山口仲美『日本語の歴史』(岩波新書・2006年5月)を読んだ。

昨今、出版された本で「日本」とか「国家」が付く題名の本は、鬱陶しい本の代名詞だが、本書は違う。最初に言っておこう、ストロングバイ。この本が例の鬱陶しい本より売れなかったら、いよいよ日本は終わりだと思う。

国文学科出身の人にとっては、本書に書いてある内容の大部分は、国語学の教科書で読んでだいたい知っているはずだが、どういうわけか、この手の教科書は読んでいておもしろいと言えるものではない。いきおい、通読はできず、知識が穴だらけ。教科書だから面白い必要はないのだが、特に国語学系の教科書は無機質で、どうも読む意欲が失せてしまうものなのだ。

古文の先生は文法大好きだと思われているが、それは違う。文法大好きなのは国文学科出身でも、国語学を専門にやってきた人で、ほとんどの人は文学専門。文学専門の人は内容に興味を持ったからやっているのである。だから、文法は苦手なのに、文学を読むには文法の知識がなければ読めないから、いやいや勉強したという人も多い(と思う。少なくとも僕はそうだ)。

昔、この話を数学の先生にしたら、「数学の先生は計算好きだと思われているが・・・」と言われた。「なるほどなー。文学と数学って似てますね、漢字二文字だし、就職率悪いし」なんてワケのわからないことを言ったのを記憶している。

話をもとにもどす。この本は題名のとおり、奈良時代から現代までの日本語の歴史の本である。時代別に構成されているが、表記、文法、語彙などが、それぞれ整然と並べられているというのではなく(これが国語史の本を単調に感じさせる原因かもしれない)、各時代別に有機的に構成されている。だから、読んでいて飽きないし面白い。

用例も適切で、すべて現代語訳付。古典になじみがない人にも読みやすいように配慮されている。一般向けの本だが、どうも国語学は苦手という国文学科の学生や、国語の先生のネタにもぴったりだと思う。

僕が興味を持ったのは、係り結びがなぜ現代に残らなかったか、という部分。係り結びは、高校の古典の授業で必ず習うのだが、「なんで昔はこんなややこしいことをしていたんだ!」と思ったのは僕だけじゃないだろう。本書のものすごく明快な答えで納得した。答えは書かないよ。本を買うように。

時代が降るにしたがって、日本語が論理的になっていくというのも面白かった。古典を現代語訳するときに、一番ひっかかる部分はこれだったのだ。

なお、著者の山口氏は「山口仲美の言葉&古典文学の探検」というサイトを立ち上げていらっしゃるので、こちらもどうぞ。