2016年09月

Doodle(GoogleのTOPに出る、記念日ロゴ)がビーロー・ラースロー生誕 117 周年になっている。

Google

ビーロー・ラースローって誰?と思ったが、なんとボールペンを発明した人だという。

ビーロー・ラースロー:Wikipedia

ボールペンほど身近な筆記具はない。ボールペン以前は、ペンや万年筆が日常の筆記具の主流だったのだろうが、今は完全にボールペンに駆逐されてしまった。いくらコンピュータが発達しても、筆記具が完全に不要になるとは思えないので、未来永劫ボールペンは使われることになるだろう。

僕の実家は文房具屋だったから、僕の1/100ぐらいはボールペンでできているようなものだ。ついでに、硬筆書写検定対策の授業をやっているが、硬筆書写検定を受験するには、ボールペンがなければ絶対に合格できない。それほど、縁があるにもかかわらず、発明者を知らなかったとは、不覚の極みだ。

さて、僕が普段愛用しているボールペンは、パイロットのV-CORNである。いろいろ使ってみた結果、これに落ち着いて10年以上になる。

水性ボールペンなので、万年筆に似た線になる。書き味は非常になめらかで、適度な引っかかりがあって書きやすい。軸すべてがインクのタンクになっているから、なかなかインクが無くならないのもいい。

難点は、水性なので、紙の質が悪いとにじむことと、水に弱いことぐらいだろうか。そういえば、キャップが外れたのに気づかずポケットに突っ込んで、シャツを一枚(とボールペン一本)をダメにしてしまったこともあった。

水性ボールペンといえば、ボールPentelを忘れてはいけない。僕が子供の頃から、緑色の軸で異彩を放っていた。

ぺんてるというと、サインペンのイメージが強い。これもボールペンながら、ちょっとサインペンっぽい書き味がする。ボールそのものが樹脂製で、やや太い、抑揚のある線が書ける。

最後に、ビーロー・ラースローに敬意を表して、オレンジビックを紹介しよう。

BICはフランスのメーカーで、ビーロー・ラースローから直接特許を買って商品化したそうだ。つまり、これが直系のボールペンということになる。これも、黄色い軸で、店の棚で異彩を放っていた。

当時は国産のボールペンに比べて、不良品が多く、最後まで書けるものが少なかった(今のオレンジビックはそんなことはないらしい)。それでも、これでないとダメという人もいた。

僕もその一人で、パソコンで文章を書く前は、ちょっと長い文章はすべてこれで書いていた。国産にはない独特のぬるっとした書き味で、太い線で心地よく書ける。いつ使えなくなるか分からないので、必ず二三本、筆箱に入れていた。

これを使わなくなったのは、長い文章をボールペンで書くことがなくなったからである。もし、今長い文章を書かなければならなくなったら、今でもこのボールペンを買いに行くだろう。
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祖母の家を片付けていたら、避難訓練のときの記念品がいくつかでてきた。品川区の避難訓練に出ると、ロウソクやアルファ化米など、非常時に必要なものが粗品にもらえたらしい。その中に、三角巾があった。中身は何の変哲もない白い布を、三角形に切っただけのものである

三角巾など、非常時にどう使うのかと思われるかもしれないが、三角巾は怪我をしたときに便利とされていた。三角巾が入っていた封筒の裏には、使い方が書いてあった。
三角巾の使い方

表はこんな感じ。
粗品
ん?
全身包めます
三角巾が18枚あれば、全身を包めるそうだが・・・。
そんな状態になったら、もう死んでるだろ。
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子供の頃、僕にとって崎陽軒のシウマイは、CMでは見るものの、食べたことがない未知の食べ物だった。あの「おいしいシューマイ、崎陽軒」という耳について離れないフレーズは、何かものすごくうまいものを予感させた。

シューマイ自体は近所の惣菜屋でもスーパーでも、どこにでもある。しかし、テレビやラジオでコマーシャルしているシューマイは崎陽軒以外に聞いたことがない。当時、リンリンランラン留園だの、萬珍樓だの、中華料理店でCMを流しているところはあったが、崎陽軒のCMはそれよりもずっと頻度が高かった。これがまずいわけがない。

その後、誰かと横浜へ行って、どこで食べるかという話になって、僕が「崎陽軒に行きたい」というと、なぜか一笑に付された。崎陽軒のシウマイが折り詰め弁当専業であることを知らなかったのだ。横浜のどこかに店舗があって、そこで作りたてのシューマイが食えるのだと思っていたのである。

そんなわけで、僕が初めて崎陽軒のシューマイを食べたのは、20代後半である。あの憧れのシウマイを食べた感想は、・・・・まずくはない。まずくはないが、はっきりいって近所の惣菜屋の方がうまい。しかし、時々これが無性に食べたくなるのである。

というわけで、先日無性に崎陽軒のシウマイを食べたくなったので、京急品川駅で買ってきた。

こちらがパッケージ。よく見るとちゃんと「横浜駅」と書いてあるな。駅弁である証左。
崎陽軒のシウマイ(パッケージ)
中身。電子レンジ等で温めてもうまいと書いてあるが、おすすめしない。暖めると味が濃すぎる。崎陽軒のシウマイは常温が一番うまい。
崎陽軒のシウマイ(中身)
本来駅弁なので、お手拭きも入っている。ズブズブに濡れていて、しかも小さい。これも含めて崎陽軒の味。
崎陽軒のシウマイ(お手拭き)
ドヤ!最近はこういう写真を夜食テロというらしい。これ見てたら腹が減ってきた。夜食テロ自爆。
崎陽軒のシウマイ
崎陽軒のシウマイといえば、醤油差しのひょうちゃん。何種類もあって、コレクターもいるらしい。現在は『フクちゃん』で有名な横山隆一作。
ひょうちゃん
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かつて、フリースタイル修行にはまっていたことがある。フリースタイル修行とは、決まった修行の型をとらず、自分のルールで修行することだ。もちろん、僕が考えた言葉だから一般的な言葉ではない。

そのころ、自転車で四国八十八ヶ所をめぐり熊野古道を歩いた。次は出羽三山に行こうと思っていたのだが、様々な事情により果たせなかった。

出羽三山修行の気持ちは今もあるので、予行として、出羽三山神社に行ってきた。出羽三山神社は、羽黒山・月山・湯殿山を合祀した神社で、場所そのものは羽黒山にある。

羽黒山の標高は414m。月山(1,984m)、湯殿山(1,500m)と比べても極端に低く、東京の高尾山(599m)よりも低い。麓から神社までは石段がつづき1時間程度かかる。なお、自動車で上がることもできるが、通行料が往復で800円もかかるし、それではつまらないので、片道だけでも(後述)歩いた方がいい。

まず、麓のいでは文化記念館から。無料の駐車場がある。ここから車で上まで行くこともできるが、なお、頂上に行くまでにトイレがないので、ここですませて置かなければならない。
いでは文化記念館
随神門。もとは仏教なので山門だった。
随神門
随神門をくぐってしばらく行くと、赤い橋が現れ、滝が見えてくる。かつては、ここで水垢離をして出羽三山詣でをしたそうだ。
祓川と須賀の滝
国宝五重塔。かつて山中は寺だらけで、その名残。600年ほど前のものらしい。
国宝五重塔
こんな石段が延々続く。熊野古道の小雲取越・大雲取越の方がずっときつかったが、見た目のインパクトはなかなかだ。
石段
ときおり見える庄内平野。
庄内平野
だんだん末社が増えてきて、いでは文化記念館から1時間程度で出羽三山神社に着く。手前の池が鏡池で、茅葺きの建物が三神合祭殿。
三神合祭殿と鏡池
これも寺院時代の名残、梵鐘と鐘楼。国の重要文化財である。
鐘楼
このまま歩いてきた道をもどってもいいが、時間がないので、バスで戻ることにした。ところが、ちょうど行ったばかりで、かなり待たなくてはならない。そこで、タクシーの相乗り(4人)で、下ることになった。4人だとバスとほとんど同じになるそうだ。

ここから、車で月山まで行った。八合目までは車で行けるのだ。細い道をクネクネ行って、やっとたどり着いたのだが・・・
月山八合目
霧でなーんも見えん。ここから頂上まで登山道が続いているが、今回はパス。

その他の写真はこちらでどうぞ。
出羽三山神社:ギャラリーYa
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夏休みの終わりに、山形県庄内地方に行ってきた。まずは鶴岡市の善寳寺から。

善寳寺:公式サイト
善寳寺:Wikipedia

善寳寺は現在曹洞宗の禅寺になっているが、開山は古く、平安時代の中頃、妙達上人がここに庵を結んだのが最初とされ、当時は龍華寺といったという。今年はその妙達上人の生誕1150年にあたり、特別に普段入れない奥の院を御開帳している(10/28まで)。

と言われても、まずピンとこないが、昔(平成2年)に話題になった人面魚をご存知の方は多いだろう。人面魚がいる貝喰池はここの池である。

実は僕もピンとこなかったのだが、本当は妙達上人でピンとこなければならなかった。妙達上人の名が出てくるのが、『法華験記』と『今昔物語集』なのである。

『今昔物語集』巻13 出羽国龍花寺妙達和尚語 第十三:やたナビTEXT

さて、そんなわけで、善寳寺に行ってきた。ところが・・・写真に雨が写るレベルの土砂降り。

善寳寺山門

山門の中には、普通仁王様と相場が決まっているが、ここは毘沙門天と、
毘沙門天
韋駄天。
韋駄天
地蔵菩薩や弥勒菩薩など、この寺の仏像はでかいのが多いが、石段のわきの切り株の中に、小さなお地蔵さん発見。
切り株の地蔵
こちらが本堂の感応殿。
感応殿
感応殿の裏手に今回初公開の奥の院龍王殿がある。
龍王殿
今回、この龍王殿の中に入れたのだが、残念ながら写真撮影は禁止。中には秘仏の龍王像があるのだが、小さくてよく見えない。天皇家の紋が付いているのは、天皇家とゆかりが深いからということで、中には有栖川宮家の位牌もたくさんあった。

何しろ大雨で傘をさしてもすぐにずぶ濡れになってしまう。ちょっと離れた貝喰の池に行く根性はなかった。まあ、これだけの雨が降ったということは、龍神様のご利益ということで、よしとしよう。

その他の写真はこちらをどうぞ。

龍澤山善寳寺(山形県鶴岡市):ギャラリーYa
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昭和天皇が崩御した時か、今上天皇が即位した時だったか、よく覚えていないが、都内の神社に過激派が時限発火装置を仕掛けるというテロが起こった。犠牲者はいなかったが、都内のめぼしい神社はほとんど仕掛けられた。

当時、僕は御茶ノ水の湯島聖堂に住んでいた。3人交代で夜間の警備(のようなもの。夜勤と言っていた。)をしており、その日の担当は僕だった。夜勤明け(といっても夜は寝ているが)の朝、出勤してきたバイトの女性が僕にこんなことを言った。

「地下鉄の通風口から煙が出てるんですけど・・・」

事務室がある斯文会館の駐車場には、丸ノ内線の通風口があった。マリリン・モンローのアレを思い出してもらえれば、だいたいあっている。慌てて外に出てみると、本当にそこからモコモコと煙が出ている。

天皇崩御以来、警戒が厳しくなっており、通りはたくさんの警官がいた。僕は通りに出て、直接一人の警官に事情を話した。警官はすぐに見に来てくれたが、

「ここは、普段煙は出ないんですか?」

などと、トボケたこと言う。そんな低いところから煙がでるわけがない。

「出ません!早く応援を呼んでください!」

すると警察官は、通風口の中を覗き込み、

「火が見えますねぇ」

とか言って、無線で何やら話していた。全く緊張感がない。こいつ、もしかしたらバカなんじゃないかと思った。

その後、消防と何人かの警察官が来て、湯島聖堂備品のバケツを借りて、時限発火装置を処理していった。過激派のしわざと知ったのは、その晩のニュースである。神社でもないのになぜ狙われたのか、そもそも、なんで天皇が崩御して過激派が時限発火装置をしかけるのか、いまだにそのロジックが分からない。

それから約一ヶ月後、本富士署から警察官が来て、事情聴取を受けた。僕が疑われたわけではない。住み込みだったから、事件の前に気がついたことがなかったかというのである。

なにしろ一ヶ月前のことで、それも仕掛けられたのは発火する数日前の可能性もあるという。そんなの何一つ覚えていない。それでも、メシの時間から寝た時間まで、何から何までむりくり思い出させられて、事情聴取は五時間以上に及んだ。

後日聞いたところ、中からはバッテリーと時計などが出てきたという。仕掛けられた時間は、当日の朝方だそうで、一週間分の記憶の呼び戻しは全く意味がなかった。

警察に貸したバケツは、結局返ってこなかった。
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