『蒙求和歌』第10第17話(147) 荘周畏犠は、次のような説話である。
楚王が荘周を宰相にしようと使者を送った。使者からそのことを聞かされた荘周は、「あなたは生贄をご存知ないか。生贄は、最初はきれいに飾られて、餌も十分与えられるが、最後は殺されてしまう。私は生贄にはなりたくない」と言って、家にこもってしまった。
荘周は荘子のことだが、この説話の最後に、一言、こんな文が付け加えられている。
荘周は夢中に胡蝶となりし人なり

これが『荘子』斉物論の「胡蝶の夢」のことを言っているのはいうまでもない。高校の教科書にも出てくるほどポピュラーな説話である。内容はご存知の方が多いだろうし、説明するのも面倒くさいので、Wkipedia先生にお任せする。

胡蝶の夢:Wikipedia

「荘周は夢中に胡蝶となりし人なり」という文を読んで、なんだか微笑ましく思った。もし、僕が授業でこの説話を扱ったら、たぶん同じことを言うだろう。「この荘周ってのは、荘子のことだな。ホラ、夢で胡蝶になった人だよ」と。

この文は、『蒙求和歌』の対象とする読者がどういう人だったかを端的に表している。

もし単純に荘周が荘子だという注釈を付けたいなら、「荘周は荘子なり」ぐらいですむ。わざわざ「胡蝶の夢」を持ち出すからには、荘周という名前を聞いても、それが荘子だとピンとこない人、それでいて「胡蝶の夢」の話を知っている人を読者としているのである。

『荘子』の「胡蝶の夢」は「昔者荘周夢為胡蝶」で始まるので、漢籍をまともに読んだ人なら、荘周でピンとこない人はいない。『蒙求和歌』の時代、「胡蝶の夢」の話はかなり人口に膾炙していて、直接読んだことがなくても、口伝えで子供でも知っているレベルだったのだろう。

もともと『蒙求』は初学者向きに書かれ、日本では「勧学院の雀は蒙求を囀る」という諺があるほど、学問をする人にとってはメジャーな漢籍だった。「荘周は夢中に胡蝶となりし人なり」という文は、『蒙求和歌』が直接『蒙求』を読むことができる初学者以前の人(おそらく子供)を対象にしたものであることを示しているのである。