横光利一「日輪」を読んだ。

横光利一「日輪」:青空文庫

横光利一というと、文学史的には新感覚派の代表的な作家である。横光の作品は新感覚すぎて読みにくいところがあるが、これはもう時代設定からして新感覚。主人公は卑弥呼である。

会話文がまた新感覚だ。江戸時代の武士なら「○○でござる」とか「拙者○○と申す」とか、平安時代の貴族なら「○○でおじゃる」とか(例がアホっぽくってすみません)なんとなく時代を表す言い回しがあるが、さすがに弥生時代を表現する言い回しはない。

だが、そこは新感覚。独特の弥生時代の言い回しを作っている。これが、僕のヘタクソな中国語会話を直訳したみたいで面白い。
「爾は誰か。」と再び大兄はいった。
「我は路に迷える者。」
「爾は何処(いずこ)の者か。」
「我は旅の者、我に糧(かて)を与えよ。我は爾に剣と勾玉とを与えるであろう。」
 大兄は卑弥呼の方へ振り向いて彼女にいった。
「爾の早き夜は不吉である。」
「大兄、旅の者に食を与えよ。」
「爾は彼を伴(とも)のうて食を与えよ。」
「良きか、旅の者は病者のように痩せている。」

よもや弥生人がこんな片言の日本語でしゃべっていたとも思われないが、この会話文で一気に横光的弥生時代に引き込まれる。

この時代がどんな時代だったかは、資料が少なすぎて誰にも分からない。当然そこは想像で補うしかないのだが、横光にとって、弥生時代は相当殺伐とした時代だったらしく、やたらと人が死ぬ。それも、あっさりと。
「王よ、女は我の妻である。妻を赦せ。」
「爾の妻か。良し。」
 君長は女を放して剣を抜いた。大夫の首は地に落ちた。続いて胴が高縁に倒れると、杉菜の中に静まっている自分の首を覗いて動かなかった。
「来れ。」と君長は女にいってその手を持った。
「王子よ、王子よ、我を救え。」
「来れ。」
 女は君長を突き跳ねた。君長は大夫の胴の上へ仰向きに倒れると、露わな二本の足を空間に跳ねながら起き上った。彼は酒気を吐きつつその剣を振り上げた。
「王子よ、王子よ。」
 女は呼びながら長羅の胸へ身を投げかけた。が、長羅の身体は立木のように堅かった。剣は降りた。女の肩は二つに裂けると、良人の胴を叩いて転がった。

まるでドラクエのスライムみたいに人間が斬られる。これにかぎらず、横光利一の作品は殺人だの喧嘩だのの描写にまるで迫力がない。

意図的にそうしているのか、そういうふうにしか描けないのかは知らないが、『日輪』の場合、これが弥生時代の世界観に不思議と合っている。

内容は、邪馬台国の女王になる前の卑弥呼が、彼女を求める男性たちによって運命を狂わされるというような感じ。これだけ古代を描写する工夫をしているのに、ストーリーはどことなく現代的である。

これは歴史小説ではない。そもそも記録がない時代だから、歴史小説にはなりようがない。実在の(と思われる)人物、卑弥呼を利用したファンタジーである。