2017年10月

振り返ってみると、この記事を入れて4回しか更新していない。ひどいものだ。

これにはちゃんと理由がある。今月は体調を崩しまくってしまったのだ。先月からの胃腸の不調は、今月に入ってもイマイチよくならず、相変わらず薬漬けで、その上二回も風邪をひいてしまった。

一回目は熱や咳は出なかったが、喉の痛みとだるさで完全にダウン。それは1日ほど寝たらすっかり良くなったが、それから二週間ほどして、今度は咳が止まらなくなった。気候も暑くなったり寒くなったりで、いろいろ弱っているらしい。まとまった休みは何度かあったのに、どこにも行けなかった。

そんなわけだから、今回の選挙にはいろいろ思うことはあったんだけど、何も書くことができなかった。もちろん荒天の中、投票はきっちりすませてきた。

今回の選挙は、僕が選挙権を得てから、もっとも奇妙な選挙だった。まず、解散の理由がよく分からない。国難がどうのと言っているが、北朝鮮のアメリカ向け長距離ミサイルの何が国難だかわからないし、よし国難だとしても、解散するとなぜ国難が避けられるのか、さっぱり分からない。これでは、よく言われているようにモリ・カケ問題の追求逃れと思われても仕方がないが、そんなことで解散というカードを切っちゃうんだから豪気なものだ。

もっと分からないのが野党の方で、僕は前原代表が無所属で出馬するというニュースを先に聞いたものだから、前原さんもついにおかしくなったかと思ったが、事態はもっとおかしかった。野党第一党の民進党が、結党一月程度の、党首は国会議員ですらない、「希望の党」という何を目論んでいるんだかよく分からない名前の政党に合流し、見事に負けたのである。

結局、野党第一党は、日本史の教科書に出てきたような、古めかしい名前を持つ「立憲民主党」である。希望の党も結党わずか一月だったが、こちらはなんと結党20日あまりで野党第一党である。

「立憲民主党」とは、なかなか立派な(少なくとも希望の党よりは)名前だが、よくよく考えると、立憲主義みたいな、もはやすべての国民にとって自明のことを旗印に掲げなければならないのも、不思議な話である。
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もしかしたら先行研究があるかもしれないが、ちょっと面白いことに気づいたので、メモ程度に書いておく。

『蒙求和歌』の第2第5話「漂母進食 郭公」は、貧しい時代の韓信が漂母というオバチャンに助けられ、後に楚王となった時に、恩を返したという話である。典拠は『蒙求』の他、『史記』淮陰侯列伝である。

韓信が漂母に出会う場面、国会図書館本『蒙求和歌』では次のようになっている。
下邳ト云所ニ行テイヲヲツクリケルニ漂母来テ・・・
国会図書館本蒙求和歌
「イヲヲツクリケルニ」は「庵を作りけるに」と解釈できる。「庵」は本来の表記では「いほ」が正しいが、この程度の表記ブレは珍しくない。

これでいいだろうと思ったのだが、ちょっと気になって、『蒙求』を見てみた。すると、韓信は魚を釣っている。次の写真は国会図書館本『付音増広古注蒙求』によるもの。「下邳ニ至リテ釣リス」と書いてある。
古注蒙求
念のため『史記』にもあたってみたが、やはり韓信は釣りをしている。

だとすれば、「イヲヲツクリケルニ」は「ク」を削除して、「イヲヲツリケルニ(魚を釣りけるに)」となる。「魚」は「いを」なので何の問題もない。「ク」と「リ」は字形もにているから、たぶん間違えて余分に書いちゃったんだろう。めでたしめでたし・・・。

だが、やはり気になるので、書陵部本の二本を見てみた。

桂宮本『蒙求和歌』:書陵部所蔵目録・画像公開システム
『蒙求和歌』:書陵部所蔵目録・画像公開システム

下の写真の左が桂宮本である。すると・・・。
書陵部本の二本
なんと、どちらも「家を作りけるに」となっているではないか。

おそらく、魚(イヲ)→庵(イヲ)→家(イヘ)になったものだろう。しかし、他の説話を見ると、国会図書館本が欠いている和歌が書陵部本にはあったりするので、直接の親子関係にはないように思える。

校訂本文をどうするか悩んだが、典拠に従って「魚(いを)を釣りけるに」にしておいた。書陵部本と違い、「魚を釣りけるに」という本文の痕跡が見えたからである。
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立憲民主党だの希望の党だの、政治の世界がえらいことになっているが、そんなこととは全く無関係に、『宇治拾遺物語』をバージョンアップした。

陽明文庫本『宇治拾遺物語』:やたナビTEXT

バージョンアップといっても、ブラウザで直接見られるテキストは少しずつ修正してきた。それをまとめたzipファイルを作ったというだけである。したがってVer1.1となっている。しかし、これはVer2.0の布石である。

『宇治拾遺物語』はやたナビTEXTの中では、もっとも古くからある。入力したのはさらに古く、今から20年近く前だ。当時は公開するつもりは全くなく、自分で検索し論文などに引用するために翻刻した。引用するときはその都度確認するので、それほど正確である必要もなく、きわめてテキトーに作った。

現在のやたナビTEXTの電子テキストは、行数まで同じくした翻刻と、それを読みやすくした校訂本文からなっている。現在の『宇治拾遺物語』は、最初の時点で句読点を付し、段落、濁点、カギカッコなどを付けてしまったので、この形式になっていない。

また、あるときから、人名に注釈をつけるようにした。これは、注釈というより、同じ名前で検索できるようにである。例えば、平中・平の貞文・平定文・兵衛佐貞文などの表記ゆれに対し、すべてに「平貞文」と注釈をつければ、「平貞文」で検索がヒットする。この方法は途中で思いついたので、『宇治拾遺物語』と『今昔物語集』の最初のころ入力したものには付いていない。

そこで、これから一話ずつ、現在の形式に書き換えていこうと思う。すでに下ごしらえは終了して、その過程で発見した誤りを修正したのがVer1.1である。

なにしろ197話もあるし、『蒙求和歌』と同時進行だから、かなり時間がかかるだろう。途中、旧形式と新形式が混在することになるけど、そのへんはご寛恕ください。
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ノーベル文学賞をカズオ・イシグロさんが取ったそうだが、そんなこととは全く無関係に、やたナビTEXTの次の作品は、源光行『蒙求和歌』にした。底本は国立国会図書館本。

国立国会図書館本『蒙求和歌』:やたナビTEXT

『蒙求和歌(もうぎゅうわか)』は、鎌倉時代初期に源光行によって作られた、『蒙求』翻案作品である。『蒙求』は唐代の李瀚によって作られた、四字一句の韻文596句からなる、子供向けの教科書的な作品。四文字の韻文だけでは何が何だか分からないので、後に注という形でその句が意味するエピソードが記された。

千字文』や『三字経』の類だと思ってもらえばいいが、本家中国ではそれらに押されて早くに廃れてしまった。日本では、平安時代以降根強い人気があり、近世まで初学者の教科書として使われ、多くの日本文学作品に影響を与えた。

『蒙求和歌』は、一つの説話が『蒙求』の四字句と和文による説話、そしてタイトル通り和歌からなっている。翻訳説話と和歌というと、『唐物語』を想起するが、『唐物語』があくまで歌物語として書かれているのに対し、『蒙求和歌』はあくまで四字句を題材に作者源光行が詠んだもので、各説話の終わりに付けられている。

この手の翻訳作品は、なぜか冷遇されていて、『蒙求和歌』も活字になったものがはなはだ少ない。近年、『『蒙求和歌』校注』(章剣・溪水社)というのが出たようだが、恥ずかしながらまだ未見である。


底本の国会図書館本は、字が細かいこと以外、それほど読みにくくないし、他にも簡単に参照できる本もあるのだが、なにしろ参考とすべき前例がないので、いろいろと判断の難しいところがある。

例えばすでに第1第5話まで作ったのだが、ここでふと第5でいいのかと疑問がわいた。なにしろ『蒙求和歌』である。しかも部立てまである。これは和歌が主体ではないか・・・と。とはいえ、第x首というのも何かヘンな気がする。

まあ、とりあえずこのまま続けていって、問題があれば修正していくことになるだろう。
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