2021年07月

ブログ強化月間も今日で終わり。去年は何日か書かない日があったので、なんとか暦を埋めることができたのは嬉しいかぎり。

例の運動会だが、最初に「関わりたくない」などと言っていたものの、開会式だけは最初から最後まで見てしまった。感想は、まあほとんどの人と同じである。あれなら、コロナを言い訳にして選手入場・選手宣誓・関係者の挨拶・聖火の点火だけでシンプルに終わらせておけばよかったんじゃないか。

唯一よかったのが、欽ちゃんの仮装大賞風ピクトグラム紹介だった。オリンピックの最初のピクトグラムが前の東京オリンピックからという歴史も踏まえているし、ピクトグラム自体多様性の象徴でもあるし、しょぼさも含めて見ていて楽しかった。

先日、幻のMIKIKO案なるものが文春から出た。ネットの意見を見ると、こちらの方がいいという声が多かったが、僕は大差ないと思った。

たしかにMIKIKO案はショーとして派手でまとまっていたのだが、どうにも商業主義の匂いが強すぎる。今回の演出も電通のせいで滅茶苦茶になったなどと言われているが、その点でいえばMIKIKO案の方がむしろ電通臭い。

文春の記事では、森喜朗が市川海老蔵を、小池都知事が江戸消防記念会をごり押ししたようなことが書かれていた。僕は森氏も小池氏も大嫌いだし、権力者がクリエイターに口を出すのはもってのほかだとは思っているが、MIKIKO案を見るかぎりでは、彼らが海老蔵や江戸消防記念会を入れたくなる気持は分からないでもない。

だって、AKIRAにマリオだよ。そりゃ、それぞれに好きな人もいるだろうし、海外でも知名度があるのかもしれないけど、長い歴史を持つ日本・東京を象徴するものが、AKIRAとマリオじゃあまりにも悲しすぎる。AKIRAもマリオも、古くもないし新しくもない。何もかも中途半端で、それこそ普遍性がない。歌舞伎と町火消しも安直だが、こっちのほうがまだましだ。

結局、以前書いたように(もうオリンピックには関わりたくない:2021年05月26日参照。)、開会式はリア充だけで盛り上がっている文化祭だったのだろう。しかも、途中で仲間割れしてグダグダになった、そんな印象を受けた。

このグダグダは例の運動会の開会式だけではない。今日ついに東京都のコロナウィルス感染者数が4000人を超えた。まだまだおさまりそうな気がしないし、対策も聞こえてこない。政府も都もグダグダである。
このエントリーをはてなブックマークに追加

このサイト、四年ぐらい前の立ち上げ時から知っていたのだが、なかなか紹介する機会がなかった。こういうと失礼だが、これまでこの手の計画がうまくいったためしがない。なので、ある程度現代語訳の数が増えてから紹介しようと思っていたら、機を逸してしまった。

『今昔物語集』現代語訳


このサイトは、ものすごく簡単にいうと「みんなで『今昔物語集』の現代語訳をして公表しましょう」というサイトである。旗振り役は草野真一さんという編集者の方で、多くの人が参加して現代語訳(のみならず外国語訳も)を作っている。草野さんがこれを企図した経緯は、ほんやくネットを立ち上げた:シミルボンに書かれているので是非読んでほしい。

草野さんは国文学的には素人である。ボランティアで現代語訳をしている人たちも、(たぶん)素人である。現代語訳の方法も、国文学の専門家がいう現代語訳(いわゆる通釈)ではない。

だからダメだというつもりは毛頭ない。むしろ逆で、だからいい。こういう現代語訳は専門家にはなかなかできない。そして、この現代語訳を読む読者も素人である。そういう読者に必要なのは、まずは現代語訳である。

このサイトのテキストには、やたナビTEXTの『今昔物語集』の各説話へリンクが張られている。僕の作ったテキストがその任に堪えられるか、大いに不安ではあるが、興味を持った人が原文にシームレスに当たることができるようになっている。とにかく簡単にテキストが読めること、これは大きな価値である。

このサイトで、もう一つ大事なのは「みんなで」作ろうというコンセプトである。これは想像する以上に難しいことだ。人を集めることも、それをまとめるのも難しい。さらに続けるのはもっと難しい。僕が一人で黙々とテキストを作っているのは、偏屈だからではない。残念ながら僕には人を集める能がないからである。

現代語訳は古典への入口として必要不可欠なものである。次に必要なのは校訂本文と注釈、翻刻、最後が影印だろう。これは研究者が必要とするものの正反対になっている。だから研究者はこういう仕事に目が向かない。

研究者はどこかの研究機関がデータベースを公開したとか、どこかの文庫が古典籍の画像を公開したというのは賞賛する。僕も研究者くずれだからその気持ちもよく分かる。

だが、古典を下支えしているのは、こういう地道な活動である。議論をしている暇があったら、もっと目を向けるべきじゃないだろうか。
このエントリーをはてなブックマークに追加

保科恵『入門平安文学の読み方』(新典社)を読んだ。「読んだ」とか書いているが、実は読んだのは一年以上前。おそくなってごめんなさい。



文学には普遍性と特殊性がある。普遍性というのは時代・地域を問わず人間に共通のもので、これがあるから、どの時代・どの地域の文学でも、翻訳さえされていれば読める。これがないと、文学は生き残ることはできない。

一方で特殊性とは、時代・地域・作者個人に特有のもので、ただ翻訳されていても、それを知らないと深く理解できない。それを補うために注釈があるのだが、それだけでは不十分だ。そんな平安文学の特殊性を踏まえた読みの方法を解説した本である。

この本は初学者をターゲットにしてるため講義を模してあり、第一講から第五講、そして補講という構成になっている。

第一講「まずは疑ってみること」では、平安文学を読む際の心構えについて書かれている。といっても、ただ概念を並べているのではなく、多くの例文を挙げて説明している。ここに限らず、この本は例文が多く、具体例が示されているのが特徴である。

第二講「昔の暦の話」・第三講「月と干支」は時間の特殊性である。平安時代の人と現代人の一番の違いはここだろう。当時の人は太陰暦を使う。ここまではたいていの人が知っている。太陰暦は月の満ち欠けにリンクしているのだが、電気があって夜も明るい現代とは違い、月の重要度は比較にならない。一日の始まりと終りも、季節の感覚も現代人とは全く違う。そういう違いは当然文学作品にも現われる。

第四講「地名の話」は空間の特殊性である。平安文学は都人によって書かれ読まれていた。そんな彼らが使う地名は、単純に場所を表すだけではない。平安文学は彼らの常識を知ることによってより深く読める。

第五講「本文の話」は、テキストそのものの特殊性である。同じ日本語でも、古典の書き方は現代の書き方とは全く違う。そのままでは読みにくいので普通は校訂された本文で読むが、そこには常に校訂者の解釈が加わっている。そういう例を多く提示し、どう読むべきか指南してくれる。これを読めば、やたナビTEXTに校訂本文と翻刻の二つの本文がある理由も理解できると思う。

さて、僕はここまで読んで、「これは平安文学だけのことではないのではないか」と思った。平安時代の前後に当たる上代も中世も、なんなら近現代文学にだって、形は違えど共通する問題ではないか・・・と思っていたら、

補講「古典だけに留まらないこと」
そこで、本書で古典の文学に対してこれまで述べて来たことが、近・現代の文学にも関わりがあることを述べておきます。
ときた。いやー、こういうの手玉に取られてるみたいですごく悔しいぞ。もちろん、ここでも芥川龍之介・谷崎潤一郎・夏目漱石などの具体的な例を豊富に引用している。

最初に戻ると、文学には普遍性と特殊性がある。すぐれた文学作品ほど普遍性だけで読めるものだが、特殊性を押えておくとより深く、普遍性だけでは見えていなかった部分が見えてくる。この本は、そんな深い読みの方向性を示してくれる解釈の入門書である。

というわけで、文学を愛するすべての人にストロングバイ。
このエントリーをはてなブックマークに追加

昨日、東京都の感染者数が過去最高を記録したのを記念して記事(1年前の自分と対話する)を書いたが、今日はついに3000人超え。

菅首相、東京で最多更新の3000人感染にも「お答えする内容がない」と取材拒否:東京新聞
この日は、東京都で確認された新規感染者が初めて3000人を超えたが、官邸側は「本日はお答えする内容がない」(首相秘書官)として、首相の取材対応を拒否した。
たまたまテレビで、質問を無視して逃げる菅首相を見ていたのだが、あれはちょっとない。今までもそうだったが、彼には国民を安心させようという気がないとしか思えない。

安倍前首相はウソでも安心させようというコメントを出していた。彼の場合「ウソでも」というのが問題なのだが、少なくとも国民を安心させるという気はあったようだ。菅首相にはそれすらない。

緊急事態宣言の効き目が無くなっていて、もう打つ手がないのだろう。だが、一つだけ緊急事態宣言の効能を取り戻す方法がある。オリンピックの中断・中止である。

僕は安倍前首相の政治はほとんど評価していないが、二つだけ高く評価していることがある。一つはアベノミクスの初期、もう一つはコロナによる休校措置である。

休校措置はあまりに唐突で長期だったから、学校や親からは評判が悪かった。閣内からも合意が得られていなかったともいう。逆に言えば、それだけインパクトがあったのだ。学校が三ヶ月休みになるくらいだから、企業や商店も協力せざるを得ないというわけだ。

しかし、今は夏休みで初めから学校は休みである。そもそも緊急事態宣言慣れしているから、たとえ学期中でも効果は薄いだろう。だが、あれだけムリヤリやろうとしていたオリンピックの中断もしくは中止はインパクトがある。今それをすれば、間違いなく去年の3月ぐらいの状態にはできるだろう。

あるいはパラリンピックを中止にしようと思っているのかもしれない。それではダメだ。いまやっているオリンピックを途中でやめるからインパクトがあるのだ。オリンピックを最後までやってパラは中止では、かえって国民から足元を見られるだけだろう。

もちろん、今の無能な政府にオリンピックを途中でやめることなどできるわけがない。しかし、実際に中止するほどの効果はないが、もっと簡単な方法がある。

それは、オリンピック中止を匂わせる発言をすることである。もともと二階幹事長が「これ以上無理だということだったら、すぱっとやめないといけない」と言っていたのだから、匂わすことぐらい簡単だろう。もちろん、マスコミからは具体的な条件を聞かれるだろうが、それこそお得意のオトボケを使えばいい。

まあ、それすら出来ないのが菅政権なんだけどね。念仏みたいに「安心・安全」と唱えるのが関の山。あ、「例の運動会」って書き換えるの忘れてた。
このエントリーをはてなブックマークに追加

今日の東京都の感染者数が過去最大になったのを記念して、ちょうど1年前にもどって過去の自分と対話してみる。

1年前の私:コロナかからなかった?

現在の私:大丈夫だ。これから一年間、風邪もひかないから安心しろ。家族・親戚誰もかかっていない。そうそう、もうすぐワクチンが開発されるぞ。日本はかなり接種が遅れるけどな。僕は7月15日に一回目を打った。

1年前の私:へー!ということは、もう感染者数はだいぶ減ったんだな。一桁台になった?

現在の私:いや、今日の東京都の感染者数は2848人。過去最多だそうだ。

1年前の私:えっ、どういうこと?増えてるどころじゃない、今の10倍じゃん!本当にワクチン効いてるのかよ?

現在の私:ワクチンは効いてるらしいよ。高齢者から先に打ったんで、その年代の感染者数は減っているらしい。そのかわり接種が遅れている若者の感染は増えてる。

1年前の私:そうかー。それにしても、いきなり3000人近くになるわけないよな。オリンピックは中止?延期?

現在の私:いや、普通にやってる。さすがに無観客になったけど。

1年前の私:はぁ?そんなわけないだろ。じゃあ特効薬でも開発されたのか?アビガンとか。

現在の私:いや、まだ開発されていない。アビガンは・・・そういえばどうなったんだろ。まだ承認もされてないんじゃないかな。みんなアビガンなんか存在すら忘れてるよ。テレビはオリンピック一色だし。

1年前の私:そんな状況でよくオリンピックなんか落ち着いて見ていられるな。あっ、緊急事態宣言で家から出られないからか。それじゃしょうがないな。

現在の私:うん、たしかに緊急事態宣言は発令されてるよ。一瞬解除されたけど、今月の始めにまた発令された。でも、最初の緊急事態宣言とは全然雰囲気が違う。

1年前の私:どんなふうに?

現在の私:まず、昼間に新宿だの渋谷だの行っても、コロナ前と変わらないほどたくさん人が歩いている。昼間は普通に店が開いているからね。店が閉まる時間は早いし飲食店で酒は飲めないけど、コンビニで酒買って路上で飲んでいるやつがいっぱいいる。学校も時差通学なんかはやってるけど、それ以外は普通。今は夏休みだけどね。

1年前の私:それのどこが緊急事態宣言なんだ。狂ってるな。

現在の私:街はそんな様子だしオリンピックもあるから、ここから減りそうな気がしないんだよ。まだまだ始まったばかりだからね。このままだと閉会式までに6000人ぐらいは行くんじゃないかな。

1年前の私:いやー、とても信じられん。こっちは300人に迫る勢いでびびってるのに。一体どうなってるんだ。

現在の私:誰が金メダル取るとか知りたい?

1年前の私:そんなのどうでもいいよ。それより、お前未来から来たんだろ。今から買って儲かる株を教えろ。

現在の私:おお、そうだな。例えば、僕が打ったワクチンを開発した・・・(時間切れで消える)

1年前の私:わー!先に聞いておけばよかった!

1年前からは以上です。
このエントリーをはてなブックマークに追加

投資の話(その3)の続き。

前回、株式投資をするなら米国株を中心にして長期的に投資すべきだという話を書いた。長期投資の場合、銘柄選びが重要である。では、どんな銘柄を選べばよいのだろうか。

初心者は難しいことを考える必要はない。長期投資をするのだから、長期的に株価が上がっている銘柄を買えばいいのである。それには20年以上の長期チャートを見て、右肩上がりの株を買えばいい。

一番わかり易いのがETFである。ETFは投資信託の一種で、個別の株と同じように株式市場で買える。その株価(?)は何らかの指数(株式指数や金価格など)に連動している。一番メジャーなETFである、SP500指数(米国株の指数)に連動しているETF($SPY)の、2000年から現在までのチャートを見てみよう。
SPY
一番左のボコっと下がっているのがITバブル崩壊で、次がリーマンショックである。そういう下落局面が何度かあっても、20年間を均してみると右肩上がりになっているのが分かる。こういうチャートを描いていれば、万一何らかの理由で暴落しても、長期で持っていればちゃんと利益が出る。

個別株でも、同様に右肩上がりのチャートになっていれば安心だ。例えば、みんな大好きアップル($AAPL)。
apple
イヤイヤ仕事で使っているマイクロソフト($MSFT)。
MSFT
アリエールでしょのP&G($PG)。
P&G
最後のP&Gはアップルやマイクロソフトと比べると上がった量は少ないが、それでも確実に右肩上がりになっているのが分かる。米国株でこういう銘柄を見つけるのは非常にたやすい。

それでも米国株は怖いというあなたのために、日本を代表する時価総額1位のトヨタ自動車のチャートを見てほしい。
toyota
右肩上がりと言えなくもないが、先ほど挙げた米国株と比べて上がり下がりが激しい。残念ながら我慢して長期で持っていれば大丈夫とは言いにくい。

もちろん、日本株にも右肩上がりの株はある。例えば、現在トヨタに次いで時価総額二位のキーエンス。
Keyence
チャート的には、これならよさそうだ。

ところが、東京株式市場には単元株というものがあって、キーエンス株の場合100株単位でしか買えない。キーエンス株は現在57,530円なので最低5,753,000円必要になる。二単元買ったら11,506,000円、買えるかそんなもん。

それが米国株なら1株から買える。アップルなら$150(¥16,548)、マイクロソフトなら$288(¥31,772)、P&Gなら$140(¥15,445)あれば買える。1株でも100株でも123株でも買える。つまり、自分の資金に合わせて買うことができるのである。

米国株はドル建てなので、日本円に直すと為替による変動があるのが欠点だが、それを上回る利点がたくさんある。そんなわけで、株式投資を始めるなら米国株から始めることをオススメする。
このエントリーをはてなブックマークに追加

投資の話(その2)の続き。

株式投資で堅実な投資をするにはどうしたらいいか。

1.長期的に投資をする。
長期投資とは株式を1年以上持ち続けることである。僕の場合、10年以上持っている株もある。

株価は短期的にはつまらない理由で上がったり下がったりする。しかし、長期的にみると企業の業績を反映したものになる。コロナウィルスの感染者数が一日単位でみると休日などの影響で増減するが、一週間単位で見ると正確な数字になるのと同じである。

短期的な売買では、情報量の多い人や時間を取れる人に軍配が上がる。簡単に言えばプロが有利ということになる。素人はプロと同じ土俵に立ってはいけない。

長期投資を成功させるコツは、銘柄選びを慎重にすることである。長期のチャート(10年以上)を見て、右肩上がりに株価があがっている企業に投資すれば、失敗することはまずない。

2.信用取引はしない。
信用取引とは、簡単に言えば金を借りて(もしくは株を借りて)投資をすることである。借りたものは返さなければならないので、投資に期限ができてしまう。素人の投資は期限がないのが武器なのだから、わざわざ期限を作る必要はない。

3.株を売らない
「売らない」はちょっと言いすぎかもしれないが、基本は売らない。
証券会社は「下がる前に利益確定しろ」だの「損切りしろ」だの言うが、あれは手数料で儲けたいからである。利益確定にしろ損切りにしろ、現金に変えたとて、次にうまく上がる株が買えるわけではない。長期的に上がる株なら下手に乗り換えるより握りっぱなしの方が効率がいい。

僕の場合、株を売るトリガーとなるのは、

1.お金が必要になったとき。
2.他にほしい銘柄があって現金がないとき。
3.状況が変わりそうなとき(コロナとか)
4.企業犯罪(粉飾とか)。
5.税金対策。
6.何らかの理由で異常に急騰したとき。

である。単に株価が上がっても、業績が良くて高値更新しているときには特別な理由がないかぎり売らない。

4.米国株を中心にする。
ここでいう米国株というのは、ニューヨーク証券取引所やNASDAQに上場している株という意味で、必ずしもアメリカ企業の株という意味ではない。上場している企業は、米国企業が多いがヨーロッパ企業も中国企業もある。ETF(上場投資信託)も東証の比較にならないほど多いし、取引量も比較にならない。

僕が米国株を勧める理由は、投資環境が整っていることと情報量が多いことである。日本から投資する上では、かつてはどちらも日本株には見劣りしたが、現在は違う。米国株を取り扱う証券会社は多いし、手数料もかなり安くなった。情報は英語の情報も含めれば、日本株よりもはるかに多い。

そもそも米国企業に対する親近感が昔とは違う。amazonで買ったナイキやアンダーアーマーの服を着て、iPhoneとWindowsPCをスターバックスで使う。amazonもナイキもアンダーアーマーもappleもMSもスタバも全部NYかNASDAQに上場している(個別銘柄を勧めているわけではない)。なのになぜわざわざ日本企業に投資する必要があるだろうか。

あ、もう一つ思い出した。

5.儲けようと思って投資する。

これが一番大事。どこかの企業を応援しようとか、自分は日本人だから日本企業とかは考えてはいけない。金を儲けたいという我欲が社会を良くするというのが資本主義の基本的な考え方である。それに反した投資をすると失敗する可能性が高くなる。

投資の話(その4)に続く。
このエントリーをはてなブックマークに追加

投資の話(その1)の続き。

僕はこれまでずっと高校の非常勤講師という収入の安定しない仕事をしてきた。いわゆる非正規雇用である。それでもお金に困っていないのは、30代から初めた株式投資のおかげである。

非正規雇用というのは実入りのいい年もあれば悪い年もある、安定しない職業だ。収入が安定しないのに、リスクの高い株式投資などすべきではないという思われるかもしれない。それは逆だ。安定しないからこそ、リスクの高い投資をすべきである。

よく誤解されているが、投資用語でいうリスクとは損することではない。儲け・損に幅があることをリスクという。だから、非正規雇用もリスクのある仕事である。しかしそれは株価とは連動していない。つまりリスクの種類が違うのである。こういう違ったリスクを同士を組み合わせると、収入は安定する。

逆に言えば、リスクの少ない公務員などは、わざわざ株式投資などする必要はない。最初から安定していて先も分かるのだから、わざわざ損する危険性など追わず、収入に見合った生活をしていればいいのだ。

株式投資というと、どうしてもギャンブルだと思われがちだ。投資は株式だろうとFXだろうと商品だろうと、やり方次第でギャンブルにもなるし堅実な投資にもなる。最初は堅実な投資をしていても、だんだん欲が出てギャンブルになってしまうこともある。たまにはギャンブルで遊ぶのもいいが、基本は堅実な投資を心がけるべきだ。

では、どうすれば堅実な投資ができるか。明日はそれを説明しよう。

投資の話(その3)に続く。
このエントリーをはてなブックマークに追加

投資というと、なにやら胡散臭いもののように思われるが、人は生きているかぎり必ず何かに投資している。

たとえば、義務教育を終えて高校に進学しさらに大学に進学する。高い学費を払ってまで進学するのは、中卒よりはその後の収入が多く見込めるからである。英会話教室に通うのも、健康維持のためジムに行くのも、家を買うのもすべて投資である。端的に言えば、投資とは何らかのリターンを目論んでお金を使うことである。

僕は最近まで、株式投資やFXのような他人や物に投資するのは、僕みたいに先の見えてきた人のやることで、若い人は自分に投資すべきだと思っていた。若い人は貯金は少ないが、未来は長い。種銭は少なくても、取り返す時間はたくさんある。自分に投資するのはもっとも合理的な考え方である。

しかし最近は若い人も自分への投資だけではなく、株式投資のような他人や物への投資も同時にした方がいいと考えるようになった。

自分への投資も、投資である以上確実にリターンがあるわけではない。苦労して英語がペラペラになったからといって、今どきはそんな人はいくらでもいる。しかも日本では実力よりもコネが重視されるから、普通のスキルで確実にリターンを得られるとはかぎらない。

もし思ったようなリターンがなかったら大変だ。年金などの社会保障はショボくなる一方である。ちょっと前、金融庁が老後2000万円問題というのを発表して物議をかもしたが、あれは「もう皆さんには満足できる老後の保障ができません」と言っているのだ。

それに対し「ふざけんな!年金出しやがれ」というのも大事だが、その一方で自衛手段を考えなければならない。

そこで投資である。今はiDeCoやつみたてNISA、NISAなど税制面で優遇された制度がある。こういう制度ができたのも、国が「国ではどうにもできません。自分で何とかしてくださいよ」と考えている証左だが、ともあれ若い人はそういう制度を駆使して、早いうちから投資の勉強を始めた方がよい。

投資の勉強をすると、お金の使い方が合理的になる。合理的になるというのはケチになるということではない。効率よくお金を使えるようになるということだ。自分への投資もより効率的になる。そういう意味でも、投資の勉強は早ければ早いほどよい。

投資の話(その2)に続く。
このエントリーをはてなブックマークに追加

僕は自動車を持っていないので、レンタカーをよく使う。コンパクトカーを借りることが一番多いが、人数が多いときはちょっと大きめのミニバンやセダン、物を移動するときは商用車と、いろいろなメーカーや車種を運転するのだが、ちょっといい車を借りた時に戸惑うことが多くなった。その原因がコレ。
エンジンスタートボタンとサイドブレーキ
シフトレバー(セレクターか?)の右にある二つのボタン。自動車の最も基本的な動作を担っている大事なボタンなのだが、こいつが問題だ。

この車の場合、上がエンジンスタート・ストップボタンで、以前はキーを挿していた場所である。ボタンになったからとて、何一つ便利になっていない。場所も以前ならハンドルの付け根と相場が決まっていたのに、今はメーカーや車種によって場所が違う。

これでキーがなくなるわけではない。キーと同じ大きさの小さなリモコンを車内に入れなければエンジンがかからないようになっているのだ。キーの場合、走っている間はキーは挿入されているから、どこかにいってしまうことはない。このタイプだとどこかにしまっておく必要がある。ポケットだと場所によっては邪魔くさくなるし、車内のどこかだと車の揺れとともにどこかへ飛んでいってしまう。蓋のあるグローブボックスなどに入れると、出すのが面倒くさいしどこに入れたか分からなくなる。このボタンとリモコンにする利点が僕には全く理解できない。

もっとにたちが悪いのが、その下のボタン。これ、昔でいうサイドブレーキである。かつてサイドブレーキはその名の通りサイドにあるか、左の足もとにあると相場がきまっていた。外見も自己主張がはげしく、どこにあるか見つからないなんてことはなかった。こんな小さなボタンでは初見で場所が分かりにくい。

しかも引けばいいのか押せばいいのか、見た目では全く分からない。かかっているのかいないのかも分かりにくい。写真のボタンにはLEDがついているが、かかっていると点灯するのか消えるのか、初見では分からない。なにしろこれがかかっていないと自動車が勝手に動き出すというヤバいものなので、毎回スピードメーターのわきにあるインジケータを確認している。

サイドブレーキは引いた時の手応えと「ギッ」という音で「かけたぞ!」と確認する習慣になっているので、こういう何の手応えもないボタンは、ちゃんとかかっているのかとても不安だ。この際、手応えは諦めるから、電子音でもいいので「ギッ」と音を出してほしい。ただし、「ギッ」だけは譲れない。「ピポ」とか「ピッ」は不可。

キーを差しこみエンジンをかけ、サイドブレーキを解除して発進。止めたらシフトレバーをPに入れ、サイドブレーキを引いて(あるいは踏んで)かけてからキーを回してエンジンを止める。こういう一連の動作が身に付いているのに、最初と最後がおかしいから大いにストレスになる。しかもこうする利点がよく分からない。僕はこれが便利だと思ったことが一度もないのだ。

さっさと元に戻して欲しいのだが、メーカーにも何か事情があるのだろう。どうしてもボタンにしなければならないというなら、せめて場所だけでも昔と同じ場所で統一してほしい。
このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ