2018年02月

今年は3年生の授業がやたらと多かった。3年生の授業は1月いっぱいで終わってしまった。おかげで、例年にくらべてそれほど忙しくない。というか、結構なヒマがある。

長期休暇のように全然仕事が無いわけじゃないのだが、どういうわけか、こういう時の方がヒマ感が大きい。

僕は正直者なので、何かの予定を聞かれたりすると、つい「いつでもいいですよ。今ヒマだから」などと答えてしまう。別にヒマ自慢しているわけではない。本当にヒマなのだ。

ところが、こう言うと、たいがい「いやいや、そんなことないでしょ」的なことを言われてしまう。これは一体なんだろう。こう言われると、まるでヒマが悪いような気持ちになってくる。

普段、忙しそうにしているつもりはないのだが、あるいはそう見えてしまうのかもしれない。だが、それならそれで、自ら「ヒマだ」と言っているのだから、いいことではないか。

僕の仕事は、(たぶん)有史以来の裁量労働制である。裁量労働制であれば、ヒマがあるのは有能の証拠。「ヒマですか。私も見習いたいものですな」ぐらいのことは言ってほしいものだ。

やたがらすナビの総ページ数が3000ページを突破した。
3000ページ
なお、この数には、ページ数の数えられない古典文学電子テキスト検索のようなデータベースや、サーバーが違うこのブログは入っていない。

1ページの記述量はまちまちで、400字詰め原稿用紙半分にも満たないページもあれば、10枚以上になるものもある。だから、3000ページという数字には大した意味はないのだが、それでも我ながらよく書いたものだと関心する。

しかし、よくよく考えてみると、『今昔物語集』が1000話以上ある。3000ページの3分の1は『今昔物語集』のテキストということになる。改めて今昔物語集の凄さを感じた。

というわけで、まだまだ続けるつもりですので、今度ともよろしくお願いします。
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最近、デスクトップパソコンを使っていて、なんだか表計算で使っている色が薄くて見えにくい気がしていた。それも均一ではなく、画面の下の方だと薄くて、上の方だと濃くなるようだ。

ためしに一面同じ色にしてみると、明らかに色ムラがある。
旧ディスプレイ
今使っているモニターは10年前に買ったものだ。さすがに寿命だろう。ということで、モニターを買い換えることにした。

買ったのはコレ。
22MP48HQ-P:LGエレクトロニクス・ジャパン

LG製にしたのは、値段が安いのと、液晶パネルのシェア1位だったから。サイズは21.5インチで、IPS液晶。これでついに日本メーカーのIT機器はプリンター二台(いずれもbrother製)だけになった。

いままで使っていたのが10年前のものだから、映りがどうのというのは比較する意味がない。問題は画面のサイズと縦横比(アスペクト比)である。以前は17インチの1280×1024ピクセル(5:4)だったのが、21.5インチの1920×1080(16:9)になった。

実は、横長の画面はあまり好きではない。どうにも幅が広すぎて、どこを見たらいいか分からなくなるし、ブラウザを最大限に広げると、デザインによっては読みにくくなる。

しかし、最近はやたナビTEXTの入力で、右に影印、左にエディタを並べて入力することが多くなった。これは、圧倒的に横長の画面のほうが使いやすい。

これまではこんな感じ。


今はこう。


その差は歴然としている。17インチのモニターでは6行程度入力するたびに、マウスで画像を移動しなければならなかったが、21.5インチだと一丁まるごと表示して入力することができる。明らかに楽になったし、どう考えてもこちらの方が見やすいのだが、まだ使い慣れないためか、どうにも目が疲れる。まあ、慣れの問題だろう。

17インチから21.5インチというと、ずいぶん大きくなった気がするが、高さは17インチモニターとほぼ同じだった。なので、もう少し大きくてもよかったかなと思っている。

『蒙求和歌』第10第17話(147) 荘周畏犠は、次のような説話である。
楚王が荘周を宰相にしようと使者を送った。使者からそのことを聞かされた荘周は、「あなたは生贄をご存知ないか。生贄は、最初はきれいに飾られて、餌も十分与えられるが、最後は殺されてしまう。私は生贄にはなりたくない」と言って、家にこもってしまった。
荘周は荘子のことだが、この説話の最後に、一言、こんな文が付け加えられている。
荘周は夢中に胡蝶となりし人なり

これが『荘子』斉物論の「胡蝶の夢」のことを言っているのはいうまでもない。高校の教科書にも出てくるほどポピュラーな説話である。内容はご存知の方が多いだろうし、説明するのも面倒くさいので、Wkipedia先生にお任せする。

胡蝶の夢:Wikipedia

「荘周は夢中に胡蝶となりし人なり」という文を読んで、なんだか微笑ましく思った。もし、僕が授業でこの説話を扱ったら、たぶん同じことを言うだろう。「この荘周ってのは、荘子のことだな。ホラ、夢で胡蝶になった人だよ」と。

この文は、『蒙求和歌』の対象とする読者がどういう人だったかを端的に表している。

もし単純に荘周が荘子だという注釈を付けたいなら、「荘周は荘子なり」ぐらいですむ。わざわざ「胡蝶の夢」を持ち出すからには、荘周という名前を聞いても、それが荘子だとピンとこない人、それでいて「胡蝶の夢」の話を知っている人を読者としているのである。

『荘子』の「胡蝶の夢」は「昔者荘周夢為胡蝶」で始まるので、漢籍をまともに読んだ人なら、荘周でピンとこない人はいない。『蒙求和歌』の時代、「胡蝶の夢」の話はかなり人口に膾炙していて、直接読んだことがなくても、口伝えで子供でも知っているレベルだったのだろう。

もともと『蒙求』は初学者向きに書かれ、日本では「勧学院の雀は蒙求を囀る」という諺があるほど、学問をする人にとってはメジャーな漢籍だった。「荘周は夢中に胡蝶となりし人なり」という文は、『蒙求和歌』が直接『蒙求』を読むことができる初学者以前の人(おそらく子供)を対象にしたものであることを示しているのである。
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僕は外国へ行った時、かならずテレビを見る。もちろん、何を言っているのか分からない。それでも、外国のテレビを見るのは楽しい。

アメリカへ行った時は、古いサバンナRX-7にV8エンジンを載せる方法を懇切丁寧に教える番組をやっていた。いかにもアメリカっぽいが、コンパクトなRX-7にでかいエンジンを載せる意味がわからなかった。

イギリスでは、どっきりカメラみたいなのをやっていたが、番組の変わり目に突然乳首が喋り出した。何を言っているのかわからねーと思うが、乳首(女性の)が大写しになったと思ったら、突然目鼻がついて喋り出したのである。何を言っているかは分からないが、乳首がしゃべるとキモいということだけは分かった。

テレビがありがたいのは、言語が不自由でも、ある程度画像で分かることだ。しかし、そこは多分に誤解を含んでいるはずだ。それでは、外国人になったつもり―日本語が一切できない設定ーで、最近のニュース番組を見てみよう。

交通事故だの犯罪だの、どこの国でもやっているニュースの後、何やら会議室の映像が映しだされた。しかし、メンバーが何だかヘンだ。男ばかり、それも全員中年のオッサンである。みんなスーツを着ているが、サラリーマンのスーツとは違い、どこか違和感がある。

「何の会議だろう?日本の政治家は男性が多いと聞くから、政治家だろうか?」

どいつもこいつも、政治家にしては恰幅がいい。ただのデブではない。ガッシリとしていて、どこか殺気を感じる。中でも真ん中あたりに座っているオールバックの男が、若そうに見えるにもかかわらず、席にふんぞり返って偉そうに見える。

画像が変わり、大きな黒い車が映る。中からさっきの偉そうなオールバック男が出てきた。ここで、僕(日本語ができない外国人)はすべてを理解した。

「分かった!こいつら、ジャパニーズギャングだ。日本にはヤクザという組織があると聞く。これは、ヤクザの跡目争いの会議で、ふんぞり返っている男が跡目の候補者だろう」

そう思って見ていると、テレビのアナウンサーらしき人が、解説をしている。もちろん日本語だから何を言っているか分からないが、ギャングの顔写真と派閥を書いているらしいボードを出している。話題の中心が例のオールバック男であることも何となく分かる。もう間違いない。

さて、よく分からないヤクザのニュースを見ていてもしょうがないので、僕はチャンネルを変えた。

ところが・・・、どのチャンネルも同じような時間に、同じヤクザのニュースを流している。日本人にとって、ヤクザの跡目争いは、国民的なニュースだと知った。

かくして、僕は帰国後、友人にみやげ話をするのである。

「日本、やべぇよ。ヤクザの跡目争いがトップニュースなんだぜ!どのチャンネルでも同じ時間にそれを流してるんだぜ!」
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