2021年12月

最近、記憶の時系列が曖昧になってきたことに気付いた。最近だと思ったことが実際はそうでもなかったり、逆にずいぶん昔のことだと思ったことがわりと最近だったりする。

最初は年のせいかと思ったが、よく考えるとそうではない。例えば、中学1年生が中学2年生になったときに小学6年生は遠い昔のように思えるが、中学2年生が3年生生になったときには中学1年生はそう昔には思えなかった。単にそういう経験が増えたということだろう。

そう考えると、コロナ禍も二年目になって、マスクをしていなかったころのことが、もう遠い昔のことのように思える。2000年8月に中国を自転車で走ったのも、2019年の3月にニュージーランドに行ったのも、海外に行けなくなった今はどちらも同じぐらい遠い昔のように思える。

今年はわりと平穏無事に済んだ一年だったが、8月にやった畑を更地に戻す作業は忘れられない。地獄のような暑さの中で、小屋を壊したり、植木を根っこから引っこ抜いたりと、なかなか経験できないことができた。10月以降意外と楽しくできたんじゃないかと思うが、暑くてぜんぜん楽しくなかっただけにより強く記憶に残っている。

もう一つ忘れられないのが、昨日書いた今月の入院である。よく考えたら、どちらもやりたくてやったことではない。だが、これらを除くとまったく平穏な一年だったので、今思えばなかなか貴重な経験である。

さて、やたがらすナビの方は、3月から『醒睡笑』に入り、半分まで終わった。今までやってきたものと違い、近世初期の笑話集である。近世とはいえ江戸幕府が成立してすぐだし、中身は戦国時代以前の話が多いので、それほど中世とは違わないだろうと思っていたが、思った以上に現代に近かった。何が近いかというときりがないのでやめておくが、言葉はもちろんのこと経済・風俗・笑いの方法など、もろもろ現代に通じるものが多い。

その一方で、中世にも現代にもない部分があって、それを理解するのが難しい。基本は笑い話なのだが、どこが面白いのか全く理解できないまま、とりあえずテキストを作成している話もかなりある。ようするに今までと勝手が違うということだが、それがかえって面白い。『醒睡笑』はまだまだ続くので、よろしくお願いします。

最後に一言、

変な物が見えたらすぐに眼科に行け!

それでは良いお年を!
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今月の総括といえば、当然網膜剥離の入院・手術のことになる。

コロナの感染者数も減少する中、まさかこんな災難に合うとは思ってもみなかった。こういう病気はもっと年を取ってからなるもんだと思っていたが、気がついたらいい年になっていたということだろう。幸い、目玉の中に入っていた空気はすべて吸収され、今は普通に見える。白内障手術もしたため視力が変わってしまったのでちょっと見づらいが、いずれ完治したらメガネを作り変えれば問題ない。

さて、今回入院したのは昭和大学病院付属東病院である。自宅から徒歩15分ほどで行かれる場所で、いい病院が近所にあってよかった。昔と違い病室から携帯電話をかけてもいいし、病院内にコンビニもある。もちろん自販機も各階にある。メシも三食とも十分な量でなかなか美味い。給食に関しては僕は(食う方の)エキスパートだが、これまで食べた給食の中でも一・二位を争う美味さである。難点といえばタバコが全く吸えないことぐらいだが、これは社会の趨勢だから仕方がない。
病院の夕食
実はこれは人生初めての入院ではない。今を去ること35年前、大学に入学する直前に10日ほど、実家のある埼玉の病院に入院したことがある。

その時は、コンビニなんか論外、唯一買えるのは自販機の飲み物だが、それも藤沢薬品の気配館などという病院特有のわけのわからんものだった。ちなみに、気配館は「けはいかん」ではなく「きくばりかん」と読む。もちろんメシも不味くて、おまけにやたらと夕食の時間が早かった。スマホどころか携帯電話もない時代なので、本を読むかラジオを聞くぐらいしか時間をつぶす術がなかった。

それからくらべると、今回の入院生活ははるかに快適である。だから贅沢を言っちゃいけないが、35年前の入院とは決定的な違いがあった。それは今がコロナの真っ最中だということだ。

まず、入院する前にPCR検査がある。PCR検査の後は病院から一歩も出ることはできない。最初に行った眼科から「入院覚悟で朝イチで行け」と言われていたが、前の晩とにかく学校の仕事を片付けなければならなかったので、覚悟ばかりで準備は十分ではない。だが、PCR検査を受けてしまったので、取りに帰ることもできない。

もちろん、面会もできない。妻に差し入れをリクエストしたが、直接の受け渡しはできない。お見舞いの人が誰も来ないから、昼間の病棟は患者と看護師ばかりある。静かなのはいいのだが、なんだか寂しい。

それなら患者同士で仲良くなればよさそうなものだが、これもコロナのせいか、プライバシーの確保なのか、常にベッドのカーテンが閉められていて、隣のベッドにどんな人がいるかよく分からない。たまたま会っても、お互いマスクを付けているから顔もよく分からない。35年前入院したときは、必要なとき以外カーテンは閉められてはいなかった。最初はそれが嫌だったが、ちょっとしたおしゃべりなんかして患者同士で親しくなったりしたものだった。

このときの入院でよく覚えているのが、患者の中にほとんど治っているにもかかわらず、どこが痛いあそこが痛いとゴネて退院しないトラックの運転手がいたことだ。なんでも、保険がおりるから入院が長引けば長引くほどいいらしい。後日、駅で僕の後に退院した人に会ったら、その運転手は階段から落ちてまた入院が長引いたという。わざと落ちたんだろうというのが、僕とその人の共通認識だった。

話がそれたが、もう一つ、コロナとは関係なく35年前の入院と違うところがある。今回の病院は近いといっても徒歩15分も距離があるにもかかわらず、病院の窓から自分の住んでいるマンションがよく見える。目がダメなだけで体は問題なし、家は遠くに見える。これがかえって郷愁をさそって、35年前の入院よりもずっと快適なのに、早く家に帰りたい気持ちははるかに強かった。
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網膜剥離で手術した(その1)の続き

というわけで、緊急入院からの手術と相成ったわけだが、目玉の手術というものは聞くだに恐ろしいものだ。穴のあいて剥れた網膜を貼り直し、目玉に空気を充填するという。空気を充填するのは、貼り直した網膜を空気圧で押えるためなんだそうだ。

この説明じゃよく分からないと思う。「網膜剥離 手術」あたりのキーワードで検索してもらえれば、病院や専門家による詳細な解説が図解付きでいくらでもヒットするので、気になる人はそちらを参考にしてほしい。

時間が来たら車椅子で手術室に運ばれる。手術台に乗ると音楽が聞こえてきた。なんと僕の好きなボブ・マーリーである。リクエストした記憶はないのだが、とてもうれしい。

何がどうなったかよくわからないまま手術は始まった。最初は光が見える。何度か痛みを感じたので、その時に麻酔をしたのかもしれない。局所麻酔だから、ボブ・マーリーの曲も執刀している先生の声もちゃんと聞こえる。

やがて光は見えなくなるが、まったくの暗闇ではない。目を開けているのか閉じているのかすら分からないが、棒のようなものの影が二本見えたような気がする。音楽はボブ・マーリーがかかり続ける。"Get Up Stand Up"、"I Shot The Sheriff"そして"No Woman No Cry"で手術が終わった。だいたい一時間ぐらいである。

終ったあとは全く目が見えない。執刀した先生から、これからうつむいて生活するように言われる。再び車椅子に乗せられるが、来たときと違い目線はヘソのあたりである。

うつむくのは目玉に入れた空気が上(網膜側)に行くようにするためだそうだ。今、僕の目玉の中には液体と空気が入っている。下を向くと、液体は瞳の方に下り、空気は網膜のある目の奥に行く。この上昇する空気によって貼り直した網膜が目玉に押し付けられてくっつくという寸法だという。イマイチ納得しがたいが、ともかくそういうことらしい。

寝るときもうつぶせでなければならないそうだが、僕の場合はそこまで要求されず、横向きに寝れば大丈夫だと言われた。剥れた位置や大きさの問題なのだろう。うつぶせ寝もトライしてみたが、とても寝られたもんじゃない。

手術直後は目玉の中の空気が多いため何も見えないが、日が経つと自然と空気が減っていく。するとどうなるか。正面を見ると視界に水平線が現われるのである。
手術後数日の見え方
この水平線は文字通り水平線だから、目や頭を傾けても水平を保つし、左右にふるとプルプルと動く。今なら家の傾きもすぐにわかりそうだ。ちなみに網膜には上下逆に映るので、ボケている方(下)が空気である。

目玉の中の空気は次第に減っていくので、それに従い水平線も下がっていく。一週間ほどで視界の三分の一ぐらいまで下がり、下を見ると円形の気泡に見える。僕の場合、一週間で退院できたが、そのとき下をみるとこんな感じに見えた。
手術後一週間見え方
今はこの気泡がさらに小さくなっている。小さくなるとレンズの効果がでるのだろう。円形の中に見える画像は、虫眼鏡を通して見たように大きくはっきり見える。

気泡が小さくなると、ちょっと頭や目を動かしただけでプルプル動くので、とても邪魔くさい。前の方を見ると、今度は視界の下の方でプルプル動いている。目玉の中にスライムを飼っている感じである。

つづく
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去る12月13日(月)、近所の眼科へ行ったところ網膜剥離と診断され、紹介状を書いてもらい次の日に大学病院に行ったら即入院、15日に手術をして昨日(21日)やっと退院できた。暮れの忙しい時期によもやこんなことになるとは思ってもみなかったが、記録しておけば誰かの役に立つかもしれないので、忘れないうちに詳細に書いておく。

無事退院した今、まず最初に言っておきたいことは、「妙なものが見えたらすぐ眼科へ」である。

さて、最初に目の異変に気付いたのは12月6日(月)である。料理をしていたらスライサーで豪快に親指を切ってしまい、けっこうな出血をした。とりあえずガーゼで指を巻いて、止血のため手を上にあげ仰向けに寝ていると、右目に妙なものが見えた。

僕はもともと飛蚊症(糸くずみたいなものが視界に飛んで見える)が見えることがあるのだが、このときは見たこともない透明なビニールみたいなものがフワフワと飛んだ。飛蚊症というより飛びクラゲ症である。蛍光灯の光りに照らされてなかなか綺麗だった。
網膜剥離直前
「なんじゃこれは」とは思ったものの、今緊急の問題は出血を止めることと指の痛みを我慢することである。クラゲなんかにかまってはいられない。たぶん指を切ったショックで変なものが見えちゃったのだろうと思って、止血に専念していたら、出血も飛クラゲ症もおさまった。

後で眼科医に聞いたところ、これが網膜に穴が開いた瞬間だろうという。この時点では穴が開いただけなので、すぐに眼科へ行っていれば入院・手術せずともその場で治療できたらしい。なお、指のケガと網膜剥離は全く関係がなく、たんなる偶然だったようだ。

それから数日後、視界の下の方に黒い影が出てきた。写真に指が写り込んだ状態によく似ている。
網膜剥離発症
それが何日か続くので、さすがにこれはおかしいと思い12月13日(月)の仕事終わりに眼科に行った。診断結果は網膜剥離で、失明する可能性もある危険な状態なので、一刻も早い手術が必要とのこと。次の日の朝一番で入院覚悟で紹介先の大学病院に行けと言われた。

網膜剥離は網膜、つまりカメラでいうフィルム(デジカメのイメージセンサー)に当たる部分が、目玉本体から剥がれる病気である。最初の飛クラゲ症のとき網膜に開いた穴から、目玉本体と網膜の間に水が入り、次第に剥がれが進んでいくという。僕の場合、穴が二つ開いていた。

レンズを通った画像は上下逆さまに網膜に映るので、影が下に見えるということは、網膜の上の方が剥がれたということだ。網膜は重力により上から下に剥がれるため、下が剥がれる(上に影がでる)よりも危険な状態だという。物理的な振動も症状の進行を進めるので、こうなったらヘッドバンキングなどはせず、安静にしなければならない。

眼科で言われたとおり、14日の朝イチで大学病院に行ったら、その場で緊急入院決定。PCR検査もしているので、検査後にはもう外には出られない。手術は次の日の午前中となった。

その2につづく
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気がついたらもう12月である。全然寒くならないから、今月の総括を書くのすっかり忘れてた。

といっても、特に書くことはない。今月はアホな火傷をした以外、なんだか淡々と過ぎてしまった。そうなると、コロナが気になってくる。

東京では感染者数も一桁台を付ける日もちらほらでてきて一安心と思っていたら、今度は南アフリカで発見されたオミクロン株なるものが懸念されている。こいつは従来のワクチンが効かないらしい。ついでにいうと、オミクロン株で株価急落とかニュースで聞いた日には、一瞬怪しいIT企業がなんかやらかしたのかと思った。

日本でも今日までに二人の感染者が見つかっている。いずれも海外から帰ってきた人だが、滞在していたのがオミクロン株感染者が発見された国ではないのが気がかりだ。もうすでに世界的に広がっているのかもしれないし、空港や飛行機の中で感染したのかもしれない。

岸田首相は、外国人の新規入国を禁止するという思い切った措置をしたが、抑えるのはなかなか難しいかもしれない。
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