくなっている。

もともと、古典に段落を分けるという習慣はなく、校訂者が読みやすいように自分の解釈で切り分けている。したがって、原文と現代語訳の段落は同じ場所でなければおかしい。解釈上の問題だけでなく、これでは、初学者にとって、どこがどの部分に対応するかわからなくなる。

このような過剰な意訳、句読点・段落の非対称は、この本のあらゆるところに見られる。凡例には「独立した現代語訳として味わい得るように訳出に務めた。」とあるので、読みやすくする工夫なのかもしれないが、そもそも、この本の現代語訳は、「独立した現代語訳」ではなく、原文と対照して読まれるものだ。「独立した現代語訳」として読んで欲しいのなら、別の本として刊行すればよい。

繰り返しになるが、古典の底本には段落も句読点もカギカッコもない。活字にした時、校訂者がこれを付けるのは、単に読みやすくするだけでなく、注釈の一種なのである。したがって、原文と現代語訳は、すべからく(一度使ってみたかった)段落・句読点・カギカッコを対応すべきである。
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惡の華』でおなじみ押見修造氏の漫画、『志乃ちゃんは自分の名前が言えない』を読んだ。

主人公は高校一年生の志乃ちゃん。志乃ちゃんが自分の名前を言えないのは、吃音症(所謂どもり)だからである。志乃ちゃんの場合、母音から始まる音が特に出しにくく、オマケに名字が「大島」で母音から始まるため、入学直後の自己紹介のとき自分の名前が言えず、自分の殻に引きこもってしまう。

志乃ちゃんは、人としゃべるときはどもるが、一人でいるときはまったくどもらない。人前でも歌を歌うときなら、なぜかどもらない。それに気づき、唯一の友達、加代ちゃん(ギターは上手いが歌がヘタ)にユニットを組んで文化祭で演奏しようと誘われるが・・・という話である。

作者の押見氏自身が吃音者で、その経験をもとにこの作品は描かれたという。

吃音は障害としては軽微で、昔はともかく、今はそれほど差別の対象にはならない。だが、そう思っているのはあくまで僕が吃音症でないからで、吃音者は必ずしもそうではないのかもしれない。差別している側には、されている側のことは分からないものだ。むしろ、障害として軽微であるからこそ、傷つけられてしまうこともあるだろう。

この作品には、一度も「吃音」とか、「どもり」という言葉が出てこない。当人もまわりの人も、誰一人として吃音という障害によるものと理解していない。作者は「吃音漫画にしたくなかった」とのことだそうだが、これは吃音と同じようなコンプレックスは誰にでもあるものだということだろう。

どんな人でも、何かしらコンプレックスはあるものだ。ある程度年をとると、だんだん克服されて少なくなってくるが、思春期は何がコンプレックスになるか分からない。まして、吃音のように、誰もができることができないと、そのコンプレックスは大きなものとなる。

僕は、障害を理解するよりも、障害は簡単には理解できないことを理解すべきだと考えている。例えば、この漫画を読んで、「吃音とはこういうものだ」と吃音症を理解したと思ったら、それは大きな間違いだ。これはひとつの例であって、吃音症の症状も程度も、その人が置かれた環境も人によって違うのである。

理解すべきことは、吃音は簡単に治せるものではないということと、それをからかったりしてはいけないということである。しかしこれは何も吃音に限ったことではなく、あらゆる障害に言えることでもある。

最近、スキャットマン・ジョン(プッチンプリンのコマーシャルに出てたヒゲのオッサン。1999年死去)が吃音症だったということを知った。あの早口のスキャットは吃音を利用したもので、有名な「Scatman (Ski Ba Bop Ba Dop Bop)」は吃音症のメッセージソングらしい。ずいぶん流行ったけど、そんなこと全然知らなかったぞ。

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昨日(10/12)、池上本門寺のお会式万灯練行列を見てきた。

お会式とは、日蓮上人の命日、10月13日を中心に行われる法要で、一般的には12日夜の万灯練行列が有名である。お会式そのものは、全国の日蓮宗のお寺で行われるが、池上本門寺は日蓮上人入滅の地なので、もっとも盛大なものとなる。

東京のお祭りというと、どうしても神田祭や三社祭のような、昼間神輿を担ぐお祭りが有名だが、お会式の盛り上がり方は、またちょっと違う。

このブログでは、すでに2008年10月15日2006年10月13日の二回記事にしているが、今回はデモでの経験を生かして、動画で撮影してみた。



動画を見ると、ずいぶん賑やかに見えるかもしれないが、これでもずいぶん地味になったように感じる。

現在は午後11時ぐらいまでだが、昔は2時3時までやっていた。夜が更けるにしたがって、みんなだんだんおかしくなって、そりゃもう・・・。
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今昔物語集』巻14の入力を完了、現在、巻15を進めている。

巻14はワンパターンのつまらない説話が多いが、先日紹介した空海の話(本当は怖い弘法大師)あたりから、面白い話が増えてくる。どうも、面白い話は最後に取っておく癖があるらしい。

その巻14の掉尾を飾るのが、利仁将軍(藤原利仁)の最期を語る説話、「依調伏法験利仁将軍死語 第四十五」である。

『今昔物語集』巻14 依調伏法験利仁将軍死語 第四十五:やたナビTEXT

利仁将軍と言ってもピンとこないかもしれないが、芥川龍之介の『芋粥』で、五位に芋粥をふるまった人物といえばご存知の方も多いだろう。なお『芋粥』の元ネタは、『今昔物語集』巻26「利仁将軍若時従京敦賀将行五位語 第十七」で、『宇治拾遺物語』第18話「利仁暑預粥の事」も同じ話である。

『芋粥』の説話は、どうしても「飽きるほど芋粥が食べたい」と言ったのに、希望が叶えられた途端に食べたくなくなるという、心理の変化に目が行きがちだが、本来は統率された武士の軍団や、狐をも使役してしまう、武士としてのナゾのパワーに主眼が置かれていると思われる。当時の貴族たちは、武士に神仏と同等の不思議な力を感じていたのである。

さて、巻14ー45では、武士のナゾパワーが、密教のナゾパワーに負けるという話である。

文徳天皇の時代、日本の朝廷に反逆した新羅を征伐するため、利仁将軍の軍が派遣されることになった。利仁将軍が軍備を整える一方、新羅では、なにやら様々な妙なことが起こる。何の予兆か占ってみると、異国が攻めてくる前兆であると出た。

そこで新羅は、唐(『今昔物語集』では宋だが、時代的には唐)の高僧、法全(はっせん)阿闍梨を呼んで、敵国調伏の法を行わせる。調伏の法を始めて7日目、壇の上に沢山の血がこぼれた。法全は調伏の法が効いたことを確信し、結願して唐へ帰って行った。

一方、出発の準備をしていた利仁将軍は、呪いが効いたのか、ウィスキーでおなじみ山崎で病の床に臥せていた。ところが、利仁将軍、突然立ち上がって、虚空に向けて刀を振り回す。何度も見えない敵と戦った後、利仁将軍はバッタリ死んでしまった。誰にも見えない敵が見えていたところが、利仁将軍のナゾパワーではあるが、密教のナゾパワーには勝てなかった。

・・・というあらすじなのだが、呪詛は海の彼方の新羅で行われた。そのままなら、利仁将軍頓死の真相は分からない。その経緯を日本に伝えた人物がいるのである。

敵国調伏を依頼された法全阿闍梨は、智証大師円珍の師匠で、留学中だった円珍自身、この法会に参加していた。円珍はこれが祖国を呪うものとは知らずに参加していたが、帰国後、利仁将軍の死を知って、事の次第を知ったという。

円珍は空海の血縁(甥とも姪の息子とも言われる)で、呪詛した法全は『今昔物語集』の本文によると「恵果和尚の御弟子として、真言の密法を受け伝へて」とある。つまり、法全は空海の兄弟弟子ということになる。

空海、またおまえか・・・。
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8月から9月にかけて、デモ関連のエントリばかりになってしまった。

政治というのは、無理にでも理屈を通すものだと思っていたが、そうじゃないということを痛感させられたのが、今月だった。今の日本の政治は気分だけで行われ、気分だけで支持されている。

中国が攻めてくる気がする(何しに攻めてくるの?)。だから今すぐ集団的自衛権が必要な気がする(攻めてきても、個別的自衛権で対応できる)から、憲法9条なんかどうでもいい(よくない)。

安保反対デモは、敵のような気がする(デモ妨害する方が民主主義の敵)。デモ参加者は自衛隊を廃止したいと思っているような気がする(いろいろな人がいる)。参加者は金をもらっている(そんな金どこにある?)。

アベノミクスは成功しそうな気がする(だいぶヤバくなってきた)。安倍首相の言っていることは正しそうな気がする(具体性と一貫性がない)。山本太郎は政治家失格のような気がする(山本太郎の質問は首相の答弁よりもずっと良かった)。

シリアからの難民を受け入れたら、沢山シリアから人が来るような気がする(そんなに来ない)。難民が来たら国内が混乱するような気がする(対策すれば問題ないし、混乱するほど来ない)。

SEALDsのコールで「屁理屈言うな!」というのがあって、僕はあれが嫌いだった。察するに、彼らは学生だから、そう言われることが多いのだろう。僕も20代の頃は、ちゃんと理屈をこねているつもりでも「屁理屈」として処理されてしまうことが多くて憤ったものだ。

しかし、屁理屈は「屁」が付いても一応「理屈」である。安倍首相は、せめて屁理屈ぐらい言ってくれよと思うのである。
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