2021年09月

8月の終わりから、東京都の新型コロナウィルスの感染者数が減り始め、8月のピーク時に5000人を超えていたのが今日は218人となった。劇的な減少である。専門家にも明確な理由が分からないという。

思い当たるのは、ワクチン接種が進んだことと、9月に入ってからは急に涼しくなり換気がしやすくなったことぐらいである。素人考えだが、ワクチン接種が進んで減少に転じ、涼しくなったことで減少にはずみがついたのではないだろうか。

感染者数の減少を受けて、来月から緊急事態宣言も解除される。緊急事態宣言そのものの効果なんかほとんどないに等しいので、これによってすぐに増加に転じることはないだろう。

しかし、さらに時が経って冬になれば、夏以上に換気は悪くなるし、今年の5月ごろワクチン接種した人はすでに半年が過ぎたことになり効果が薄れるはず。しかも、その人たちはほとんどが高齢者である。もし冬に第六波がくれば相当な被害がでるだろう。

逆に言えば、今こそコロナ対策の正念場だと思う。もともと役に立っていない緊急事態宣言は解除していいと思うが、PCR検査や感染者の隔離、ワクチン接種などの対策は今まで以上に行ってほしいのだが・・・まあムリなんだろうなぁ。
このエントリーをはてなブックマークに追加

『醒睡笑』巻二「賢だて」の14話(『醒睡笑』巻二賢だて14 二条院和歌好ませおはしましける時・・・参照。)にある「岡崎の三位」に「藤原俊成」と注を付けたら、Twitterで当の俊成卿(@toshinari_bot)から「岡崎の三位は藤原範兼だ」とクレームを付けられた。

調べてみるとたしかに間違いで、即刻書き換えたうえで、俊成卿には深く非礼をお詫びした。

さて、なぜこんな間違いをしたのか。簡単に言うと、参照していた岩波文庫『醒睡笑』(鈴木棠三校注)のタイトルと注を鵜呑みにしてしまったからである。
醒睡笑注a
「ちゃんと調べないお前が悪い」という批判は甘んじて受けるが、だって稀代の碩学鈴木棠三先生ですよ。その大先生が「俊成の賢だて」なんてタイトル(本来、『醒睡笑』にタイトルはない。)を堂々と付けて、「藤原俊成の通称。『千載和歌集』の選者」なんて注付けてたら、そのままでいいと思うじゃん。いや、もちろん言い訳ですけどね。

この岩波文庫版『醒睡笑』は1986年に刊行(僕の持っているのは1993年の第4刷)されたもので、同じ校注者の角川文庫版『醒睡笑』(1964年刊行)をベースにしたものである。こちらも同じタイトルで、岡崎の三位は俊成という注もある。ということは二十年以上誰も指摘しなかったのかと思って、次のページを見てみると・・・。
醒睡笑注b
何とこちらではちゃんと藤原範兼になっているではないか!う〜ん、直しておいてくださいよ。

それにしても、こんな大家の注釈で、しかも二十年経て改版されたものに、こんなミスがあるとは思わなかった。いや、調べ直さなかった僕が悪いのはもちろんなんだけど・・・。
このエントリーをはてなブックマークに追加

8月の終わり、あまりの暑さで時計が壊れた日、父の作った小屋を壊した。

この小屋は10年以上前に、耕耘機を保管するために父が作ったものだ。この畑は別の場所にあったのだが、そこを宅地にするというので今の場所に台車に乗せて移動してきた。このころの写真を見ると、いかにもまだ作りたてという感じがする。
小屋の引っ越し(2011年9月)
今はこんな感じ。扉に穴があき、塗料もハゲていてボロボロ。壊す過程で網戸を枠にしてベニヤ板を張ったものと判明した。全体に風雨にさらされてボロくはなっているものの、一度も台風などに吹き飛ばされたことはない。
小屋(正面)
ご丁寧に雨樋が付いている。これは雨水を溜めて畑に撒くためのもので、すばらしい工夫ではあるが、おかげでボウフラが湧いて蚊の養殖場になっていた。蚊の養殖場は早々に撤去したので、ここには写っていない。
小屋(側面)
素人が作ったものなので、簡単に壊せるだろうと思っていたのだが、あにはからんや、なかなか苦戦した。素人が作ったから簡単ではなく、素人が作ったからオーバースペックだったのだ。

まず、片側の壁と屋根を取り外した。壁は長い木ネジ数十本と針金でとまっている。この木ねじの本数がすでにオーバースペックである。木ねじは例の電動工具を使って一本につき数秒で外せた、父はそんなものは持っていない。すべて普通のドライバーで締めたはずである。

小屋の正体はご覧の通り、みんな大好きERECTAのスチールラック。父がマンションの管理人をやっていたときに、ゴミ捨て場に出ていたのをもらってきたもので、実家にはこのラックがたくさんある。
小屋の正体
反対側から見るとこんな感じ。三本の鉄の棒が地面に刺さっていて、これで小屋を支えている。この棒が両側にあって、抜くのに一苦労した。この壁を取ると日陰がなくなって休憩できなくなるので、涼しくなるまで残しておいた。
小屋の(裏)
後日、分解した小屋はレンタカーで借りた軽トラに積んで運んだ。他のゴミもあるので三往復した。
軽トラ
そして何もなくなった。
アフター
このエントリーをはてなブックマークに追加

本当かウソかは分からないが、戦時中捕虜にゴボウを食べさせたのが、木の根を食べさせたと勘違いして戦犯になったという話がある。この話の真偽はともかく、ゴボウと木の根はそっくりである。ただし硬さが全然違う。木の根は包丁では切れない。電動ノコギリとナタでやっと切れる硬さである。

これまで何度も書いたが、先月まで父の畑に植えられた木を引っこ抜くという貴重な作業をした。引っこ抜いた木は、柿・キンカン・イチジク・よく分からん木(切り株になってた)が各一本、ブラックベリーが5・6本である。どれも植えてから10年以上経っている。

まずはキンカン。上はこんな感じ。トゲがあるので、枝を落としたあと迂闊にさわれない。ちなみに左に見切れているのが柿でこれも抜いた。
キンカン
キンカンと柿は根が張らないよう、父がコンテナに入れて植えた。しかし、植物だって生きるのに精一杯である。父の意向なんか無視して、コンテナの隙間から四方八方にゴボウのような根を張っている。コンテナ作戦は大失敗である。
キンカンの根
予想外だったのがブラックベリー。
ブラックベリー
ブラックベリーは蔓だから、根っこなんかたいしたことないだろうと思ったのだが・・・。
ブラックベリーの根<
うん、ゴボウ!

それもかなり太くて長い。これで柵にも絡みついていくのだから、どんだけ丈夫なんだか。

最後にラスボスことイチジク。
ラスボス
上が大きいだけあって、根っこも太いものでは子供の腕ぐらいあるが、一番多いのはゴボウサイズ。これが広く浅く広がっていて、一番長かったのがこれ。
イチジクの根
超長いゴボウ!

というわけで、ゴボウには何の罪もないが、しばらくゴボウは見たくない。
このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ