役所というところは、とにかく書類の多い所である。僕のように、公務員の極北のさらに末端にいるような非常勤職員でさえ、何のために必要だかよくわからない書類をせっせと書かされる。

昔、共産圏の国のトップを「書記長」といい、なんでそんな偉くなさそうな肩書なのか不思議だったが、官僚制では書類こそが重要だから、トップは書記長になるのかと妙に感心する次第。

ことほどさように、役所というところは書類だらけのところなのだが、これは今も昔も変わらない。それどころか、冥界でも変わらないらしい。

『今昔物語集』巻9「震旦遂州総管孔恪修懺悔語 第廿八:やたナビTEXT

孔恪という男が死んだ時、閻魔庁(本文では官府)に連行され、殺生の罪に問われた。判決は有罪。罰を受けることになった。

いよいよ地獄に連行されるときになって、孔恪は「官府、大に濫也」と抗議した。「濫也」というのは「いいかげんだ」というような意味だろう。
其の時に、孔恪、大きに叫びて云く、「官府、大に濫也」と。官、此れを聞き□、喚び還して、□□何事に依て濫なるぞ」と。孔恪、答て云く、「我れ、生れてより、□□罪□□□□□□□□□□□□□□□□□□□此れ濫なるに非ずや」と。
『攷証今昔物語集』では空白が多くて分かりにくいのだが、鈴鹿本によると、孔恪は「罪の有ることだけを記録し、善行を記録していないのはおかしいじゃないか」と抗議している。

閻魔大王(本文では「官」)は、孔恪の抗議を受けて、主司にこの件を確認した。すると・・・。
主司、答て云く、「善をも悪をも、皆録せり。但し、善悪の多少を計るに、若し、善多く罪少きをば、先づ福を受くべし。罪多く善少きをば、先づ罪を受くべし。而るに、孔恪、善は少く罪は多し。其の故に、其の善を叙べさる也」と。
主司の答えを要約すると、「孔恪は善が少なく、罪が多かった。どうせ罰を受けるのだから、善は記録しなかった」というのである。最初に「善をも悪をも、皆録せり」と言っているのが、いかにも言い訳くさい。

これを聞いた閻魔大王、大激怒。主司は百叩きの罰を受けることになった。
其の時に、官、怒て云く、「汝が叙る所、福少く罪多かる者は、先づ罪を受くべしと云へども、何ぞ、善を記さざる」と云て、命じて、主司を罸(う)つ事百度。罸畢る。血流て、地に濺げり。
役人にとって、正確な文書を残さないことが、いかに大きな罪だったかということが分かる。

このボンクラ役人のおかげで、孔恪は閻魔大王から七日間の猶予をもらい、生き返った。その間、善行を修して亡くなったという。

さて、役人と文書といえば・・・・
真偽を検証 佐川理財局長が言った“自動的に消去”システム:日刊現代デジタル
「パソコン上のデータもですね、短期間で自動的に消去されて復元できないようなシステムになってございますので、そういう意味では、パソコン上にも残っていないということでございます」
 腰を抜かす国会答弁だ。発言者は、財務省の佐川理財局長。3日の衆院決算行政監視委員会で、野党議員から行政文書の電子データは残ってるはずだと指摘され、こう答えた。
こいつ百叩きな。