2017年01月

『平中物語』の電子テキストを公開しました。

静嘉堂文庫本『平中物語』:やたナビTEXT

底本は静嘉堂文庫本(孤本)です。例によって、翻刻部分はパブリックドメインで、校訂本文部分はクリエイティブ・コモンズライセンス 表示 - 継承(CC BY-SA 4.0)で公開します。

影印本は『校注平中物語』(山田巌 水野清 木村晟・洛文社・昭和45年5月)を使用しました。前にも書いたように、印刷はあまりよくないのですが、非常に読みやすく書かれているので、翻刻そのものは気持よくできました。

ところが、本文が難しいのです。難解な語ばかりでてくるわけではありませんが、主語がころころ入れ替わったり、難解な単語や言い回しがあったり、誤写があったりして、校訂本文を作成する方が苦労しました。『校注平中物語』と『平中全講』(萩谷朴・同朋舎・1959年10月20日初版 1978年11月復刊第一刷)がなければ、どうにもならなかったと思います。

『平中物語』はその名の通り、平中(平貞文)を主役とした歌物語です。平中というと、中世説話文学の世界では、完全なお笑いキャラクターとされています。しかし、この作品では、お笑いキャラクターになる以前の平中が見られます。

例えば、平中が本院侍従に、「ただ『見つ』とだけでも、返事をください」と手紙を出し、本院侍従は、平中の手紙から「見つ」と書かれている部分を破いて送り返したという有名な話があります。(『今昔物語集』30-1『宇治拾遺物語』50『世継物語』54)。ちなみに、これがホンモノです(ウソ。僕が書きました)。
みつ

この話の原型が、『平中物語』にあります。
『平中物語』第二段:やたナビTEXT
また、この男の懲りずまに、言ひみ言はずみある人ぞありける。それぞ、かれを「にくし」とは思ひはてぬものから、返り事もせざりければ、「この奉る文(ふみ)を見給ふものならば、給はずとも、ただ『見つ』とばかりはのたまへ」とぞ、言ひやりける。
されば、「見つ」とぞ、言ひやりける
ここでは、平中に言われた通り「見つ」と書いて送ったとだけあります。また、本院侍従とも書いてありません。

これでは、まだ冷たくあしらわれた以上の意味を持っていません。これが『今昔物語集』のように、破られた自分の手紙が返ってくると、話の方向が笑いへとシフトしていきます。『平中物語』は純粋な恋愛譚がほとんどですが、後にお笑いキャラクターへ成長していく萌芽を見ることができます。

そのような後の影響を考えなくても、現代の恋愛小説やラブコメに繋がるものがたくさん見られます。人間なんて千年やそこらでは変わらないものだと痛感しました。

注釈がないと、なかなか読むのが難しい作品ですが、なるべく読みやすいように本文を作成しましたので、是非ご一読ください。

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吉本ノリ実はそんなに大阪に行ったことはない。宿泊したのは先月が初めてで、48年の人生で数回、それもほとんど通りすがりで、とんでもなく朝早くとか、深夜だとか、まともに滞在していない。

それでも、これを書きたくなるのは、昔と今の印象がずいぶん違ってしまったように見えたからである。

なにしろ行った回数が少ないから、あくまで印象でしかないのだが、かつての大阪は、〈巨大な蒲田〉だった。それが今は、〈ダメな京都〉になった。〈巨大な蒲田〉も〈ダメな京都〉もクサしているように聞こえるかもしれないが、後者はともかく、前者にはそんなつもりはない。

大阪には大阪の魅力がある。それを東京で喩えると、僕には大田区の蒲田あたりが一番近いように思えるのだ。雑然とした、庶民の街。僕のイメージでは、蒲田をものすごくでかく引き延ばすと大阪になる。

ところが、去年行った大阪は、庶民の街ではなくなっていた。観光客が半端じゃなく多い。それも外国人、とりわけ、中国人・韓国人である。戎橋で石を投げれば、間違いなくどちらかに当たるだろう。大阪は観光地になったのである。

乏しい記憶をもとに、昔と比べると、明らかに小奇麗になっている。それは結構なことだが、何かが違う。

おそらく、観光客を迎えるために小奇麗にしたはいいが、もともと観光地ではないから、どうしたら観光客に気に入ってもらえるのか分からないのではないか。分からないから、とりあえず〈大阪っぽいもの〉を、〈大阪らしく〉盛り上げようとする。

これが、大阪のいたるところで見られる、嘘くさい吉本ノリになっている。とりもなおさず東京人がイメージする大阪だが、これがなんとも痛々しい。だいたい、外国人が多いのだから、吉本ノリにする必要はない。

市場ずしのワサビ寿司も、最初に話を聞いたときは、ひどい外国人差別だと思ったが、実際に行ってみて、「あるいは本当にサービスの失敗かもしれないな」と思った。あれだけ外国人がいて、差別していては商売にならないだろう。盛大なサービスのつもりが、盛大に滑ったのではないか。

その点では、観光地としての長い歴史を持つ京都にはかなわない。京都は、観光客をあしらうのに慣れている。外国人であろうと、修学旅行生であろうと、恋に疲れた女だろうと、みな同じ観光客だと分かって接している。観光客の迎え方が自然である。

大阪へ来る観光客の多くは、USJにも行く人たちだろう。USJのような〈作られた〉場所に行く人が、〈作られた〉街にきても面白くない。〈作る〉という点では、USJには絶対にかなわないのだから、〈作られた〉吉本的大阪は、今はよくても、じきに飽きられるだろう。

何も昔に戻れというのではない。サービス精神からくるものだとは分かっているが、無理しなくていい。吉本ノリは花月の前だけで十分だ。
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年が明けてから、プリンターが反応しなくなった。データを送っても、うんともすんとも言わない。一旦ドライバを削除して、インストールし直してもダメ。未だにパラレル接続なので、USBに代えてみようと思ったが、手元に一本もケーブルがない。

USBケーブルなんか安いから買ってもいいが、USB接続にすれば必ず動くとも限らないし、動かなかったら、今時A-Bタイプのケーブルなど無駄になってしまう。そもそも、このプリンターは2004年に買ったもので、次トナーが切れたら買い換えようと思っていたものだ。やっぱり買い換えようか・・・。

・・・と思ったが、うちにはもう一台、インクジェットプリンタがある。昔と比べて、プリンターを使う場面は格段に減った。仕事柄、教材を作ったりするので、まったく無いと困るが、時々印刷するぐらいなら、インクジェットでも十分じゃないか・・・

・・・と思ったが、念のため、amazonでレーザープリンタを見てみた。これまでの経験から、プリンタに関しては、ブラザー(Brother)一択と決めている。

最初に出てきたのが1万8000円程度だったので、「まあ、こんなものか。ずいぶん安くなったな〜。でもこれぐらいならいらないかな〜」と思って、もう一度よく見てびっくりした。これカラーじゃん。

すると、モノクロはと探してみると、一番安いのはなんと8千円弱である。レーザープリンターのトナーは6・7千円するはずだが、一体どうなっているのだろう。

実際に買うとなると、Wi-fiに対応していて欲しいのだが、それでも1万円ちょっと。安い、安すぎる、十万石まんじゅう。

こうなってくると、判断が難しい。

インクジェットプリンタはレーザープリンタの快適さには遠く及ばない。

まず、早い。出勤の直前に、印刷しなければならないものがあるのを思い出して、慌ててパソコンを起動して印刷しても、遅刻しないレベルですぐに印刷できる。多少枚数が多くても、コピー機とほぼ同じスピードである。しかも、今はスマホから直接印刷できるらしい。

久しぶりに印刷しようとしたら、使っていないのにインクが無かったとか、ノズルが詰まって印刷できないということもない。

トナーはインクよりもはるかに高いが、僕の印刷する枚数ぐらいでは、なかなか減らない。ちなみに、壊れたプリンタは12年使って、一度しかトナー交換をしていない。

とはいえ、プリンターはかなりのスペースを取る。捨ててしまえばかなり机の上が広くなるだろう。どうせ置くなら、モニタをでかくするか、マルチにしたほうがいい。

う〜ん、困った、どうしよう・・・・。
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何だか忙しくて、もたもたしているうちに、年が明けて10日も経ってしまった。松の内を過ぎると、さすがにマヌケなので、ブログでの新年の挨拶はなしということでご了承願います。

さて、本来このブログはやたがらすナビのフロクのブログである。年頭には、今年の抱負を語っておかねばなるまい。

まず、現在進行中の『今昔物語集』『平中物語』の電子テキストは、遅くとも夏までには終わるだろう。

『今昔物語集』の次は、『古今著聞集』をリスタートしたい。『今昔物語集』の作成は3年かかったが、これも長くかかりそうだ。

『平中物語』は短いので、すでに半分以上終わっている。次も平安朝の何かにするか、また中世の説話集にするかは決めかねている。散文作品であることは間違いないが、全然違うものになるかもしれない。

同時に、すでにネット上で公開されている電子テキストで、コピーが許可されているものの輸入もやってみたい。簡単に言えばコピペだが、一箇所で本文検索ができれば、利用者には便利だろう。

昨年の年頭に書いた、「古典文学に登場する場所や物の写真集」は、密かにテストしている。

ギャラリー鴉

画像の選択と処理に思った以上に手間がかかり、なかなか進まないが、もう少し充実させるつもりである。まだ具体的には書いていないが、これらの写真もCC BY-SA(クリエイティブコモンズ 表示−継承)で公開している。

CC BY-SAといえば、最近、国文学研究資料館も所蔵資料に限り、CC BY-SAで公開するようになった(日本古典籍総合目録/館蔵和古書目録データベースの画像のオープンライセンス表示について参照)。いろいろ疑問に思うところもあるが、オープン化の流れとしては素直に歓迎する。

サイト全体としては、デザインが古臭くなってきたので、もうちょっとモダンなものにしたい。最近、Google先生が、「モバイル フレンドリーではありません」とケチを付けてくるようになった。昨年、Google先生の指導にもとづいて、モバイルフレンドリーにしてみたら、Google先生は納得したものの、かえってモバイルで読みにくくなったのでやめた。今年は、利用者とGoogle先生の両方を満足させられるものにしたい。

毎年同じことを書いているような気もするが、やりたいことはたくさんあるが、できることははなはだ少ない。少しずつ、確実に、牛の歩みのごとく進んで行きたい。
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