日本語の実力その2】日本語なしには成り立たない現代中国語:Suzacu Late Show

現代中国語の中に、日本で作られた言葉があるのは有名な話で、これをいちいち検証する気はない(実は、ここに挙げられた例に疑問を持たないでもないが、専門ではないのでやめておく)が、ここをもって「日本人スゲー」とか「日本語スゲー」というのは勘違いもはなはだしい。スゲーのは昔の日本人で、現代の僕たちではないし、ましてや日本語ではない。

こういうネイティブにも違和感のない漢語を作れたのは、それだけ昔の人々(それも漢文が専門でない人)が漢文(あえて漢文と書く)を操る能力があったからである。それはたしかに、僕たちの先祖なんだけど、それは僕たちとは違う日本人である。

現代では、漢文教育なんか見る影もない。大学の入試でも軽視されるし、何で高校の国語で扱うのかとまでいう奴がざらにいる。だから、外来語がこんなにはびこるのである。漢文が教養の基礎だった、昔の日本人と一緒にしたら、昔の日本人が迷惑がるだろう。

分かりやすく言えば、こういうことだ。昔はむちゃくちゃ野球の強かった学校で、甲子園にも何度も出た。しかし、今は衰退どころか何十年も前に廃部になっている。その高校の現役生が、強豪だった時代の昔の野球部に誇りを持つ。それと同じことである。マヌケにもほどがある。

上のエントリにしたって、「漢文の実力」とか「漢字の実力」とか「昔の日本人の実力」なら分かるが、なんでこれが日本語の実力になるのだろう。漢字と漢文の文法を使って言葉を使ったのだから、日本語は関係ないじゃないか。

そもそも、言語に優劣はない。使う人間(いっとくけど個人だぞ。国民じゃないぞ)に優劣があるだけだ。これで溜飲を下げるなら、古文と漢文を勉強したまえ。昔の日本人に頼るんじゃないよ。