『蒙求和歌』の電子テキストを公開しました。例によって、翻刻部分はパブリックドメイン(CC0)で、校訂本文部分はクリエイティブ・コモンズライセンス 表示 - 継承(CC BY-SA 4.0)で公開します。

国立国会図書館本『蒙求和歌』:やたナビTEXT

前に、「小説(文学作品)には読書感想文を書きたくなる作品と、論文を書きたくなる作品がある」と書きましたが(エミリ・ブロンテ『嵐が丘』を読んだ:2010年12月08日)、『蒙求和歌』は後者です。

国立国会図書館本では、漢字片仮名交じりが基本ながら、突然平仮名が混じったり(『蒙求和歌』の漢字片仮名平仮名交じり文:2017年12月07日参照)、ガチガチの漢文になったり、アヤシイ異体字がでてきたり、なかなか謎めいています。おまけに、真名序と仮名序があり、さらに藤原孝範(師匠)・源光行(本人)・藤原定家(たぶん友達)のゴージャスな跋付き。さらに、異本が多く、本文だけでなく歌も違うものがあります。

内容ははっきり言って、あまり面白くありません。中国説話の翻案としては、小品ながら『唐物語』の方がずっと文章がいいし、まとまっていて面白い。『今昔物語集』震旦部みたいな、「典拠のどこをどう読んだらそうなるのか」とツッコミを入れたくなるような、荒唐無稽さもありません。

でも、『蒙求和歌』はきわめてマジメに書かれています。教科書的な用途を想定して書かれたものだと思いますが(荘周は夢中に胡蝶となりし人なり:2018年02月11日参照)、それだけにちゃんと訳そうという意気込みが感じられます。

日本では、平安時代以降、漢籍の入門書として、広く『蒙求』が用いられました。本来『蒙求』とは、四字一句の韻文だけを指すのですが、それでは何を言っているのか分かりません。『蒙求』を読むということは、同時に注を読むことになります。

ところが、この注がクセモノで、今一般に読むことができる『蒙求』(例えば、新釈漢文大系『蒙求』など)は、南宋時代に徐子光によって書かれたもので、平安・鎌倉時代の日本人は読んでいません。彼らが読んでいた『古注蒙求』は、例えば国会図書館蔵本(附音増廣古注蒙求:国立国会図書館デジタルコレクション)などがありますが、通して読むのはちょっときついと思います。

『蒙求和歌』は、もちろん『蒙求』そのものではありません。配列も変わっています。そもそも、251話もあるとはいえ、『蒙求』の596句から比べると半分にも満たない数です。

しかし、これは平安・鎌倉時代の知識人には、知っていて当たり前のエピソードを選んであると思います。平安・鎌倉時代を専門とする方には、ご一読をオススメします。

おかげで、僕もずいぶん勉強になりました。