時代は回るのつづき。

写真とカメラの歴史は実に面白い。写真が発明されたときのショックはいかなるものだったか、とても想像できない。なにしろ、画家が全員失業してしまうかもしれないのである。

発明されたのもすごいが、映画用だった35mmフィルム(一般に使われるフィルム)を使用した、スチールカメラの発明も画期的だった。これを初めて世に出したのがドイツのライツ社(Leitz)である。ライツ社はこのカメラをライツのカメラ、つまり「ライカ(Leica)」と名付けた。

ライカは世界中でパクられた。特にパクったのが日本とソ連である。世界中でパクられたのには二つ理由がある。

一つは、比較的単純な構造でパクりやすかったこと。当時、ライカと並ぶ35mmフィルムを使うカメラに同じくドイツのコンタックス(CONTAX)というのがあったが、こちらは構造が複雑なのでほとんどパクられなかった。

もう一つは、ドイツが枢軸国で、連合国側ではライカを入手するのが困難だったからである。カメラは兵器でもある。第二次世界大戦中、イギリスではライカの供出まで行われたらしい。

ところが、同じ枢軸国なのになぜか日本はパクりまくった。戦前から戦後にかけて、ニセライカを作るメーカーの頭文字はA〜Zまですべてあったと言われている。

その一つがレオタックスである。画像は左がホンモノのライカIIIf、右が僕の持っているパチもの日本製レオタックスfv。1958年製。
b-leicaleotax


ロゴもよく似ている。
leicalogoleologo


これは特殊な例ではなく、今を時めくキヤノンもニコンもパチライカを作っていた。現在残っているカメラメーカー(デジカメ時代になってずいぶん統合されてしまったが)でパチライカを作らなかったメーカーはほとんどない。

レオタックスという名前自体、LeicaとContaxを足して二で割ったような名前である。表向きには言っていないが、日本のカメラブランドの名称も「ツアイスイコン」「コンタックス」「ライカ」といったようなドイツブランドの影響を受けている。

1954年、ライカはM3という新しいカメラを世に出す。M3はコピーできず、日本のパチライカブランドのほとんどは消滅した。上のレオタックスfvはライカM3以後の製品だが、いろいろ工夫してはいるもののそれ以前のライカ(バルナックライカという)を模倣している。

一方、コピーをあきらめ、一眼レフに活路を見出した日本のメーカーは発展を遂げた。逆に一眼レフを開発できなかったライカは市場から駆逐された。それが現在世界を席巻している日本のカメラに繋がる。

さて、ここまでくれば、僕が何を言いたいか分かるだろう。日本もかつては安いニセモノを量産する国だったのだ。中国を笑っている場合ではない。時代は回るのである。