といわけで、2018年最初の月も今日で終わりである。なんだか、あっという間に過ぎちまった。

さて、今年は明治150年である。政府も記念イベントを計画しているらしい。

明治150年ポータルサイト:内閣官房「明治150年」関連施策推進室


「だからどうした」と思われるかもしれないが、僕にとっては重要だ。何となれば、僕は1968年(昭和43年)生まれ、明治100年生まれだからである。だから、「明治150年」と大々的に言われると、「おまえは今年で50歳だ」と言われているような気がする。相変わらず気に食わないことばかりする政府である。

今、老人ホームに入っている祖母は、1918年(大正7年)生まれで、今年100歳の誕生日を迎える。長生きは大変めでたいが、祖母が50歳のときに僕が生まれたということだ。僕には孫どころか子供もいないので、「オレは今まで一体何をしていたんだろう」という気分になってくる。

よくよく考えれば、明治維新から100年後に僕が生まれたことも、僕と祖母が50歳差であることも、当たり前だが50年前から何一つ変わっていない。それなのに、今まで全然気にしていなかったことが、100とか50とかいう計算しやすいキッカリした数字になると、妙に気になってくる。

これは、キッカリした数字が妙な説得力をもっているケースだが、逆にキッカリした数字だと胡散臭いということもある。

例えば、「ビットコインで1億円儲けた」というと、「本当かソレ」みたいな気持ちになるが、これが、「9千9百63万円儲かった」と聞くと(数字は適当)、なんだかやたらとリアルに思えてくる。一方で、1億には37万し足りないだけなのに、「なんだ、1億には達していないのか」と思ったりする。

数字には説得力があるが、数字から受ける感覚はいいかげんなものだ。数字には惑わされないようにしたいものである。