2022年02月

今月の終わり、ご存知の通りロシアがウクライナに侵攻した。局地的な紛争ではなく、ウクライナ各地の軍事施設をターゲットになっていて、ロシアはすでに制空権をとったと主張している。民間人にも被害者がでているらしい。

いろいろ調べて考えてみたが、ロシアに得なことは何一つないように思える。もちろん、世界各国にも何の得もない。誰一人得にならなくても戦争は起こるのだということだけはよく分かった。

これを何かと関連付けるのは間違っているだろう。ロシアのウクライナ侵攻は、台湾問題とは関係ないし、日本の満州支配とも関係ない。部分的に似ていても全く別個の問題である。

これはコロナウィルスも同じである。コロナはただの風邪でもなければ、インフルエンザでもない。オミクロン株は感染力の強さ対し重症化率は低いようだが、インフルエンザではないのだから同じ対応でいいはずがない。オミクロン株にはオミクロン株の対応を考えなければいけない。

人間は何かことが起きると、似た例を探しそれによって対処しようとするものである。それは人間である以上仕方がないことだが、同時に今起きていることは全く新しいことである。似た例はある程度参考になっても、そのまま使えるものではない。

ロシアのウクライナ侵攻もコロナウィルスも、今まで考えもしなかった新しい事態である。全く違う対応が必要になるだろう。もっとも、僕のような一般人にできることは、平和を祈ることとマスクをすることぐらいである。
平和写経
このエントリーをはてなブックマークに追加

反ワクチンにハマる人のことを頭が悪いとか、さらには学歴がどうのとかいうツィートを見かけて、それはちょっと違うだろうと思った。

反ワクチンとコロナがただの風邪だというのはセットになっている。反ワクチンで、コロナを恐れて引きこもる人というのは聞いたことがない。

こういう、陰謀論みたいなのは、ある種の「願望」が元になっている。願望は誰でも持っている。コロナに関して言えば、「早く収束して欲しい」というのがほとんどの人の願望だろう。だから、息苦しくてもマスクをするし、副反応があってもワクチンを打つ。

しかし、反ワクチンの人の願望はそうではない。彼らは「コロナウィルスは恐れるものではない。ワクチンも有害なだけで意味がない」という。つまり、コロナ禍自体を存在しないものとしようとしているのである。

コロナ禍はいずれ収束するだろうが、その時僕たちの生活は元に戻るだろうか。たぶん、マスクはしなくてもよくなるだろう。ワクチンも必要なくなるだろう。しかし、リモートワークはどうか、ソーシャルディスタンスは、遠隔授業は・・・と考えると、コロナ以前と全く同じようになるとは到底思えない。

時が経ってコロナ禍が収束しても元の生活には戻らないが、最初からコロナウィルスなど無ければ戻れる。新型コロナウィルスを否定することは、コロナ以前の生活に戻したい願望のあらわれなのだ。

げに恐ろしきは願望かな。願望は強ければ強いほど、自分の願望に都合のいい言説を信じてしまう。同じような願望を持つ人が増え、都合のいい言説を信じる人が増えれば、どんなに荒唐無稽な妄説であっても、「これだけ仲間がいるのだから真実に違いない」と確信してしまう。

『宇治拾遺物語』に、いたずらで「◯月◯日、猿沢の池から竜が昇る」という立て札を立てたら、たくさんの見物客が来て、立てた人まで信じて竜が昇るのを待ったという話がある(第130話蔵人得業、猿沢池の竜の事)。この場合、竜が昇るところを見たいという願望が得体のしれない立て札を信じさせ、人を集め、ついにはデマを作った人まで信じてしまったのである。

これは頭のいい悪いの問題ではない。人の業とでもいうべきものである。思えば、オウムの幹部も頭のいい高学歴者ばかりではなかったか。

大事なことは、自分に都合のいい言説を聞いたとき、それを批判的に受け止められるかどうかということである。
このエントリーをはてなブックマークに追加

昨日、三回目のワクチン接種をしてきた。四回目はないと思いたいので、ワクチン接種の総括をしてみる。なお、僕が受けたのは三回ともモデルナ謹製である。

一回目 2021年7月15日 都庁舎

受けた直後…特に問題なし。
数時間後…筋肉痛のような痛み。一日続いた。
一週間後…大きな跡が現れた。

接種してからしばらくして、筋肉痛のような痛みがあり、夜は痛くて打った方を下にしては眠れなかった。見た目は何も変化がなかったが、一週間ぐらいして打ったところを中心にピンク色の大きなシミのようなものが現れた。見た感じ北極大陸南極大陸みたいだ。少々むず痒かったが、我慢できないほどではない。この跡はいつの間にか消えた。

二回目 2021年8月12日 都庁舎

受けた直後…特に問題なし。
数時間後…特に問題なし。
一週間後…特に問題なし。

二回目は熱が出て寝込む人が多いと聞いたので、布団を敷いて寝込む準備をしていたが、間違えて水でも注射されたのかと思うほど何も起きなかった。一週間後のナゾのシミもでなかった。ただし、これは気づかなかっただけかもしれない。

三回目 2022年2月18日 東京都行幸ワクチン接種センター(東京駅)

受けた直後…特に問題なし。
数時間後…筋肉痛のような痛み。

筋肉痛のような痛みがあるのは一回目と似ている。まる一日経って、痛みはおさまってきたが、まだ少し腫れているようだ。それ以外は今のところ発熱などはない。

今後、なにか変化があったらここに書き足す予定。
このエントリーをはてなブックマークに追加

2022年北京オリンピックが始まった。オリンピックといえば開会式、開会式といえばクライマックスは聖火の点火である。

なにしろ中国、しかも演出は2008年の夏も担当した張藝謀(チャン・イーモウ)先生だ。2008年のオリンピックでは、資本主義の象徴ともいえる李寧社長を空に飛ばした人である。ド派手な演出が見られるのではないかと期待した。

次々に聖火がリレーされ、最終ランナーが点火すると思ったら、何とトーチをそのまま雪の結晶の形をしたオブジェの中心に突き刺した。これにはびっくりだったが、それでも「中国だし、張芸謀だし、これで終わるはずがない。最後にドバーっと燃え上がるのでは」と期待した。ところがそれで終わり。遠目に見たら燃えているんだかいないんだかよくわからない、すぐにでも消えそうな小さな火である。

聖火というものはドバっと燃え上がるもので、ましてや中国なんだから相当景気よく燃やしてくれるだろうという期待は見事に外れた。期待を裏切るだけでなく、これは近年の環境保護の文脈にもあっている。張藝謀に見事にしてやられたと思った。

しかしそんな解釈でいいのだろうか。相手は高名な映画監督である。もっと重要な意味が込められているに違いない。

もう一度聖火台をよく見てみよう。聖火台は雪の結晶の形をしているが、それは参加国の国名が書かれているプラカードの集合体である。つまり、さまざまな国の中心で小さな火が燃えているという構図になっている。

ここで僕はビリー・ジョエル(Billy Joel)のWe didn't start the fireという曲を思い出した。

この曲はとてもヘンな曲で、ちょっとした歌詞以外は1949年(Billy Joelの生まれた年)から1989年(曲が発表された年)の歴史的な事件や人物の名前をひたすら羅列するだけである。なぜだか「ハートにファイア」というアホみたいな邦題を付けられてしまったが、本来のタイトルは「僕たちが火をつけたのではない」という全く逆の意味である。

この歌詞の歴史的事象以外の部分、ビリーはこう歌っている。
We didn’t start the fire.
It was always burning since the world’s been turning.
要約すると「僕たちは火を点けていないが、火種は世界ができてから常にある」と言っている。逆に言えば、「僕たちは火を点けていないが、火種を大きくも小さくもするのは僕たち次第だ」ということだろう。

続けて、
we didn't light it.
But we tried fight it.
「僕たちは火を点けていないが、戦おうとした」という。「火を消そうとした」ということだろうか。

ここでもう一度北京オリンピックの聖火を思い出してほしい。聖火はオリンピックという戦いの象徴で、開催期間中消えることはない。その火種は常に小さく燃えているのである。

そのまわりは冷たい雪の結晶で、火を消す性質がある。その雪の結晶は、世界各国がガッチリと組み合わさったものでできている。ビリーのいうように、小さな火種は世界ができてからあって、それはどうしようもない。しかし、世界の国々が団結すれば、それを大きくせずにすむ。そういうことだろう。

映画はとるに足らないシーンでも意味を持たせることがある。さんざん派手に演出したあとのクライマックスにあのしょぼい火である。深い意味がないわけがない。俗っぽい言い方にはなるが、あの聖火には、張藝謀監督の平和への希望が込められていると考えられる。
このエントリーをはてなブックマークに追加

昨年の12月に手術した網膜剥離はもうすっかり良くなって、手術する前となんら変わりがない。2月8日に手術した病院に行くが、たぶんこれが最後になるだろう。

一週間の入院だったが、その後もできるだけ安静にしていろと言われ、学校も冬休みに入り家でごろごろしている日が多かった。それ以前からコロナのせいで運動不足だったのに、それに拍車がかかってしまった。

僕の好きな運動は、自転車だのインラインスケートだの転びものが多い。実際にはめったに転ばないのだが、万一転ぶとまた網膜がベロンチョと剥がれかねないから、迂闊なことはできないのである。

運動不足になると気力が萎えてくる。振り返ると、一月はブログも一回しか更新していないし、この「今月の総括」も書き忘れて2月1日に書いている。他にもいろいろやらなきゃいけないこともあるのだが、遅々として進まない。

そんな中、新型コロナウィルスのオミクロン株である。東京都の感染者数は前代未聞の一万人を軽く超えてきた。さすがにこの数になってくると、直接の影響が出てくる。すでに僕の行っている学校でも学級閉鎖が行われ、教員の中にも感染したという人は聞かないが、濃厚接触者で自宅待機という人がいる。

オミクロン株は感染力はこれまでよりも強いが、重症化はしにくいらしい。感染者が一万人を超えても緊急事態宣言が出ていない。にもかかわらず、国民から緊急事態宣言を出せという声があまりでていないのも、重症化しにくいという性質からだろう。

だが、いくら重症化しにくいといっても、感染者の母数が増えれば重症者も増える。なんと言っても保育園や学校での感染が増えているのが気になる。よくよく考えると、保育園や学校での感染というのは、感染症の王道である。いままでとは違った警戒の仕方が必要なんじゃないだろうか。

最後に豆知識、オミクロンってのはギリシャ文字Οというのは有名だが、Ω(オメガ)と対になっているらしい。「オ・ミクロン」で「小さいo」、「オ・メガ」で「大きいo」なんだって。
このエントリーをはてなブックマークに追加

↑このページのトップヘ