2017年06月

毎年6月は休みがほとんどないのにイベントが多くて忙しい月なのだが、それに加えて、今年は久しぶりに国語を担当しているため、考査をやらねばならず、ブログの更新がほとんどできなかった。

政治的には、共謀罪(テロ等準備罪)の可決成立という大イベントがあったし、昨年の安保法案同様、デモにも行きたかったのだが、そんな余裕はまるでなかった。その後の加計学園だとか、ともちゃんの失言とか、言いたいことは山ほどあるが、残念ながら今それをまとめている余裕はない。

共謀罪に関していうと、政府は共謀罪をテロの防止に必要なものとして、国民に説明してきた。では、テロ対策は行われているのだろうか。

たとえばアメリカは入国をひどく面倒くさくして、テロ対策をしている。渡航前に面倒くさい上に金がかかるESTAに登録しなければならず、入国時にすべての指の指紋を取られる。ついにはSNSアカウントまで提供を求められるようになった。

中国は入国してからが面倒くさい。ホテルに泊まる時、パスポートを提示しなければならないのは昔からだが、それ以外にも提示しなければならない場所が多くなった。

たとえば、高鉄(新幹線)のチケットを取る時も、パスポートを提示しなければならない。どうせ形式的なものだろうと思いきや、チケットにちゃんとパスポート番号の一部と名前が刻まれている。
高鉄チケット
これは、高鉄だけではなく、バスもそうだし、入場券が必要な名所に入る時も必要になる。今年の3月に行った紹興では、魯迅故居などの入場料が無料になっていたが、その代わりパスポートを提示する必要があった。

中国人ならOKかというと、そんなことはない。彼らは中国政府から発行された身分証を持っていて、それを提示しなければならない。日本でいうマイナンバーカードだが、それよりもはるかに多機能らしい。

昨年行った北京では、地下鉄に乗るのに荷物検査、天安門広場に行く歩道で荷物検査、故宮博物院でもパスポートの提示と荷物検査、ウザいことこの上ない。面倒くさいが、これが中国のテロ対策である。

これらの状況からみると、日本のテロ対策は、やっているという気がしない。実際ほとんどやっていないのだろう。

日本もアメリカや中国のようにすべきだというのではない。むしろ、そんな面倒なことはない方がいい。だが、どう見てもたいしたテロ対策をやっていないのに、テロ対策のための法律が必要だといわれても、全く説得力を感じないのである。
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気がついたら、6月も27日になったのに、記事は二つしか書いていない。それも一つは先月の総括だから、実質一つである。来月は毎年恒例のブログ強化月間だが、こんなんで大丈夫だろうか。

今月更新が途絶えているのは、あまりにも忙しかったからである。忙しいときには、たいがい余計なことが起こるもので、ついにNASが壊れた。結婚してすぐに、妻のPCとファイルを共有するために買ったので、もう7・8年経っている。壊れても不思議ではない。機種はBuffaloのリンクステーション LS-W1.0TGL/R1

ディスクは動いていて、異常を知らせるErrorランプは点灯していない。ところがディスクにも管理画面にもアクセスできない。再起動しようと、電源スイッチを切ったら、今度はいつまで経っても止まらない・・・。仕方がないので、あまりいい気分ではないが、電源コードを引っこ抜いた。再び電源コードを入れて起動したら、今度は起動中のまま完了しない。同じことを二回繰り返し、故障と認定。さて、これからどうするか。

このNASはRAID1で運用している。RAID1とは、2台のハードディスクに、同時に同じ内容を書き込むことで、片方が壊れても片方が生きているという寸法である。NASが壊れるというのは、たいがいこの一枚のハードディスクが壊れるのだが、今回は起動すらしない。仮に2台同時に壊れたとしても、エラーメッセージが出るはずだから、ハードディスクは二台とも無事で、本体の中枢部が壊れた可能性が高い。

ということは、やることは一つ。NASからハードディスクを物理的に取り出し、今使っているPCに移植する。幸いなことに、NASのOSはLinux、PCのOSもLinux(Ubuntu)、鹿も四足、馬も四足、これならそれほど面倒はないはずだ。

まずNASからハードディスクを取り出す。もともと簡単に入れ替えられるようにできているので、いとも簡単に取り出すことが出来た。次はこれをPCに移植する。僕のPCは20年前に買ったタワー型で、ベイも一つ余っていたので、楽勝。

さて、問題はこれでディスクの中身にアクセスできるかである。ドキドキしながら起動して、Ubuntuのディスクユーティリティを見ると・・・。
NASHDD(認識された)

NASのHDDが認識されている。まずは第一関門突破。

しかし、このままではマウントできない。つまり、中身を見ることができない。調べてみると、ファイルシステムがxfsであるのと、RAIDであるのが問題らしい。たしかに、普通「内容」のところにはファイル形式(ext3とかntfsとか)が表示されるはずなのに、「Linux RAIDメンバー」と表示されている。

いろいろググッて調べてみたところ、xfsファイルシステムに対応するにはxfsprogsを、RAIDに対応するにはmdadmをインストールする必要があるらしい。Ubuntuの場合いずれもリポジトリからインストールできる。

$sudo apt-get install xfsprogs
$sudo apt-get install mdadm

で完了。もちろんこのままではどうにもならないので、まずRAIDを構成する。といっても二枚必要なわけではなく、一枚だけで構成できる。
ディスクは6つのパーティションで分けられており、イマイチどこだが分からんが・・・
sdc6

まあ、このへんだろう。このパーティションは/dev/sdc6とあるので、これで/dev/md0にRAIDを構成する。コマンドはこんな感じ。
$sudo mdadm --assemble --run /dev/md0 /dev/sdc6

すると、こんなメッセージが返ってきた。
mdadm: /dev/md0 has been started with 1 drive (out of 2).

うまくいったらしい。

適当なディレクトリにマウントする。今回はhomeにnasというディレクトリをあらかじめ作っておき、そこにマウントした。
$sudo mount /dev/md0 /home/satoshi/nas/

キターーーー!
492 GB RAID-1 アレイ — -dev-md0_078

思いのほか簡単だった。というか、この記事を書く方が手間がかかった。

ファイルも無事をかくにん!よかった♡。
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掲示板を通して、半魚文庫の謡曲三百五十番集入力がリンク切れになっているのを知った。

謡曲三百五十番集入力は、名著全集本『謡曲三百五十番集』・赤尾照文堂版『謡曲二百五十番集』を底本とした謡本(能の台本)の電子テキストで、金沢美術工芸大学の高橋明彦氏の主宰で、1998年11月から手分けして入力する方法で始まっている。

早くから、古典文学電子テキスト検索に入れていたのだが、確認してみると、すべて金沢美術工芸大学のトップページにリダイレクトされてしまう。

幸い、Internet Archiveですべて見ることができた。

半魚文庫
謡曲三百五十番集入力:半魚文庫

古典文学電子テキスト検索のリンクもInternet Archiveへ張り直したので、従来通り作品名等で検索できる。

金沢美術工芸大学の教員紹介のページを見ると、まだ在籍されているようなので、システムの変更によりページが見られなくなったことをご存じないのかも知れない。

【追記】

半魚文庫は下記のURLに移転しました。古典文学電子テキスト検索のリンク先もすでに変更してあります。

http://hangyo.sakura.ne.jp/

詳細は、当エントリのコメント欄を御覧ください。
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ひさしぶりに試験問題を作っていたら、6月も4日が過ぎていた。遅ればせながら、5月の総括。

森友学園問題に引き続き、今度は加計学園問題が出てきた。それもつい最近まで官僚のトップだった人の証言によってだ。単なる幼稚園の理事長の証言とは重みが違う。安倍内閣もさぞかし窮地に陥るだろうと思いきや、支持率が下がったという話は聞かない。

多くの日本人は、権力を持てば何をやっても許されると考えている。安倍首相が森友学園や加計学園に対し、ルールを超えた援助をしていたとしても、ワイロでも貰っていなければ、たいした問題だとは考えない。「友達のために便宜を図って何が悪い」という程度の認識である。

上から下まで、ルールを超えた便宜や忖度は当たり前だと思っているのが日本人である。以前、『コクリコ坂から』のことを書いたが、あれも全く同じ。

『コクリコ坂から』では、老朽化した男子文化部クラブ棟〈カルチェラタン〉の取り壊しに反対する主人公が、理事長に直訴する。主人公をはじめとする生徒の熱意が通じて、理事長の判断により取り壊しを免れる。理解ある良い理事長・・・はたしてそうだろうか。

〈カルチェラタン〉の取り壊しは理事長の一存で決めたことではない。他の理事や教員も同意してのことだったはずだ。それが、理事長一人の判断で覆る。理事長はいうまでもなく最高権力者である。私学といえど、そんなバカなことがあっていいはずはない。よくよく考えれば、かなり気持ち悪い話である。

取り壊しに同意する側も(理事・教員)、反対する側(生徒)も、絶対的な権力の存在を認め、それにおもねっている。逆に言えば、絶対的な権力にかなうものはないと認めているのだ。

話をもどすと、公平であるべき行政が、一部の権力者によって、お友達というだけで便宜を図ってもらえる、これは、本来であればとんでもない話である。そこに動くお金は、税金から出ている。権力者が税金を私物化しているのである。

しかし、イマイチ反応が薄いのは、日本国民の多くが、権力とは絶対的なもので、何でもできることだと思っているからである。権力にも下から上までさまざまあるが、その頂点が首相、もっと言えば天皇ということだろう。

だから、たとえ安倍首相が森友学園や加計学園に便宜をはかっていても、そこに文句を言う人は少ないのである。
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