言うまでもなく、掛け算は前後を逆にしても(2✕3でも3✕2でも)答えは同じである。ところが小学校では「りんご3個入りの袋を2袋買ったら、りんごは全部で何個になるか」というような問題で、3✕2=6個なら○で、2✕3=6個だと×というような教え方をしている場合があるという。

「学習指導要領に書いてある」の回答:石田のヲモツタコト

上の記事の場合、担当教師の「学習指導要領に書いてある」というのは、いかにもまずい言い訳である。学習指導要領にはそんな具体的なことは書いていないし、そもそも、書いてあろうがなかろうが、なぜそうなるのか説明できなければならない。

それではなぜそうなるのか。ここからは僕の推測である。

学校で授業をやっていると、どうしてもある部分を省略したり、ときにはあえて間違っていることを教えなければならないことがある。

僕の担当教科(書道・国語)の筆順を例に取る。筆順については前にも書いたが(筆順の話:2013年07月11日)、実は習慣的なもので、これだけが正しいというものはない。だが、それを説明して理解できる生徒は高校生にすら多くはない。下手をすると、じゃあどんな筆順でもいいんだということになる。

まして相手が小学生なら、これはこういう筆順で書きなさいと教えるしかない。漢字の筆順や字形から、文法、漢文の訓読、文学史、語彙の解釈にいたるまで、そういうものはいくらでもある。言葉は悪いが、僕はこれを〈子供だまし〉と呼んでいる。

もちろん正確に教えたいのはやまやまだが、正確に言ってしまうと大事なところがボケる。重要なこととそうでないことをちゃんと切り分けられる生徒なら問題ないが、生徒というものはかなり優秀でも、余計なことは覚えていて重要なことは忘れるという特質があるものだ。小学校低学年ならなおさらそうだろう。

問題になっている、掛け算の順番の場合はどうだろうか。

掛け算の基本である九九を覚えるのは小2である。最近では、幼稚園から覚えさせるところもあるようだし、親が夏休みあたりに覚えさせることもあるだろうから、仮に、授業で九九を教えていなかったとしても、生徒の半数ぐらいが覚えている可能性もある。

となると、教師として一番恐れるのが、何も考えずに九九を使われることである。「りんご3個入りの袋を2袋買ったら、りんごは全部で何個になるか」という問題を読んで、出てくる「3」と「2」という数字だけを拾って「今、授業で掛け算をやっているのだから、これは掛け算だ。3と2という数字がある。三二が六だから正解は六個だ」となるのは問題の解答としては正しいが、教育的にはよろしくない。

特に最近では考えさせる教育がトレンドになっている。何も考えずに、文章(上のエントリの場合は絵だが)に現れた数字だけを拾って計算するのでは、考えていることにならないのである。ちゃんと考えているか、理解しているか分かる方法はないか。

おそらく、ここで〈子供だまし〉を使っているのだろう。数式的には存在しない、掛ける順番のルールを最初に設定することにより、生徒になぜそういう式になるのか考えさせるのである。これが本当に効果があるのかどうか、小学校の先生でも数学の先生でもない僕には分からない。

個人的には〈子供だまし〉は教育には必要だが、最小限に留めるべきだと思っている。少なくともそれが本当に効果があるのか、十分に検討した上で使わなければならない。また、先生の中でも、子供だましを多用する先生と、そうでない先生がいるように思う。