僕のまわりはいわゆる文系の人が多いせいか、小学校のプログラミング教育に否定的な人が多い。
僕は大賛成だ。プログラミング教育を否定する人は、たぶん内容を誤解している。プログラミング教育は、コンピュータープログラマーを育てる教育ではない。
プログラムといって思い出すのは、たとえば運動会のプログラムだろう。運動会のプログラムとは、運動会の手順を記したものだ。コンピュータープログラムも基本は同じである。
運動会のプログラムには、何時から開会式、何時から短距離競走、何時から騎馬戦、(中略)閉会式と時系列ですることが書いてある。
もちろんこれも立派なプログラムではあるが、実際の運動会は、途中で雨が降って中止になったり、怪我人の処置をしたり、手順どおりいかないこともたくさんある。もし始めてすぐ雨が降ったらどうする、途中で降ったらどうする、その雨が小雨だったら、大雨だったら、やんだら・・・。
もし、運動会の運営ロボットみたいなものに運営をやらせるとしたら、プログラムにはそこまで記述しなければならない。プログラムには成行きは存在しない。これがプログラム教育でいうプログラムである。
僕たちは、小学校・中学校・高校と進学し、そこから就職するか進学するか、そしていずれは就職するという、およそプログラム的でない人生設計を立ててきた。もし途中で思わぬ障害が発生したらどうするか、時代の流れで経済状況が変わったら、そういう考えはなかった。これはとてもまずいことである。
コロナ禍で僕たちがイラついていることは何か。自粛疲れというが、ここ最近はそんなにハードな自粛はしていない。イラついているのは先が分からない不安だろう。
なぜ先が分からないか。政府のプログラムが見えないからである。もしかしたら、僕たちには分からない複雑なプログラムがあるのかもしれない。だが、それはオープンになっていないのだから、ないのと同じことだ。
たとえば、今回の緊急事態宣言は来月11日までとなっているが、僕たちが知りたいのは、感染者数が何人・病床逼迫率がいくつなら延長で、いくつなら終了かである。そもそも災害を期間で区切ること自体がおかしいのだから、来月11日終了などと言われても何の気休めにもならない。
菅首相の口ぐせのような「仮定のことには答えられません」などというのは、およそプログラム的ではない。プログラムを明かにできない(もしくは作っていない)政府もダメだが、プログラムを明らかにせよと言えない国民もダメだ。これはひとえに僕たちがプログラム教育を受けておらず、プログラムの概念がないからだろう。
そんなわけで、僕はもう今の日本に何も期待しないが、これからプログラム教育を受ける新しい世代にはおおいに期待したいと思っている。
僕は大賛成だ。プログラミング教育を否定する人は、たぶん内容を誤解している。プログラミング教育は、コンピュータープログラマーを育てる教育ではない。
プログラムといって思い出すのは、たとえば運動会のプログラムだろう。運動会のプログラムとは、運動会の手順を記したものだ。コンピュータープログラムも基本は同じである。
運動会のプログラムには、何時から開会式、何時から短距離競走、何時から騎馬戦、(中略)閉会式と時系列ですることが書いてある。
もちろんこれも立派なプログラムではあるが、実際の運動会は、途中で雨が降って中止になったり、怪我人の処置をしたり、手順どおりいかないこともたくさんある。もし始めてすぐ雨が降ったらどうする、途中で降ったらどうする、その雨が小雨だったら、大雨だったら、やんだら・・・。
もし、運動会の運営ロボットみたいなものに運営をやらせるとしたら、プログラムにはそこまで記述しなければならない。プログラムには成行きは存在しない。これがプログラム教育でいうプログラムである。
僕たちは、小学校・中学校・高校と進学し、そこから就職するか進学するか、そしていずれは就職するという、およそプログラム的でない人生設計を立ててきた。もし途中で思わぬ障害が発生したらどうするか、時代の流れで経済状況が変わったら、そういう考えはなかった。これはとてもまずいことである。
コロナ禍で僕たちがイラついていることは何か。自粛疲れというが、ここ最近はそんなにハードな自粛はしていない。イラついているのは先が分からない不安だろう。
なぜ先が分からないか。政府のプログラムが見えないからである。もしかしたら、僕たちには分からない複雑なプログラムがあるのかもしれない。だが、それはオープンになっていないのだから、ないのと同じことだ。
たとえば、今回の緊急事態宣言は来月11日までとなっているが、僕たちが知りたいのは、感染者数が何人・病床逼迫率がいくつなら延長で、いくつなら終了かである。そもそも災害を期間で区切ること自体がおかしいのだから、来月11日終了などと言われても何の気休めにもならない。
菅首相の口ぐせのような「仮定のことには答えられません」などというのは、およそプログラム的ではない。プログラムを明かにできない(もしくは作っていない)政府もダメだが、プログラムを明らかにせよと言えない国民もダメだ。これはひとえに僕たちがプログラム教育を受けておらず、プログラムの概念がないからだろう。
そんなわけで、僕はもう今の日本に何も期待しないが、これからプログラム教育を受ける新しい世代にはおおいに期待したいと思っている。