ひさしぶりに試験問題を作っていたら、6月も4日が過ぎていた。遅ればせながら、5月の総括。

森友学園問題に引き続き、今度は加計学園問題が出てきた。それもつい最近まで官僚のトップだった人の証言によってだ。単なる幼稚園の理事長の証言とは重みが違う。安倍内閣もさぞかし窮地に陥るだろうと思いきや、支持率が下がったという話は聞かない。

多くの日本人は、権力を持てば何をやっても許されると考えている。安倍首相が森友学園や加計学園に対し、ルールを超えた援助をしていたとしても、ワイロでも貰っていなければ、たいした問題だとは考えない。「友達のために便宜を図って何が悪い」という程度の認識である。

上から下まで、ルールを超えた便宜や忖度は当たり前だと思っているのが日本人である。以前、『コクリコ坂から』のことを書いたが、あれも全く同じ。

『コクリコ坂から』では、老朽化した男子文化部クラブ棟〈カルチェラタン〉の取り壊しに反対する主人公が、理事長に直訴する。主人公をはじめとする生徒の熱意が通じて、理事長の判断により取り壊しを免れる。理解ある良い理事長・・・はたしてそうだろうか。

〈カルチェラタン〉の取り壊しは理事長の一存で決めたことではない。他の理事や教員も同意してのことだったはずだ。それが、理事長一人の判断で覆る。理事長はいうまでもなく最高権力者である。私学といえど、そんなバカなことがあっていいはずはない。よくよく考えれば、かなり気持ち悪い話である。

取り壊しに同意する側も(理事・教員)、反対する側(生徒)も、絶対的な権力の存在を認め、それにおもねっている。逆に言えば、絶対的な権力にかなうものはないと認めているのだ。

話をもどすと、公平であるべき行政が、一部の権力者によって、お友達というだけで便宜を図ってもらえる、これは、本来であればとんでもない話である。そこに動くお金は、税金から出ている。権力者が税金を私物化しているのである。

しかし、イマイチ反応が薄いのは、日本国民の多くが、権力とは絶対的なもので、何でもできることだと思っているからである。権力にも下から上までさまざまあるが、その頂点が首相、もっと言えば天皇ということだろう。

だから、たとえ安倍首相が森友学園や加計学園に便宜をはかっていても、そこに文句を言う人は少ないのである。