今月もあまり更新できなかったが、4月16日の観光地に学芸員は必要かは、バズったというほどのものでもないが、アクセス数がいつもよりも格段に多かった。
あの記事で主に言いたかったことは、学芸員は必要であり、本来学芸員の仕事の一つにすぎない、観光という利益面からみても、ガンどころか欠かすことの出来ない存在であるということだ。
だが、その一方で、山本幸三地方創生担当相のいう「観光マインド」も無視してはいけない。
前のエントリの繰り返しになるが、観光客のほとんどは、〈でかい!古い!きれい!〉を求めてやってくる。これはきっかけに過ぎないが、どんなことでもきっかけがないと始まらない。これに寄り添わなければ、文化財の保護も意味のないことになる。誰も興味を持たなくなれば、どんな文化財だって、単なる古物に過ぎないのである。
学芸員に限らず、文化財を愛好する者は、自分にもそんなきっかけがあったことを忘れていることが多い。さらにどういうわけか日本人は、隠しておく方が価値が高まると考えている節がある。だから、文化財の専門家は保護する方を優先して、公開する方に消極的になる。
しかし、隠されたものは存在しないのと同じことだ。人々には次第に忘れられる。いずれ、誰も興味を持たない古物になって、本当に消えてしまう。本当の文化財保護とは隠すことではない。
今、日本はゆるやかな文化大革命(以下文革)に突入していると思う。政府が推すクールジャパンとやらは、サブカルやら、最近の文物ばかりが目を引く。ありもしない歴史や、せいぜい戦前までしか遡れない伝統を声高に叫ぶものなども多い。
中国の文革は、その過激さから、10年間の間に多数の犠牲者を出し、膨大な数の文化財が失われた。大変な悲劇だったが、現在はその反動で文化財に対する意識は高まっているように見える。株式投資の格言でいう、「谷深ければ山高し」というやつだ。
日本の場合、ゆるやかな文革だから、これによって直接の犠牲者が出ることはない。少年少女がいきなりトンカチで文化財を破壊することもない。しかし、こういうゆるやかな文革では、文化財は少しずつ、確実に消えていくのではないか。
「観光マインド」というと俗っぽくなるが、〈でかい!古い!きれい!〉を文化財保護と対立するものとして否定したら、このゆるやかな文革は続いていくことになるだろう。
あの記事で主に言いたかったことは、学芸員は必要であり、本来学芸員の仕事の一つにすぎない、観光という利益面からみても、ガンどころか欠かすことの出来ない存在であるということだ。
だが、その一方で、山本幸三地方創生担当相のいう「観光マインド」も無視してはいけない。
前のエントリの繰り返しになるが、観光客のほとんどは、〈でかい!古い!きれい!〉を求めてやってくる。これはきっかけに過ぎないが、どんなことでもきっかけがないと始まらない。これに寄り添わなければ、文化財の保護も意味のないことになる。誰も興味を持たなくなれば、どんな文化財だって、単なる古物に過ぎないのである。
学芸員に限らず、文化財を愛好する者は、自分にもそんなきっかけがあったことを忘れていることが多い。さらにどういうわけか日本人は、隠しておく方が価値が高まると考えている節がある。だから、文化財の専門家は保護する方を優先して、公開する方に消極的になる。
しかし、隠されたものは存在しないのと同じことだ。人々には次第に忘れられる。いずれ、誰も興味を持たない古物になって、本当に消えてしまう。本当の文化財保護とは隠すことではない。
今、日本はゆるやかな文化大革命(以下文革)に突入していると思う。政府が推すクールジャパンとやらは、サブカルやら、最近の文物ばかりが目を引く。ありもしない歴史や、せいぜい戦前までしか遡れない伝統を声高に叫ぶものなども多い。
中国の文革は、その過激さから、10年間の間に多数の犠牲者を出し、膨大な数の文化財が失われた。大変な悲劇だったが、現在はその反動で文化財に対する意識は高まっているように見える。株式投資の格言でいう、「谷深ければ山高し」というやつだ。
日本の場合、ゆるやかな文革だから、これによって直接の犠牲者が出ることはない。少年少女がいきなりトンカチで文化財を破壊することもない。しかし、こういうゆるやかな文革では、文化財は少しずつ、確実に消えていくのではないか。
「観光マインド」というと俗っぽくなるが、〈でかい!古い!きれい!〉を文化財保護と対立するものとして否定したら、このゆるやかな文革は続いていくことになるだろう。