2019年07月

なんだかんだで、今年のブログ強化月間もカレンダーを埋めることができた。やればできるじゃん。

最後の2日は映画と小説の話になった。『老人Z』は20年前、『百年戦争』は40年前でどちらも古い作品だ。しかし、作品に描かれているものは今にも通じているものが多い。

『老人Z』で描かれる介護問題、Z-001号機はまだ開発されていないばかりか、介護士の不足や待遇の悪さなど、何一つ問題は解決していない。解決していないどころか、ますます悪くなっているような気さえする。20年も前に予想されていたことなのに、一歩も前進していない。

『百年戦争』では、こんなセリフが出てくる。
「原子力開発は危険である、というのが宇宙人に共通した見解だけど、ぼくたちはいわゆる『何でも反対』の反対屋ではないんだ。代りの案はちゃんと用意してある。人類は原子力ではなく、電磁エネルギーを使うべきである、これがぼくたちのご推薦。二十世紀後半から二十一世紀にかけてのエネルギーのおすすめ品。」
昔から原子力の危険性は喧伝されていたが、「代わりの案」がなかった。とくに『百年戦争』の時代はオイルショックの記憶も生々しいころだから、原発反対派は旗色が悪かった。危険でも宇宙人の力を借りなければ止められなかったのである。

しかし現代では、ここでいう「電磁エネルギー(太陽光も電磁波である)」に当たるものも現れてきた。ところが、「代わりの案」があっても原子力を捨てることができない。福島の事故で原発の危険性が可視化され、代替案の技術が進歩しても、まだ多くの人のノーミソの中は40年前と変わっていない。

どちらの問題も、今のほうが現実味があるのに、目を向けまいとしている人が多いようだ。イヤなものから目を背けたくなるのは仕方がないが、どんどん手遅れになってしまう。逆に目を向けている人たちもいる。喫緊の課題だからそれが切実なのは分かるが、必死過ぎて目を背けたい人たちにかえって伝わりにくくなっている。

『百年戦争』も『老人Z』も、共通しているのは軽妙さである。こういう軽妙さを取り戻せないものだろうか。

・・・というわけで、毎日更新も今年は今日で終わり。でもブログはこれからも続けるつもりなので、よろしくお願いします。
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妻に、「食べてすぐ寝ると牛になるよ」と言われて、突然、子供のころ読んでいた新聞小説のことを思い出した。

覚えているのは断片的で、お母さんから、「食べてすぐ寝るとネコになるよ」と言われて、「ネコになってもいいよ」とか答えると本当にネコになってしまうという話だったことぐらいだ。内容は何一つ覚えていない。

当時僕の家で取っていたのは毎日新聞だった。タイトルも覚えていない。作者は井上ひさしだったと思うが、なにしろ子供だったので自信がない。そもそも、自分が何歳だったか覚えていない。

とりあえず、「猫 井上ひさし 新聞」あたりで検索してみたら、すぐに『百年戦争』というタイトルが出てきた。インターネット万歳!あらすじを読んだらこれで間違いないようだ。amazonで検索すると、Kindle版が上巻だけなら100円である。もはや考える必要はない・・・というわけでポチった。なお下巻は540円。

連載されていたのは毎日新聞夕刊で1977年2月28日〜78年7月15日だそうだ。ということは、僕が8歳から9歳のころということになる。よくこんなの覚えてたな、オレ。作者が「井上ひさし」だから覚えていたが、「幡随院長兵衛」とかだったら絶対に覚えていなかっただろう。

さて、実際に読んでみたら、読んだ理由も、内容をさっぱり覚えていない理由もすぐに分かった。

この小説、登場人物がほとんど小学生(5年生)である。清・良三・秋子の小学生三人がネコになったり、ネズミになったりして銀座を駆け回る。変身の仕方もおもしろいし、ネコとネズミのアクションシーンも多い。出てくるのが小学生とネコ・ネズミだから、そんなに難しい言葉も出てこない。だから小学校3年生の僕は子供向きの小説だと思ったのだろう。

ところが、読み進めていくと、宗教やら当時の社会情勢やらが絡んできて、なかなか難解だ。おまけに銀座の歴史だの哲学だのの薀蓄がやたらと長くて、およそ小学生(しかも低学年)が理解できるものではない。

新聞小説の一回は短いから、連載で読んでいれば、数回に渡って薀蓄が続いたはずだ。薀蓄が終わったときには、何のための薀蓄か、大人でも忘れてしまうのではないか。薀蓄の内容は、ストーリーに絡むものもあるが、ほとんどは関係ない。例えば、銀座の店の歴史的な変遷リストが延々つづくのには驚いた。井上ひさし先生、やりたい放題である。薀蓄は井上ひさし小説の特徴らしいので、これが好きな人にはたまらないだろう。

さて、これでは内容がなんだかさっぱり分からないと思うので、簡単に解説しておく。

ネコやネズミに変身できるようになった小学生三人が、銀座ネコと築地ネズミの抗争を通じて、人類滅亡の危機を救う。読むに従って、なぜ変身できるようになったのか、銀座ネコと築地ネズミの抗争を仕掛けた黒幕は誰か、そして抗争の真の理由が分かるようになっている。この黒幕がまた壮大にもほどがあるほど壮大なのだが、とてつもなくしょぼい理由で倒される。そう、これはセカイ系である。そんな言葉、当時はなかったけど。

現在のセカイ系と違い、清(銀座ネコの首領)と良三(築地ネズミの首領)の男子二人が人類滅亡の危機を救う。ヒロインの秋子は目立ってはいるがあくまで脇役で、ストーリーの展開にはあまり重要な意味を持っていない。このあたり、40年以上前の作品ではあるが、なんだか新鮮な感じがする。
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先日、あまりに暑いので、久しぶりに映画館でも行こうと思った。こういう時は、とりあえず一番近い名画座目黒シネマをチェックする。大友克洋特集で『AKIRA』と『老人Z』の二本立てだった。

AKIRAは何回か観ているからまあいい。『老人Z』って何だ。観たことないのは言うまでもないが、そんなアニメは知らなかった。

Wikipediaで調べてみると、
『老人Z』(ろうじんゼット)は、日本のアニメ映画。高齢化社会などの老人問題をテーマに作成したSFアニメーション。1991年9月14日公開。
大友克洋と江口寿史がコンビを組み、メカニックデザインとキャラクターデザインを担当した。(老人Z:Wikipedia)
なんと、大友克洋と江口寿史!あまり食い合わせがよさそうな感じがしないけど、もうこれだけで見る価値はあるでしょ。というわけで目シネへGO!

高齢化社会を迎えた日本。介護士不足を解決するため、厚生省は商社と共同で全自動介護マシーン(Z-001号機)を開発する。最初のモニターとして主人公の晴子が介護する高沢老人が選ばれた。その後、晴子の学校のコンピューターへ、高沢老人の助けを求めるメッセージが来る。高沢老人を助けるため厚生省の施設へ侵入する晴子と友達。ところが、高沢老人の入っているZ-001号機は、実は軍事用ロボットの試作品で・・・。とまあ、ざっくり要約するとこんな感じ。

Z-001号機はいうまでもなく大友克洋のデザイン。そこにギャグ漫画っぽくデフォルメされた寝たきり老人がハマっている。もちろん、大友克洋なので、暴走したり、グニャグニャとした何かが飛び出したり、いろいろ爆発したりする。そこに絡む江口寿史的女子がいかにもバブル期っぽくって懐かしい。会話も行動も、男子の情けなさも、何もかもがあの時代だ。

介護問題は重いテーマだが、バブル期独特の軽妙洒脱な描き方である。今ならちょっと不謹慎に思われるかもしれないが、へんにお涙頂戴(ちょっとやってるけど)じゃないところがいい。大友克洋っぽいのか江口寿史っぽいのかよく分からない、意外なオチもついている。シリアスな内容を斜に構えるのがあの時代である。

いろいろ雑な部分もあるんだけど、なんだか観てて涙が出てきたよ。
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老後に2000万円必要だと言われて、株式投資を考えている人も多いだろう。株式投資というと、なかなか勝てないもののように思われる。しかし、それは間違いだ。絶対に勝てる。これから確実に勝つ方法を伝授するので、投資を考えている人は参考にしてほしい。

株式投資で勝つ極意は二つである。この二つさえ頭に入れておけば絶対に勝てる。絶対にだ。

1.安い時に買って、高いときに売る。

そんなの当たり前だと思われるかもしれないが、これがなかなかできない。安い時にはまだ下がるような気がして買えない、高くなるとこれから上がりそうに思えて買ってしまう。逆に高いときにはまだ上がりそうに思えて売れない、安くなると(特にマイナスがでると)ビビって売ってしまう。それでは勝てるわけがない。

証券会社は手数料でかせぐ商売なので、なるべく頻繁に売り買いさせようとする。相場が上がってくると買わせようとするし、下がると損切りを勧めてくる。これに騙されてはいけない。

もちろん、上がる銘柄を選ぶ必要はあるが、それは自分で勉強してくれ。ただ、一つだけ付け加えるなら、これも証券会社を信用してはいけない。証券会社が勧める銘柄のほとんどは、すでに株価が上がっている銘柄だからだ。

2.「勝ち」のハードルを低くする。

今では銀行の金利なんか、ハナクソほども付かない。銀行の金利に勝てば勝ちなのだから、株式投資で勝つのは実に簡単だ。

しかし、人間どうしても欲が出てくる。誰が1億儲けただの、彼が豪邸を建てただの、景気のいい話ばかりが耳に入ってきて、やっているのがアホらしくなる。

投資というものは、人によって環境が全然違う。中には最初からタネ銭が何千万もある人や、一日中板に張り付いていられる人もいる。そういう人と比べてはいけない。人と比較すると、判断が狂い「安い時に買って、高いときに売る」という大原則ができなくなるものだ。

銀行の金利に勝てれば勝ち。それでいいではないか。それを繰り返していくうちに、だんだん上手くなるものである。
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先日のかっぱ橋で、ピーラーを買った。あまりにたくさんあるのでよく分からず、以前使っていたのと同じものをレジへ持っていったら、「当店オススメ」というのがあったので、その場で変更した。

買ったのはこれ。貝印SELECT100。
ピーラー

ご覧の通り、とてもシンプルな何の変哲もないピーラー。値段も1000円ちょっと。

使ってみたが、今までのピーラーとは段違いによく切れる(剥けるというべきか)。ニンジンなんぞは、軽く滑らすだけで、気持ちよく剥けていく。よく切れるだけあって断面もきれいなので、小さな食材ならピーラーとしてだけではなく、スライサーとしても十分使えそうだ。

切れないピーラーは使っていて楽しくない。とくにデコボコした野菜やちょっと固い野菜だと、かえって面倒くさいから包丁を使ってしまう。これならなんでも使える。カボチャで試してみたら、さすがにニンジンよりは手応えがあるが、やはり気持ちよくきれいに剥けた。

僕の経験では、包丁を使っているときよりも、ピーラーやスライサーを使っているときのほうが、ケガをしやすい。特に切れの悪いものは妙な所に力が入るから、突然手が滑って野菜の皮を剥いているつもりが自分の指の皮を剥いてしまうという事態になる。刃物は切れ味がいいに越したことはない。

というわけで、いいピーラーが欲しい人にはストロング・バイ。


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というわけで(アルマイトのヤカンを買った(付、壁紙):2019年07月25日)、かっぱ橋道具街へ行ったのだが、ここまで来て浅草寺に行かないわけにはいくまいということで行ってきた。夏休みも序盤だからか、思ったより人は多くなかったが、それでも外国人観光客でごった返していた。

そんな中、ちょっといい狛犬を見付けた。浅草寺には何度行ったか分からないぐらい行っているが、この狛犬にはついぞ気が付かなかった。何しろ境内は広いし、人が多すぎる。

狛犬がいたのは、浅草寺の末社(と言っていいのだろうか?)恵日須大黒天堂。本堂の右隣(向かって左)に金龍権現・九頭龍権現の小さな祠があるが、その近くにある。ゆっくり見ている時間がなかったので(暑かったし・・・)、銘などは見付けられなかったが、たぶん江戸時代中期ごろじゃないだろうか。
浅草寺恵日須大黒天堂の狛犬
向かって右側。
浅草寺恵日須大黒天堂の狛犬(右)
左側。
浅草寺恵日須大黒天堂の狛犬(左)
このお堂自体もなかなか面白い。扁額には「恵日須/弘法大師作/大黒天」と書いてある。なんと、空海が作った(とされる)石像である。
浅草寺恵日須大黒天堂扁額
石碑にも弘法大師作とある。この石碑は天保15年(1844年)に建てられたものらしい。
石碑
で、中に入っている恵比寿・大黒天像は・・・
浅草寺恵日須大黒天像
金網のせいでうっすらとしか見えない。立て札の説明書きによると、延宝3年(1675年)に浅草寺に奉納されたものだという。空海作ってのは、マアあれだ。

しばらく散歩して浅草神社の方へ行ったら、猿回しやってた。犬と猿に同時に出会えるとは縁起がいい。投げ銭奮発しておいた。
猿回し
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先日、料理をしていたら、スライサーが壊れた。プラスチックの板に刃が付いているだけのもので、そう簡単に壊れるものじゃないが、なにしろ10年以上使っているので、劣化していたのだろう。最近アレも壊れた、コレは壊れそうだと、いろいろ出てきたので、妻とかっぱ橋道具街へ行って調達することにした。

買い物リストの中にはヤカンが入っていた。これまで使っていたヤカンは取っ手のリベットが折れて捨ててしまったのだ。夏になると電気ポットの電源は抜いてしまうし、麦茶を煮出すこともあるので、ヤカンの出番が多くなる。この機会に新調しようということになった。
やかん
お目当ては、トラディショナルな黄色いアルマイトのヤカン(3リットル)である。ヤカンといえばあの形だから安いだろうと踏んだ。値踏みにはちょっと自信がある。

だいたい1000円以下だろ。

そう思った理由は次の通り。
  1. どこにでもある大量生産の日用品である。
  2. 中国でも同型のものが使われている。
  3. アルミ価格はそれほど上昇していない
  4. ラグビー部でも買える。
ところが、いろいろな店を回ってびっくりした。どの店を見ても税込み4000円前後。予想の四倍だ。

「かっぱ橋、たいして安くないな」と思って、帰ってからamazonで見たら、同じ製品が4000円以上する。値踏み大外し。

あらためてよく考えてみると、高くなる要素もある。
  1. 作るのに手間がかかる。
  2. アルマイトはIH調理器で使えない。
  3. 電気ケトルの普及でヤカン自体使われない。
  4. 最近のラグビー部では使わない。(「魔法のやかん」はどこへ?ラグビー選手の体を守るマッチドクター:ラグビーHack参照)
つまり、作るのに手間がかかるのに、昔より需要が少なくなったのである。これはもはや日用品ではない。

さっきの写真もだんだん工芸品に見えてきた。正しく値踏みできなかった自戒の意味もこめて、しばらくパソコンの壁紙にすることにした。
ヤカン(1366x768)
ヤカン(1366x768)
ヤカン(1920×1080)
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毎年この季節になると、妻がプランターでゴーヤを育てるのだが、今年は雨が多いせいか、やたらと生育が早いような気がする。もともと緑のカーテンのつもりだったのだが、天気のよくない日が多いので、今のところカーテンとしては役に立っていない。
ゴーヤ
葉っぱはこんな感じ。心なしか例年よりでかい気がするが、種類が違うだけかもしれない。
ゴーヤの葉っぱ
収穫が難しい。これより大きくなることもあれば、このサイズのままオレンジ色になってしまうこともある。オレンジ色になっても食べられるのだが、それはもはや僕らが知っているゴーヤではない(オレンジ色のゴーヤにびっくりした:2011年08月21日参照)ので、できれば青い状態で収穫したい。だから、食べたくなったらこのぐらいでも収穫してしまう。こいつは今日塩もみにして食べた。
ゴーヤの実2
さすがにこれではまだ食べられない。
ゴーヤの実
今日は久しぶりにからっと晴れた。梅雨明けも近そうだ。
空
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本当は床屋政談なんか一回でやめておこうと思ったんだけど、今日は書くことがないから床屋政談。

昨日書いたように安倍首相は「憲法改正について少なくとも議論すべきという国民の審判は下ったと思います。」などとイキって見せたが、僕は改憲はできないと思っている。国民投票までいかないどころか、たぶん任期中に議論までもいかないだろう。

なぜ、そう思うか。

面倒くさいだけだからである。

安倍首相と支持者の一部は改憲したがっているのは間違いない。しかし、そんな人はそれほど多くない。ごく普通の国民はどっちでもいいと思っている。なんとなれば、改憲がそれほど生活に影響を与えないと考えているからである。それは投票率の低さで分かる。

政治家や役人はどうか。改憲と一口に言っても、どこをどう変えるかは立場によって違う。改憲勢力も自民・公明・維新と三つも政党が分かれているし、その上あと参議院の4議席を別の政党から連れてくるとしたら、意見はさらに対立するだろう。当然、自民党内部でも対立する。この調整はそう簡単なものではない。

憲法草案の文言は役人が作るんだろうが、憲法というものはどう解釈できるかが問題になるから、そう簡単に作れるものではない。さらに、調整が済んで改憲案がまとまったとしても、歴史上初の国民投票となれば、役人の負担はどれほどの労力になるか見当もつかない。ようするに、誰にとっても面倒くさすぎるのである。

ではその労力から、政治家なり役人なりが得られるものは何か。ちょっとえげつない言い方だが、法律や政策は金になるし票にもなる。憲法が改正されても、金にはならない。改憲派の人から票は得られるだろうが、それは思っているほど多くない。労多くして益なしである。こんなのに協力するやつはいない。

おそらく、狂信的な改憲論者を除いて、一見改憲派に見える連中でも、そのほとんどは安倍首相の宿願だから、協力しているフリをしているのだろう。そういう連中は、いざ決まりそうになるとブチ壊すものだ。実際に改憲するよりもブチ壊したほうが楽だからである。

これは北朝鮮拉致問題や北方領土問題と全く同じ構図である。ほとんどの国民が希望する拉致被害者問題や北方領土問題の解決さえできない現政府に改憲なんかできるわけがない。

まあ、あくまで床屋政談ですけどね。
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参議院選挙が終わったので、床屋政談。

どうせ今回の選挙もビミョーな結果で、ビミョーにもかかわらず安倍総理が勝利宣言するんだろうなと思ってたら、だいたい合ってた。まあ、いつものことなので触れないでおこう。

不思議でしょうがないのが、野党、とくに立憲民主党の反応である。与党勝利といっても自民党は10議席も減らし単独過半数は割れたし、安倍首相の目論む改憲勢力2/3も阻止できた。立憲民主党は24議席から32議席まで増やした。結党二年目でこれは事実上の勝利なんじゃないだろうか。

もっと大騒ぎしてもいいはずなのに、なんだか負けたみたいに見えるのはなぜだろう。もちろん、政権奪取には遠く及ばないが、結党二年弱でそれは厚かましい。こんなんでは支持者のテンションも下がるだろう。そもそも日本人は勝馬に乗る傾向があるのだから、枝野代表はむりくりにでも勝利感を出すべきだ。

それに比べて安倍総理は、改憲勢力2/3に満たないのに、さっそく「憲法改正について少なくとも議論すべきという国民の審判は下ったと思います。」と言った。全く意味不明だし、ややもすればちょっと頭がおかしいんじゃないかとすら思えるのだが、「残念ながら憲法改正には遠のきました」などと言えば改憲を望む人のテンションは下がる。どうせ護憲の人を改憲の人には変えられないのだから、頭がおかしいと思われても問題ない。これが毎度おなじみの演出である。

それにしても、れいわ新撰組には驚いた。山本太郎氏の知名度で1議席は行くだろうと思ったが、まさか2議席取れるとは思ってもみなかった。しかも二人とも重度障害者である。彼らを国会に送っただけでも、山本太郎氏の功績は大変なものである。本人は落選したが、おそらく次の衆院選に出て当選するだろう。最初からそのつもりなのだ。相当な策士である。

まあ、もっと驚いたのはN国だけど。党名とヘンな政見放送だけで1議席取れるんだな。これも演出の勝利である。
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