公立小「水にありがとうと言いながら凍らせると綺麗な結晶ができる」:ああ、昔にもどりたい
水に「ありがとう」というような良い言葉をかけて凍らせるときれいな結晶ができるというオカルト的な内容が書かれた本「水からの伝言」この本を信じ込んだ教師が道徳の教育とかで使っていることが
ネットやAERAなどで問題視されていたが、NHK以外のテレビが報道するのはミヤネ屋がたぶんはじめて。

2chのコメントに「だから文系は・・・」なんてあるが、僕に言わせれば、文系(特に文学部出身)だったらなおさら、こんなヨタを信じてはいけない。

それが心のそこから感謝した「ありがとう」なのか、相手のおせっかいに対して嫌味の「ありがとう」なのか、とりあえず「ありがとう」なのか、それを文脈などによってを考える(これを解釈という)のが、文学研究の一つだからである。つまり「ありがとう」は必ずしも良い言葉ではないのである。

言葉の解釈の問題というのは、なにも文学だけではなく文系の学問全般に言えることだろう。だから「ありがとう」が良い言葉だなんてのは、その時点で聞く価値がないのである。

逆に「バカ」が汚い言葉だというのも、罵倒する「バカ」と、恋人がいう「いや〜んバカ〜ん」と、間違ったことをした友人を引き止める「バカッ!」をひとくくりに汚い言葉とするのはおかしな話である。

その程度が区別できないんじゃ、水なんて相当なバカである。いや、それ以前に水に知能なんかないんだが・・・。

たぶん、汚い言葉を水に言うと、結晶が汚くなるなんて信じるやつは、恋人から「いや〜んバカ〜ん」と言われても、「オレをバカにするな!」とか言って怒っちゃうバカなんだろう。そんなバカが「水は言葉を解する」とか言っても信じることはできない。

それはともかくとして、教育に携わる者としては、こういうヨタを道徳教育に使いたくなる気持ちはわからないでもない。

小学生レベルだと「これこれこうだから「バカ」なんて言葉は使っちゃいけない」と、論理的に指導するのは難しい。小学生でなくても論理的な説明というのはなかなか理解されないものなのだ。だから、「そういう言葉を使うと、神様が怒るから」などと観念的に指導したほうが伝わりやすいのである。

ところが、公立の学校では、そういう宗教的な指導は許されない。「神様ってどんな神様だ。うちは仏様なんだが」ってことになる。だから、こういう観念的なヨタが利用されやすいのだろう。

では、教える方は信じていないのかというと、おそらく信じているのだろう。たぶん、最初は「道徳教育に都合のいい学説(本当は学説とはいえない代物だが)があるから、これを使おう」程度のものだったのが、だんだん信じるようになったのではないか。

しかし、高校までの教育では、どんなにそれが正しく思われても、定説になっていないものを教えるべきではない(授業中、興味を引くために話題に出すぐらいはかまわないと思うが)。新説を授業で教える危険性は、ゴッドハンド藤村事件が証明している。学校とは古臭いことを教える場所なのである。

水伝を授業に取り入れているのは、ごく少数だと思っていたのだが、実際信じている中学生がいたので、ここでイッチョカミしておこうと思った次第。

ところで・・・私事ですが、去る10月5日に結婚しました。身内だけの結婚式でしたので、友人などは呼んでいません。あしからず。これからもよろしくお願いします。