2023年10月

第二種電気工事士の免許が来た。これで僕も晴れて(ペーパー)電気工事士だ。
電工免許
今回の試験、うまい具合に追い風が吹いていた。試験会場が自宅の近くだったというだけではない。勤務先の副校長が、かつて工業高校で第二種電気工事士資格取得の指導をしていたのだ。PTA通信の自己紹介でそれを知り、技能試験の作品を何度も見ていただいた。あらためて感謝します。

さて、こういうブルーカラー系の資格を取ったからいうわけではないが、これからホワイトカラーの時代は終わり、ブルーカラーの時代が来るんじゃないかと考えている。

ブルーカラーの仕事は体を使う仕事である。力や技術のいる仕事だから、はるか昔は誰にでもできることではなかっただろう。

しかし、機械が発達して必要とされる力や技術は少なくなり、かぎりなく誰でもできる仕事に近づいてきた。それと同時に教育が進んで、ホワイトカラーの仕事ができる人が増えてきた。ブルーカラーが減ってホワイトカラーが増えたのが現代である。

ではこれからどうなるか。ホワイトカラーの仕事の多くは、コンピュータに乗っ取られるだろう。なにしろノーミソさえあればできるのがホワイトカラーの仕事である。コンピュータさえ発達してしまえば、よほどの天才でもない限りほとんどの人間は用無しになる。

もちろんブルーカラーの仕事を代わりにする機械も発達するだろうが、人がいらなくなるのはずっと先のことだ。ブルーカラーの仕事はノーミソ(コンピューター)と機械の両方が発達する必要があるからだ。

まして日本は少子化で人材不足である。国力も弱くなっているから、いずれ外国人労働者に頼ることもできなくなる。需要が先細るホワイトカラーに対し、ブルーカラーの需要は拡大する一方である。

これからは、今までホワイトカラーの仕事に就いていたような人も、ブルーカラーの仕事をするようになる。現在の日本では40%あまりがブルーカラーだそうだが、あと20年もすれば8割ぐらいがブルーカラーになるんじゃないだろうか。

ブルーカラーの仕事は、人の命に関わることが多いので、資格がないとできないことがとても多い。それほど取得が難しくないものも多いので、これから就職を考える若い人はいくつか取っておくとよいだろう。
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『土佐日記』の電子テキストを公開しました。


青谿書屋本『土佐日記』:やたナビTEXT

底本は青谿書屋本(せいけいしょおくぼん)です。いつもどおり、翻刻部分はパブリックドメインで、校訂本文部分はクリエイティブ・コモンズライセンス 表示 - 継承(CC BY-SA 4.0)で公開します。

『土佐日記』は本文研究が進んでおり、やたナビTEXTにまったく新味はありません。ただ、一つだけ他と違うのは、一日一ページになっていることです。

藤原定家によると、紀貫之自筆の『土佐日記』は巻子本だったそうです。読むとすれば、一日の記事の冒頭を右端になるように、紙を巻き取りつつ一日ずつ広げることになると思います。一日一ページはそれに近い読書体験になると思います。

久しぶりに『土佐日記』を通読しましたが、あらためてこれぞまさに文学だと思いました。日記文学の嚆矢であると同時に、紀行、和歌文学、歌論、そして私小説など、後の日本文学に繋がる要素が詰め込まれています。短い作品ですが、よく読み込む必要があります。

この作品の場合、どんなによく出来た現代語訳でも原文の半分も魅力を伝えることができないでしょう。自分で作っておいてこういうのもなんですが、テキストだけでは十分に理解するのは難しいと思うので、できれば複数の注釈書を読んだほうがいいと思います。研究が進んでいても、いまだに解釈の分かれるところが多いからです。

注釈書はいくつかトップページに紹介しておきましたが、この本もオススメしておきます。

小松英雄『古典再入門―『土左日記』を入りぐちにして』(笠間書院)
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原稿用紙に文章を書く場合、行頭に句読点や括弧の終わりを書いてはいけないというのは、小学校で習う原稿用紙の書き方の基本である。印刷物では字間を変えたり余白に入れたりして、句読点などの約物が行頭に来ないようにする。これを禁則処理という。

そうしないと読みにくいから、ルール以前の習慣だと思っていた。ところが、現在翻刻している『一言芳談抄』の版本はなぜか句点が行頭にある。現代の活字と違ってまるごと版木を彫るのだから、句点を行末に入れるのはそれほど難しいことではないはずである。
行頭に。
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/2583391/1/15
ここだけで三回も連続して行頭にあるのでも分かるように、この本に限っては珍しくはない。

では、行末の句点はないのかと思ってすべて確認してみたところ、わずかに二箇所だけ見つかった。そのうちの一つ。
行末に。
https://dl.ndl.go.jp/ja/pid/2583391/1/18
二箇所あるのだから行頭にこだわりがあるわけでもないようだが、数からすると圧倒的に行頭の方が多い。

句点のある版本をあまり扱ったことがないので、これがよくあることなのか、なぜこうなっているのか分からないが、確実に言えることは、

これは読みにくい

ということである。ない方がまだまし。
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