結論から先にいうと、そんな日は来ないと僕は考えている。

まず最初に、「翻刻する日」を定義しておく。これは、どんな写本でも版本でも、スキャナーにかければ、99%以上の文字を正確に翻刻できるという意味である。

「どんな写本でも版本でも」というのは、例えば江戸期の版本だけとか、定家本だけとかではなく、ありとあらゆる写本・版本という意味だ。そうでなければ、役には立たない。99%はハードルが高いようだが、実際には100文字で1字の間違いなので、これでもあまり実用にはならない。かなりハードルは低いが、それでも無理だと思っている。

AIとは人工知能という以上、人間のノーミソできることなら、コンピュータができるということだろう。違いはスピードと量。人間がやっているのだから、AIで写本・版本を読むことは、理論的には可能である。

しかし、大前提として「人間のノーミソできることならすべてできる」のなら、「人間のノーミソでもできる」ということでもある。

読む対象である古典籍は有限である。新しく発見されることはあっても、新しく書かれることはない。増えないリソースのために、わざわざAIで読ませる必要があるだろうか。まず、経済的な合理性がない。

そんな日は来ないと考えるもう一つの理由は、古典籍で使われる文字と現代の文字の根本的な違いにある。続続・春秋か暮秋か(春と暮)で述べたように、古典籍の時代は、文字と解釈は車の両輪だった。

もしAIに古典籍を読ませようと思ったら、人間が読むのと同様、解釈ができなければ読めるようにならない。それも、仮名遣いも送り仮名も定まっていない文章である。そんな各時代の多種多様な古典をAIに学習させて、読解の勉強をさせなければならないことになるが・・・その本文を作ったのは人間である。

だったら、最初から人間が作っちゃったほうが早いだろうというのが僕の考えである。