もしかしたら先行研究があるかもしれないが、ちょっと面白いことに気づいたので、メモ程度に書いておく。

『蒙求和歌』の第2第5話「漂母進食 郭公」は、貧しい時代の韓信が漂母というオバチャンに助けられ、後に楚王となった時に、恩を返したという話である。典拠は『蒙求』の他、『史記』淮陰侯列伝である。

韓信が漂母に出会う場面、国会図書館本『蒙求和歌』では次のようになっている。
下邳ト云所ニ行テイヲヲツクリケルニ漂母来テ・・・
国会図書館本蒙求和歌
「イヲヲツクリケルニ」は「庵を作りけるに」と解釈できる。「庵」は本来の表記では「いほ」が正しいが、この程度の表記ブレは珍しくない。

これでいいだろうと思ったのだが、ちょっと気になって、『蒙求』を見てみた。すると、韓信は魚を釣っている。次の写真は国会図書館本『付音増広古注蒙求』によるもの。「下邳ニ至リテ釣リス」と書いてある。
古注蒙求
念のため『史記』にもあたってみたが、やはり韓信は釣りをしている。

だとすれば、「イヲヲツクリケルニ」は「ク」を削除して、「イヲヲツリケルニ(魚を釣りけるに)」となる。「魚」は「いを」なので何の問題もない。「ク」と「リ」は字形もにているから、たぶん間違えて余分に書いちゃったんだろう。めでたしめでたし・・・。

だが、やはり気になるので、書陵部本の二本を見てみた。

桂宮本『蒙求和歌』:書陵部所蔵目録・画像公開システム
『蒙求和歌』:書陵部所蔵目録・画像公開システム

下の写真の左が桂宮本である。すると・・・。
書陵部本の二本
なんと、どちらも「家を作りけるに」となっているではないか。

おそらく、魚(イヲ)→庵(イヲ)→家(イヘ)になったものだろう。しかし、他の説話を見ると、国会図書館本が欠いている和歌が書陵部本にはあったりするので、直接の親子関係にはないように思える。

校訂本文をどうするか悩んだが、典拠に従って「魚(いを)を釣りけるに」にしておいた。書陵部本と違い、「魚を釣りけるに」という本文の痕跡が見えたからである。