2017年05月

先日、久遠の絆ファンサイトIN台湾でおなじみ浦木さんが東京に来て、一緒に上神明天祖神社に行ってきた。

東京の白蛇さま 上神明天祖神社

上神明天祖神社は僕の家の近くである。2013年の正月に行った。そのときのことを、すでにこのブログに書いたつもりでいたのだが、今調べてみたら、どこにも書いていない。大方、Facebookあたりに書いたのを勘違いしたのだろう。

その時は正月だったので、参拝客が多くてあまり写真が撮れなかった。だから、わざわざブログに書くこともないと思ったのかもしれない。いずれちゃんと写真を撮りに行こうと思っていたが、あまりに近所なので、結局行かずじまいである。

天祖神社本殿の方は、近代的な建物で、ごく普通なのだが・・・
上神明天祖神社
天祖神社にもかかわらず、公式サイトのドメインがhebikubo.jpになっているように、この神社には蛇窪明神というインパクトのある末社がある。実は正月の初詣客もここが目当て。
蛇窪明神
いきなりド派手なリーゼント頭のヤンキー竜がお出迎え。オラオラ!
蛇窪明神竜2
この奥には祠(ほこら)があるのだが、この祠が白蛇に囲まれている。なにやら、巻子本を咥えているのとか・・・。
蛇窪明神蛇1
キシャー!と牙をむいてお怒りのご様子のとか。
キシャー

賽銭箱を守ってるのとか。
蛇窪明神蛇2
蛇窪明神蛇3
カエルを睨んでるのとか。蛙はなぜか既成品なので、ぜんぜんビビってる感がない。
蛇窪明神蛇と蛙

よく見ると、壁に出来ばえの微妙な(どれもビミョーだが)、鏝絵のような絵の痕跡がある。出来た時はもっとハデだったらしい。
鏝絵?
さて、このヘビは一体だれが作ったのか?境内に説明書きがあった。
白蛇縁起
蛇窪明神は昭和29年に鳶頭の櫻井昌利氏を筆頭とする有志の人々によってここに移され、その際に、櫻井氏の腹心の部下だった真鍋勝氏がこれらのヘビを作ったとある。つまり、とび職の方の作品だったわけだ。

この祠には正月だけ蛇石が入る。普段も入っているのかと思って、浦木さんに「この中に蛇石があるよ」とドヤ顔で言ったら無かった。
へび石
さて、それでは帰りましょうとなったとき、浦木のトランクのキャスターが一個ないことに気づいた。トランクの周りを見ても落ちていない。どうやら、成田空港から天祖神社までのどこかで無くなったらしい・・・。

で、とりあえず駅まで来た道を戻って探してみることにした。さすがに見つからないだろうと思ったが、なんと5分ほど歩いた道の真ん中に落ちてた。これも、蛇窪明神のご利益かもしれない。
駐車場でキャスターを付ける浦木氏
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何ヶ月前だったか忘れてしまったが、妻が突然、「もう東京電力の電気は使いたくない。東急にする」と言い出した。反原発の何からしい。

うちの電気使用量はちょっとびっくりするぐらい少ないので、電力会社を変えたところで、そんなに違いが出るとは思わなかったが、少しでも安くなるなら反対する理由もない。それに脱原発なら僕も賛成だ。

これまでは僕が東京電力と契約していたが、これからは東急のポイントカードを持っている妻の契約となった。支払いも妻になるが、いずれ精算するのでどちらでも同じだ。僕のクレジットカードのポイントがつかなくなるぶん損ともいえるが、これも大したことはない。だが、ここに思わぬ落とし穴があった。

電力会社を変えるためには、メーターをスマートメーターなるものに変えなければならない。取り換え費用は電力会社持ちなので、契約者は一銭もかからない。気がついたら、なにやらカッコいいメーターに変わっていた。

で、これがスマートメーター。円盤がくるくる回る機械式に比べると、なるほどスマートである。
スマートメーター
デジタル表示が小さすぎて、検針の人が大変だろうなと思ったら、もうそんなスマートじゃないことはしない。メーターそのものが電力会社と通信して、使用量と電気を使った時間をすべて電力会社に報告する。さすがスマートメーターである。

で、その時間刻みの使用量をWebでユーザーが確認できる。ん?

妻は義母の介護のため、週に二回、実家に帰る。その時は、僕一人になるのだが、その時の電力使用量が時間単位で分かるのだ。つまり、僕が何時に寝たか、電力使用量でだいたい分かってしまう。普段夜ふかしなので、夜間外出しようものなら、たちどころにバレてしまうだろう。

ここにグラフのスクリーンショットを貼り付けたいところだが、なにしろ妻の契約なので、僕はグラフを見ることもできない。恐ろしい時代になったものだ。
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『今昔物語集』の電子テキスト化が一通り終わったので、次は『大和物語』にした。

三条西家旧蔵伝為氏筆本『大和物語』

伝為氏筆本『大和物語』は、講談社学術文庫や日本古典全書などの底本になっている本である。これらの注釈書は古文学秘籍叢刊の複製を使っているが、同じものを国会図書館デジタルコレクションで見ることができる。

古文学秘籍叢刊 大和物語上
古文学秘籍叢刊 大和物語下
古文学秘籍叢刊 大和物語解説

実は、『大和物語』を通読したことがない。何度か読もうと思ったのだが、気がつくと飽きてしまうのだ。

『大和物語』というと、『伊勢物語』・『平中物語』と並んで、歌物語の代表として知られるが、それらと違い、一貫した物語性がなく、正直言うとあまり面白くない。和歌がわかれば楽しめるのかもしれないが、どうにも和歌は苦手で、そこまでに至っていない。

テキストを作るとなると、どうしても深く読まなければならないから、また別の発見があるものだ。それを期待して読んでいるが、早速琴線に触れる章段を見つけた。

第10段 監の命婦堤にありける家を人に売りて後・・・

監の命婦が、鴨川近辺にあった家を売って、粟田に引っ越したのち、売った家の前を通った時に歌を詠んだ、というだけの短い章段である。歌は、次のようなもの。
ふるさとをかはと見つつも渡るかな淵瀬ありとはむべも言ひけり

「ふるさと」が旧宅を指し、「かは」は「彼は」で、「これは(昔の家だ)」と「川」を懸けている。「淵瀬ありとはむべも言ひけり」とは、「人生に浮き沈みがあるとはよくいったものだ」と言う感じでわりとありきたりの表現だろう。技巧は凝らしてあるが、たいした歌でもない。しかし、これが他人事ではない。

現在、祖父母が住んでいた家を貸しに出している。まだ借り手はついていない。この家は、僕が生まれて最初に連れてこられた家でもある。東京の病院で生まれた僕は、病院から近い祖父母の家に最初に連れてこられたのである。

もちろん、そんな時代のことは覚えていないが、大学を卒業して数年間、諸事情によりここに居候した。その後、近所に仕事場を借り、だんだんとそこで生活するようになったが、結婚後も徒歩15分程度の近所に住んで、一昨年祖母が倒れるまで週に何度も通った。居候して25年以上である。

まだ借り手はつかないが、中身はすっかり空になっているので、入っても自分の知っている家ではない。長くいる気にもならず、さっさと出てしまう。玄関に鍵をかけて振り返ると、寂しいのとも違う、悲しいのとも違う不思議な感覚におそわれる。

近所だからしょっちゅう前を通っていて、たいして懐かしくもない。毎日会ってた友人が、突如見知らぬ人になったような、なんとも表現できない奇妙な感覚である。監の命婦も「淵瀬ありとはむべも言ひけり」程度の言葉しかでてこないのも理解できる。

今でなければ、この章段も「つまんねぇ話だな」としか思わなかっただろう。今はつまらない歌しか出てこないのも含めて、いや、それだからこそ「こんな感じだよなー」としみじみと思うのである。
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中国では、元素すべてに漢字一文字・一音節が当てられている。

元素の中国語名称:Wikipedia

部首によって、それが常温で気体なのか、液体なのか、金属なのか、ひと目で分かるスグレモノだが、いかんせん、見たことのない漢字が多すぎる。中国の高校生(中学生?)は、これを全部覚えなきゃいけないのだろうか。もうしそうだとしたら、つい頬を赤らめて「私、日本人でよかった」とか思ってしまう。

ということは、新しく発見された元素にも、漢字と音を当てなければならないわけである。新しく発見された元素といえば、なんといっても「日本」が由来になったニホニウム。この字はすでに今年の2月に決まっており、昨日、音(ni3)が決まった。

113番元素ニホニウム(Nh)の中国語漢字が決定!:ユーウェン中国語講座
中科院等公布4个新元素中文名:科学網新聞

ニホニウム

なんだか親しみのわく字だなと思ったら、篆刻でお馴染みの字だった。

「鉨」は、ユーウェンさんのブログにもあるように、「璽」の異体字である。だが、ただの異体字ではない。

「璽」と「鉨」は一見似ても似つかないが、「爾」と「尓」は同じ「ジ」という音を表していて、異体字の関係にある。漢字は部品の位置が変わることがあるので(峯と峰など)、この2つの字の違いは「玉」か「金」かというだけである。

始皇帝が中国を統一する以前、「鉨」は現在の「印」と同じ意味で使われていた。当時の印は金属製だったので、金偏になっている。

秦以降、皇帝が使う印は玉で作っため、「璽」と書くようになった。いわゆる玉璽である。これ以降、「璽」は皇帝専用になり、そうでないハンコはすべて「印」を使うようになった。

そんなわけで、今でも姓名印を刻る場合、金文などの古い文字を使う場合は「○○○鉨」、小篆や印篆書を使う場合は「○○○印」とするのが作法になっている。

例えば、次の印影は僕の落款印だが、左は古鉨風なので「聡鉨」、右は漢印風なので「中聡之印(回文印といい、右上・左上・左下・右下の順に読む)となっている。
印

ただし、本来「璽」の発音はxi3なので、玉璽を意味するときはxi3、ニホニウムを意味する時はni3と、2つの音ができたことになる。
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現在、『発心集』の翻刻をしているのだが、ちょうど往生説話を翻刻していて、昨年行った九品仏浄真寺のことを思い出した。

九品仏浄真寺に行ってきた:2016年05月08日

この寺は関東ではめずらしく、三年に一度来迎会をやる。以前は8月にやっていたのを、あまりに暑いので次回から5月にすると聞いたが、ハテ、次回とはいつだったか。さっそく調べてみたら、今年の5月5日である。これも何かの縁だ。というわけで行ってみた。

来迎会とは、簡単に言うと人間が死んで極楽往生する時の様子を再現したものである。浄真寺は西を向いた本堂と、東を向いた阿弥陀堂が向かい合っている。西向きの本堂(本尊は釈迦如来)を現世、阿弥陀堂を来世の極楽浄土に見立てている。本堂を阿弥陀堂の間に橋をかけて、そこに仏菩薩の面をつけた人が練り歩き、極楽往生を再現するのである。

まず、阿弥陀堂から本堂に向けてお迎えが来る。このとき、二十五の菩薩と阿弥陀如来が行列をなして来る。

最初に妙なる音楽が聞こえてきて・・・
楽人
先頭は阿弥陀如来の脇侍である、観世音菩薩と勢至菩薩。
観音・勢至
続いて阿弥陀如来。如来(仏)なので、他の菩薩とは髪型が違う。なぜか他の菩薩と比べ小さいが、中の人が小柄なだけで、阿弥陀如来が小さいわけではない。
阿弥陀如来
その他、ぞろぞろ続いて、
ぞろぞろ1
しんがりは僧形の地蔵菩薩がつとめる。
地蔵菩薩
お面をアップにするとこんな感じ。どう見ても暑苦しそうだが、前回までは8月にやってたそうだ。あまりに暑いから5月に変更になったのだが、それでも結構暑い。こんなの真夏にやったら、本当に往生人が出そうである。
面の中
行列は本堂(現世)に入って、往生人を連れて再び極楽浄土を目指していく。当然、帰りの方が華々しい。まずは、なんと言うのか分からないが、花かざりの着いたカゴ。これを、トンと突くと、カゴの中から紙吹雪と小銭が撒かれる仕組み。僕は50円ゲット。
花かご
お迎えに来た菩薩様たちが、往生人を引き連れて戻って行く。往生人の写真は後ほど。
ぞろぞろ2
稚児さんもおるで。
稚児さん
往生を遂げた往生人は、ふたたび衆生を救うために現世(本堂)に返ってくる。今度は菩薩様はいないが、ボーサンたちが行列をなしてくる。

散華に群がる人たち。まるでゾンビのようだ・・・。
散華
往生人が輿に乗って担がれていく。
珂碩聖人
この往生人は、浄真寺を開山した珂碩聖人。つまり、珂碩聖人を菩薩たちが迎えに来て、菩薩たちと一緒に極楽に往生し、衆生を救うために再び現世に返ってくるというストーリーになっている。

最後に住職といっしょに念仏を唱えて終了。この写真ではよくわからないが、後ろで巨大うちわをあおいでいる小坊主君がかわいかった。
念仏

動画も撮ってきたので、ご覧いただきたいところだが、まだ編集が終わっていない。しばしお待ちを。
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