今年は、僕にとって、大きな出来事のない、まったく平穏な年だった。おかげで、少々退屈ではあるが、やりたいことを淡々と進めることができた。
今年はブログの更新頻度が減ってしまった。
その理由の一つは、「やりたいこと」の一つである、やたナビTEXTの作成を優先したからである。今年の初めには、『今昔物語集』は年内に天竺部が終わればいい、『撰集抄』は年内には終わらないだろうと思っていたが、すでにいずれも予想以上に進んでいる。
もちろん、早ければいいというものではない。正確であるのにこしたことはないが、今は一つでも多くのテキストを公開することを優先したいと思っている。
ブログの更新頻度が下がったもう一つの理由は、批判的な記事を書かないようにしたからである。もちろん、様々なことに対して、不満が無くなったわけではないし、諦めたわけでもない。
いくら自分の意見が正しくとも、ブログに批判的なことを書いて、それが受け入れられることは稀である。受け入れるどころか、普通は相手にされない。仮に賛同者が多かったとしても、自分の気持ちが少しすっきりとする程度のことで、解決には結びつかない。
批判できるということは、そこに〈問題〉が放置されているということである。そういう〈問題〉には必ず小さな穴が開いている。その穴を個人的に利用した方がよほど建設的である。
世の中にはそういう放置された様々な問題がある。しかし、逆に言えばそれだけチャンスもあるということだ。諦めてはいけない。諦めず、少しずつ小さな穴を突いていけば、いずれは穴は大きくなり、問題も解決するはずだ。僕はそう考えている。
具体的に書くと批判になるから、「今年の総括」というわりに抽象的な文章になってしまった。
今年もあと30分ほどで終わる。良いお年を。
今年はブログの更新頻度が減ってしまった。
その理由の一つは、「やりたいこと」の一つである、やたナビTEXTの作成を優先したからである。今年の初めには、『今昔物語集』は年内に天竺部が終わればいい、『撰集抄』は年内には終わらないだろうと思っていたが、すでにいずれも予想以上に進んでいる。
もちろん、早ければいいというものではない。正確であるのにこしたことはないが、今は一つでも多くのテキストを公開することを優先したいと思っている。
ブログの更新頻度が下がったもう一つの理由は、批判的な記事を書かないようにしたからである。もちろん、様々なことに対して、不満が無くなったわけではないし、諦めたわけでもない。
いくら自分の意見が正しくとも、ブログに批判的なことを書いて、それが受け入れられることは稀である。受け入れるどころか、普通は相手にされない。仮に賛同者が多かったとしても、自分の気持ちが少しすっきりとする程度のことで、解決には結びつかない。
批判できるということは、そこに〈問題〉が放置されているということである。そういう〈問題〉には必ず小さな穴が開いている。その穴を個人的に利用した方がよほど建設的である。
世の中にはそういう放置された様々な問題がある。しかし、逆に言えばそれだけチャンスもあるということだ。諦めてはいけない。諦めず、少しずつ小さな穴を突いていけば、いずれは穴は大きくなり、問題も解決するはずだ。僕はそう考えている。
具体的に書くと批判になるから、「今年の総括」というわりに抽象的な文章になってしまった。
今年もあと30分ほどで終わる。良いお年を。