2016年04月

先月の終わりから今月にかけて北京に行ったので、今月は北京の記事ばかりになった。

北京は三度目である。初めて行ったのは2000年で、諸般の事情により一週間もいるハメにあった。これが初めての海外だったから、僕にとっては印象的な街である。

初めての北京は、すごいインパクトだった。まず、異常に埃っぽい。道路は自転車が多いのは言うまでもないが、赤くて小さくてこ汚い(ダイハツ・シャレード)タクシーがたくさん走っていた。タクシーにはエアコンがないので、暑くて狭くて埃っぽかった。自転車タクシーも健在だった。

道路はあちこち陥没していて、信号機は壊れている。路上にはゴミが散乱していた。公衆電話もあるにはあるが、たいがい壊れていて使えない。電話をかける時は、商店の店頭にあるのを使って後で金を払っていた。

街灯もまだ少なくて、夜になるとけっこうな繁華街でもうす暗い。いたるところに物乞いがいる。地下鉄の中にまで、台車に乗った障害者の物乞いが来て、金を渡すまで目の前からどかないのには閉口した。

なんかすげぇ所に来ちゃったという感じだ。

二度目はそれから二年後の2004年。北京に泊まったのは二泊程度で、すぐに邯鄲で一炊の夢を見るという自転車ツアーに出たので(帰りは上海から帰った)、北京の街を見る機会はあまりなかったのだが、二年前に比べて、ずいぶんきれいになったと感じた。

さて、そして今年。最後にいってから、12年経っている。

着いた時は、ドヨンと霞んでいて、これが噂のPM2.5かとちょっと憂鬱になったが、二日目以降はすっきりした青空が続いた。毎日大気汚染というわけではないらしい。霞んでいても、16年前のような埃っぽさはないから、昔の方が空気が汚く感じる。ただし、これは季節要因もあるのかもしれない。

何といっても、町がきれいだ。ゴミもあまり落ちていない。北京市は清掃員を大量に雇っているらしく、ゴミが落ちていると、ディズニーランドさながら、すぐに掃除していく。地域住民しかいなかった胡同も、昔の面影を保ったままきれいになっている。前門や西単なんか、街並みそのものが変わってしまった。

しかし、やっぱり北京は北京である。どこか垢抜けない、首都なのに田舎っぽい北京らしさは健在だ。だから、こんな人もいる。
眠る人

町を歩く若い人も、精一杯のオシャレをしているが、上海なんかに比べると、なんとなく野暮ったい。庶民的な食堂に入ると、相変わらず大声でくだらない議論(たぶんヨメの悪口など)をしている、酔っ払ったオッサン連中がいる。たしかに町はきれいになったが、よく見ると、微妙にツメの甘いところがある。

歴史のある大都会なのに、イキじゃない。これが北京の魅力である。
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『十訓抄』の電子テキストを公開しました。

宮内庁書陵部本『十訓抄』:やたナビTEXT

底本は新編日本古典文学全集『十訓抄』(浅見和彦・小学館・1997年12月)
と同じ、宮内庁書陵部本です。例によって、翻刻部分はパブリックドメインで、校訂本文部分はクリエイティブ・コモンズライセンス 表示 - 継承(CC BY-SA 4.0)で公開します。

『十訓抄』は、その名が示すように、10の教訓からなる作品です。説話集や教訓書にカテゴライズされますが、今回、深く読んでみて、どちらも間違いではないけど、当たってもいないという印象を受けました。

作者は間違いなくウンチクオヤジです。古典の作者は多かれ少なかれウンチク言いの傾向がありますが、『十訓抄』作者の場合、並外れた博覧強記の理屈っぽいウンチクオヤジです。

作品の構成も理屈っぽい。まず、教訓を9でも11でも20でもなく、ぴったり10にするところからして、すでに理屈っぽい。全体の序があって、各教訓に序があって、説話が並んで、各教訓の結論があって、そして最後に全体の跋がある。こういう、カッチリした研究書みたいな構成も、他の古典文学作品ではあまり見ません。

構成はカッチリしているにもかかわらず、話がブレまくります。最後の教訓、「可庶幾才芸事」に至っては、ぶれまくった挙句やたらと長くなって、全然才芸とは関係ない話で、脱線したまま終わっています。このあたり、いかにもウンチクオヤジらしいと思います。本当は教訓よりウンチク優先なのでしょう。

だいたい、こういうウンチクオヤジは実生活では嫌われます。一緒に酒飲んで、朝までウンチクを聞かされようものなら、もうその人は二度と一緒に飲んではくれません。

しかし、よく誤解されますが、ウンチクオヤジは物知りを自慢したくて、ウンチクをたれるのではありません。ウンチクの面白さを共有したくて、たれるのです。自分が面白いと思ったから、人に聞かせて一緒に面白がりたいだけなのです。

だから、顔を突き合わせて、リアルタイムで朝まで聞かされるのはきつくても、文章になっていれば大丈夫。作者もそのつもりで、思う存分書いています。読むなら、是非最初から通して読んで欲しい作品です。

作者は判然としませんが、奥書の「六波羅二臈左衛門入道」というのがヒントだろうと考えられています。たぶん、この名前にもとんでもないトンチが隠されているのでしょう。

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故宮のMIB:2016年04月19日の続き。ちょっと間が開いたけど、これからちゃんと故宮に入る。

天安門をくぐれば、そこは故宮である。ここまでは門票(入場券)は不要。入場券売り場は次の午門の前の広場にずらっと並んでいる。買うには、まず身分証(外国人はパスポート)を提示する。提示するといってもただ見るだけではなく、ちゃんとパソコンで照会している。昔のように、「やってることはやってるけどザル」ではないらしい。時間がかかるのを覚悟したが、売り場の数がものすごく多いので、それほど並ぶことはなかった。

で、いよいよ故宮に入るが、ここでまた荷物検査。
故宮入り口

あれ?鯉のぼり持ってる人がいるよ?
鯉のぼりを持ったガイドさん

鯉のぼりだから日本人のツアーかと思ったら、さにあらず。中国語しか聞こえない。どこか田舎から来たツアーらしい。たしかに、旗を持っているガイドさんはたくさんいるが、鯉のぼりを持っている人はいないので、知らずに別のツアーに付いていくことがなくっていい。

ツアーの定番、赤い帽子も健在。昔は香港や台湾のツアー客の定番だったが、これもどこか田舎の人たちらしい。
ツアー客

故宮の中は、こんなお上りさんでいっぱい。服装が野暮ったいので、すぐ分かる。北京市民も、上海市民などに比べればお世辞にも垢抜けているとは言いがたいが、この連中はさらに野暮ったい。かつての中国名物、子供の尻割れパンツも、ここなら見ることができる。

日本人は、日本に旅行に来た中国人を見て、みんな日本をめがけて旅行に来ていると思っている。しかし、実際は日本だけでなく、世界中に行っているのだ。まして、身近な国内旅行ならなおさらだ。日本が魅力的だから来ているのではなく、旅行できる経済力が付き、旅行する文化が発達してきたのである。

午門をくぐると、川のようなものが流れている。なかなかいい景色だが、惜しむらくは、門が工事中で養生してある。
午門

故宮(紫禁城)の中心的建造物、太和殿。
太和殿

太和殿の玉座。ラストエンペラーでコオロギを取り出していたのがここ。
玉座

昔は中に入れたと思ったのだが、今は入れるどころか・・・
玉座を撮る人民

ごらんのとおり、写真を撮るので精一杯である。

今月の壁紙では、景山公園から見た故宮を載せたが、今度は逆に景山公園を見てみよう。遥か彼方に小さく見える建物が、撮影した場所である。
故宮から見た景山公園

立入禁止の場所も多いが、そういう場所は例のMIBが立っているか、南京錠がかかっている。北京なのに南京錠とはこれいかに。
ハイテク南京錠

しかし、この南京錠、一見普通の錠前だが、ただの南京錠ではないらしい。よく見ると、複雑な形をしていて、なにやらハイテクの匂いがする。ジロジロ見ていたら例のMIBに目を付けられたので、写真を一枚だけ撮って逃げた。

壁紙でも紹介したが、あれでは何だかわからないと思うので、こちらが溥儀が自転車を練習していたところ。
自転車練習場

もう、広すぎてパースがおかしなことになってる。

最後、花とわたくし。
花と私

このころ、日本では桜が満開だったが、北京も花盛りだった。いままで夏しか行ったことがなかったが、春の北京もなかなかいい。
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というわけで(今月の壁紙(故宮):2016年04月14日)、故宮に行ってきたのだが、最初から故宮に行くつもりだったのではない。

なにしろ、故宮はでかすぎる。一度行くと、その迫力に圧倒され、「もういいかな」という気になってしまう。僕も妻も過去に行ったことがあるので、「行けるなら行きたいけど、わざわざ行く気にならない」という感じだった。

で、その日は新幹線に乗って、天津まで行こうと思っていた。ところが、清明節の連休で、北京駅はすごい人。チケットを買う元気どころか、売り場を探す元気すらなくなった。
北京駅

もう天津はあきらめ、意味もなく地下鉄に乗って前門に行く。故宮に行くにはもっと近い駅があるのだが、思い出の前門を見たかったのだ。
前門

この門の向こう側には、前門大街という大きな通りがあり、2000年と2004年、その通りに面した自称北京で一番でかい自転車屋で自転車を買った。北京発の自転車旅は、いつもここから始まっていたのである。

当時は道幅の広い大通りで、車がバンバン走る幹線道路だった。通りの両側には、飲食店だとか、本屋だとか、地域住民の生活に根ざした商店が立ち並んでいたのだが・・・
前門大街

なんかオシャレ通りに変わってた。年中歩行者天国で、車両は入れない。

立ち並んでいるのは、オシャレブランドショップばかり。歩いているのは、お上りさんか外国人ばかりで、地域住民はほとんどいない。北京一でかい自転車屋はどこへ行った?この通りにありそうな気配すらない。

レトロな路面電車が写っているが、昔はこんなのなかった。門や建物も、すべて最近できたものである。まるで100年前からこの状態のようになっているが、中国人はこういうレトロ調を作らせたら世界一うまいと思う。

ここに来る前も、警備が厳しかった。空港はいうまでもなく、地下鉄に乗る時には、どの駅でも必ず荷物検査がある。中国では、鉄道の駅に荷物検査があるのは昔からだが、さすがに地下鉄にはなかった。それもご丁寧に、検査機の前にも人が立っていて、検査機に荷物を通さないと注意されるのである。

天安門広場になると、さらに警備が厳しくなる。いたるところに武装警察の兄ちゃんが立っている。武装警察は昔からいたが、あきらかに数が多い。歩道にも荷物検査があり、そこを通らないと故宮方面には行かれない。それも、検査機に荷物を入れるだけでなく、ポケットも探られる。空港並みである。

そんな天安門広場で、お約束の見えない敵と戦ってみた・・・のだが、どうみてもビビって腰が引けている。
見えない敵と戦ってみた

武装警察というと、なんだか怖いイメージがあるが、バッキンガム宮殿の近衛兵みたいなもので、立っているだけ。でも数が多いと、怖くて変なことはできない。
天安門と武装警察

天安門の入り口には、この武装警察とイケメンMIB(メン・イン・ブラック)が交互に立っている。間に消火器が於いてあるが、MIB、イマイチ役割が分からない。
武装警察とMIB

こんな感じなので、故宮に入るのも結構大変。まず、入場券(門票)を買うのだが、ここで身分証(外国人はパスポート)を見せなければならない。そして、荷物検査の後入場。人が多いわりには、それほど時間はかからなかったが、こんなに面倒くさくなっているとは思いもしなかった。

入ってみると、中にもMIBがうろついてた・・・。なんかかっこいいぞ。
MIB
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4/15・16と熊本県を中心に、群発地震が起こった。直下型なので、津波の心配はほとんどないが、短い期間に何度も大きな地震が起きたので、被害は相当大きくなりそうだ。

ところが、最近稼働を始めた、川内原発は停止しなかった。僕にはさっぱり理解できない。

なにしろつい最近まで動いていなかったものだし、季節的にも需要の多い季節ではない。止めたら電力が足りなくなるというものではないだろう。現状、川内原発の揺れはそれほど大きくないようだが、群発だから今後どうなるか分からない。もちろん、止めるにも再び動かすにもコストはかかるが、そんなことを云々する状況ではないのは被害状況を見れば分かる。

福島の原発事故で、今も問われているのは、原発そのものの信頼性と、それを運用する者の信頼性の2つの信頼性である。

仮に、今度の地震で、川内原発に何も起こらなかったとしよう。なるほど、原発そのものの信頼性は高まるかもしれない。しかし、それを運用する電力会社や政府はどうだろうか。

電力会社や政府の信頼は、原発を停止することによってのみ得ることができる。なぜなら、地震の先行きは誰にも予想できないからだ。一発の地震で済むかもしれないし、今度は川内原発の近くで起きるかもしれない。また、津波や噴火を引き起こすかもしれない。

だから、彼らが安全性を考えているなら、できれば最初の地震で止めておくべきだったし、二度目の地震があれば、三度目・四度目の可能性は高くなるのだから、そこで止めるのが当然である。ところが、現状でまだ原発は動いている。

川内原発を動かし続けることについて、政府はこんなことを言っている。

丸川珠代原子力防災担当相は16日午前、熊本地震の非常災害対策本部で、運転中の九州電力川内原発(鹿児島県)について、観測された地震動が自動停止させる基準値を下回っているとして「現在のところ、原子力規制委員会は停止させる必要はないと判断している」と報告した。 (Yahoo!ニュース:時事通信

常識的に考えれば、群発地震なのだから、今、基準値を下回っていても、今後、基準値以上の地震が来る可能性はある。電力需給に問題がないのだから、安全性を捨てて、止めるコストを嫌っているとしか考えようがない。

おそらく、最終的に何の問題もなかったら、それだけ原発の信頼性が上がると考えているのだろう。簡単に言ってしまえば、「あの地震にも耐えたのだから、原発は安全です」というわけだ。

ところが、これで実際に証明されたのは、政府も電力会社も、安全よりも、目先の利益を優先しているということである。そんな連中に原発を管理・運用する資格はない。「問題ありませんでした、よかった」で済ませてはいけない。

最後になりましたが、被害にあわれた方々に、一刻も早い復旧をお祈り申し上げます。
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新学期が始まって、なかなか文章を書く暇がないので、壁紙でお茶を濁す。というわけで、先月も先々月もなかったけど、今月の壁紙。故宮を中心に。

まずはよく見る写真だけど、景山公園からの故宮をどうぞ。ちょっと霞んでいるのは、いわゆる春霞(と書いてPM2.5と読む)である。
故宮(1280x1024)

故宮(1280x1024)
故宮(1366x768)
故宮(1920×1080)

同じく景山公園から、西側の北海公園側を見る。すかっと晴れ渡っていたら、遠方に近代的なビルが並んでいるはずだが、春霞(と書いて・・・)のおかげでほとんど見えない。おかげで、なんだか幻想的な絵になった。春霞も使いようである。
景山公園の夕日(1280×1024)

景山公園の夕日(1280x1024)
景山公園の夕日(1366x768)
景山公園の夕日(1920×1080)

春霞がひどかったのは着いたその日だけで、あとはピーカンだった。こちらは、故宮の中心的な建物、太和殿。ラストエンペラーで宣統帝が座ってたところですな。
太和殿(1280x1024)

太和殿(1280x1024)
太和殿(1366x768)
太和殿(1920×1080)

太和殿裏の階段。どっかで見た写真だと思ったら、書道の教科書に同じ構図のがあった。
階段(1280x1024)

階段(1280x1024)
階段(1366x768)
階段(1920×1080)

こちらは、溥儀が自転車の練習をしたところの壁。ラストエンペラーで有名(らしいが覚えていない)。
紫禁城の壁(1280×1024)

紫禁城の壁(1280x1024)
紫禁城の壁(1366x768)
紫禁城の壁(1920×1080)

最後は壁の割れ目から咲くたくましい花。まさに壁の花。僕のお気に入りの一枚である。
壁の花(1280×1024)

壁の花(1280x1024)
壁の花(1366x768)
壁の花(1920×1080)
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妻の希望で琉璃廠(リューリーチャン)へ行った。琉璃廠とは・・・と書こうと思ったが、Wiikpediaの文章がかっこよかったので、そのまま引用する。
琉璃廠は、中華人民共和国北京市西城区の新華街に位置する街である。
栄宝斎(1672年開業)を始めとした、筆、硯、墨、紙の文房四宝と印章、書画骨董などを販売する店が立ち並び、多くの文人墨客が訪れることで知られる。(琉璃廠:Wikipedia)

というわけで、書道をやる人は、北京に行ったら、必ず立ち寄るのが琉璃廠である。

16年前の夏に行った時は、それは賑わっていた。中国人の「文人墨客」も多かったが、とりわけ目立ったのが、日本人である。今の銀座みたいに観光バスで押し寄せて、書道用具や骨董品、書画などを爆買いして行った。

通りを歩いていたら、怪しい骨董売りがやってきて、「秦代の壺があるから、買わなくてもいいから見ないか」という。ついていくと、これまた怪しい招待所(簡易ホテル)に入って、カバンから怪しい壺を出す。「これは秦代の壺で、西安の工事現場から出た貴重なものだ・・・」とか何とか言っているらしい。秦代の長安がどんなところだか、さっぱり分からない。インチキするにも、もうちょっとストーリーを練って欲しいものだ。

かつては、そんな楽しいところだったのだが・・・。
琉璃廠

琉璃廠2

ごらんのとおり、土曜日の午後なのに、ひっそり閑としている。あの爆買い日本人はどこへ行った。

実は、このとき昼食を食べそこなって、かなり腹が減っていた。屋台を期待していたのだが、そんなものはどこにもない。しかたなく、画廊に併設された茶館で、龍井茶を飲み、お菓子を食べた。ついでに画廊を見ると、とんでもないお値段の作品が並んでいる。とても買える値段ではない。

茶館を出て、筆屋に行って筆を買った。妻は最初から場所を決めていたらしい。店員さんに、筆の説明を受けるが、専門的すぎて僕のポンコツ中国語では対処できない。物色しているうちに、若い文人墨客が来て、試し書きをしていた。これが、むちゃくちゃうまい。

次に行ったのは、栄宝斎と並んで琉璃廠の顔になっている中国書店である。書道の法帖、画集、古典のテキストなどが、新刊も古書もずらっと並んでいる。入ってみると、外の閑散とした感じに反して、店内は文人墨客で繁盛している。レジでは、台湾人と思しき文人墨客が爆買いしてた。

書道の法帖の数には驚いた。とにかく種類が多く、聞いたことのないものから、メジャーなものまでいくらでもある。中国のものだけでなく、日本の三筆、三跡まである。同じものでも、初心者用に拡大した罫線を入れたものから、上質な上級者用まで、とにかく種類が多い。

さらに驚くのがそのクオリティの高さである。昔は、中国の法帖というと、わら半紙にリソグラフで刷ったようなものばかりだった。ところが、今はどれも美麗な多色印刷で、紙質も装丁もいい。値段も25〜40元程度(400〜700円ぐらい)で、以前よりそれほど高くなった感じがしない。
中国書店で買った法帖

さすがに疲れたので、中国書店を出て、栄宝斎カフェに入った。栄宝斎がオシャレカフェを経営する時代になったのだ。このカフェでは、棚の本を読むことができ、気に入ったら買うこともできる。
栄宝斎カフェ

客がいないように見えるが、そんなことはない。僕が撮る直前、似非文人墨客が法帖をもって撮影会をやってた。

コーヒーは法帖とほぼ同じ値段。スタバなどもそうだが、中国で飲むコーヒーはバカ高い。
栄宝斎カフェのカフェラテ


さて、帰り際トイレに行こうと思って、店員に聞いてみたら、なんとトイレはないので、外の公衆トイレを使えという。胡同同様、きれいなトイレだったが、このオシャレ空間にそれはないと思うぞ。まあ、このツメの甘さが中国なんだけど。

琉璃廠はずいぶん寂れたように見えたが、これがこの町の本来の姿なのかもしれない。文人墨客が海外からバスで押し寄せるなんて、考えてみればおかしな話だ。
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昨日の記事で書いた、胡同(フートン)とは、簡単に言ってしまうと、北京の長屋である。胡同を構成する家の建て方を「四合院」という。4つ以上の長屋を四角形の各辺にして、中庭を作る形になっている。

中国の発展とともに、急速に姿を消しつつあると聞いていたが、そのフェーズはすでに過ぎて、今は逆に歴史的建造物として保護する方向にある。近代化のリバウンドで、古くて新しい観光地として見直されているようだ。

前回紹介した南鑼鼓巷は、もともとそのような胡同の中に、オシャレなバーなどが少しづつできて形成されたらしい。だから、南鑼鼓巷そのものは、原宿の竹下通りみたいになっているが、そこは胡同、一本中に入ると、そこには庶民の生活がある。
胡同

しかし、よく見ると、昔の胡同とはだいぶ違っているのに気づく。まず、道がきれいになった。昔なら、妙なところに穴があいていたり、街路樹の根っこでアスファルトが盛り上がっていたり、とんでもない所にウ○コが落ちていたり、いたるところに罠が仕掛けてあったが、今はそんなトラップはほとんどない。その代わり、ちょっと広い(と言っても狭いのだが)と路上駐車の車がある。

もともと四合院の家にはトイレがない。だから、胡同の中には、いたるところに公衆トイレがある。これだけきれいになったのだから、公衆トイレも減ったのだろうと思いきや、まだまだ健在だ。例えば、僕が泊まっていたあたりのトイレを百度地図で検索するとこんな感じ。数字が付いているところだけではなく、赤い点すべてが公衆トイレである。

公衆トイレ

で、これがハンパじゃなく汚い・・・というのが10年前のお約束。ところが、すべてきれいになっている。悪臭もない。

選ばれし勇者のみが入れるトイレ、それがかつての胡同トイレだったが、今はそれほど根性を出さなくても入れる。あちこちにあるし、非常に便利だ。きれいなトイレを撮ってもしょうがないので、写真はない。

これだけ整備するには、おそらく相当な補助金が出ているのだろう。僕が泊まったあたりも、あちこちで道路工事をしていた。

しかし、トイレの数が減っていないのと同様、今でもたくさんの庶民が住んでいる。これは胡同ではないが、こんな青空散髪も健在。

青空散髪

狭い間口で、飲み物やお菓子、タバコなんかを売る昔ながらの店もある。そういう店では、オッサンかオバサンが一人で店番をしていて、わりと夜遅くまで買うことができる。そのせいか、北京ではコンビニが極端に少ないようだ。

そんなオッサンの店で、ビールを買った。北京のビールといえば、燕京ビールが定番だが、もう飽きたので、青島ビールにした。

宿に着いて缶を見ると・・・アレ?何か違うよ。
特制ビール

特制ビール!パチモノつかまされた。本来「TSINGTAO」と書いてあるところに、「TEZHI(特制のピンイン)」と書いてあるのがにくい。ちなみに、山東省の徳州市産。どこにもウソは書いていない。

で、気を取り直し、もう一本。これはちゃんと「青島」と書いてあるのだが、これまたよくみると・・・。
青島名牌

「100%青島原産地」「青島名牌」・・・これもパチモノ、どこにも青島ビールとは書いていない。やっぱり中国はこうでなきゃ。
ちなみにホンモノはこれ。
本物

これが結構うまかった。昔はこういうパチモノ飲料はまずいのがお約束だったのに。
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3月30日から4月3日まで、北京に行ってきた。中国(大陸)は六年ぶり、北京は12年ぶりである。

さて、今回、妻の希望により、鼓楼大街近くの胡同(北京の長屋)の中にある、古い家を改造したホテルに宿泊した。中国らしいホテルがいいというので、中国らしいステキホテルを提案したのが、見事に却下され、本当の意味でのステキホテルになってしまった。

最初の二泊は、竹園賓館といい、もと盛宣懐という人のお屋敷だそうだ。もとお屋敷だけに、庭が広く、客室も広い。
竹園賓館庭

内装も綺麗になっている。
竹園賓館客室

とはいえ、胡同なので、まわりは普通に庶民が住んでいて、ちょっと頑張ればこんな朝飯が食える。
豆腐脳

これは「豆腐脳」といい、簡単に言えばとろみを付けたスープに汲み出し豆腐を入れて煮たものである。腹に優しいので、朝食にはぴったりだ。僕が北京で食べたかったものの一つ。

お値段は、豆腐脳二杯と写っている包子一皿で7元(120円ぐらい)だった。ものすごく安く感じるが、これでも昔から比べると高くなった。

三泊目は、「秦唐府客桟7号院」といい、もともと典型的な四合院に近い家を改造したもの。もちろん綺麗になっていてトイレもシャワーも各部屋にある。欧米人の客が多い。
秦唐府客桟7号院の客室

庭も綺麗になっているが、ちゃんと四合院の面影を残している。
秦唐府客桟(7号院

入り口はまさに胡同のそれ。
秦唐府客栈7号院入り口

ここも周りは胡同なのだが、南鑼鼓巷という北京最新のオシャレスポットになっている。休日などはすごい人。それも若い人ばかりで、なぜか揚げたイカが流行っているらしく、みんな串刺しのイカを食っていた。
南鑼鼓巷

南鑼鼓巷2

地下鉄の駅に行くまで、大した距離はないのに、普通に歩く倍以上の時間がかかる。別の道は曲がり道くねくねで、思った方に出られない。大変なところに来てしまった。

というわけで、今月はしばらく北京ネタが続きます。よろしく。
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先月末から3日まで北京に行ってきたので、そのネタを書こうと思っていたら、このニュースが飛び込んできた。別に書かなくてもいいかなと思ったけど、「解釈と鑑賞」の時も書いたので、のちの覚えに。

岩波書店「文学」、年内で休刊…「部数減少」:YOMIURI ONLINE
岩波書店の文学雑誌「文学」が、今年11月末刊の11・12月号で休刊することが分かった。
 戦中の休刊を挟んで80年以上の歴史を持ち、最新の文学研究の成果を一般読者に紹介する雑誌として親しまれてきたが、同社は「大学での文学研究に逆風が吹いている状況や出版不況により、部数が減少した」としている。

岩波書店「文学」休刊へ 「部数減少のため」:毎日新聞
岩波書店(東京都千代田区)は4日、文学研究の成果を一般向けに紹介する雑誌「文学」(隔月刊)を今年11月刊行の11・12月号で休刊すると明らかにした。理由について同社は「部数減少のため」と説明し、事実上の廃刊とみられる。
(中略)
編集部は「電子媒体での存続はない。文学研究の紹介は今後、単行本の形で続ける」としている。

「解釈と鑑賞」休刊の記事(「解釈と鑑賞」休刊:2011年08月10日)でも書いたが、雑誌には〈書く人のための雑誌〉と〈読む人のための雑誌〉がある。

岩波書店の「文学」は、もともと完全な〈書く人のための雑誌〉だったが、1990年に季刊になってから、〈読む人のための雑誌〉を志向するようになった。しかし、出自が〈書く人のための雑誌〉だったためか、「国文学」や「解釈と鑑賞」以上に、論文集的な色彩が強い。版元が大手だからここまで持ったが、そうでなければ一番に休刊になっただろう。

それにしても、「大学での文学研究に逆風が吹いている状況や出版不況により、部数が減少した(読売新聞)」という理由はどうにもひどい。その志の低さには驚愕する。

「大学での文学研究に逆風が吹いている」なら、それを盛り上げるのが出版社の役割ではないか。大学以外に目を向ければ、ビジネスチャンスにさえなり得るだろう。その上、「電子媒体での存続はない」とまでいう。売るための努力は何もしない。売れないからやめるというのである。

あらためて、今いくらで売っているのかと思ったら、最新刊は2600円もする。松井玲奈が書いてたって、誰がそんな高い雑誌買うか。

ここで思い出すのが、岩波文庫の発刊の辞「読書子に寄す――岩波文庫発刊に際して――:青空文庫」である。
真理は万人によって求められることを自ら欲し、芸術は万人によって愛されることを自ら望む。かつては民を愚昧ならしめるために学芸が最も狭き堂宇に閉鎖されたことがあった。今や知識と美とを特権階級の独占より奪い返すことはつねに進取的なる民衆の切実なる要求である。岩波文庫はこの要求に応じそれに励まされて生まれた。

岩波茂雄はこう書いて、古典を安価に提供すべく岩波文庫を作った。これだけ読むと、ものすごく志が高いように思えるが、それだけではない。関東大震災から昭和恐慌にかけて、経済的には最悪の時に、あえて廉価な文庫本を創刊したのである。これにより、あたらしいマーケットが開けた。岩波茂雄は恐慌をビジネスチャンスにしたのである。

思えば岩波文庫も、昔から比べるとずいぶん高くなった。売れないから高くする。高くすれば、ますます売れなくなる。創業者のように、マーケットを開拓する努力をしないなら、岩波書店自体もそう長くはないだろうと思われる。
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