2022年05月

四月・五月は学校行事が多く、授業がない日も多い。それなのに、なんだか授業がよく進む気がする。なんでだろうと思ったら、二年ぶりにほぼ正常に授業が行なわれているのだった。

一昨年は一斉休校で5月いっぱいまで授業なし。なんとなく去年はちゃんとやっていた気がしていたが、思い出してみると分散登校で自宅学習が多かった。定時制にいたっては、登校が夕方だから分散登校こそないものの、緊急事態宣言が出ると8時に終わらせるために30分授業になっていた。それが今年は一部の学校行事が中止になったほかは、ほぼ例年通りである。

ようするに、異常事態はこの二年間だけで、コロナ以前にかなり近付いたということなのだが、異常になれてしまって、三十年もやっているコロナ以前の感覚を忘れてしまったようだ。

このままコロナが終息するどうかは分からないが、いずれにしても終わりは近づいているのだろう。しかし、コロナ禍真っ最中とは違う、何が不安とはいえない不安がある。もちろん、さっさと終わって完全ではないにせよ、もとの生活に戻って欲しいとは願っているのだが、まさかそこに不安があるとは思わなかったよ。
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4月に滋賀へ行って伯母と話していたとき、「ハガリヤさんに来てもらってセンザイを手入れしてもらった」というようなことを聞いた。一瞬何のことだか分からなかったが、よく考えるとセンザイは古典によく出てくる単語「前栽」で、植え込みのことである。

前栽の検索結果:やたナビTEXT

「ハガリヤ」も聞き慣れない言葉だったが、前栽の手入れをするのだから「葉刈り屋」で、植木屋さんのことだろうと分かった。Googleで検索してみると、「葉刈り」そのものは盆栽用語ででてくるが、「葉刈り屋」でヒットしたのは松居一代さんのブログぐらいである。松居さんも滋賀県出身なので、あのあたりの言葉なのかもしれない。

さて、五月も終わりに近づき、だんだん暑くなってきた。梅雨に入ると、雨と気候で植物はバンバン伸びる。前栽というほどのものではないが、ここ数日は葉刈り屋さんの真似事みたいなことばかりしていた。

まず、以前祖母が住んでいた家のカポック。祖母は一昨年の今日亡くなったが、カポックは全然手入れをしていないのにバンバン伸びて、またモリゾーみたいになっている。
カポックビフォー
これをハサミとレシプロソーでここまで刈った。刈った葉は70リットルのゴミ袋2つぶんになった。途中、通りがかりのおばさんが欲しいというので、切った枝をあげた。庭に植えるそうだ。
カポックアフター
このカポック、実は小さな鉢植えである。モリゾーになってもまだ鉢から生えているが、なんだかすごいことになっている。
カポック鉢
こんなに刈って大丈夫かと思われるかもしれないが、心配には及ばない。どうせ秋には(下手すると8月終わりごろには)またもとのモリゾーに戻っていることだろう。

次は実家の生け垣。以前は父がやっていたのだが、高齢でできなくなったので、ここのところ僕がやっている。
生け垣ビフォー
ちょっと分かりにくいかもしれないが、かなりさっぱりした。
生け垣アフター
生け垣は電動のバリカンを使ってざくざく刈るのでなかなか楽しい。本物の葉刈り屋さんみたいにきれいには出来ないけど、運動不足とストレス解消にはなった。
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『醒睡笑』のテキストを作成していて、有名な落語『平林(ひらばやし)』の元ネタに行き当たった。

落語『平林』の筋は次のようなものである。なお、サゲは噺家によって違う。
 丁稚の定吉は、医師の「平林(ひらばやし)」邸に手紙を届け、その返事をもらって来るよう、店主から頼まれる。物忘れのはげしい定吉は、「ヒラバヤシ、ヒラバヤシ」と繰り返しながら歩くが、結局忘れてしまう。定吉は字が読めないため、通りがかった人に手紙の宛名「平林」の読み方をたずねる。
 最初に尋ねられた人は「それはタイラバヤシだ」と答える。定吉は別の人に「タイラバヤシさんのお宅は知りませんか?」と聞くが、要領を得ないので手紙を見せると、その人は「これはヒラリンだろう」と定吉に教える。また別の人に「ヒラリンさんのお宅は知りませんか?」と聞き、手紙を見せると、「イチハチジュウノモクモク(一八十の木木)と読むのだ」と定吉に教える。さらに別の人が同じように定吉に問われると、「ヒトツトヤッツデトッキッキ(一つと八つで十っ木っ木)だ」と教える。
 困った定吉は、教えられた読み方を全部つなげて、「タイラバヤシかヒラリンか、イチハチジュウノモークモク、ヒトツトヤッツデトッキッキ」と大声で唱えて歩くと、定吉の周りに人だかりができる。そこを通りがかった、顔見知りの職人の男が駆け寄ると、定吉は泣きながら「お使いの行き先がわからなくなった」と訴える。職人が「どこに届けるのだ?」と定吉に聞くと、「はい、ヒラバヤシさんのところです」。
『醒睡笑』の方はずっとシンプルで、「平林」と書いた宛名を通りがかりの僧に読ませたが、いろいろ読むものの、肝心の「ヒラバヤシ」が出てこなかったという話である。

『醒睡笑』巻6推はちがうた「文の上書に平林とあり・・・」:やたナビTEXT

いずれにしても、日本語では漢字の読みがいくつもあり、どの読みとどの読みを組合せるか、固有名詞では分からないことを利用した笑い話である。

ところが、やたナビTEXTの底本、内閣文庫本では・・・
内閣文庫本の「平林」
文の上書に平林とありとをる出家によま
せたれは平林か平林か平林か平林一八十に林か
それにてなくは平林かとこれほとこまかによみ
てあれとも平林といふ名字はよみあたらす
とかく推にはなにもならぬ
なんと全部「平林」!読みがなも無い。これでは、どれがタイラバヤシかヒラリンか分からん。分かるのは落語の「イチハチジュウノモクモク」に当たる「一八十に林」だけだ。筆写した人は、内容が分かっていたのだろうか。

ともかく全部「平林」にしたのでは落語の「平林」を知らない人には何だかわからないので、ここは読みがなを振りたいところだ。幸い手元に寛永版本の影印(古典文庫)があったので確認してみると、こちらにはちゃんと読みがながある。
寛永版本の「平林」
これによると、ヒョウリン・ヘイリン・タイラバヤシ・ヒラリン・イチハチジュウにボクボク・ヒョウバヤシ(現代仮名遣いにした)の順になっている。「一八十に林」の林が「はやし」や「りん」ではなく「ほくほく(ぼくぼく)」となっているのが面白い。

これが正しいという根拠はないが、順番が解釈に影響するものではなさそうなので、とりあえずこれを採用した。思わぬ手間がかかったが一件落着。
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