大喜利そのものは、笑点以前からあったが、座布団を重ねるのは笑点が初めだそうだ。今では笑点といえば大喜利、大喜利といえば座布団となっている。

しかし、このシステム、誰が考えたかは、諸説あってよく分かっていないらしい。笑点の初代司会者で企画者でもある立川談志が考えたとも、当時の日本テレビチーフプロデューサー小暮美雄氏が考えたとも言われているが、確固たる証拠はないようだ。

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さて、この座布団をあげるシステム、誰が考えたのかがはっきりしていない。『金曜夜席』のプロデューサーだった小暮美雄氏が「寄席で演者ごとに座布団を裏返す所作にヒントを得た」というのがスタッフの間では通説。一方、大喜利をメインに構成したのは談志のアイデアであり、座布団のシステムも談志は「自ら考えた」と語っていたそうだ。
座布団を裏返す所作と、積み重ねる所作にはずいぶん開きがあるように思えるが、『蒙求和歌』に、どう考えても大喜利の座布団の由来としか思えない説話を見つけた。
『蒙求和歌』第14第16話 戴馮重席:やたナビTEXT
おほやけ、正旦の朝賀に、文道に賢き人を抜き出でて、召し合はせて、論談をなして、試みらるるに、負けたる人の筵取りて、勝ちたる人の筵に重ねられけり。

元旦の朝賀のとき、帝が賢人を集めて論談をさせた。負けた人の筵を取り上げて、勝った人の筵に重ねるルールだったが、戴馮は五十余枚を重ね、人々を目を驚かせた。

『蒙求和歌』なので、いうまでもなく典拠は『蒙求』だが、さらにもとをたどると、『後漢書』儒林列伝である。こちらは「戴馮」ではなく「戴憑」になっている(古注蒙求も「戴憑」とするものが多い)が、内容は同じ。
正旦朝賀,百僚畢会,帝令群臣能説経者更相難詰,義有不通,輒奪其席以益通者,憑遂重坐五十余席。
おそらく、大喜利のように何人も並んで問答したのではなく、一対一で論談し、負けた方の筵(むしろ。蒙求・後漢書では席だが、意味は筵)を勝った方が取ったのだろう。

これが本当に由来かどうか分からないが、『蒙求』にあるのなら、そこそこ知られていた話だろうから、談志なり小暮氏なりが知っていたとしても不思議ではない。全く無関係だとしても、漢代の皇帝と現代の日本人が同じことを考えるというのは、なかなか面白いことである。