2017年04月

今月もあまり更新できなかったが、4月16日の観光地に学芸員は必要かは、バズったというほどのものでもないが、アクセス数がいつもよりも格段に多かった。

あの記事で主に言いたかったことは、学芸員は必要であり、本来学芸員の仕事の一つにすぎない、観光という利益面からみても、ガンどころか欠かすことの出来ない存在であるということだ。

だが、その一方で、山本幸三地方創生担当相のいう「観光マインド」も無視してはいけない。

前のエントリの繰り返しになるが、観光客のほとんどは、〈でかい!古い!きれい!〉を求めてやってくる。これはきっかけに過ぎないが、どんなことでもきっかけがないと始まらない。これに寄り添わなければ、文化財の保護も意味のないことになる。誰も興味を持たなくなれば、どんな文化財だって、単なる古物に過ぎないのである。

学芸員に限らず、文化財を愛好する者は、自分にもそんなきっかけがあったことを忘れていることが多い。さらにどういうわけか日本人は、隠しておく方が価値が高まると考えている節がある。だから、文化財の専門家は保護する方を優先して、公開する方に消極的になる。

しかし、隠されたものは存在しないのと同じことだ。人々には次第に忘れられる。いずれ、誰も興味を持たない古物になって、本当に消えてしまう。本当の文化財保護とは隠すことではない。

今、日本はゆるやかな文化大革命(以下文革)に突入していると思う。政府が推すクールジャパンとやらは、サブカルやら、最近の文物ばかりが目を引く。ありもしない歴史や、せいぜい戦前までしか遡れない伝統を声高に叫ぶものなども多い。

中国の文革は、その過激さから、10年間の間に多数の犠牲者を出し、膨大な数の文化財が失われた。大変な悲劇だったが、現在はその反動で文化財に対する意識は高まっているように見える。株式投資の格言でいう、「谷深ければ山高し」というやつだ。

日本の場合、ゆるやかな文革だから、これによって直接の犠牲者が出ることはない。少年少女がいきなりトンカチで文化財を破壊することもない。しかし、こういうゆるやかな文革では、文化財は少しずつ、確実に消えていくのではないか。

「観光マインド」というと俗っぽくなるが、〈でかい!古い!きれい!〉を文化財保護と対立するものとして否定したら、このゆるやかな文革は続いていくことになるだろう。
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『今昔物語集』の電子テキスト化が一応完了したのでご報告します。

攷証今昔物語集(本文):やたナビTEXT

2014年4月30日に入力を開始したので、まる三年かかりました。始めた当初は、文字が小さい上に、簡単には出てこない異体字が多く、ちょっと入力しただけで頭痛に襲われ、十年以上かかるんじゃないかと思いましたが、慣れてくるに従いスピードが上がり、意外に早く終わりました。とにかく、老眼が進む前に終わってよかったと思っています。

当初、できるかぎり『攷証今昔物語集』(芳賀矢一・冨山房)の忠実な電子テキスト化をして、パブリックドメインで公開しようと思っていましたが、読みやすさや検索の便、HTMLで表現する制約から、もともとの本文からかなり手を入れざるを得ませんでした。

そんなわけで、現在のところ、「攷証今昔物語集」というタイトルにしていますが、「攷証」は取って、他のテキスト同様CC BY-SAで公開する予定です。

このテキストに関しては、『今昔物語集』という巨大な説話集の全編を、とりあえず公開することを目的としました。あまり読みなおしていないので、テキストの精度はイマイチかもしれません。何しろ千話以上あるので、中には大きな誤脱があるんじゃないかと、少々心配でもあります。

ですから、これで終わったとは思っていません。これからも少しづつ見直していくつもりですので、ご批正よろしくお願いします。
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3月に行った中国ネタをもう少し書きたいのだが、新学期でやることが多くて、なかなか時間がない。そこで、動画と写真でお茶を濁すことにする。

中国名物「広場舞」をご存知だろうか。おばちゃんたちが、公園などで集まって、音楽に合わせて謎の踊りをする。音楽はグループによって違う。日本で一番近いのは盆踊りだが、盆踊りと違い毎日やっているのが特徴だ。初めての自転車旅行(2000年)の時に、中国各地で見たから、なかなか長い歴史がある。

紹興の広場舞。こちらは夜。
紹興の広場舞
これでは何だかわからないと思うので、昼間、杭州は西湖のほとりで舞っているのを動画で撮ってきた。

前半が広場舞。音楽も踊りも意味不明の上にバラバラ。ここまでひどいのはちょっとめずらしいかも。

途中で後ろ向きで歩いてくるオッサンが出てきて、「あれ?逆回しか?」と思わせるが、これもたぶん健康法。後半は言わずと知れた太極拳である。あと、動画撮っているのに気づかず、話しかけてくる妻を許してください。

西湖では、広場書道(僕が命名。正式名称ではない)をやっているオッサンも何人かいた。こちらは篆書を書いているオッサン。
広場書道(篆書)

別のオッサンが行草を書いてた。こちらは動画でどうぞ。


杭州に行くのは10年ぶりぐらいだが、あまりの観光客の多さにびっくりした。風光明媚で知られるのに、これじゃ余情も何もあったもんじゃない。
白堤
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「学芸員はがん」=山本担当相が発言:時事通信 Yahoo!ニュース
山本幸三地方創生担当相は16日、大津市内で講演後、観光を生かした地方創生に関する質疑の中で「一番のがんは文化学芸員と言われる人たちだ。観光マインドが全くない。一掃しなければ駄目だ」と述べ、博物館などで働く専門職員である学芸員を批判した。
とんでもない暴論・・・ではあるのだが、彼の言う「観光マインド」には思い当たる節がある。

観光マインドとは、観光地を訪れた「驚き」のことだろう。もっと簡単に言えば、〈でかい!古い!きれい!〉である。歴史・文化・民俗・地理、そういうことに興味がある人以外の観光客は、基本的に〈でかい!古い!きれい!〉を見に観光地へ行く。

日本の観光地でいうと、奈良の大仏は〈でかい!古い!きれい!〉の代表的なものだ。理屈抜きにでかく、古く、美しい。奈良の大仏に、歴史的意義だとか、美術的な位置づけだとか、哲学的な意味合いなどを見に来る人は、それに興味がある人が想像するほど多くはない。

日本人・外国人を問わず、多くの観光客は、〈でかい!古い!きれい!〉を求めて観光に来る。これなら、知識のない人でも楽しむことができる。たしかに学芸員などいらないということになるだろう。しかし、それでいいのだろうか。

そもそも、日本の観光資源には〈でかい!古い!きれい!〉は意外に多くない。土地が狭いから、ピラミッドだの万里の長城クラスの「でかい!」ものはそれほどない。日本は地震大国で木造建築が多いから、現存しているもので、それほど古いもはない。紀元前の歴史を持つ、地中海諸国や中国・インドと比べてしまえば、8世紀に作られた奈良の大仏でも新しいほうである。日本の自然はたしかに美しいが、パムッカレだの九寨溝だの、この世のものとは思えない風景もそれほど多くはない。

しかし、何でも無い風景であっても、知識があればわざわざ来る意味がでてくる。それを助けるのが、学芸員の仕事である。

例えば、次の写真は、大阪の難波宮跡だが、現在は単なるだだっ広い公園に、基壇だけが復元されている。はっきりいってつまらない風景だが、難波宮の知識があると、基壇の上の大極殿も、歩いている飛鳥・奈良時代の人々さえも見えてくる。
難波宮跡
大極殿基壇
何でもない景色も、知識があれば楽しめることを証明してくれるのが、NHKのブラタモリである。あの番組を見れば、つまらない地形や、何気ない風景にも、たくさんの意味があることが分かるだろう。ブラタモリでは多くの学芸員が活躍している。

また、〈でかい!古い!きれい!〉で驚いただけの人は、リピーターにはならない。〈でかい!古い!きれい!〉は、一度見れば満足してしまうのだ。奈良の大仏も、初めて見た時には大きさに驚くが、二回目は「あれ?こんなもんだったかな」となる。

しかし、ここにさまざまな知識が入ると、二度目はまた別の見方ができるようになる。最初に〈でかい!古い!きれい!〉に圧倒されて見えなかった部分も、二度目・三度目で見えてくることもある。そのような知識の取得を助けるのが学芸員の仕事である。

おそらく、山本幸三地方創生担当相は〈でかい!古い!きれい!〉な観光しかしてこなかったのだろう。だから学芸員は不要だと考えるのだ。

観光客として、そういう観光で満足するなら、それはそれでいい。だが、観光客を受け入れる側は、それではダメだ。観光客に様々な知識を分かりやすく説明し、リピーターになってもらい、ついでに宣伝もしてもらう。それが、観光地の利益にも繋がるはずである。
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プリンターを買い換えた。

1月11日のエントリでプリンターが故障して、どうしようか迷っていると書いた。それが、今頃になってプリンターを買い替えたのは、3ヶ月迷っていたわけではない。ほぼ買わないことに決定していたからである。

今はプリンターの必要性が薄れている。そのうえ、うちにはインクジェットプリンタがもう一台ある。だから、無くてもいいかなという結論になったのだが・・・。

今年から、ある学校で国語の授業を2時間だけ担当することになった。こうなると、新しく、授業のプリントや、定期考査を作らなければならない。書道の授業なら、せいぜい古い文書をちょっと手直しするだけだから、インクジェットでも問題ない。だが、新しい文書をたくさん作成しなければならないとなると、何度も校正やプリントしなおしをしなければならない。やはり、レーザープリンターがあった方が安心だ。

というわけで、急遽アマゾンで購入。前回のエントリでは、コメント欄を通じて、いろいろ教えてもらったのだが、結局当初の予定通りBrother HL2365DWにした。僕の場合、主に使うPCのOSがUbuntu(Linux)なので、Linux用のドライバがあって、確実に動くものにしたかったのである。
新旧プリンタ
いうまでもなく、左が新しく買ったもの、右がこれまで使っていたものである。かなり小さくなった上に、軽くなった。もっとも、置きっぱなしにするので、軽くてもそれほど意味はない。

なにしろ、前に買ったのが12年前だから、いかに枯れた技術のレーザープリンターといえど、かなり進化している。現在のところWi-Fiで接続しているので、データを送るのに少々時間がかかるが、印刷時間そのものはずっと早いし、静かである。当然、スマホでのプリントにも対応している。

Wi-Fiの接続は、AOSSかWPSで簡単に接続できる。ステータスモニターが黒の液晶という、いまとなっては懐かしいものなので、ちゃんと繋がっているか若干の不安があるが、よく考えてみると、前のプリンタはLEDが数個ついているだけだったから、これでもずいぶん進化したものだ。それにしても、インクジェット機は安いものでもカラー液晶なのに、もうちょっとなんとかならんものかと思う。
ムセンセツゾクチュウ
買う前に謎だったのがその値段。このプリンタ、1万2000円程度。ところが、別売りのトナーは6,400円もする。とすると、本体は6000円程度ということになる。

もちろん、そんなわけはない。買ってみて分かったのだが、付属のトナーは、スタータートナーといい、700枚しか印刷できない。別売りのトナーは2600枚だから、4分の1ぐらいしか入っていないということになる。

700枚というとコピー用紙2締めもたないということになるが、僕の経験では、実際にはもっと印刷できるので、当面はこれでいいだろう。たくさん刷る人は、あらかじめトナーを買っておいた方がいいかもしれない。

もう一つ驚いたのが、古いプリンターの粗大ごみとしての処分費用である。東京都品川区では、インクジェットプリンタは300円で処分できる。ところが、レーザープリンターは1300円。なんと、仏壇やセミダブルベッドと同じ処分費用である。

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役所というところは、とにかく書類の多い所である。僕のように、公務員の極北のさらに末端にいるような非常勤職員でさえ、何のために必要だかよくわからない書類をせっせと書かされる。

昔、共産圏の国のトップを「書記長」といい、なんでそんな偉くなさそうな肩書なのか不思議だったが、官僚制では書類こそが重要だから、トップは書記長になるのかと妙に感心する次第。

ことほどさように、役所というところは書類だらけのところなのだが、これは今も昔も変わらない。それどころか、冥界でも変わらないらしい。

『今昔物語集』巻9「震旦遂州総管孔恪修懺悔語 第廿八:やたナビTEXT

孔恪という男が死んだ時、閻魔庁(本文では官府)に連行され、殺生の罪に問われた。判決は有罪。罰を受けることになった。

いよいよ地獄に連行されるときになって、孔恪は「官府、大に濫也」と抗議した。「濫也」というのは「いいかげんだ」というような意味だろう。
其の時に、孔恪、大きに叫びて云く、「官府、大に濫也」と。官、此れを聞き□、喚び還して、□□何事に依て濫なるぞ」と。孔恪、答て云く、「我れ、生れてより、□□罪□□□□□□□□□□□□□□□□□□□此れ濫なるに非ずや」と。
『攷証今昔物語集』では空白が多くて分かりにくいのだが、鈴鹿本によると、孔恪は「罪の有ることだけを記録し、善行を記録していないのはおかしいじゃないか」と抗議している。

閻魔大王(本文では「官」)は、孔恪の抗議を受けて、主司にこの件を確認した。すると・・・。
主司、答て云く、「善をも悪をも、皆録せり。但し、善悪の多少を計るに、若し、善多く罪少きをば、先づ福を受くべし。罪多く善少きをば、先づ罪を受くべし。而るに、孔恪、善は少く罪は多し。其の故に、其の善を叙べさる也」と。
主司の答えを要約すると、「孔恪は善が少なく、罪が多かった。どうせ罰を受けるのだから、善は記録しなかった」というのである。最初に「善をも悪をも、皆録せり」と言っているのが、いかにも言い訳くさい。

これを聞いた閻魔大王、大激怒。主司は百叩きの罰を受けることになった。
其の時に、官、怒て云く、「汝が叙る所、福少く罪多かる者は、先づ罪を受くべしと云へども、何ぞ、善を記さざる」と云て、命じて、主司を罸(う)つ事百度。罸畢る。血流て、地に濺げり。
役人にとって、正確な文書を残さないことが、いかに大きな罪だったかということが分かる。

このボンクラ役人のおかげで、孔恪は閻魔大王から七日間の猶予をもらい、生き返った。その間、善行を修して亡くなったという。

さて、役人と文書といえば・・・・
真偽を検証 佐川理財局長が言った“自動的に消去”システム:日刊現代デジタル
「パソコン上のデータもですね、短期間で自動的に消去されて復元できないようなシステムになってございますので、そういう意味では、パソコン上にも残っていないということでございます」
 腰を抜かす国会答弁だ。発言者は、財務省の佐川理財局長。3日の衆院決算行政監視委員会で、野党議員から行政文書の電子データは残ってるはずだと指摘され、こう答えた。
こいつ百叩きな。
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CiNiiで、学術論文のPDF閲覧ができなくなった。TwitterではCiNiiがめでたくトレンド入りし、大手のメディアでも取り上げられている。

多くの論文検索できず SNSで困惑の声 「CiNii」:NHKニュース
「CiNiiで論文が見られない」電子図書館終了に困惑の声:ITmedia ビジネスオンライン
学術情報検索サービス「CiNii」で電子化論文公開終了……頼りにしていた学生困惑:ねとらぼ

CiNii自体が無くなるわけではなく、PDFの閲覧サービスをやめるということらしい。
CiNiiを運用するNIIは、電子図書館事業として428学会1400種類の雑誌、論文数で計362万件を電子化し、CiNiiの検索機能を通じて公開していた。
 ただ、国は学会誌の電子化支援について、科学技術振興機構(JST)が運用する電子ジャーナル出版プラットフォーム「J-STAGE」に一本化することを決めた。このため、NIIは電子図書館事業を17年3月に終了すると発表していた。(ITmedia ビジネスオンライン)
では、一本化するというJ-STAGEの方にはあるのかというと、それがそうではない。CiNiiのデータはPDFとはいえ、画像データだったが、J-STAGEはテキストデータで、各発行機関で別に移行しなければならないらしい。それが間に合っていないので、論文が見られないということになる。

時が経てばJ-STAGEで今までどおりに閲覧できるかといえば、それも違うらしい。CiNiiは画像データだから、古い論文でも比較的簡単にPDF化できたが、J-STAGEの方では簡単にはできないだろう。また、J-STAGEがどう見ても自然科学系の論文を対象にしているのも気になる。

一つ疑問なのは、国の方針でCiNiiが電子図書館事業をやめるのは仕方がないにしても、なぜこれまで蓄積したデータを見えなくする必要があるのかということである。「更新はされないけど、閲覧はできます」という状態にすることはできないのか。

もちろん、放置するだけにしても、タダでできるわけではない。だが、CiNiiそのものは存続することになっているし、国立情報学研究所たるもの、技術者もいるはずだから、電子図書館を放置してもしなくても、それほどコストが変わるというものでもあるまい。

インターネット上の情報は、時と時間を超えて得ることができるのが最大のメリットである。ネット上に公開されていれば、地球の裏側にいても、時間もコストもかけずに見ることができる。

CiNiiの論文公開停止により、世界中で、いままで見られていた日本の論文にアクセスできなくなった。ともあれ時間は巻き戻ったのである。

【2017/04/10 追記】

論文公開を再開した。
CiNii、論文データの提供を再開 「利用者の利便性を考慮」:ITmedia NEWS
論文ダウンロード機能の継続について:CiNii
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日本人にとって紹興といえば紹興酒だが、魯迅の故郷でもある。で、魯迅といえば、多くの人が中学生時代に国語の授業で読んだ「故郷」だろう。なにしろ、中学3年生用の教科書で「故郷」が入っていないものはない。紹興は「故郷」の舞台である。

魯迅『故郷』(井上紅梅訳):青空文庫

上のリンクは井上紅梅による青空文庫のものだが、以下の訳は、岩波文庫『阿Q正伝・狂人日記(吶喊)』(魯迅作 竹内好訳)によるもので、教科書に取り上げられたものと同じある。

物語は、主人公が船に乗って故郷に帰るシーンから始まる。

きびしい寒さのなかを、二千里のはてから、別れて二十年にもなる故郷へ、私は帰った。
もう真冬の候であった。そのうえ故郷に近づくにつれて、空模様はあやしくなり、冷い風がヒューヒュー音を立てて、船のなかまで吹きこんできた。苫のすき間から外をうかがうと、鉛色の空の下、わびしい村々が、いささかの活気もなく、あちこちに横たわっていた。
この船、どんな船だろうか。終わりの方では、こんな描写も出てくる。
母と宏児とは寝入った。私も横になって、船の底に水のぶつかる音をききながら、いま自分は、自分の道を歩いているとわかった。
僕が初めてこれを読んだ時には、小型漁船ぐらいの大きさだと思っていた。なにしろ大人二人と子供一人が寝られる大きさである。ところが、現物はこんな感じ。
船
僕のカヤックよりちょっと大きい程度のボートである。よく見ると、カマボコ型の部分が竹か何かで編まれたカゴのようになっていて、現物を見ると「苫のすき間から外をうかがう(从蓬隙向外一望)」や「船の底に水のぶつかる音をききながら(听船底潺潺的水声)」という意味がよく分かる。

上の写真は、泊まったホテルの中庭にあった一種の置物だが、一歩外へ出ると、観光用として今でも乗ることができる。乗ったことはないが、これなら苫のすき間から外をうかがうことも、寝転がって水のぶつかる音を聞くこともできそうだ。
観光船

主人公の故郷の家の入口は、こう描写されている。
明くる日の朝はやく、私はわが家の表門に立った。屋根には一面に枯草のやれ茎が、折からの風になびいて、この古い家が持ち主を変えるよりほかなかった理由を説きあかし顔である。

魯迅故居表門
ここから家の屋根は見えないので、この「屋根」とは家の屋根ではなく、門の屋根である。原文では「瓦楞」となっていて、これは瓦が並んでいる部分のことらしい。

主人公と閏土が初めて会うのは、台所である。
ある日のこと、母が私に、閏土が来たと知らせてくれた。飛んでいってみると、かれは台所にいた。
別れるのも台所。
閏土も台所の隅にかくれて、いやがって泣いていたが、とうとう父親に連れてゆかれた。
で、その台所がこれ。
台所
たしかに隠れたくなる感じがする。

閏土の田舎での生活の話を聞いて、驚嘆する都会っ子の主人公。
閏土が海辺にいるとき、かれらは私と同様、高い屏に囲まれた中庭から四角な空を眺めているだけなのだ。(闰土在海边时,他们都和我一样只看见院子里高墙上的四角的天空。)

印象的なシーンだが、これも日本人にはちょっとピンと来ない。日本の家のほとんどは屏に囲まれていないし、囲まれているほどの家は、大邸宅だから空は四角くない。

しかし、ほとんどの中国の家は高い屏で囲まれている。その上、魯迅の家は幅が狭く奥行きのある敷地に、中庭を挟んで、家がいくつも並んでいる形式なので、中庭の空はたしかに四角く見える。
屏 

この物語には、二回帽子が出てくる。
つやのいい丸顔で、小さな毛織りの帽子をかぶり、キラキラ光る銀の首輪をはめていた。
頭には古ぼけた毛織りの帽子、身には薄手の綿入れ一枚、全身ぶるぶるふるえている。

前者は子供のころの閏土、後者は大人になって再会したときの閏土である。この対比によって、閏土の変わりようがわかるのだが、この「毛織りの帽子」は原文では「毡帽」となっている。黒い厚手のフエルトでできた、この地方独特の帽子である。
烏毡帽をかぶったオッサン
僕もかぶってみた。
かぶってみた
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