2019年05月

気がついたら、今月も終わり。十連休を皮切りに、中間考査、体育祭と例年にもまして授業がなかったが、ブログは5回(今回含む)しか更新していない。

3月のニュージーランド旅行もまだ書いていないことがあるし、先週滋賀へ行ってきたので、ネタ自体はあるのだが、どうにも文章がうまく書けなかった。一応手はつけてみるので、書きかけの残骸ばかりが増えて、書かないうちに賞味期限切れになりそうな気がする。

7月のブログ強化月間のネタにすればいいのだが、なかなかそうもいかない。残骸はうまくまとまらないところが書けていないので、7月になったからといって書けるわけではないのだ。

さて、今月はスクールバスを待っている小学生が、刃物を持った男に切りつけられるという痛ましい事件があった。犯人は二人を殺し、そのまま自殺してしまった。犯人はもうこの世にいないので、はっきりとした動機は分からない。それだけに、少ない情報からいろいろ推測されている。僕とほとんど同い年だから、おおいに気にはなる。

なんであれ動機が分かれば安心する気持ちもわかるが、これだけの犯罪の動機は一つではないだろう。おそらく犯人だって動機は分からないのではないか。それを推測してもあまり意味のあることとは思えない。

大事なことは、これからどうするかである。動機が何であれ、頭のおかしいやつは必ず現れる。そういうやつから、どう児童・生徒を守るのか。難しいことだが、それは犯行の動機を考えるよりもよほど大事なことである。
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先日、ニュージーランドに行ったときにベジマイトを買ってきた。ベジマイトとはパンに塗るものである。メン・アット・ワーク(Men at Work)の「Down Under」にも出てくる、オーストラリア人のソウルフードらしい。
Buying bread from a man in Brussels
He was six-foot-four and full of muscles
I said, “do you speak-a my language?”
He just smiled and gave me a vegemite sandwich

ブリュッセルでパンを売っていた男がオーストラリア出身らしかったので聞いてみたら、ベジマイトサンドウィッチを渡したという。

容器はこんな感じ。なんでもビタミンBがいろいろ入っているらしい。
ベジマイト
中身はこんな感じ。蓋を開けると、独特の香りが漂ってくる。
ベジマイト中身
見た感じ、チョコレートに似ているので、ヌテラを想起するが、匂いだけで、甘くないのが分かる。妻に言わせると、「エビオス錠とミソを混ぜた匂い」だという。僕はエビオスの匂いを知らないのだが、わずかにミソ要素があるのは分かる。

さて、どんな味だろうか。これを食べた日本人は、一様に「まずい」というらしい。まずいと言われるとますます食べたくなるのが人情というものだ。パンに塗って食べてみた。
ベジマイトを塗ったパン
実はこれは二回目。最初、ピーナッツバターの要領でこってりぬったら、しょっぱすぎて食べられたもんじゃなかった。単独で塗るなら、これぐらいにしておいた方がいい。

味は味噌に似ていて、ちょっと苦味がある。さすがは同じ発酵食品だ。ただし、香りは味噌とはかけ離れている。しょっぱさは味噌よりちょっと弱いぐらいだが、それでも十分塩っぱい。トーストに塗るものでここまで塩っぱいものを経験していないのと、味噌に似た味なのに味噌とは違う香りで、ノーミソが混乱する。

「まずい」と言うほどではないが、日本人のソウルフードである味噌に似ている以上、もうひと工夫で美味くなりそうな予感はする。どうすればいいのか、皆目見当がつかないんだけど。


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SEをやってる旦那の会社はホワイト寄りだったのがトップが変わって「どんな理由の問題発生でも反省文が必要」となった話:togetter

バカが上司になるってことはよくあることで、反省文書かせるなんてバカ上司以外の何者でもないんだけど、それに唯々諾々と従ったり、SNSで呪いの言葉をつぶやいているだけってのも、バカさかげんではその上司とあまり変わらないように思える。

こんなのは、

「反省はしてますが、反省文書くなんて意味の無いことはイヤです。」

でいいんじゃないかと思う。

しかし、僕も50歳過ぎたいいオッサンだ。一人で「イヤです」と言っても、誰も味方になってくれないことぐらい分かっている。せいぜい上司のいない所で「よく言ってくれました」とか個人的に感謝されても、その場になれば誰も味方してくれない。上司からは嫌われるだけだから、一人で反抗しても損にしかならないというのもよく分かる。

だったら、「上に政策あれば下に対策がある」でいけばよろしい。この場合なら、反省文のテンプレートを作って、下っ端で使い回せばいいのだ。会社のサーバーなりNASなりに、「反省文テンプレ.docx」とか名付けて共有する。上司の目に付きやすい所に置いておくとなおよろしい。

テンプレを書く最初の人はちょっと面倒くさいが、あとはコピペで済むから感謝される。だいたい、そんな上司はどうせバカに決まっているから、反省文なんか読んじゃいない。よし読んだって、バカだから前の反省文なんか忘れてるに決まっている。それでもバレるのが心配なら、反省文を2パターンか3パターンぐらい作ってローテーションするという方法もある。

のらりくらりとかわすのも一つの手だ。上司から何か言われるまで書かない。言われたら、「忘れたわけではありませんが、ちょっと今忙しいんで書けません。」とか言って何日も引き伸ばす。それでもまだ言ってきたら、「半分まで書いたんですが、急に仕事が入って・・・」とか何とか、上司はバカだからそのうち忘れるだろう。

運悪くバカが上司になるということは、どの時代でもどの業界でもあることだ。それだけでブラックだのホワイトだの言ってはいけない。また、バカが上司になったからといって、自分までバカになることはない。

それにしても、学生時代は先輩秘伝の試験対策ノートだの、コピペして継ぎ接ぎレポートを書くだの、いろいろいらん対策を考えるくせに、社会人になった途端、上司の言いなりになっているのはどういうわけだろう。なぜ、そこで学生時代に磨いた対策を応用しないのか。まったく不思議でしょうがない。
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とても失礼な話だが、国旗が似ているし、隣あっているので、ニュージーランドとオーストラリアはどうしても同一視してしまう。しかし、実際に行ってみると、こんなに違うものなのか感じることが多かった。もっともオーストラリアには行ったことがないんで、厳密な比較はできないけど。では何が違うか。

1.先住民
ニュージーランドの先住民はマオリ、オーストラリアはアボリジニ、このくらいは僕でも知っている。ところが、マオリとアボリジニは全く別の民族だとは知らなかった。

オーストラリアのアボリジニは数万年の歴史を持つらしい。どこから来たのかもよく分からないほど昔である。ニュージーランドのマオリはポリネシア系で、ハワイキなる伝説の島からニュージーランドに渡来したのは9世紀から10世紀ごろ。それまでニュージランドは動物しか住んでいない無人島だった。マオリの言語はポリネシアの言葉とよく似ていて、彼らがつけた地名もハワイの地名によく似ている。

マオリの踊り。音楽はハワイアンに似てた。
マオリの踊り


2.動物
オーストラリアといえば、腹にポケットが付いてるやつだの、クチバシがついていて卵を生むのだの、奇天烈な哺乳類で知られる。ところが、ニュージーランドには、もともと鳥類ばかりで哺乳類も爬虫類もいなかった。ニュージーランドに渡った最初の哺乳類はニンゲンだったのである。

その代わり、キウイやモア(絶滅種)だの奇天烈な鳥がいた。捕食する動物がいなかったから、飛べなくなっちゃったのだが、その後人間やら人間が連れてきた哺乳類やらに、いいように食われてしまった。

国鳥キウイ。飼われているホンモノ見たんだけど、写真撮っちゃいけないそうなので、ビニール製のダッチキウイで勘弁してください。
kiwi
ついでに言うと、果物のキウイはコレに似ているから名付けられた。そもそもニュージーランド原産ではなく、中国原産。

モア。人間に食われて絶滅しちゃったので剥製で勘弁してください。それにしてもでかいが、あまりうまそうには見えない。
モアの剥製


3.すげえ離れてる。
違いというよりは、地理の話なんだけど、ニュージーランドはオーストラリアの地図でいうと右側にある島である。ここまではまず誰でも知っている。島の形がどことなく日本と似てるから、なんとなく大陸と日本の関係を想起してしまう。

ところがニュージーランドとオーストラリアは、一番近い所でも2000キロぐらい離れている。東京から台北ぐらいの距離だ。日本と大陸の場合、対馬と釜山では60キロ程度、下関と釜山でも200キロ程度しか離れていない。南半球は大きな島が少ないので、すぐ隣のように思えるが、じつはかなり離れている。これではカンガルーもコアラもクロコダイルも渡れまい。

それにしても人間はすごい。今から1000年以上も前に、3000キロ以上離れたポリネシアの島から、カヌーに乗って渡ってきたのだ。
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『沙石集』の電子テキストを公開しました。

元和二年刊古活字本『沙石集』:やたナビTEXT

底本は、元和二年刊古活字本(京都大学蔵)です。いつもどおり、翻刻部分はパブリックドメインで、校訂本文部分はクリエイティブ・コモンズライセンス 表示 - 継承(CC BY-SA 4.0)で公開します。

『沙石集』は、鎌倉時代中期に無住によって書かれた仏教説話集・・・ということになっていますが、そう言うと無住に怒られるでしょう。

無住は執筆の意図を、と最後の述懐に書いています。それによると、一般人のために、興味深い説話をネタにして、仏法を勧めるために書いたと言っています。

読んでみると、説話よりも無住の言葉の方がずっと多く書かれています。この無住の言葉はかなり難解で、とても本人がいうように一般人のために書いたようには思えません。仏典や漢籍の引用も多く、よほど仏教と仏教語の知識がなければすべてを理解することは難しいと思います。

時間をかけて読んでみて、これは現代の論文の書き方に似ていることに気付きました。「こういう話がある、これは仏教的にはこう考えられる、その証拠に、この仏典にはこうあって、仏典のこの言葉はこういう意味で・・・」という感じで、きわめて理路整然と文章が進んでいきます。ですから、論文を読むときと同じように、仏典や漢籍の引用が難しそうなときは、飛ばして読んでも無住の言いたいことは分かります。

仏教語が多いのも読みにくい理由の一つです。これも、論文でテクニカルタームが出てくると、一般人には読みにくくなるのと同じことです。専門家にとっては最大限分かりやすく書いたつもりでも、素人が読むと、回りくどくて言葉も難しくさっぱりわからない、そんな感じだと思います。

『沙石集』で書かれていることはとても幅が広いのですが、僕は「自分の宗派を贔屓するあまり、他の宗派を批判してはいけない」というのが印象に残りました。無住の時代は鎌倉新仏教の時代です。自分の宗派の優位性を説くあまり、他の宗派を誹謗することがよくあったようです。

八宗兼学と言われ、あらゆる仏教思想に精通した無住には、宗派の対立が我慢ならなかったのでしょう。よほど気になっていたことらしく、『沙石集』を通して何度も出てきます。例によって、優劣はないということを理路整然と説明します。説得力があるのですが、これでは一般人には通じません。一般人には「念仏が優れている、あとはゴミ」とか「座禅が(以下同じ)」の方が通じやすいのです。なんだかどっかで見た感じがします。

さて、今回の底本は古活字本です。『沙石集』は異本が多く、大きく分量の少ない略本系と多い広本系に分けられます。古活字本は略本系で、比較的入手の容易な日本古典文学大系(梵舜本)や、新編日本文学全集(米沢本)は広本系になります。無住は50歳代で書き始めてから、80歳代で死ぬまで手を加え続けて、これらの異本ができました。

略本なので説話の数はやや少ないのですが、古活字本には大きな意味があります。『沙石集』は後世に多大な影響を与えた作品です。それらが参照したものの多くは、古活字本の流れにあります。また、略本系は無住の最終稿に近いという説もあります。

翻刻自体は妙な異体字もなく、読みやすいので簡単でした。しかし、何しろタームが難解なので、校訂本文をつくるのには苦戦しました。こういうものを読むと、字が読めることとテキストが読めることは別物だと痛感します。

そんなわけで、まだまだ間違いも多いと思いますが、死ぬまで手を加え続けたという無住にならって、少しづつ訂正していきたいと思いますので、ご批正よろしくお願いします。

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