ちょっと前の話になるが、今年もある学校の卒業式に出席した。東京の学校なので、当然国歌斉唱がある。

卒業式での国歌斉唱には、賛成でも反対でもない。絶対に歌わなきゃいけない(歌わないと罰せられる)というのもアホくさいし、歌うなと禁止するのも同じぐらいアホだと思う。

それにしても、不思議でならないのは、国歌の歌詞を変えるべきだという議論が全く出ないことである。

だいたい『君が代』なんていうのは、かなりいい加減な経緯で作られたものである。革命や戦争などの末に生まれた、他国の国歌とは比較にならない。(詳しくはWikipedia 君が代参照)

作曲は宮内庁雅楽課だが、最初はお雇い外国人に作曲させて、あんまり評判が良くなかったから、宮内庁雅楽課に依頼しなおしたものだ。国歌を外国人に作曲させたのとは、いかにそういう時代だったとはいえ、明治政府も太いものである。

歌詞にしても、もともと国歌として作られたものではなく、原型は『古今和歌集』343番歌で、賀歌である。賀歌というのは、簡単に言えばお祝いの歌で、この場合長寿を祝う歌である。

つまり、「国歌斉唱です」といって「ハッピーバースデートゥーユー」を歌っているようなものである。「君」が天皇を指そうが指すまいが(僕はもともとは指していないと思う)、国とは関係ないし、あまり国歌にふさわしいとも思えない。

明治以来の伝統が・・・とか言う人がいるが、たかが140年程度の伝統だ。古墳時代から続く、わが国の伝統から比べればつい最近といっていいほど新しい方である。

歌わせようとする側は、何故こんないいかげんに作られたものに固執するのだろうか。歌詞に問題があると考えて、歌いたくない人のために作り変えようと思わないのは何故か。国を讃えるような和歌なら、万葉集以来いくらでもあるはずだ。

逆に、歌いたくないという側にしてみれば、歌わないという消極的な選択肢より、新しく作ろうという選択肢の方が受け入れられやすいのではないか。何故新しい歌を提案しないのか。

変えることも選択肢に含めていないのは、どちらの側もまじめに議論する気がないということだろう。そんな国歌なら、歌いたい奴だけ歌っていればよろし。