2015年11月

さて、今月からTwitterを始めたわけだが、諸般の事情により、LINEも始めた。あまり気が進まなかったのだが、どうしても使う必要が出てきたのだ。まあ、おかげで、例のハワイ旅行(親戚の結婚式)で連絡を取るのに役に立ったのだが。

僕のように、古くからインターネットを使っていると、やたらとアカウントが増えてくる。全然別のサービスなら仕方がないが、同じようなサービスだと、なるべく新しいサービスは使いたくないものだ。インスタントメッセージ系では、かつてはICQ、Yahooメッセンジャーを使っていたし、今は、Skypeを中心に、Googleハングアウト、Facebookを使っている。正直、これ以上インスタントメッセージを増やしたくなかった。

それでも、やらざるをえなくなったのは、若い人と連絡が取りたかったからではない。むしろ、僕らよりも上の世代と連絡を取る必要が出てきたからである。

僕らの世代は、インスタントメッセージといえば、初期はICQやYahooメッセンジャーで、後にSkypeが主流になった。ところが、スマホの普及により、若い人の間でLINEが急速に広まった。

その時は、「僕には関係ないな。まあ、後はお若い方で・・・」という感じだったのだが、この連中が、自分の親世代にLINEを布教し始めたのである。スマホでない携帯端末を買う方が難しくなってきたのも布教に貢献しているらしい。

だから、僕らより少し上の世代の人に、LINEを使う人が多くなった。僕がSkypeを使い出したころ、その世代の人にSkypeを使うように言ったことがあるが、誰もそれに従う人はいなかった。これが、自分の子供になると話が違ってくるのである。これが親子の絆というものだろう。

まあ、それはいい。許しがたいのは、そんな昨日今日LINEを使い始めたオッサン・オバサンが、僕がLINEアカウントを持っていないと知ると、「今どきLINEも使えないの?この情弱め!」的な目で見ることである。

使えないんじゃない、使わないのだ。こちとら、10年前からSkypeを使っている。ICQ時代から数えたら、20年近くになる。いまさら同じようなものを増やしたくないだけだ。

・・・と言いたいところだが、そういう人はたいがい「Skype?何それ美味しいの?」状態なので、そんなこと言ってもしょうがない。なにしろ、インスタントメッセージはLINEしかないと思っている連中である。とりあえず、ニヘラニヘラと笑って、「LINEって便利ですか?」とか聞いてみる。説明を受けるが、本人もよく分かっていないのが伝わってくる。

そんなことを言って、いつまでも反抗していてもしょうがないので、仕方なくLINEのアカウントを取ったという次第。

今まで、黒いナイロン製のビジネスバッグ(以下オッサンカバン)を20年ほど使っていた。これは、新宿の花園神社で狛犬の撮影をしている時に、それまで使っていた革の鞄の取っ手が切れ、急遽近くにあった無印良品の店で購入したものだ。

これが全然壊れない。20年間ほとんど毎日使い、これだけもつのだから、無印良品恐るべしである。しかし、近年さすがに痛みが激しくなってきたので、買い換えることにした。

また無印良品にしようかとも思ったのだが、今はあまりいいのがない。ナイロン製オッサンカバンの代表といえば、何といってもTUMIだが、値段が異常に高いのと、あまりに持っている人が多いので、かえって恥ずかしい域にきている。同様に、吉田カバンもメジャーすぎ。

で、いろいろ探していたら、ZERONEWYORK(ゼロニューヨーク)というのを見つけた。変な名前だなとおもったら、これまたオッサン御用達、アルミのアタッシュケースでおなじみ、ゼロハリバートンの新しいブランドらしい。さて、買ったのはこれ。

No.80772 3Waybag:ZERONEWYORK

色は黒・ブルー・カーキの三色で、僕が買ったのはカーキ。最近の鞄なので、パッドが入っていて、パソコンやタブレット、デジカメなどをそのまま入れられる。
ゼロニューヨークの鞄


中はこんな感じ。二気室で反対側も同様に開けられる。オッサン鞄なので、内部はポケットがやたらと多い。
ゼロニューヨークの鞄(中)

最近の鞄は中が白っぽくなっているのが多いらしい。ボールペンやらメモ帳やらすぐに見つかって地味に便利。

前のポケットを開けたところ。
前を開けたところ

透明のビニールが張ってあるが、メーカーのサイトを見ると、ここにタブレットコンピュータを入れるとある。やってみたが、あまり意味がない。鞄に入れたままタブレットを見る必要性を感じないし、なにより、ここに入れると画面がビニールに張り付いて取り出しにくくなる。

それよりも、航空チケットなど、失くしたら困る小さな券類などを入れるのに便利だった。ジッパーを開けたらすぐ見えるので、有無が確認しやすいのである。タブレットはその前のスペースに入れればよい。

このポケットの左側にカラビナのようなものが付いている。これは、ファスナーの取っ手を固定して簡単には開けられなくするためのもの。
カラビナ

単なるネジなので、開けようと思えば誰でも開けられるが、背負ったときなど、鞄が見えないときに安心感がある。一見意味のない装備だが、本気で盗むつもりの盗賊は、ナイフなどで切るだろうから、鍵であっても意味がない。そう考えると、盗めなくするのではなく、盗みにくくするこの工夫は、いかにも合理的な考え方である。

3ウェイなので、ザックのように背負うこともできる。
ザックモード

ザックモードは正直、あまり期待していなかったのだが、意外なほど背負心地がいい。なんと、チェストベルト(左右のショルダーベルトを胸の前で繋ぐベルト)まで付いている。暫く背負って歩いてみたが、ヘタな安物ザックよりも背負い心地は良かった。

もちろん、肩から掛けることも可能。僕はなで肩なので、肩掛けにするとすぐにずり落ちるのだが、このベルトはずり落ちにくくてよい。
肩掛けベルト


素材はコーデュラナイロンだから、耐久性があるのはまちがいないが、だいたい壊れるのは縫い目からだから、こればかりは使い込んでみないと分からない。

不思議なことに、同じ内容を入れても、前のカバンより軽く感じる。デザインや色使いも洒脱でいい。すでに一ヶ月ほど使い、先日のハワイにも持っていったが、使いやすく、今のところ気に入っている。

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基軸通貨だというのに、米ドルはとにかく使いにくい。

紙幣は似たようなデザインで、おまけに何故か臭い。それでも紙幣は数字が書いてあるからまだいいが、コインになると数字が書いていないから、どれが何やらさっぱり分からない。分からないからとりあえず紙幣で払って、コインがたまってしまう。

なんだかんだ言って、アメリカも三回目になったので、だいぶ分かるようになった。そこで、今回はコインの使い方を伝授しよう。いや、実は次の時の覚えのために書くだけなんだけど。

次の写真は、普通使われるコインを、価値の高い順(左から、25セント、10セント、5セント、1セント)に並べたもの。ご覧のように、大きさが価値に比例しておらず、数字が書いていない。唯一分かりやすいのは色の違う1セントだが、大きさは10セントとほぼ同じなので、やっぱり分かりにくい。
米ドルのコイン

まず、左の2つ、25セント(クオーターダラー)と、10セント(ダイム)をセットにして考える。この2つの硬貨には、日本の100円玉のようなギザギザがついている。ギザ付きの大きい方が25セントで、小さい方が10セントである。大きさが極端に違うので、間違えることはない。

25という数字の硬貨がない日本人にとって、クオーターダラーは少々使いにくいが、使う時はこれを中心に考える。キザ付き大1枚25セント、2枚50セント、3枚75セントと覚えればよい。4枚は1ドルなので覚える必要はない。ギザ付き小は10セントなので、計算は簡単である。

このギザ付き硬貨2つで、だいたいの数を作り、あとはギザ無し大(5セント)やギザ無し小・銅色(1セント)を加えて、ドル未満の数字を作ればよい。

簡単、簡単・・・でもないか。
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先日、親戚の結婚式でハワイに行ってきた。鳥取の羽合温泉ではなく、アメリカ合衆国のハワイ州である。結婚式なので、当然宴会があったのだが、そこで面白い話を聞いた。

ハワイの州法では、酒を一瓶飲み切るまでは、別の酒を出してはいけないのだそうだ。さらに、店員以外の者が、他人に酒を注ぐのも違法らしい。だから、ビール瓶を持って席をまわり、「どうぞ、どうぞ」とお酌するという、宴会にありがちな風景は、ハワイでは違法になる。

この法律は、酒の強要を禁止するために制定されたそうだ。逆に言えば、目に余る酒の強要があったということだろう。ハワイはアジア人(当然日本人も含まれる)の移民や観光客が多い土地だから、だいたいそのあたりが原因であろうことは、想像に難くない。

他人に無理やり酒を飲ますという悪しき風習は、相当昔からあるらしく、兼好法師は『徒然草』175段でこの風習を批判している。「もう全く理解できない」という感じだ。
世には心えぬ事の多きなり。ともある毎にはまづ酒をすゝめて、強ひ飲ませたるを興とする事、如何なる故とも心えず。

続けて、酔っぱらいの描写に移るが、これがまたよく書けている。
飲む人の顏いと堪へ難げに眉をひそめ、人目をはかりて捨てんとし、逃げんとするを、捕へて引きとゞめて、すゞろに飲ませつれば、うるはしき人も忽に狂人となりてをこがましく、息災なる人も目の前に大事の病者となりて、前後も知らず倒れ伏す。

経験者は語る・・・。
祝ふべき日などは、あさましかりぬべし。明くる日まで頭いたく、物食はず、によびふし、生をへだてたるやうにして昨日の事覺えず。公私の大事を缺きて、わづらひとなる。人をしてかゝるめを見する事、慈悲もなく、禮儀にもそむけり。かく辛きめにあひたらん人、ねたく口をしと思はざらんや。

最後がいい。
人の國にかゝる習ひあなりと、これらになき人事にて傳へ聞きたらんは、あやしく不思議に覺えぬべし。(以上、『徒然草』175段:Japanese Text Initiative, University of Virginia Libraryによる。)

「日本では酒を無理やり飲ませてヘベレケにする習慣があるらしいよ」と、そんな習慣が無い国の人が聞いたら、奇妙で考えられないことだと思うだろうと、兼好はいう。

日本の奇妙な習慣を客観的に見るために、価値観の違う外国を引き合いに出しているのである。もちろん、兼好は外国に行ったことはない。それどころか、酒の強要がない国があるのかどうかさえ分からない。それなのに、日本の習慣を批判するために、普遍的な価値観を持つ仮想外国を想定するのが、兼好の感覚の鋭さである。

日本の価値観にどっぷりつかった日本人が、客観的に日本の価値観を批判するのは、とても難しいことだ。例えば、「酒を無理強いするなんて、イギリス人が聞いたら、ヘンだと思うんじゃない?」とでも言おうものなら、「ここは日本だ、日本の習慣に従え」と言われてしまうだろう。言った方は普遍的な価値観として「イギリス人」を出したつもりでも、日本の価値観で生きてきた人にとっては、自分の価値観こそが普遍的で、「イギリス人」が特殊ということになってしまうのだ。

さて、このような記述はしばらく続き、酒をクソミソにけなすのだが、兼好は決して酒が嫌いなわけではない。後半では、「かくうとましと思ふ物なれど、おのづから捨てがたき折も有るべし」と、一転して酒を讃え始める。兼好法師、本当は酒が好きだったのだろう。好きだからこそ、ただ酔っ払うだけの酒の飲み方が許せないのである。

僕も酒を無理強いする人は、実は酒が嫌いなのだと思っている。本当に酒が好きなら、飲みたくない人に無理には飲ませない。もったいないからね。
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かつて、漫画やアニメで、風邪で寝込んでいる人を表現するときは、必ず頭に氷嚢を乗せていた。ドリフのコントでもよく見たような気がする。

今はどんな表現になっているのかと思って、Googleで画像検索してみると、氷嚢もあることはあるが、濡れタオルを額に乗せるか、ヒエピタのようなものを貼っていることが多いようだ。もっとも、僕自身、子供の頃からゴム製の水枕を使っていたので、現物の氷嚢を使ったことも見たこともない。

すでに使われなくなってずいぶん経ち、アニメや漫画の表現にも使われなくなった。今や、「氷嚢」という言葉は、ますらをの、股間に下がる、暖い、ぐにゃぐにゃとした、玉袋、ヨメの額に、「氷嚢」と、ボケたら、「それは陰嚢!」と、暴力混じりに、突っ込まれ(長歌風にしてみました)・・・る時ぐらいにしか使われなくなった。

ところが、先日、祖母の家から本物の氷嚢スタンドが出てきた。やはり、あまり使ったことがないらしく、新品同様である。

箱はこんな感じ。
氷嚢スタンド外箱

裏には使い方の説明がある。
氷嚢スタンド外箱(うら)

箱から出したところ。
氷嚢スタンド(収納時)

折りたたみ式で、伸ばすとこうなる。かなり高くなるので、顔のでかい人でも安心だ。
氷嚢スタンド

枕にセットしてみた。氷嚢には畳がよく似合う。
セットアップ

こうなってくると、実際に氷嚢をかけてみたくなる。一応、あるにはあったのだが・・・。
氷嚢外箱

裏には「御使用上ノ注意」が・・・でも、何故片仮名なんだろう。ちなみにミリオンというのは、輪ゴム「オーバンド」でお馴染み、株式会社共和のブランドだと思われる。
氷嚢外箱(説明)

箱を振ってみると、どうも中に入っているのがゴムでできているようには思えない。出してみると、箱のなかで名状しがたい何かに変化していた。
名状しがたい氷嚢だったもの


なにしろ、水と氷を入れたものを吊り下げるのだから、かなり重いものをかけられそうだが、他の使い道が思いつかない。ヨメが「筆を下げるのに使ったらどうか」と提案したが、いくつも掛けると、一番奥のものを取り出すのに全部はずさなきゃならないから、イマイチ現実的ではない。

何か思いついたら、教えてください。よろしく。

調べてみたら、まだ売っているらしい。
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今昔物語集』の電子テキストが500話を超えた。全部で千余話と言われているので、だいたい半分ぐらいである。また、『十訓抄』も上巻の電子テキスト化を終えた。これではまだ四訓抄だが・・・。

ちょうどいい切れ目なので、Twitterを始めることにした。

@yatanavi:Twitter

正直行って、Twitterは怖い。炎上が怖いのではない。そんなことよりも、自分が言わなくっていいことを書いてしまうのではないかというのが不安なのである。

だいたい、僕のようなおしゃべりな人間は、ついろくでもないことを喋って、面倒なことになることが多い。ブログの場合は、「書く」なので、投稿ボタンを押す前に、ある程度の自制が働くが、Twitterは「つぶやく」だから恐ろしい。それも世界に向けてである。

その上、書いたら最後、削除はできるが編集はできないらしい。みんな、こんな恐ろしいことをよくやっているものだと感心する。

実は今年の正月に、酔っ払った勢いでアカウントだけは取っていたのだが、この恐怖心から、いままで始めることができなかった。あくまでやたがらすナビのアカウントなので、更新情報を中心にTweetする予定である。こうやって書く内容を限定しておけば、いらんことを言う可能性も減るだろう。

それでも、いらんことを言うかもしれないので、その時は大目に見てください。
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10月は、5月に脳梗塞で倒れた祖母を、二回散歩に連れて行った。散歩と言っても、もう自分では歩けない。車いすで押していったのである。

正直、倒れた時はもうだめだと思った。なにしろ96歳である。なにがどうなっても不思議ではない。今はかなり回復した。寝たきりで、言語不明瞭だが、車いすに乗れるほど回復しただけでも大したものだ。これはみな胃ろうのおかげである。

胃ろうとは、腹に穴を開けて、そこから流動食を流し込むという方法である。入れているのは口から入れる流動食と全く同じものだ。右半身が麻痺しているので、口からの食事は不可能だろうという判断でこうなった。

胃ろうをしてまで生きたくないという人がいる。どう考えようとそれは自由だし、その気持ちも分らなくもない。なるほどそういう考え方もあるかと思っていたが、祖母の胃ろうを見ていて、僕はだいぶ考えが変わった。

「胃ろうをしてまで生きたくない」というのは、食べる楽しみが無いぐらいなら死んだほうがマシだという考えに立っている。しかし、生きる楽しみはそれだけではない。むしろ、食うことなんか、生きる楽しみとしては大したものではないのではないか。

例えば、僕は喫煙者だが、タバコの旨さが分からない人は、気の毒だと思う。もし、今タバコを取りあえげられたら、死んだほうがマシ・・・とまでは言わないが、ちょっときつい。

だが、最初から吸わない人にとっては、タバコの旨さなんかどうでもいいことである。かつてタバコを吸っていて、すでに長らく止めた人も、そんなのはどうでもいいことだろう。

同様に、今、突然口から食事できなくなったら、その時はそりゃ辛いだろうが、そのうち自分が口から食事をしていたことさえ忘れてしまうのではないか。その人に、「食べる楽しみがないなんて気の毒だ」と言っても、それは「タバコの旨さが分からない人は、気の毒だ」というぐらい意味がない。

大事なことは、その他の生きる楽しみをどう作ってあげられるかだろう。寝たきりにはなってしまったが、祖母は明らかに元気になっている。顔色もいい。自分で食事をしていたときよりも、栄養バランスが良くなっているのだ。

人は生きるためだけに食事をするのではないが、生きるためには食事をしなければならない。それが舌の上を通るか、直接胃に入るかだけの違いだ。胃ろうだけを切り離して、人間の尊厳を考えることはナンセンスだと僕は思う。

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