2020年07月

今月はブログ強化月間だったが、どうも一日書かない日があるとイイカゲンになってしまうもので、最後はグダグダになってしまった。みんなコロナが悪いのさ。

例年と違い、今年は来週いっぱいまで授業がある。3月〜5月まで毎日が日曜日状態だったから仕方がないが、例年通り進まないというのは、夏休みが短いということ以上にきつい。幸い、まだ梅雨が明けておらず、それほど暑くない(といっても暑いけど)のが不幸中の幸いである。また、観測史上初めての台風の発生しない7月だそうだ。

以前から僕は日本の行政を信用していないが、今月はそれを確信する月になった。いうまでもなく、コロナである。

今日、東京都の感染者数はついに463人にのぼった。全国でも増える傾向にある。だが、国も都も何もしない。それどころか、Gotoなんちゃらとかいう愚にもつかないキャンペーンは始まっている。4月(だっけ?)に申請した特別給付金は今頃入った。こんなに遅れて何の意味があるか。もうめちゃくちゃである。

PCR検査は増えたようだが、諸外国と比べると比較にならないほど少ない。ニューヨークはいつでも誰でもどこでも受けられるそうだ。中国の大連では全市民検査だという。世界に冠たる大都市の東京は何をやっているのか。

この期に及んで「PCR検査は意味がない」とかいう人がいるが、そんなあんたの意見なんかどうでもいい。少なくとも国も東京都も「PCR検査は意味がないからやらない」とは言っていない。むしろ、増やすと言っている。なのに増えないのは、単に無能だからである。

あの奇怪なアベノマスクも、給付金の遅れも、タイミングのおかしなGotoキャンペーンも、増えないPCR検査も、すべては無能のなすわざである。そう解釈する以外にどう解釈できるだろう。

大事なことは、日本の行政は無能であると理解することだと思う。無能な行政と僕たちはどう対峙するか。今後コロナ禍がどうなるかはわからないが、少なくともこれを契機に世界が大きく変わることだけは間違いない。そんな中でまともな対応ができるわけがない。僕たちは、それぞれ個々に対策を考えるほかないだろう。
このエントリーをはてなブックマークに追加

何か書くことがあったんだけど、いくら考えても思い出せなくて、昨日は悶々として別の文章を書いているうちに時間が来てしまった。

で、たった今思い出した。

定額給付金、やっと入金された。

申し込みは郵送ではあったがすぐにした。あまりに音沙汰がないから、出したつもりで出してなかったのかと思ったよ。

もうダメだろ、この国。
このエントリーをはてなブックマークに追加

さて、長々と2000年の中国自転車旅行の話を続けてきたが、実はそのときの日記はやたがらすナビ管理人の小部屋にある。なんだかちょっと恥ずかしいが、リンクをはっておく。

中国自転車旅行記(北京〜上海):やたがらすナビ

とにもかくにも、僕たち三人はほぼ一ヶ月の旅を終え無事帰ってきた。行く前は三人ともどちらかといえば色白だったのが、醤油で煮込んだみたいにずず黒くなっていた。葛的先生は普通の眼鏡をかけていたはずなのに、何故か薄黄色いサングラスになっていた。僕はゲン担ぎで髭をのばしていたのだが、いざ剃ろうと思ったらヒゲの下が白いことに気付いて、そのまま一年髭をのばしっぱなしにした。全裸番長は・・・あんまり変っていなかった。

これが僕にとってちょっと遅い(30代)旅人の季節の始まりだった。その後、祖父が亡くなったのを契機に2001年夏と2002年春に自転車でお遍路をした。2002年の7月にはテントをしょって熊野古道を歩いた。

その年の8月には一人で中国を走ろうと思って計画していたら、葛的先生が電話をかけてきて、「あれまたやらないの〜」と聞いてきた。もともと計画していたことなので、このときは太湖を一周した。

中国自転車旅行記(太湖ぐるっと):やたがらすナビ

この人は2000年の旅が終わったとき、「こんなきついのは二度とやりたくない」と言っていたはずだが、2002年だけでなく2004年(河北省邯鄲で夢を見る計画)、2010年(広東省・福建省)にも「あれまたやらないの〜」と電話をかけてきた。2010年なんかお互い40歳すぎて結婚もしていたのに何やってんだろ。結局、今に至るまで一人で中国を走ったことはない。

なんでこんなに狂ったように旅していたんだろうか。もちろん単純に楽しかったというのもあるが、ある種の逃避みたいなのもあったんだろう。

旅をしていると、している間は日常のことは忘れられる。息抜きとかじゃなくて、それどころではなくなる。そしてそれ自体が日常になる。これが中毒になると行ったっきり帰ってこなくなるらしいが、幸か不幸か僕にはそこまでの根性がなかったということだろう。
このエントリーをはてなブックマークに追加

そろそろ中国自転車旅行ネタも飽きてきたが、せっかく時間をかけて昔の写真をスキャンしたので、もう少し紹介する。

まずは江蘇省沛県で見付けた、漢邦肉犬養殖基地。その名のとおり犬の養殖をしていると思われる。壁がカタログになっているのが面白いが、どう見ても肉犬にするのはもったいない犬もいる。なぜか壁には「漢邦肉犬名犬繁育基地」と書いてあるので「肉犬」ではなく「名犬」の方なのだろう。
漢邦肉犬養殖基地
これ、江蘇省沛県というのがミソ。沛県といえば漢の初代皇帝劉邦の出身地だ。劉邦は田舎番長みたいなイメージがあるが、沛県はたしかに田舎だった。その劉邦の右腕になって働いたのが樊噲である。樊噲は沛県の犬の屠殺業だった。

沛県は今でも犬肉が名物らしい。食べてみたが、今となってはどんな味だったかよく覚えていない。ビーフジャーキーみたいなちょっと固い肉で、ビールのおつまみに最適だった記憶がある。

次は北京の「成人保健」。漢字が読めるのはありがたい。中国語ができなくても、何の店かだいたい分かる。当時はどこの町にも成人保健の看板を掲げている店があった。一人っ子政策の関係なのだろうか。
成人保険
もちろん中にも入ってみた。売っているのは御想像の通り。ある種の薬とか、電動のアレとか、まあ成人保健である。なぜか必ずナースのコスプレをしているお姉さんが店番をしている。かえって買いにくいんじゃないかと思うが、どの店にもいたので何か決まりがあるのかもしれない。

で、上の写真とは別の成人保健の店にあったポスター。漢字が読めるのはありがたい。中国語ができなくても何の薬かだいたい分かる。
勃力王
それにしても「勃力王」、名前もすごいが効能もすごい。単に勃力王なだけでなく、性病まで予防してくれて、副作用がない。しかも、効かなかったときは即座に返金してくれるらしい。名前的には下の「我是猛男」も捨てがたい。

そういえば、このころ中国のテレビCMは薬が多かった。それも勃力王なみに効能がすごいのばかり。旅の最中に腹をこわしていくつか中国製の薬を飲んだが、やたらと効くものと、さっぱり効かないのの差が激しかった。強烈に効いたのはいいが、真っ赤な小便がでてきたときには、さすがにビビった。

最後は北京動物園のトキ。
トキ
こんなところで絶滅したトキに会えるとは思ってもみなかた。御覧のとおり、いわゆる鴇色ではなく墨をかぶったように黒い。これは汚れているのではなく繁殖色らしい。なんと自分で色を付けるんだそうだ。
トキは繁殖期の前、1月下旬頃から粉末状の物質を分泌し、これを水浴びの後などに体に擦りつけ、自ら「繁殖羽」の黒色に着色する。着色は2月下旬から3月中旬頃に完了するが、こすり付ける行動は8月に入る頃まで続けられる。トキ:Wikipedia

このエントリーをはてなブックマークに追加

今月は毎日更新だけど、今年は学校があるからできないかもーと書いたが、昨日は休日なのに更新できなかった。面目ない。先月亡くなった義母の四十九日で、自動車を運転して墓地へ行き、疲れて寝てしまったのだ。

レンタカー業界もコロナ禍で苦しいらしい。世界最大のレンタカー会社、アメリカのハーツはついに破産してしまった。そのせいか、歩いて行ける近所の営業所が4月から閉店している。先月見た時は7月までと書いてあったが、なぜか8月いっぱいになっていた。仕方がないので、電車で二駅先の五反田営業所で予約した。

閉店している営業所が多いせいか客が多く、予約した時間に行っても手続きに時間がかかる。予定の時刻を15分ほど遅れて、やっと車とご対面。

いつものように普通車で一番小さいクラスを注文したので、トヨタ・ヴィッツだろうと思っていたら・・・。
デリカD:2
以前予約したのと違う車が来るという記事(最近、レンタカー運がいい:2019年10月15日)を書いたが、また違うのが来た。

三菱・デリカD:2。そんな車知らん。あとで調べてみたらスズキ・ソリオのOEMらしい。今日は四人乗せる予定なので、Vitzよりはこっちのほうがいい。写真でもピカピカしているのが分かるけど、それもそのはず、オドメーターは300Kmになっていてほぼ新車である。

それよりもっとびっくりしたのがナンバープレートである。今まで、品川以外では横浜・足立はあったが、神戸ナンバーとは、またずいぶん遠くから来たものだ。これもコロナ禍と関係あるんだろうか。

乗り心地は、コンパクトなわりに室内が広く上も余裕があって居住性が高い。トランクは小さいがそのぶん後部座席は足元が広く、飛行機の座席に付いているような小さなテーブルまでついていて便利。ただ、運転していると、首都高ではやや安定性に欠けるように感じた。たぶん、車高が高いわりに車幅が狭いためだろう。

首都高から中央道へ入って八王子方面へ行ったのだが、首都高も中央道もところどころ道路が渋滞していて、20分ほど遅刻してしまった。

都知事が四連休は不要不急の外出は避けろって言ってたろ!みんな言うこと聞けよ!
このエントリーをはてなブックマークに追加

例の自転車旅行写真を見ていたら、こんなのがあった。
老人頭
老人頭=LAORENTOU(ラオレントウ)=LEONARDO(レオナルド)であることに気付いて、ちょっと面白いと思って撮ったらしい。肖像は有名なレオナルド・ダ・ヴィンチ像である。

このブランド、今も続いているらしい。さすがに「老人頭」は恥ずかしくなったのか、サイトでは「李奧納多」と表記している。まことしやかな来歴が書いてあるが、たぶん適当に作ったのだろう。

LEONARDO

老人頭はそれなりに有名なブランドらしい。その証拠に商標を検索したら、いろいろパチモノが出てきた。もしかしたら、パクられすぎて表記を変えたのかもしれない。

まずはこれ。LARENTO。LAORENTOUからOとUを除くことによって、巧みに中国語風味を消している。
パチ老人頭1
あれ?この人だれ?ホーおじさん
パチ老人頭2
上の人と似てるけど、ちょっと悪人顔。
パチ老人頭3
ギリシャ神話の神様風。船で遭難した人風でもある。
パチ老人頭4
ダ・ビンチなんだろうけど、ロゴの雰囲気がまるで合ってない。
パチ老人頭5
顔が怖すぎる。悪魔祓いとかやってそうだ。あと、ブランド名が読めそうで読めない。「リヤオ・ラー・トー・ルオ」?
パチ老人頭6
もはや、ダ・ビンチでもなんでもない。帽子かぶってパイプくわえている。ただ、いままで出てきた老人頭の中では一番かっこいい。
パチ老人頭7
このエントリーをはてなブックマークに追加

ここまで、20年前の中国自転車旅行の話を書いてきたが、中国人民とのからみは何も書かなかった。何しろ自転車旅行だしスマホなんかない時代だから、それなりにからみはあったのだが、いちいち書いていたらきりがない。だいたい田舎の人というのはどこへ行っても親切なもので、おおむね好意的にもてなしてもらえた。

そのころ、中国の田舎でちょっと目立つことをしていると、どこからともなくギャラリーが集まってきた。それほど人のいないところならせいぜい2・3人ですむが、集落が近いところだと数十人集まってくる。面白いことに、人が少ないとなにやら話しかけてくるのだが、多いと遠巻きにして黙って見ている。

「ちょっと目立つこと」といってもたいしたことではない。パンク修理とか、道端でアイスを食っているとか、地図を見ているとか、その程度のことである。困っているときは助けてくれるが、こういう時に道を聞くと大変なことになる。「こう行ったら近い」「いやこっちだ」「そっちは工事している」と議論になって、かえって面倒くさいことになってしまう。

道ばたで休んでいたら、自転車に乗ったオッサンが来て、自転車のハンドルあたりを指差して「これは何だ?(たぶん)」と聞いてきたときは面白かった。普通の自転車には付いていない変速レバーのことを言っているのだろうと思ったが、オッサンの指差しているところをよく見るとブレーキレバーである。

オッサンの自転車を見たら、なんとブレーキが付いていなかった。もちろんペダルを止めると止まるというようなものでもない。どうも足で止めるらしい。たしかにそのあたりは坂がないし、自動車もほとんど走っていなかったので、急に止まる必要はなさそうだが、まさかブレーキを知らない人がいるとは思わなかった。

僕みたいな中国語が不自由な人間には変速機の説明は難しいが、ブレーキの説明なら簡単だ。自転車を押して、ブレーキをかけるところを見せたら、オッサンなんだか感動してたが、たぶんそれ100年以上前からあると思うよ。
このエントリーをはてなブックマークに追加

「ノストラダムスの大予言」の著者・五島勉氏が90歳で死去していた:文春オンライン
「1999年7月に人類が滅亡する」と“予言”し、社会現象となった「ノストラダムスの大予言」。その著者、五島勉氏が6月16日、90歳で死去していたことが「週刊文春」の取材で分かった。
「ノストラダムスの大予言」は当時の子どもたちにたいへんな恐怖を植え付けた。僕は直接この本を読んでいないが、当時はテレビでもしばしば特集が組まれていたし、1999年7月という数字的な分かりやすさもあって、鮮明に覚えている。もちろん、僕も本気にしたし、本が売れたということは大人だって本気にしたのだろう。

五島氏は生前「悩んだ子供達には謝りたい」と言っていたそうだが、謝る必要はない。あれは五島氏が悪いのでもノストラダムスが悪いのでもなく、時代が悪かった。

当時は東西冷戦の真っ只中である。どこかの狂った国家元首が核ミサイルのボタンをポチっと押せば、世界が滅亡するというのは真実味があった。その上、日本は中国・ソ連の隣にあり、アメリカの基地を国内に有している。核保有国にまわりを囲まれ、しかもそれぞれが仲が悪い。この不安は最近の北朝鮮のミサイル開発なんか比較にならないものだった。1999年といわず、いつ「空から恐怖の大王が降って」来て人類が滅亡しても不思議じゃなかったのだ。

僕は「1999年7月」と時間を区切っているところが、この大予言の良心だと思っている。予言は時間を区切らなければ信用するに値しない。「中国のバブルがー」とか「韓国経済がー」とか、時間を区切らないものだから、同じ筆者が10年以上も言っている。ずっと言い続けているのだから、外れていないとも言えるが、当たってもいない。これに比べれば、時間を区切ったノストラダムスの大予言の方がよほど信用できる。

『ノストラダムスの大予言』が刊行されたのが1973年11月だから、恐怖の大王が降ってくるのは刊行後25年後となる。恐怖の大王が降ってこようがくるまいが25年後には予言は失効する。それに、25年あれば対処もできる。

現実には、1989年にベルリンの壁が崩れ、冷戦が終結した。核兵器はいまだにあるから、局所的に滅亡することはあっても、人類が滅亡する不安はなくなった。そしてその10年後の1999年7月、恐怖の大王は降ってこなかった。大予言は外れたとも言えるが、人類不断の努力で滅亡を回避できたとも言えるのである。

あとは、局所的な滅亡を避けるだけだ。大予言には何か書いてないか?
このエントリーをはてなブックマークに追加

中国は言うまでもなく共産主義を標榜しているが、行っただけではどこが共産主義だかよく分からない。それどころか日本よりも資本主義的なんじゃないかと思うことすらある。それは20年前でも同じだったが、有料トイレで「あっ?これ共産主義?」と気が付いた。

ところで、最近共産主義の意味が理解できていない人が多くなったように思う。僕には詳しく説明する余裕も知識もないが、簡単にいえば共産主義とは労働者が中心の社会をいう。全体主義や独裁主義と区別がついていない人が多いが、それは別の概念である。

話をもどす。前回、中国のトイレの話をしたが、有料トイレも結構ある。当時は5角〜1元ぐらいを入る時に払う。オマケで申し訳程度の紙をくれるところや、大と小で値段が違うところもあって、これまたバラエティに富んでいた。なお、有料だからといってものすごくきれいというわけではない。

有料トイレは銭湯の番台みたいに一つの入口に一箇所集金所があって、中で男女に分かれるというパターンが多いが、男子トイレと女子トイレに一人ずつ集金所がある所もある。そんな有料トイレでお金を払おうとしたら細かいのがない。お釣りをもらおうとして5元札を出したら、別の方向を指さして何か言っている。そこは両替所で、別のおばさんがいた。僕は両替所で5元札を1元札5枚にしてもらい、集金所のおばさんに1元支払った。

このトイレ、男子トイレと女子トイレにそれぞれ二人ずつ働いている。真ん中にはトイレットペーパーだのジュースだの煙草だのを売る店もあるので、一つのトイレに5人働いていることになる。たぶん、掃除の人も別にいるだろう。これが駅とかバスターミナルなど、頻繁に人が入る所ならまだ分かるがそれほどでもない。当時の人件費はかなり安かったが、それでも一人1元ではまかなえそうにない。

これは雇用を確保するために、働かせているのだろう。そういう目でみると、「その仕事いる?」みたいな仕事をしている人がけっこういる。そういう人はだいぶ少なくなったような気がするが、今でも見かける。労働者が主人公の共産主義が建前だから、むりくり雇用を作って失業者を減らしているのだろう。
このエントリーをはてなブックマークに追加

20年前、僕が中国を自転車で旅行すると言ったら、いろんな人からアドバイスをもらった。泥棒に気をつけろ、強盗に気をつけろ、ボッタクリに気をつけろ、馬賊が・・・ってそれいつの時代だよ。まあ、およそ役に立たなかった。

僕は四回中国自転車旅行をしているが、強盗の類いにはあったためしがない。泥棒もない。ボッタクリに近いものはないではないが、違法行為(察してくれ)でもなければ、このころの中国では精一杯ボッタクってもたいしたことはない。

そんなものよりも、当時の中国でいちばんビビったのはトイレである。扉がない、仕切りもない、汚いなど、聞いたことがあるかもしれないが、それ以上にあまりにバラエティに富みすぎていて、開けてみるまで分からない。

街の公衆トイレで一番多かったのが、ドブみたいな長い溝が切ってあるタイプだ。深さ50cm幅30cmぐらいの長い溝にいくつかの仕切りがある。この溝にまたがって用を足す。仕切りがあるから前の人は見えないものの、通路側はまる見え。同じ溝が通路の向かいにもあったりするので、最悪の場合、横を見ると他人の尻からブツが出てくる所が見られる。たまに尻隠し用の板が仕切りに付いていることもあるが、そんなの気休めにすぎない。

この方式、一応水洗なのだが、どこかレバーを押すと流れるのではなく、一定の時間ごとに流れる仕組みになっている。もしその時にまたがっていると、上流から下流に向って、股間の下を黄河の濁流のごとく流れることになので、できれば上流側でした方がいい。

田舎町になると、いわゆるニーハオトイレが増える。これはレンガでできた小屋の中に、長方形の穴が掘ってあるだけのもの。一つのトイレにいくつかの穴があいているから、隣に人が来たら、ニーハオというわけだ。

この形式のトイレも何度か入ったが、隣に人が来たことは一度しかない。しかも子供。このタイプ、ブツが一杯になったら誰かが掘り出すはずだが、不思議なことにブツが溜っていなかったためしがない。

で、だいたいここに蠅がたかっている。そこに自分のブツを落すと、ぶわっと蠅が逃げる。これがなかなか壮観だ。一度、その蠅のなかに妙にでかいやつがいた。よく見たらウシアブである。こんなやつに尻を刺されたら洒落にならんので、あわてて尻を拭いて逃げた。

もう一つ印象的だったのが、農家の庭先にあった、名付けて小鳥さんタイプである。庭にいたオッサンにトイレの場所を教えてもらい行ってみると、煉瓦でコの字形に囲った壁があるだけ。屋根は付いていない。「コ」の開いている方にコンクリートの棒が一本置いてある。これでは片足しかかけられない。ハテ、どうしたものか。

よく観察すると、「コ」の閉じた方にブツがある。つまりこのトイレは小鳥が枝にとまるごとく、コンクリートの棒に乗っかって用を足すらしい。上は空、前方は畑である。トイレではあるがほぼノグソだ。やや不安定だったが、人が来る心配はないし、天気はいいし、先人のブツも多くないので、意外と爽快ではあった。

さて、実は今までで一番ビビったのは公衆トイレではない。

3回目の自転車旅行(2004年)の時のこと、一部屋バストイレ付き60元(920円ぐらい)、バストイレ無し30元と言われた。バストイレ無しには何度も泊まっているので、僕が30元の方にしようと言うと、葛的先生がなぜか「嫌な予感がするから60元の方にしよう」と言うので、そっちにした。

僕がバストイレ無しでいいと言ったのは、ケチだからではない。こういう安宿の水回りはどこかが壊れていることが多い。共用のシャワーやトイレが壊れていることはまずないし、あったとしても別のを使えばいいだけだ。それで安いならそっちの方がいいと思ったのだ。

次の日の朝、見物がてら共用のトイレに入ってみて、葛的先生の予感が的中したことを悟った。

共用のトイレは、ちょっと広めの学校のトイレみたいな感じで掃除がいきとどいている。それはいいのだが、目の前には和式便器が5つ程並んでいるだけ。扉どころか壁もない。しかもなぜか満員。中国の和式便器は洋式と同じく扉の方を向いているものなので、全員こっちを向いている。

そのころには、どんなトイレでもできる自信があったが、さすがにこれはムリ。僕の自信はもろくも崩れた。そのまま後ずさりしてトイレを出て、素直に自分の部屋のトイレを使った。

さて、ここまで書いたのはあくまで20年前の話である。最近の中国では、こんなトイレに入ったことはない。それでもたま〜に、「あれ?何で個室に二つも便器があるの?」みたいなこともあるけど。
このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ