2022年07月

6月の終わりがとんでもない暑さだったのに比して、7月中は梅雨みたいな天気が多く、比較的(あくまで比較的)過ごしやすかった。今日はやたらと暑かったけど。

それにしても7月はいろいろなことが起きた。まず、7月2日のKDDIの携帯電話回線に通信障害が起きた。僕自身はKDDI回線を使っていないので無関係だが、なにしろ電話だから思わぬ影響があった。(KDDIの通信障害に泣かされた:2022年07月02日)。ちなみに、利用者には200円の返金を行なうという。該当者は莫大な数なので、一人二百円でも約73億円になるそうだが・・・う〜ん、どうなんだコレ。

なにしろ現代では最も重要なインフラの不通が3日も続いたから、これは今月一番のニュースだろうと思っていたら、それが霞んでしまうほどの大事件が起きるとは思わなかった。

KDDIの通信障害から約一週間後、安倍晋三元首相の暗殺事件が起きた(安倍晋三元首相、暗殺さる:2022年07月08日)。突然入ったニュースには目を疑ったが、時間が経過しいろいろなことが分かってくるにつれ、犯行が自作銃によるものだったこと、犯行の動機が旧統一教会に対するものだったことなど、暗殺事件そのもの以上にインパクトが大きく、テレビの報道も今日に至るまでこれ一色になっている。書きたいことはいろいろあったが、重すぎてひとつも書けなかった。

そして、新型コロナウィルス第七波である。10日に東京都の新型コロナウィルス感染者数:2022年07月10日という記事を書いたのは、ちょっとヤバそうだなと思ったからなのだが、あれよあれよといううちに都民60人に1人がコロナ陽性:2022年07月29日という事態になった。それでも政府からはロクな対策が出ず、もう自然減を待つ腹らしい。

個人的なことでは、石川忠久先生(石川忠久先生が亡くなられたらしい:2022年07月12日)と松本寧至先生(松本寧至先生が亡くなられた:2022年07月27日)の訃報が大きなニュースだった。二人とも僕が二十歳のころに初めて会って、その後の僕に大きな影響を与えてくれた。今はもう、感謝しかない。

例年、ブログ強化月間が終わると、書き終えた安堵感があるのだが、今年に限っては何か書き足りない気がする。「思しきこと言はぬは、腹ふくるるわざなれば、筆にまかせつつ、あぢきなきすさびにて、かつ破り捨つべきものなれば、人の見るべきにもあらず。」(『徒然草』第十九段)という気持ちである。
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僕は今までこのブログで、「師匠」とは書いてきたが、それが松本寧至先生だとは(たぶん一度も)書いてこなかった。師匠の名前を出すと、ともすれば師匠自慢になる。自分が師匠を超えるか、せめて師匠と同等ぐらいでなければ、虎の威を借る狐みたいでカッコ悪いと思っていたからだ。

しかし、僕にとっては師匠と言えるのは松本先生だけであることも事実だ。お世話になった先生は他にもたくさんいるが、師弟関係という言い方ができるのは松本先生以外にはいない。

一番感謝していることは、僕みたいな面倒くさい奴を弟子として迎えてくれたことである。あのころは何もできないのに、やたらと生意気だった。教える側になったからよく分かるが、二十代のころの僕みたいな奴は、自分ですら弟子にはしたくない。

それでも弟子としてかわいがってくれたのは、何か通じるものがあったのだと思っている。一つ思い当たる節としては、松本先生は何か一つの研究対象に固執するタイプの研究者ではなかったことだ。

松本先生の業績といえば、角川文庫『とはずがたり』の訳注や、『とはずがたりの研究』(桜楓社)、『中世女流日記文学の研究』(明治書院)に代表される、日記文学の研究が知られている。しかし、僕がゼミに入ったころは、説話文学や近代文学の論文を書いていた。中古・中世文学を軸足にしてはいたが対象の幅は広かった。方法論も同じである。とくに一つの方法論にこだわるのではなく、論を立てるのにはそれに適切な方法論を使っていた。

松本先生は一つの対象をどこまでも掘り下げるタイプの、今でいうオタクタイプではなかった。とはいえ、それぞれが浅いということはない。対象が芋蔓式に変わっていくので、弟子としては着いていくのが大変である。おかげで幅広い知識がついた。

松本先生と僕に共通点があるとすれば、それはオタクではないということだと思う。誤解のないように言っておくが、僕はオタクをクサしているわけではない。むしろオタクを尊敬し、オタクになりたいとすら思っている。しかしなれないのだ。

松本先生も「オタクではない」のではなく「オタクになれない」人だったではないだろうか。院生のころ、「中川はオレの論文全然読んでないけど、オレに一番近いよな」と言われたことがある。これはそういう意味だったと解釈している。

最近は話す機会も少なくなっていたが、機会があれば「今何やってる?(研究しているか?の意)」と聞かれた。僕はいつも答えに窮した。もう20年も、何もやっていないからである。僕は「不肖の弟子」という言葉すら憚られるほどの不肖の弟子である。まだ何の学恩にも報いていない。それだけが悔やまれる。
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東京都の感染者数が4万人を超え、都民の60人に1人が陽性のために療養中だという。
都民60人に1人が陽性 全てのモニタリング項目悪化:Livedoor News-FNNプライムオンライン
東京都の新型コロナウイルス専門家会議は、医療提供体制など全てのモニタリング項目が悪化していて、都民の60人に1人が陽性のために療養中だと明らかにした。
たいへんな数字である。身近でもかかったという人は聞く。うちは消防署の近くにあるのだが、救急車のサイレンを聞くことも多くなった。60人に1人が陽性と言われると、そんなもんだろうないうぐらいの体感がある。

夏休みの今、学校は授業がないが、もしあったらそうとうな欠席者数だろう。実際に休むのは療養中の人だけでなく、濃厚接触者や検査中、そして濃厚接触者と偽っている生徒が含まれるからである。

これだけ感染者数が増えても、政府や都からは何も出てこないようだ。町を歩いても、マスクをしていない人がちらほら見える。もうあまりコロナを恐れていないように見える。

僕自身も以前に比べると不安感は少ない。だが、本当にこれでいいのだろうか。60人に1人というのはたいへんな数字だ。重症化する人は少ないとはいえ、実際にかかった人の話を聞くとかなり大変そうだ。

政府や都の対策は見えず、人はゆるみきっている。そして数字だけがどんどん上がっていく。杞憂ならいいが、とてもイヤな予感がする。
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いろいろ書こうとしたけど、なんだかまとまらないので、しょうもない記事でお茶を濁すことにした。

先日掃除をしていたら、自分のへその緒が出てきた。母から預かって「大事なもの箱」に入れておいたのだが、それ自体を忘れていたのだ。

もちろん初めて見るわけではない。子供の頃見たことがあるし、わりと最近母から預かった時にも見たはずだが、裏に出生時の身長・体重などを書いた紙が貼ってあるのに気づかなかった。あらためて見て驚愕した。
へそのお
出生時の体重3215kg!ちょっとした象ぐらいか。今80kg弱なので、0歳から40分の1まで減量したことになる。ただし身長は3.5倍に伸びたが。

赤ちゃんのころの写真を見て、なんて太った子供なんだと思っていたが、まさかこれほどとは思わなかったよ。タクシーで母の実家へ行ったと聞いたが、4トントラックの間違いだな、きっと。
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訃報です。

友人から二松学舎大学名誉教授松本寧至先生が6月30日に亡くなられたという情報が入った。どこにも報じられていないが、信頼できる筋からなので間違いない。

松本先生は僕の師匠である。4年ほど前の3月に後輩とご自宅にお邪魔したのが最後だった。その後、コロナ禍で行けずじまいで、今年の年賀状が来なかったので心配していたのだが、電話ぐらいしておけばよかったと悔やまれる。

なにしろ師匠なので、思い出は忠久先生以上にたくさんあるが、今はとてもまとめられない。ただご冥福をお祈りするのみ。

石川忠久先生の訃報記事を書いた時に、「ブログ強化月間だからって、こんなネタ提供はもういらないよ」と書いたが、本当にもういいです。
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最近、むっちゃ◯◯、めっちゃ◯◯という言い回しをよく聞くようになった。たぶん関西芸人の影響だと思うが、若者言葉という印象がある。

ところが、『醒睡笑』の本文を作っていたら、この表現がでてきた。ただし、「とても」のような副詞的な使い方ではなく「滅茶苦茶」の意味である。

『醒睡笑』廃忘 2 神事能のありけるに地下の庄屋の息子に稽古をさせ・・・
神事能のありけるに、地下の庄屋の息子に稽古をさせ、大夫になし、始めて舞台へ出だしける。「自然(しぜん)忘るることもありなめ」と、論議のかしら書きを仮名に書きたり。
「兼平の御最期は、何とかならせ給ふらん」と問ふ時、ちらと手の内を見てあれば、汗に流れ正体なし。肝をつぶし、「兼平の御最期は、むつちやとならせ給ひけり」と。

初めて能舞台に経つ庄屋の息子が、セリフを忘れた時のために、冒頭部分を手に書いておいたところ、いざというときに汗で消えてしまたため、「兼平の御最期は、むつちやとならせ給ひけり」と謡ったという意味である。

ちなみに本来は、
ロンギ地:実に痛はしき物語。兼平の御最期は。何とかならせ給ひける。
シテ:兼平はかくぞとも。知らで戦ふ其隙にも。御最期の御供を。心にかくるばかりなり。(半魚文庫「兼平」による。)
となるはずだった。違うにもほどがある。

それにしても面白いのは「むっちゃ」である。ここではどうも「むちゃくちゃになった」という意味で使っているようだ。「セリフを忘れてむちゃくちゃになった」とも取れるし、「兼平の最期はむちゃくちゃだった」とも取れる。おそらく両方だろう。

もう一つ思いついた。木曽義仲は深田に踏み込んで動けなくなり討たれた。自害した兼平も近くにいたのだから、深田の泥でむっちゃとなった・・・ってのはどうよ。
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夏休みのメンテナンス第二弾、今日はパソコンの掃除とケーブルのリストラをした。PC主要部に手を入れるわけではないので、これで動かなくなったりはしないはずだが、汗だのヨダレだの垂らすと一巻の終わりなので、頭に鉢巻き、口にはマスクで作業した。

まず、今回やることは、ケースを開けて内部を掃除することと、使っていないFDDドライブの代わりにカードリーダーを取り付けること、ケーブルのリストラをすることである。やることは単純だが、

まず本体ビフォー。
本体ビフォー
1997年に買ったパソコンなので、やたらとでかく重い。今の自作PCケースのように簡単には開かず、いくつものネジを外してやっと外れる。

中を見ると、予想通りCPUクーラーにホコリが溜まっている。
CPUクーラー(掃除前)
以前、この前のCPUクーラーをYoutubeにUPしたら、フォロアーなんかそんなにいないのに「汚い」だの「掃除しろ」だのコメントに書かれた(CPUクーラーのファン故障)。実は掃除した後の動画だったのだが、ちょっとショックだったので、もう少し頻繁に掃除しようと思った次第。

今のクーラーに換装したのが二年前なので、思ったほどは汚れていない。ブロアーで吹けば、すぐにきれいになった。CPUグリスも交換しようかと思ったが、まだ二年だから大丈夫だろう。もちろん他の部分もきれいにした。
CPUクーラー(掃除後)
次は3.5インチベイのFDDドライブを取り外し、カードリーダーを取り付ける。買ったのはこれ。マザーボードが古いのでUSB2.0である。お値段は1200円ほど。
カードリーダー

換装するためにボルト8本をはずして、ドライブが入っているケージを外さなくてはいけない。こんな感じ。
ベイケージ
なぜこんな面倒な仕組みなだろうと思っていたら思い出した。「横置きにも出来ますよ」というのが売りだったのだ。
横置きモード
当時は本体の上にディスプレイを置くのが一般的だったのだが、その当時でさえこんなバカでかい筐体を机の上で横置きにする人なんかいるのかと思ったものだ。

というわけで、取り付けるとこんな感じになった。DVDドライブとカードリーダーの間にあるのは、たんなる引き出しである。小さいのであまり入らないが、USBメモリとかSDカードなどが入れてある。
本体アフター
さて、もう一つの課題は、机の下のケーブルをリストラすることである。
ケーブルビフォー
ケーブルというものは、少しずつ増殖していく。増えるとホコリが溜まる上に掃除がしにくい。結束バンドでまとめるという方法もあるが、なぜかまとめた直後に外す必要が出てくる。

そんなわけでこんなふうになっちゃったのだが、この機会にあまり使わない機器のケーブルをはずし、使っているケーブルは机に付属しているケーブルダクトに隠すなどして、すっきりさせた。これでしばらく使ってみて、問題がなければ結束バンドで縛ってもう少しすっきりさせたい。
ケーブルアフター
書くとこの程度のものだが、なかなかしんどい仕事で一日かかってしまった。とりわけ、机の下に潜り込んで線を抜き差しするのが大変だった。このとき役に立ったものを紹介して終わりにする。

まず、ヘッドランプ。登山用具だが両手が開くので暗い所での作業に便利。防災用品としても使える。僕はずいぶん前に買ったペツルのジプカというのを使っている。


もう一つは、インラインスケートをするときに使うニーパッド。固い床にひざまずいても、まったく痛くならない。ちょっと暑苦しいけど。
ニーパッド

とりあえず、これで夏休みの宿題がまた一つ終わった。
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安倍首相の暗殺事件以来、統一協会が話題になっている。統一協会といえば霊感商法である。信者などに法外な値段の壺や多宝塔を売りつけた事件で、多宝塔という言葉はこれで知った。おかげで顔真卿の多宝塔碑と聞いても、頭の中にあの胡散臭い大理石製の多宝塔が思い浮かんでしまう。

それはともかく、よく分からないのは壺である。霊感商法に限らず、漫画などでも、よく分からないけど価値のあるものとして壺が出てくることは多い。たとえばつい割ってしまった汚い壺が、えらく高価なものだったとか。壺と花瓶は材質・形状ともに同じようなものだが、花瓶が高価だったという話は寡聞にして聞かない。

このように、壺は高価な骨董の代名詞になっている。形も「ツボ」と聞けばだれでもあの形を思い浮かべる。では壺とは何だろうか。

もちろん、昔は水や酒を入れる実用的なものだったというのは分かっている。しかし、あんなに口が狭くては出し入れしにくいだろうし、底に向かってすぼまっているので倒れやすい。もしあの形状が適切なら、今も使われているはずだが、壺を本来の用途として使っているのを見たことがない。では単なる置物としてはどうかと考えると、倒れやすいのでは置物としてもふさわしくない。

痰壺・墨壺・骨壷など、中に入れるものを限定した◯◯壺はたくさんある。しかし、共通しているのは中に何かを入れる容器ということだけで、そのどれもがあの壺の形をしていない。ならば、壺とは形ではないということになるが、壺の形といえば誰もがあの形を想起する。ますます壺とは何か分からなくなる。

どうやら、壺は何だか分からないナゾの物体らしい。分かっているのは、あの形と中に何か中に入れる容器だということだけだ。中を覗き込んでも、何が入っていたか、何が入っているんだか分からない。どう使うのか、美しいのか美しくないのか、役に立つのか立たないのか、価値があるのかないのか、皆目分からない。

たぶん何だか分からない物だから、不思議な魅力があって価値がでるのだろう。壺を買ったことのない僕にはちょっと理解できないけど。
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UbuntuのLTS(長期サポート版)の更新は2年ごと(サポート自体は5年)で、今年の4月に最新版の22.04 LTSがリリースされた。ちなみに22.04は2022年4月の意味である。今使っているのは20.04LTSで、まだ3年このままでもいけるのだが、できることなら更新したい。

しかし、メインで使っているPCがはなはだ古くなってきて、動きがもっさりしてきた。今のPCは2013年9月にCPU・マザーボードを交換したもので、気がつけば9年も経っている。しかも、当時としてもスペック低めで組んでいるから、そりゃ遅くもなるのも道理。

PC大改造終了(ハードウェア編):2013年09月16日

どこも壊れてはいないが、さすがに大改造の時期が近付いている。できれば今年の夏休みに大改造とOSのアップデートがしあいが、円安と半導体不足のせいか部品が高い。あとどのくらいで好転するか分からないが、せめてもう一年ぐらいはもたせたい。

このままUbuntuのアップデートをするとさらに重くなりそうな気がする。少なくとも軽くはなるまい。だがUbuntuには軽いデスクトップ環境のバージョン、XubuntuLubuntuがある。この機会にどちらかにしてみるのも手だ。

とはいえ、いきなりそれらに変えるのも不安がある。そこで、今使っているUbuntuのデスクトップ環境をだけを変えて、しばらく様子をみることにした。どちらにしようか迷ったが、LubuntuのLXDEは以前使ったことがあるので、今回はネズミキャラ(Xue(ズー)という。メスらしい。)のかわいいXFceにした。適当にカスタマイズしてこんな感じになった。
Xfce
こうしてみるとあまり違いがないように感じるが、さすがに多機能なGNOMEと比べると見劣りする。カスタマイズはむしろGNOMEよりできるように思えるが、やりかたがちょっと面倒くさい。例えば画面の左のランチャーにアプリを登録するのも、GNOMEならアプリを起動してランチャーに現れたアイコンを固定するだけだが、Xfceだといろいろと面倒だ(説明が面倒なので省略)。もっとも設定なんか何度も変えるもんじゃないので、一度自分好みに設定すればたいした問題ではない。

一番残念なのは、スマホとの連携ができなくなった(Ubuntu(Gnome)とAndroidを地味に連携:2019年08月08日ことである。かなり便利に使っていたので、何か代替手段がないか考えている・・・がたぶんない。

カスタマイズしてGNOMEとの使い勝手の違いは少なくしたが、どうしようもないこともある。例えばGNOMEではランチャーがタスクバーを兼ねていて、ウィンドウを最小化するとランチャーに入るが、Xfceでは上のタスクバーに入る。ついいつものクセで、ウィンドウを戻そうとしてランチャーのアイコンをクリックしてしまい、2つ目のウィンドウを開いてしまうことがよくある。

期待された軽さは、まあそこそこという感じである。デスクトップ環境が軽くなったところで、アプリまで軽くなるわけではない。しかし、たくさんウィンドウを開いた時や、ブラウザのタブが多くなってしまったときでも、以前よりはスムーズに動いているようだ。すでに一ヶ月使っているが、挙動に関するストレスは感じなくなった。
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僕は昭和43年生まれのいわゆるバブル世代である。卒業してすぐ大学院に進学しその間に就職氷河期に突入したので、いわゆる就職での恩恵は受けていないがそのころの状況は分かる。

バブル世代は羨まれることが多い。しかし、ほとんどが誤解である。まず、教員の採用が氷河期以降減ったという。これは完全な間違いで、教員の採用が減ったのは就職氷河期以前からで、社会の経済状況が理由ではない。

数の多いバブル世代が就学するとともに、元祖ベビーブーマーの団塊の世代が教員になった。このころは需給ともに多かったのだが、バブル世代が教員になる時代には少子化で需給バランスがくずれた。つまり、供給(教員・教員志望者)は多いのに需要(児童・生徒)は少なくなってしまったのである。

しかも数の多い団塊の世代の教員はまだ引退する年齢ではない。こうして教員の世界は就職氷河期に先んじて氷河期に突入していたのである。当時、東京都の高校国語は一人しか採用されず、受験生の数=倍率となっていたのをよく覚えている。

しかし、一般企業は引く手あまただったから、氷河期世代に比べればずっとましだろう。僕の周りでも教員は諦め一般企業に就職した人が多かった。しかしよく考えてほしい。就職はしたら終わりではない。

バブル世代が就職してしばらくしてバブルは崩壊、会社はボコボコとつぶれた。当時は胡散臭い新興IT企業が注目を集めていた時代で、なんとかバブル崩壊の影響は免れても、続くITバブル崩壊でどんどん消えていった。

もちろん、そのスタートすらまともに切れなかった氷河期世代の人たちには同情する。しかし、バブル世代だって、たいがいはロクな目にはあっていない。羨むのはお門違いである。

一番の問題は、時代が変わったのにバブル以前のシステムを変えなかったことだろう。経済は波があるものだから、その状況で就職難の年があるのは仕方がない。しかし、一度機会を逸しただけで取り戻せないのはどう考えてもおかしい。また正規と非正規であまりに待遇が違うのもおかしい。

他の世代を羨んでいたって何も変わらない。言うべきことは「銭よこせ!」である。
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